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しいていうなら(略  作者: たぴ岡New!
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うっかり起動編

 合わさった手のひらが離れる。


 小さな手のひらに視線を落とした黒衣の妖精――ここでは仮にコアラさんとしよう――が頷いた。


コアラ「……確かに」


 光の文様が手のひらに浮かんでいる。それは徐々に輝きを弱め、やがて溶け込むように消えた。

 小さな手をぎゅっと握りしめ、コアラさんはぺこりとお辞儀した。


コアラ「ありがとうございます、リンクス女王」


 頭を下げるコアラさんをにこにこと見つめているのは、ひどく眠そうな面差しをした妖精さんであった。薄い羽衣を重ね着していて、濃いゆるふわ系の血を彷彿とさせる。頭上に戴く金冠が、彼女の立場を物語っていた。


 妖精属は三つの氏族から成る。

 三人の女王を頂点とする、勝ち抜きトーナメント型の社会だ。

 三つの氏族に分かれたのは、力量が肉薄していて決着がつかなかったためと言われている。


 コアラさんはベル族の王位継承権を持つお姫さまだ。

 対するリンクス女王は、その名が示す通りリンクス族の頂点に君臨するゆるふわ系である。


 ――このゆるふわ系の底が見えない。


 コアラさんは緊張していた。

 言うまでもなく、リンクス女王の羽衣は超重量の修行着だ。本来の力を封印するための拘束具である。

 眠たげな眼差しは、こちらを値踏みするようなにぶい輝きを放っていた。


 おそらくは、勝てない。

 だが挑まれれば否やはない。

 はるかな高みにいるゆるふわに、コアラさんは受けて立つとばかりに挑戦的な眼差しを向けた。


コアラ「……本来ならば選りすぐりの精鋭にて百人組み手を以って歓迎するのがしきたりですが、非礼をお許し下さい」


 しかし女王は寛容だった。


女王「お構いなく~」


 間延びした口調で告げた。今、この里に自分を満足させてくれる相手はいないということだ。


 コアラさんは屈辱に身を震わせた。


 だが事実だ。頂きはあまりにも高い……そこから見える景色がどのようなものか想像できない程度には。


 幼い姫に、リンクス女王は興味をなくしたように視線を逸らした。

 才能はあるようだが、覇気に欠ける。今挑まないものは明日も挑まない。

 平和ボケした里だ。ベル族の新しい女王は腑抜けという話だったから無理もないと思ったが……

 しかし見込みはあったようだ。


 現在、ベル族の王女は武者修行の旅に出ている。

 きっと王種に挑むつもりなのだろう。

 そして、いずれは戻ってくる。彼女は気付くだろう。自分がそうだったように。


 この心に吹く渇いた風を鎮めてくれるものは、同じ妖精属でしかあり得ない。


 王種は穏やかすぎる。悪辣と噂される古代遺跡の巨人兵ですら、そうなのだ。


 ――ただ、ひたすらに強くあろうとしてきた。強さを追い求めた先に見えたもの、それがじつは強さではなかったことに気が付いたときは愕然としたものだ。


 妖精属の女王が後進の育成に当たるのは、じつのところ、それがもっとも近道だからだ。

 それでも他に道があるのではないかと疑い、旅に出る。本気で嫌がる王種に幾度となく挑み、いつしか気が付くのだ。


 ――王種は弱い。死力を尽くして戦うということを知らぬ。


 あれならば、むしろ都市級のほうが楽しめる。


 そして……


 リンクス女王は、コアラさんの屈辱に打ち震えるこぶしを見た。

 手に巻き付いているマフラーの端を辿っていくと、そこには……


 ここには、王種に迫るとさえ言われる魔王の騎士がいる。


