うっかり返答編
アンソニーと名乗った男は、係員にしておくには惜しい体躯の持ち主であった。
身長は180cmを下るまい。清潔感あふれる白地のYシャツから、今にも零れ落ちそうな胸筋の厚さと来たらどうだ? 上に着込んだベストが、その肉体に宿りし神を鎮めているかのようだ。着崩したスーツは彼の気高さを保証するものであったが、同時に内なる獣を解き放たんとする果敢さを見るものに感じさせた。
――この男と戦いたい。
子狸さんは逸る後ろ足を前足でとどめねばならなかった。
それほどまでに目の前の男は戦士としての可能性を秘めていたのだ。
もしもその可能性に彼自身が気付いていなかったとしたら、それは人類にとってどれほどの損失であろうかと恐れたのである。
しかしこのとき、運命は両者の衝突を望まなかった。
いつも子狸さんを戦いへと駆り立てる妖精さんは、とある白くまさんたちとの縄張り争いに身を投じており、今頃は家族水入らずでピクニックに出掛けた白くまさんの一家を茂みの中からじっと見つめている筈だった。その目が怖いと魔物たちの目撃証言にはあるが、当の妖精さんたちは平和的な解決を目指すと言っている。彼女たちの言葉を信じよう。小さな頃、羽のひとが読み聞かせてくれた絵本によれば、妖精さんたちは争いを好まない可憐な種族だ。
そんな妖精さん(可愛い)の代理で案内役を務めているのが勇者さんのアバターである。
アバターとなる小動物には色々と候補があったのだが、空回りする滑車で嬉々として走り続けるハムスター型アバターに何故か勇者さんの面影を感じた子狸さんであった。
ここは冒険者ギルド。
冒険者と呼ばれる謎の職業に就く人間たちが拠点とする謎の施設である。
謎の拠点に放り込まれることがよくある子狸さんは、わりと潜入工作が得意だ。途中で目的を忘れて労働の喜びに身を委ねるから、正体が露見することはそうそうない。問題点があるとすれば、立派な悪の幹部になることくらいだろう。
子狸さんは真剣な面持ちでアンソニーさんを見つめている。
これは……とアンソニーさんは思った。
どうやら冷やかしではなさそうだ。今にも襲い掛かって来そうな熱意を感じる。
アンソニーさんは認識を改めた。
この子狸には覚悟がある。数えきれないほどの死線を潜ってきた戦士の目だ。
アンソニーさんはにこっと笑った。
係員「気が変わったよ。名前を教えてくれるかな?」
子狸「ポンポコです」
子狸さんはついに本名を忘れた。
いや、ここは偽名を名乗ったと判断するべきだろう。
両親から貰った大事な名前を忘れる子狸さんではない。しかし確率は五分と五分。
人生は常に試される。生きるということはそういうことだ。
勇者『…………』
勇者さんは黙々とヒマワリの種をかじっている。
どうしてハムスターなのだろうと疑問に思う気持ちはあったが、おそらくは頬袋にエサを収納する用心深さが評価されたのだろうと好意的に解釈している。
あと、ちょっと可愛いとか思っているのかもしれない。この子狸は勇者さんをちょっと可愛いと評したことがある。
モテる勇者はつらい。
係員「ポンポコくんか。良い名前だね」
アンソニーさんはお世辞を忘れない。
偽名かもしれないとも思ったが、希少な魔法使いが冒険者になろうと言うのだ。人には言えない事情の一つや二つはあるだろう。
係員「では、本題に入ろう。まずは基本事項の確認からだ。形式的な質問も多いが、重要なことだからね。賢明なものは基礎を疎かにはしない。君もそうであることを祈る」
基礎は大事だ。自他共に認めるポンポコさんは頷いた。
係員「よし。まず……君にとっての冒険者とは何かな?」
いきなりの難問だ。勇者さんは胸中で舌打ちする。瞬時に決断を下した。
勇者『これまでね。撤退しましょう』
子狸さんがちらりと勇者さんを見る。その瞳が「まだだ」と言っていた。勝算があるらしい。
勇者さんは半ば諦め心地で子狸さんの頬をぺしぺしと叩く。
だが予想に反して子狸さんは襲い来る数々の詰問を切り抜けていく。
