子狸さんは涙の向こうに愛を見るか
議長「スイーツ!」
議長の変てこな喚声が放たれた。
子狸「……!」
子狸さんが目を見張った。
大気が震え、襲撃者たちの迷彩が打ち破られたのだ。
族長の声は苦々しい。
族長「邪法だ。オーバー・チェンジリング……歴史と物語を詠唱に置き換えるとああなる」
チェンジリングとは詠唱を改造する技術だ。
魔法を使うということは、簡単に言えばサラ金に手を出すということでもある。
イメージし(ATMへ行き)
詠唱し(口座番号を打ち込み)
魔法を召喚する(お金を受け取る)
という三つの手順を踏む。
しかし良心的な経営を行う魔法金融には「信用貸し」という画期的なシステムが存在する。
お金を貸す側と借りる側。双方の意思が奇跡的な合致を果たしたとき、魔法は新たな境地へと達し……術者の実印を預かることができる。
これがチェンジリングだ!
魔法金融は、消費者の心強い味方でありたい……。
大切なのは信じるという気持ちだ。
魔法金融に預金通帳を預けた三人の魔導師は、銃弾が飛び交うオフ会に身を置いている。
襲撃者たちは、鯉のぼりと似ていた。
迷彩が破られたと見るや尾びれで地を叩き後退する。見た目に反して俊敏だ。
族長「ドワーフ……!」
族長が歯噛みした。まさかという思いがあった。しかし同時にやはりという思いもあった。
エルフとドワーフは仲が悪い。
エルフの精霊魔法は極めて強力な魔法だが、直接戦闘には適さない。
ドワーフの「召喚魔法」は、むしろその逆。直接戦闘に特化した魔法だ。
銃器を召喚し、状況に応じて武装を切り替える。古今東西、ありとあらゆる武器を使いこなす器用さがドワーフにはある。
しかし、この手ぬるさは何だ?
族長は腑に落ちないものを感じる。
ドワーフの強力な魔導師は、瞬間移動を駆使する天性の狙撃手だ。
この襲撃者たちは、あまりにも幼く、そして未熟だった。
だが、はっきりしていることもある。
この襲撃を招いたのは自分ということだ。
エルフとドワーフは仲が悪い。
ドワーフたちは、央樹の国に忠誠を捧げた死の商人だからだ。
族長は、銃弾の雨に身を晒す議長に声を掛けた。
族長「下がれ。どうやら私の客のようだ」
この程度の相手ならば、精霊の力で一掃できる。それゆえの提案だったが、議長は穢れを知らぬ乙女のように口の先端をしゅっと伸ばした。
議長「……大胆だな。君はそんなにはしたない男だったか……?」
ぞっとした。
竜人族に性別という概念はない。
彼らにとっての恋人とは、苗床となる敵なのだ。
そして、やろうと思えば竜人の里を滅ぼすこともできるエルフの魔導師は、議長にとって磨けば光る原石のようなものだった。
エルフと、ドワーフ。彼らは共に他種族より注目される有名な存在であったが……
竜人族ほど忌避され、恐れられている種族を、族長は他に知らない。
選定基準が異なるのだ。
竜人族は、生きていく上で魔法を必要としない。
族長「……いや。すまない。野暮を言った。続けてくれ」
族長は躊躇いなく幼いドワーフたちを売った。
しかし議長は思いのほか冷静だった。
議長「おいおい。野暮とは何だい。僕は子供には興味がないよ」
議長は倒錯した趣味を持たない。しごく真っ当な竜人である。
成長の余地を残した小さな子供を苗床にするのは恥ずべき行いだ。
しかし……。木陰で王都のひとにプレスされている子狸さんを視界に収める。
将来が楽しみな子狸だ。美しいまでの理念を持ち、魔物という世界最強の守護者を持つ。
議長「……邪魔しないでくれよ。ちょっとイイトコ見せておきたいのさ」
王都「…………」
王都のひとは誓った。このミジンコをいずれは除かねばならぬと。
親猫が子猫をそうするように、子狸さんをしっかりとプレスして地面に押さえつける。
議長は雨あられと降りそそぐ銃弾を一身に浴びている。
子狸さんが前足を伸ばして議長の安否を気遣った。
子狸「ぎ、議長〜!」
涙がぽろぽろと零れて止まらなかった。
しかし竜人族は強靭だった。
彼らの祖先は、ミョウバンの飽和水溶液から結晶が析出されるように生まれた。
他国の人間が足を踏み入れたら栄養過多で死んでしまうような環境を悠々と泳ぎ、じっくりと獲物を品定めするような種族だったから、持って生まれた生命力の桁が違う。
この恐るべき竜人族にとって、戦いとは愛の調べに他ならなかった。