 魔軍元帥、つの付きだ。


元帥「…………」


 堂々たる体躯の黒騎士である。

 飼い犬よろしくコアラさんに手綱を握られていたとしても、その重厚とした武威には陰りがない。

 たとえ現在のお住まいが犬小屋に酷似していようとも、だ。


 魔王軍の総指揮官はあざ笑うように言った。


元帥「掲げる大義を知らぬ戦士に、成し遂げられるものなどありはしない……」


 喉の奥で低く嗤う声が、まるで暴かれた罪へと引きずり込むように重い。


元帥「足元を見ろ……。お前たちが歩んでいるのは、破滅の道だ。どれだけ先へ進もうと、崩れた道の行き着く先は一つ……」


 都市級の魔物は「魔力」と呼ばれる特有の力を持つ。

 魔軍元帥に備わる魔力は、他者の目を通して見たとき、魂を縛る獄卒の鎖という形態をとる。

 それが魔王に仕える常夜の騎士の本質を現したものだから、魔軍を統べる師の言葉は、罪人にとっての烙印がそうであるように重く、忘れ難い恐怖を聞くものに刻み付ける。


元帥「ふっ……奈落の底よ……」


 社会的に抹殺されようとしている黒騎士が、ひと足先に転がり落ちた奈落の底で同士に手を振るかのようだ。


コアラ「…………」


 吠え癖が治らない魔王軍の偉いひとを、コアラさんは冷たい目で見つめている。


元帥「…………」


 魔軍元帥は泰然と腕を組んだ。


 コアラさんは彼を見つめたまま、リンクス女王に言った。


コアラ「……盲点でした。まさか内通者がこんな身近に潜んでいるとは」


 一部の魔物が精霊たちと通じている。

 そのことに気が付いたのはさいきんの出来事だ。


 つまり鬼のひとたちのことなのだが、じつは彼らを陰ながら支援するものがいた。


元帥「…………」


 コイツだ。


 かつての勇者さんの宿敵は、すっかり牙をもがれてしまった。

 だが、全てを失ったわけではなかった。

 コアラさんの目を盗んで、捕獲された白くまさんたちの脱走を手引きしていたのだ。


 早いもので終戦より数ヶ月が経過している。

 勇者さんが部屋にこもってサインを書いたり、鏡の前に立って髪型をいじったりしている間、つの付きは自分の生きる道を模索していた。


 そして、ついに見つけた――



元帥「勘違いするな。精霊どもを手助けしたつもりはない。奴らを倒すのは、このおれだ」



 魔軍元帥の「つの付き」という呼称は、兜から伸びる鋭いつのに由来する。

 この「つの」は世界の鎧シリーズに共通する特徴であり、また製造者たちのささやかな自己主張でもある。


 自分の立ち位置を定めた魔軍元帥のつのが、ありし日の輝きを取り戻しつつあった。

 差し込む陽光が滴るように滑り落ち――



 *



 艦内を走った赤色灯が鬼のひとたちのつのを赤く照らした。

 間を置かず、緊急警報が庫内に響き渡る。

 作業をしていたモグラさんたちがびっくりして一斉に手を止めた。

 彼らは戦闘に長けたタイプの精霊ではない。


亡霊「集まれ! こっちだ!」


 見えるひとは、べつに精霊たちを許したわけではない。

 彼らは侵略者だ。人間たちに取り入り、自分たちの居場所を奪おうとしている。

 はっきりと嫌っていると言ってもいい。


 だが、今――

 この国に子狸さんはいない。遠くの国に視察に出ている。

 あの子狸は精霊たちを見捨てはしないだろうという思いが、見えるひとを衝き動かしていた。


 モグラさんたちは恐慌状態に陥っている。

 激しく明滅する双眸から、鬼のひとたちはかろうじて情報を読み取る。


連合「侵入者だと……?」


帝国「……このおれたちを出し抜いたというのか!?」


 鬼のひとたちが訪問した日に侵入者が現れた。二つの出来事が偶然に重なったとは考えにくい。いや、考えるべきではなかった。

 