――千年だ。魔物たちが子狸さんのご先祖さまと運命的な出会いを果たして千年が経つ。
その間、魔物たちは何の対策も打たずに漫然と過ごしたか。
否。断じて否である。
バウマフの血を継ぐものにとって会話とはキャッチボールではない。ドッジボールだ。しかもデスボールという、審判によっては相手を殴り倒してボールを奪っても許される特別ルール。
言ってみればこきゅーとすという名のコートに立つ子狸さんには、外野の魔物たちにパスをするという選択肢もある。
この子狸にとって言葉とは聴くものではなく観るものであり――
ひょっとしたら、あとで編集するものであった。
それゆえに子狸さんはひるまない。
千年にも及ぶ研鑽の日々がバウマフ家にもたらしたもの。
それこそが「万能返答シリーズ」だ。
魔物たちの叡智の結晶だ。
……by王都のん
子狸さんはアンソニーさんとの会話を楽しんでいる。生と死の狭間でタンゴを踊るように、スリルを楽しんでいる。
伝家の宝刀、万能返答シリーズを駆使し、闘牛士のようにふわっと。
信じられない。勇者さんはヒマワリの種をかじるのも忘れて、唖然と子狸さんを見上げる。万能返答シリーズ、恐るべし。これがバウマフの血……。
子狸『やはり八百屋さんなのか?』
勇者『……八百屋じゃないのに? どうしてそう思うの?』
子狸『確信はない……けど、ここは賭けに出るべきだ』
勇者『あなたは、いったい何に追われているの……』
危うい場面もあったが――
勇者『御覧なさい。片足一本立ち!』
子狸『お嬢……!』
勇者さんが身を切るような芸を披露することで子狸さんの気を逸らす。
キャラクターは崩壊寸前だ。
とくに隠す意味もないので言うが、勇者さんは魔物たちの相互ネットワークこきゅーとすを閲覧している。
彼女の身に宿る異能が、複雑な経緯を辿ってこきゅーとすへと至る経路を特定したからだ。
便利なので魔物たちは放置している。
子狸さんはこきゅーとすを介して勇者さんと遣り取りして……ではなく、心で通じ合っているとか思っているらしい。
一人と一匹は多くの犠牲を払いながら最初の難関を突破した。
しかし運命は更なる試練を子狸さんに課す。
係員「では、次は冒険者のランクについて説明しよう」
勇者『……容赦がないわね』
勇者さんはすっかり子狸さんに感情移入していた。
もちろん子狸さんの理解力を心配しているわけではない。
この世に絶対的な価値というものはない。価値とは比べるものがあってはじめて生じる。相対的なものだ。
だから子狸さんを天才と評しても決して間違いではない。
だが三行だ。
三行ルールが子狸さんの行く手を阻む。
生きるということは戦うということだ。子狸さんは戦っている。
ひとは
常に
試される――
アンソニーさんは言った。
係員「冒険者には七つのランクがある。上からSABCDEFの順だ。SとAは無視してくれ。ないものと扱っていい。いわゆるベテラン、一流と呼ばれる冒険者がCランクとDランクだ。Bランクは実力度外視の、まぁ名誉職みたいなものかな。これも無視していいだろう」
アンソニーさんは説明を省いたが、Aランクの冒険者とは「ギルドマスターが自らの権限において全ての業務を任せても良いと判断したもの」、言い方を変えれば「Aランクの冒険者が悪事に手を染めたらギルドマスターが全責任を負う」ということだ。つまりギルドマスター本人のことである。
と、このように説明すると、心ない冒険者は「じゃあ要らねーだろ、そのランク」とか言うのだが、そうではない。
Aランクは、偉い人のわがままから冒険者たちを守るための防波堤だ。
Aランクに君臨するギルドマスターがいるから、偉い人たちが「親戚が冒険者になるからAランク認定よろしく」とか言い出しても「いえいえ、Aランクなんて書類仕事がメインですし、もったいないのでB+ということで……」と突っぱねることができる。
しかし、もっと偉い人が強権を発動した場合は断れない。これがSランクだ。