自分たちはこんなにも戦えると、健気なドワーフたちが弾丸をぶつけてくる。
まるで自分に自信を持てない引っ込み思案の少女が精いっぱいの勇気を振りしぼって恋文を綴るかのようだ。
しかし議長は大人だった。
背伸びしたい年頃の、恋に恋する少女を嗜めるように言った。
議長「もっと自分を大切にしなさい」
ドワーフたちの装備はあきらかに火力が不足していた。
それを補おうとしないのは、この国では化学兵器の多くが正常に作動しないからだった。
そこに議長は、しかし古き良き時代のいじらしさを感じる。
ドワーフたちの切ないまでの本気を感じとってしまったから、どう受け止めれば良いのかと戸惑いを隠せない。
のそのそと近付き、事もなげに銃器を取り上げた。
議長「僕なんかより、もっと良い相手が見つかるよ。君たちは、まだ若い。たくさん恋をして、素敵なレディにおなり」
ドワーフたちは怪物を見るような目をしている。彼らは生物学上、男性だったが、性別という概念を持たない議長にとってはどちらでも良かった。
竜人族は、もっとも有名な種族の一つだ。
そのことを彼ら自身も自覚していたから、議長はおびえるドワーフの肩に節くれだった片腕を回して、安心させるように口の先端をしゅっと伸ばした。
議長「僕らの仲に性別の違いなんて些細な問題でしかないこと、知ってるんだろ……?」
だんだんおかしくなってきた。
議長は健気なドワーフたちに情を移しそうになっている。
竜人族は愛に生きる種族なのだ。
これではいけないと、議長は自分を戒めるように口の先端をしゅっと伸ばした。
議長「もしも君たちが僕を殺し切れるようなら、そのときは真剣に考えるよ。今はそれでいいかな……?」
議長は身持ちの固い竜人なのだ。
時代錯誤と言われるかもしれないが、少年兵の誘惑には屈さない。
恋に大らかな竜人族は超世界会議でリコールされるから、妥当な人選ではあった。
ドワーフの詠唱は暗号と似ている。
議長の返事に「未練」を感じたのかもしれない。ドワーフたちは一斉に抜剣し、鋭い剣の先端で議長を串刺しにした。
まだ幼い彼らが剣を振るうその姿は背徳的ですらあった。早熟なれど淫靡な光景に、議長は魅せられたかのように口の先端をしゅっと伸ばした。
議長「情熱的なんだね……?」
この戦場は、まるで純愛ストーリーのようだった。
愛に溺れてしまいそうだ。
身体に突き刺さった剣を議長の体液が伝う。それらは、あたかも意思を持つかのようにどろどろとドワーフたちの手を包み込んだ。
熱に浮かされるように口の先端がしゅっと伸びて……
議長「君たちの細胞は、とても無防備だ。誘っているのかい……?」
族長「ええいっ、やめんか!」
理性が崩壊しつつある竜人を、族長が怒鳴りつけた。
飛び掛かった蜘蛛型の精霊が議長を後ろから羽交い締めにする。
ゆっくりと振り返った議長が、族長へと向ける眼差しは熱い。
議長「僕はべつに君でもいいんだぜ……?」
この竜人はもうダメだ。
しかし議長の族長へと向けた熱っぽい眼差しが、ドワーフたちを現実に引き戻したのかもしれない。
悪い夢から覚めるように暗号化されたスペルを唱えると、まるで呼応するかのように現れた魔法陣が、彼らの未成熟な身体を執拗なまでにねぶり、連れ去って行く。
議長「…………」
未練がましく宙を見上げていた議長のくちばしみたいになっている口の先端が、小さな恋の終わりを告げるようにしゅっと伸びた。
一部始終を見届けた子狸さんは、号泣していた。
子狸「ああ……ああ……!」
涙があふれて止まらない。
わかっているつもりだった。
わかっているつもりだったのに。
自分は何もわかってなどいなかった。
子狸さんは不意に悟ったのだ。
この世界は、愛に満ちている。
議長の戦いは、子狸さんの中に、確かな「何か」を根付かせた。
それは、幼い頃に目にした、父の背中。
王都のひとが目を見開いて硬直していた。
王都「あの竜人……同じだ。お屋形さまと、同じバトルスタイル……」
子狸さんの実父にあたる先代魔王は、滅多なことでは完全コピーに頼らない。
先代魔王、お屋形さまの同位体は、敵に愛を囁くからだ。
同じバトルスタイルを持つ二人。
お屋形さまと竜人族があいまみえたとき、果たして母狸さんは実家に帰らずにいられるのか。
宿命のときは、こく一刻と迫っていた。
〜fin〜