王国「艦内図を!」


 魔物たちが率先して動いたことで、自然と彼らが指揮をとる形になった。

 モグラさんの一人が艦内図を空中に投影する。


 フェニックス級の外観は、翼をひろげた鳥と似ている。

 発令所は胴体の中心部にあり、ここ格納庫は機動兵器の射出口と直結していることから翼側に位置している。


 マップの上を侵入者と思しき光点が移動している。

 縮尺図であるにも拘らず、はっきりと動いていることがわかる。


帝国「速いっ……!」


連合「……視界を共有できるか?」


 精霊たちは情報を共有できる。ならば視界も共有できる筈だと思いついた連合のひとがモグラさんに尋ねた。

 肯定の意を込めて目をぴかぴかと光らせたモグラさんが仲間の目に映っている画像を投影する。


亡霊「……!」


 集合の音頭をとっていた見えるひとが近付いてきて、映し出された光景に息をのんだ。


 艦内の通路にモグラさんたちが倒れている。息はあるようだが……

 一撃だ。どのモグラさんも、たったの一撃で打ち倒されている。

 侵入者はかなりの手練れだ。いや、これは手練れという次元ですらなく――


鬼ズ「ひっ……!」


 鬼のひとたちが悲鳴を上げて仰け反った。


 モグラさんの視界に、ひょっこりと横から侵入者が顔を出した。


 侵入者の正体は小さな女だった。

 

 くるぶしまで伸びる長い髪を、目に掛からないよう指先で軽く払っている。


 赤色灯に照らされた金冠が血のように赤く染まっていた。


 ベル族の女王が、ぱちりと片目を閉じて淑やかに微笑んだ。



女王『馴れ合いは感心しませんよ……?』



 ころされるッ……!


 鬼のひとたちは竦み上がった。

 しかし事態は最悪だったから、やるべきことはシンプルになる。


 王国のひとが、大声でモグラさんたちに命じた。 


王国「お前たちは仲間を回収して脱出しろ! この(ふね)は、もうダメだ……!」


亡霊「うん、ダメだね。運が悪かったと思って諦めるしか」


 帝国のひとと連合のひとは、女王の動きを分析している。


帝国「司令室に向かっているのか……?」


連合「……データが狙いか」


 司令室は艦の頭脳だ。あそこを抑えられたら艦内の設備は全て掌握される。

 妖精属の女王は最強の戦士だ。彼女が出てきた以上、もはや希望的な観測は捨て去るべきだった。

 帝国のひとと連合のひとは見えるひとを気にしている。肩を寄せ合って声を潜める。


帝国「マズイぞ。この艦には……」


連合「……機体だけでも持ち出すしかない」


帝国「しかしパイロットが居ないぞっ」


 またろくでもないことに首を突っ込んでいるらしかった。


 連合のひとは、じっと艦内図を見つめている。はっとした帝国のひとが肩越しに振り返った。


 見えるひとは王国のひとと一緒にモグラさんたちの説得に当たっている。


亡霊「いいからさっさと退艦しようぜ。おれらっとこの妖精さん、なんていうかちょっとハードだからさ」


 この緊急事態にはそぐわないのんびりとした声だった。

 自分は何も悪いことはしていないと思っているのだ。

 それは一面の事実ではあったが、矛盾なくして魔物は生まれない。事実はあまり大きな意味を持たないのだ。


 帝国のひとは視線を戻して連合のひとの肩に腕を回した。

 