Sランクとは、国でいちばん偉い人が面白がって勝手に認定した「冒険者ギルドに属しているのにギルドマスターを超える権限を持つ」という意味のわからない存在である。
簡単に言うと、Sランクの冒険者に「顧客名簿を見せて」と言われたらギルドマスターは断れない。
だから、というわけではないのだろうが、Sランクの冒険者は旅先で事故に遭う確率が高い。冒険者ギルドは盗賊ギルドと仲良しだ。もちろん盗賊ギルドなどという犯罪結社は表向き存在しないのだが。ジンクスみたいなものだ。
しかしギルドマスターとて人情はある。
Sランクに認定された冒険者をこっそりと呼び出して、
ギルマス「遠く……永いバカンスに出ることを、強く……勧める……!」
というわけだ。
本音を言えば「A」の上に新しくランクを設けるとか面倒くさいので一律ランクを下げたかったのだが、せっかくがんばってEランクになった冒険者に「今日からお前Fランクな!」とか「お前もお前もお前もFランクな! お前はG!」とか言うと回り回って偉い人に怒られるので、仕方なく「S」とした。
余談だが、Sランクの「S」は「Super(超)」「Special(特別)」の「S」と見せ掛けた「Sunday(日曜日)」の「S」である。
そこにはギルドマスターの「おめでたいですね」だの「いつも暇そうで羨ましいです」だの「ンな下らねぇーことしてる暇あったら働けよ」だのといった熱い思いが込められている。
つまり割と頻繁にSランクを間違えて「Sunday」と表記してしまうのだが、それは書類上の不備であるということだ。何よりも素晴らしいのは、誤って曜日を記入してしまったと言い訳できる点だった。
冒険者の実質的な到達点はCランクである。
Bランクは冒険者ではない。お金持ちだ。
ここにギルドマスターの有名な言葉を記そう。
――冒険とは挑戦である。
だがCallengeにSとBはない。
……あ、Fもなかったわ。めんご。
※ Dもありませんでした
なんとなく実情が透けて見えたのだろう。勇者さんが嘆息した。
勇者『どこの国も一緒ね。下らない見栄ばかり……』
そんな彼女が、来年の今頃には自作自演に手を染めるのだから世の中わからないものである。
アンソニーさんの説明は続く。
係員「冒険者は実績と信用が第一だ。どんなに実力があっても実績が伴わなければ重要な仕事を任せることはできない。信用は目には見えないが……地道にコツコツと積み上げていくんだ。そうしていくうちに見えてくるものもある。ついて来るものもあるだろう」
あえて言葉をボカしたが、冒険者の仕事ぶりはチェックされる。素行が悪いもの、信用を損なう恐れがあるものは、ふるいに掛けられる仕組みになっている。依頼者が居なくなっては困るからだ。
子狸「…………」
アンソニーさんの説明に、子狸さんは何を思い何を為すのか。
勇者『…………』
勇者さんが祈るように合掌した。
子狸さんは言った。
そこには深い覚悟と
まるで映画のタイトルを口にするような重々しい響きが宿っていた。
子狸「……Gladiator……(剣闘士)」
祈りは虚しく。
係員「ん?」
聞き間違いかな、とアンソニーさんは首をひねる。
ここではじめて子狸さんに焦りが生じた。痛恨のミスだ。二択問題を外したという思いがあった。
子狸「いえ……難しいですね。思ったよりも複雑だな……」
かろうじて持ち直す子狸さん。あえて正直に言うという、子狸さんの切り札だ。二度目はない。残された手札はあまりにも少ない。
やはり空耳だったようだ。アンソニーさんはにこりと笑顔。
子狸さんもにこり。
……しかし着実に危機は迫っていた。
今、アンソニーさんが何の話をしていて、何の説明をしているのか
子狸さんは、自信を持って答えることができない
断言することが難しい状況下にある――
海底「緊迫の冒険者ギルド。果たして子狸さんは困難を打破することができるのか」
人魚「次回、『見知らぬ、魔力測定器』。子狸さんに秘められた真の力がついに……?」
~fin~