帝国「……扱えるのか? ヤツに、あの機体が」


連合「可能性はある。賭けるしかない」


帝国「……どちらにせよ、データを奪われたら終わり、か」


 帝国のひとも艦内図を見る。

 妖精属は俊敏性に優れた種族だが、こちらは艦内の構造を熟知している。

 距離も近い。地の利はこちらにある。走れば間に合う。


 連合のひとが乾いた笑みを漏らした。


連合「ふっ。考えることは同じか」


帝国「お前との付き合いもだいぶ長いからな」


 方針は決まった。


 こっそりと頷き合った二人が、王国のひとに声を掛けた。


帝国「王国の。お前は見えるひとを例の機体のところに連れていけ」


連合「時間が惜しい。……頼んだぞ」


 モグラさんたちを格納庫から追い出して戻ってきた王国のひとが目を剥いた。


王国「なに? おい、待て!」


亡霊「あっ、逃げた!」


王国「あいつら……!」


 走り去っていく二人に王国のひとは悪態を吐いた。


王国「ばかやろう……。見えるひと、行くぞ!」


 見えるひとに背を向けて駆け出す。


亡霊「えっ、どこに行くんだ? 待てって。一人にするなよ」


 妖精属の女王が乗り込んできた艦内を一人でうろつく勇気は見えるひとにはなかった。

 ホイホイと王国のひとについていく。

 あの小さな戦闘民族が今にも物陰から飛び出して襲い掛かってくるのではないかとおびえる。


 だから気付かなかった。

 王国のひとの目尻から、きらりと光るものが零れ落ちた。

 

 鬼のひとたちは、いつも喧嘩ばかりしている。

 掴み合い、殴り合い、罵り合い。魔物たちが呆れるくらい仲が悪い。

 しかし、それは。裏を返せば。

 ……腕を伸ばせば届く距離に、いつも三人が一緒に居たということでもあるのだ。



 *



 艦内を断続的な揺れが襲っている。

 本格的な攻撃がはじまったようだ。

 無人の司令室に駆け込んだ帝国のひとが、メインモニターに映し出されている戦術マップを目にして舌打ちした。


帝国「包囲されている……! 三号機かっ」


 フェニックス級を取り囲んでいる真紅の機体は、鬼のひとたちが手掛けた鎧シリーズの第三世代型だ。

 攻守のバランスに優れた三号機を愛機とする種族は多い。妖精たちもそうだ。


 艦内のモグラさんたちは無事に脱出艇に乗り込んだようだ。しかし精霊を激しく敵視している妖精たちがまんまと見逃してくれるとは思えない。

 帝国のひとは、妖精さんたちの良心をまったくと言っていいほど信じていなかった。


 ――戦って生き延びるしかない。


帝国「連合のっ……」


 振り返った帝国のひとが言葉を失った。


 連合のひとが司令室の床に倒れていた。

 無造作にごろりと横たわる友に、まるで森の中で見つけた切り株にそうするように、妖精属の女王が両足を揃えてちょこんと腰掛けている。


 絶句する帝国のひとに、彼女は無慈悲な瞳を向けていた。

 興味を失ったように視線を外すと、ぱっと舞い上がって司令室を睥睨する。

 伏兵の存在を警戒しているようだが、それがないとわかると失望した眼差しで落胆を露わにした。

 率直な感想を述べる。


女王「豚小屋ですね」


 ぴこーん……ぴこーん……


 あるじのいない司令室に電子音が虚しく響いている。


帝国「う……」


 少しでも距離を置こうと後ずさる帝国のひとだが、それが自分の命を保証してくれるものではないことは彼自身がよくわかっていた。

 帝国のひとの眼球が忙しなくぎょろぎょろと動く。

 今、帝国のひとは逃げ場のない檻の中に閉じ込められた憐れな子羊だ。檻の中には飢えた肉食獣みたいな同居人がいる。


 だが、追い詰められた草食動物も生きるために牙を剥くのだ。

 腰に吊り下げたこん棒をふるえる手で探り当てる。


帝国「あぁああっ!」


 奇声を上げて襲い掛かってくる帝国のひとに、女王は艶やかに微笑んだ。


女王「そう。あなたは違う」


 妖精属は、人間たちの天敵になるべくして生まれた種族だ。

 小さな身体には不釣り合いな攻撃力を持ち、背に備わる二対の羽で自在に宙を駆ける。

 可憐と評しても良い容姿は、人間の油断を誘い確実にしとめるためのものだ。


 人間が戦うには相性が悪すぎて、勝ち目が見えなかったから魔物ではなく「妖精」というあいまいな立ち位置に押しやられた。


 振り下ろされたこん棒に、女王は軽く手を添えた。

 たったそれだけのことで、こん棒が内部から破裂するように砕け散った。

 ばらばらと宙を舞う木片に混ざって飛び散った光の粒子が粉雪のように降る。


 女王は言った。


女王「シューティング・スター」


 ――妖精魔法だ。


 妖精属は、妖精魔法という独自の魔法を使う。

 彼女たちは強すぎて都市級という枠組みから脱落した存在だった。

 その際、様々な制限を科せられたものの詠唱破棄は健在だった。


帝国「あ、あ、あ……」


 四散したこん棒の成れの果てを、帝国のひとは四つん這いになって掻き集めようとする。恐慌状態に陥り、正常な判断を下せずにいる。


 その姿を見下して、女王は短く命じた。


女王「立ちなさい」


 その声はどこまでも優しい。それでも戦おうとするものに、彼女は寛容だった。


女王「この艦の精霊たちは、戦おうともしませんでした。それは、とても悲しいことです……」


 モグラさんたちは戦闘行為を目的とした精霊ではない。

 だが、生命の危機に瀕して戦おうともしない彼らの存在意義について女王は懐疑的だった。


女王「ですが、あなたは違った。……わたしの言っている意味がわかりますか? あなたは、あなたが思うよりも、ずっと根源的な部分で、精霊とは異なるのです」


 だから共に歩んでいくことはできない――と彼女は言った。


女王「わたしの手を取りなさい。あなたたちの技術を、わたしは高く買っているのです。少し乱暴にしてしまいましたね。ごめんなさい。おびえさせるつもりはなかったのです」


 女王には、深い包容力があった。

 どんなに屈強な戦士も、彼女の前では不出来な教え子であるかのようだった。


 ひざまずいた騎士にそうするように、女王は小さな手を差し伸べる。


女王「さあ、ディン。おろかな子。あなたたちを、わたしは赦しましょう」


 ディンというのは鬼のひとたちの総称だ。

 彼らは堕ちた妖精であり、里を追われた一族の末裔ということになっていた。

 もがれた羽、妖精属にあるまじき肥大した身体は、強大な魔物の魔力を浴びて変質したからだとされている。


 差し伸べられた手を、帝国のひとは振り払った。


帝国「……ハッ」


 鼻で笑う。


帝国「見下しやがって。言いたい放題、言ってくれるぜ。里の外での暮らしは、そう悪いもんじゃなかった。騎士どもの鎧は、つたないが、少しずつ進歩してるのを見てるのも楽しかったしな……」


 すると女王は、深い悲しみを湛えた瞳で帝国のひとを見る。


女王「……残念です」


 差し出した手をぎゅっと握りしめ、折り曲げた人差し指を親指と中指で強く挟んで固定する。独特の握り――


 帝国のひとはへらへらと笑い、堰を切ったように話し続ける。


帝国「こん棒の扱いに関しちゃあ、牛のひとがいちばんだな。あれだけうるさく注文をつけておいて、使わねーんだ。あいつは違いのわかる牛だ。骨のひとは、そのへんの詰めが甘いっつうかな……まぁこれは種族的なものもあるんだが……」


 女王は、構えを崩すようにゆるりとこぶしを突き出し、そっと帝国のひとのお腹に添えた。


 帝国のひとはぴたりと笑うのをやめた。


帝国「あんたが無価値と言った精霊は、おれのこん棒を誉めてくれたぜ」


女王「そうですか」


 女王がこぶしを押し出す。高速でふるえた羽がおびただしい光の鱗粉を放った。


 爆発的な推進力が一点に集約され、光に転化された衝撃波が帝国のひとの身体を打った。器に収まりきらず、あふれた光が背に貫ける。

 

帝国「かはぁっ……」


 吹き飛んだ帝国のひとが、まるで羽を取り戻したように見えたから、この偶然を女王は惜しんだ。

 操作盤にぶつかって崩れ落ちる帝国のひとに汚名をそそぐ機会を与えようと思ったのは、ほんの気まぐれだ。


 女王は、悲しそうに言った。


女王「……何故ですか? あなたたちは、精霊に戦う力を与えようとしたのでしょう? しかし、それはあなたの真意ではないようにも思える……」


 帝国のひとは、死力を振りしぼり操作盤に身体を預けるようにして立ち上がる。がくがくとふるえるひざを叱咤して、小さな妖精を見下した。


帝国「おれたちは……翼は失ったが……もっと大切なものを……失わずには済んだようだ」


 もう少しだ……。


 帝国のひとは、この艦の構造を熟知している。


 片手さえ操作盤に触れていれば、思いのままに操れるほど。


女王「あなたは……!」


 はっとした女王が、帝国のひとを押しのけた。

 彼女の小さな手を押し戻す余力が、帝国のひとには残されていなかった。

 そして、そうする必要も、もうなかった。


 操作盤に手をつく女王をあざ笑うように、幾つもの仮想モニターが彼女を取り巻いた。


『全データ抹消』

 『この艦は自沈します』

『至急、乗組員は退艦して下さい』

 『カウントダウン開始』

『なお、取り消しは不可の模様』

 『不可です』『無理』

『艦長~』『知らなかったのか?……魔王からは逃げられない』


 力なく床に横たわる帝国のひとが、したたかに口元を歪めた。


女王「くっ……」


 女王が悔しそうに操作盤をばんばんと叩いたとき、轟音と共に司令室の壁が突き破られる。

 真紅の装甲をまとった腕。三号機だ。


 ぴくりともしない帝国のひとと連合のひとをちらりと見てから、女王は司令室に乗り込んできた三号機へと叫んだ。


女王「作戦を変更します! わたしの機体を!」


 飛びついてきた女王を庇うように、三号機は片腕を持ち上げる。


 重要な機能が集約しているから、司令室は外敵の襲撃に脆かった。


 たちまち誘爆を引き起こし、紅蓮の炎にのまれていく……。



 *



 艦内の通路はすでに火の海だった。


亡霊「おいおい……。襲われてんのか、この艦は?」


王国「危ない!」


 のんびりと呟く見えるひとを、王国のひとが突き飛ばした。


 至近で起こった爆発をかろうじて逃れて、二人は先を急ぐ。


 先行した見えるひとを、後ろから王国のひとが案内する。


王国「そこを……右だ。扉がある……パスワードを」


亡霊「パスワードなんて知らねーよ」


王国「どけ……」


 王国のひとは鬼気迫る様子だ。


 気圧されて道を譲ろうとする見えるひとを押しのけて、王国のひとがパスワードを打ち込む。


 ごうんごうんと重々しい音を立てて扉が開いていく。


 ふうん……と興味なさそうにしていた見えるひとが、表情をしかめた。


亡霊「……おい! なんだこれは!?」


 王国のひとの胸倉を掴んで揺さぶる。


王国「見ての通りだ……」


 王国のひとには悪びれた様子もない。


 苛立たしげに舌打ちした見えるひとが王国のひとを乱暴に突き飛ばして、目の前に佇む機体を睨むように見上げた。


亡霊「ポンポコスーツ……!」


 グレーの機体は、バウマフ家の専用機に酷似していた。


 秘密裏に製造されたのだろう。狭い格納庫内を照らす非常灯は頼りなく、最低限の整備環境しか用意されていない。

 モグラさんたちが、このことを知っているかどうかすら怪しい。いや、間違いなく知らないだろう。

 つのが生えている。ポンポコスーツに、つのが。


 王国のひとがうずくまったまま言った。


王国「……必要なことだったのだ」


 その言葉は、見えるひとにとって許容できるものではなかった。


 ポンポコスーツの量産は踏み越えてはならない一線だ。


 この艦が襲撃されたのは、この機体が原因なのではないか?


亡霊「なにを被害者ぶって……! こんなのっ、自業自得じゃないのかよ!?」


王国「妖精属には……時間が必要なのだ……」


 王国のひとの様子がおかしい。苦しげに脇腹を押さえている。


亡霊「お前……?」


 指の隙間から、どぷりと虹色の滴があふれた。


 子狸さんが過剰に反応するため、魔物たちの血液は七色に輝く措置がとられている。


 はっとした見えるひとが王国のひとの肩を揺さぶった。


亡霊「おれを庇ったときに……? ばかっ、なんでもっと早く言わないんだ!」


 さっきから見えるひとは嫌な予感が止まらない。嫌な展開だ。このままでは完全に巻き込まれる……!


 いや、巻き込まれるどころか……当事者にされそうになっている。


 事実、この床にうずくまって動こうとしない小鬼は華麗に退場しようとしている!


亡霊「おい! 嘘だろ!? ドッキリでしたと言えよ! 許されるものかっ、こんな投げっ放しが……!」


 錯乱する見えるひとに、王国のひとは締めに入る。力なく笑った。


王国「ははっ……。おかしいよな……。子狸さんが居ないだけで、このざまだ……。誰かが……この流れを断たなくては……」


亡霊「傷は浅いぞっ。気をしっかり保て! 待ってろ、今……!」


 見えるひとは王国のひとに肩を貸して立ち上がる。


王国「……精霊は嫌いか?」


亡霊「ああ、嫌いだ。……喋るな」


 一歩。二歩。王国のひとの身体を引きずってポンポコスーツに近寄っていく。


 体力の温存を勧める見えるひとに、王国のひとはここぞとばかりに体重を掛ける。


王国「そうか……。だが、守ってやれ。そのための機体だ……」


 王国のひとが操作盤に手を触れる。ポンポコスーツの胸部装甲が迫り上がり、コクピットが露わになった。


王国「頼んだぞっ」


 そう言って、王国のひとはさっきのお返しだとばかりに見えるひとを突き飛ばした。

 コクピットに押し込まれた見えるひとが文句を言うよりも早く、素早く操作盤を指でなぞる。

 

亡霊「ッ……!」


 とっさに手を伸ばした見えるひとの絶望に彩られた表情が見ものだった。

 あえなくシャッターが閉まり、ポンポコスーツの胸部装甲が元に戻る。


王国「これで……いいのだ……」


 うずくまった王国のひとが満ち足りた笑みを浮かべる。



 *



 閉じ込められた見えるひとは暗がりを恐れる子供のようにコクピットの前面を叩いていた。

 見えるひとは障害物を無視できるという特性を持った魔物だったが、この場でそれを試そうとは思わなかった。彼は空気を読める魔物だ。


亡霊「ばかやろうっ」


 小さく悪態を吐くと、諦めて操縦席に収まる。

 とりあえず機体を動かそうとして、気付く。


亡霊「D.M.P.Sじゃないのか……!?」


 ポンポコスーツは子狸さんの専用機だ。

 子狸さんの高度なオペレーションに追随できるOSはD.M.P.Sしかない。

 つまり、この機体は子狸さんのために造られたものではないということだ。


(しかしポンポコスーツの名を冠する以上は……)


 起動シークエンスを立ち上げた見えるひとが感嘆の声を上げた。


亡霊「なんてスペックだっ。これがポンポコスーツ……!」


 通常の機体とは出力の桁が違う。

 そして、それゆえに見えるひとの憤りは深かった。


亡霊「守れだと……? こんなものを量産しておいてっ」


 見えるひとは、機動兵器を自分の手足のように動かせる。

 流れるような手さばきで起動シークエンスを進めるが、途中でエラーの表示に阻まれる。


 いぶかしげに首を傾げた見えるひとが仮想操作盤を指でなぞる。

 鬼のひとたちが世に送り出した世界の鎧シリーズは、搭乗者に魔物たちを想定している。

 それゆえに、あたかも嫌がらせのようにパイロットは高度な操縦技術を要求される。


 糸を手繰るようにエラーの原因を探り、特定した見えるひとが悲鳴を上げた。


亡霊「メチャクチャだっ……! こんなOSで機体を制御できるわけが……!」


 プログラミングに関して、見えるひとはパイロットの嗜みに少しかじった程度だ。

 そんな見えるひとの目から見ても無理があるとわかるOSだった。

 この機体は未完成なのだろう。

 しかし、だからと言ってどうにかなるものでもない。お手上げだ。これはパイロットの力量でカバーできる範囲を逸脱している。


 ……最初は気の所為だと思った。


亡霊「なんだ……?」


 耳鳴りだろうか? いや……

 ずきりと目の奥が痛んだ。記憶にない感触。知らない感覚だ。

 見えるひとは頭を抱えてうずくまる。


亡霊「聴こえる……。なんだ、これは……! 泣き、声……?」


 どこかで誰かが泣いている。

 この声は……


亡霊「精霊の、声だと……?」 



 * 



 格納庫内の障壁が破られた。

 飛び降りてきた機体を目にして王国のひとは嘆息する。


王国「三号機、か……」


 あの機体は、鬼のひとたちが造ったものだ。

 鬼のひとたちがポンポコスーツの量産に踏み切ったのは、もしかしたら贖罪だったのかもしれない。


 見えるひとはポンポコスーツの起動に手こずっているようだ。

 物言わぬグレーの機体に、三号機が歩み寄る。一機だけではない。三機だ。

 外部スピーカーを通して妖精たちの甲高い声が聴こえてきた。


妖精『新型か……?』


妖精『よしっ、拿捕する!』


妖精『お持ち帰り~』


 三機の機体が、手柄を争うようにポンポコスーツの左右の前足と胴体に組みつく。


王国「一歩……遅かったな……」


 慟哭にも似た駆動音を上げるポンポコスーツを、王国のひとは慈しむような眼差しで見つめている。

 

王国「希望には……名前が必要だ……」


 名前があるから、ひとはその名を呼ぶことができる。


 つらいとき、苦しいとき、助けを呼ぶことができる。


 ……かつて子狸さんは希望は花だと言った。


 勇者さんは六人の兄妹に花の名を贈った……。


 王国のひとは、最後の力を振りしぼるように叫んだ。


王国「行けっ……! “アイリス”!」


 その声に応えるように、ポンポコスーツの双眸ににぶい輝きが宿った。


 グレーの機体が鮮やかに色付いていく。


妖精『こっ、こいつ、動くのか……!?』


 ポンポコスーツが、ぐっと身を屈めた。


妖精『三機掛かりだぞっ……!?』


 妖精さんの悲鳴が上がった。

 

 左右の前足と胴体に一機ずつ取りついているのだ。

 それなのに

 それなのに、自分たちは何ら行動の妨げになっていない!


妖精『ダメだっ! 出力が違いすぎる!』


 王国のひとは胸に吊り下げたロケットを取り出した。

 中に収まっている写真を見つめて、ふっと微笑する。

 ありし日の思い出、忘れ得ぬ日々……。


 垂れ下がった手から、ころりとロケットが転がり落ちる。

 写真の中、三人の鬼のひとたちが「なんだコイツ」とばかりに威嚇し合っている。

 帝国のひとと連合のひとは、元々は別の種族だった。

 王国のひとも、昔は少し違う姿をしていた。

 本性を別に持つ。それが三人に共通する点。

 しかし最後の最後まで擬態を解かない程度には、この姿が気に入っていたらしい……。

 

 意識を手放す直前、王国のひとは涙越しに見た。 

 青と白。二色の輝きを宿して跳躍するポンポコスーツの勇姿を。


 王国のひとの寝顔は、安堵したように安らかだった。


 あの機体は欠陥兵器だ。


 運命の境界線を動力源とし、誰かの涙を拭うためにある。

 傷つけるためには動かない。

 壊すためには動かない。

 欠陥品だ。


 ――だから決して負けはしない。



 『その名は希望』



 ~fin~



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