うっかり視察編
『子狸、襲来』
カラフル。
通りを行き来する人々を見た子狸さんの第一印象がそれだった。
見た目は人間と同じなのだが、髪と瞳の色彩がバリエーションに富んでいる。
子狸さんはうなった。
子狸「……なるほどね」
常人には窺い知れない何かに納得したらしい。腑に落ちたと言わんばかりに頷き、小一時間ほど道に迷ったら、そこはもう冒険者ギルドだ。
今、子狸さんは他国にいる。エルフの偉い人に勧められて、お忍びで視察に来たのだ。
子狸さんが暮らしている大陸は、現在、歴史の岐路にある。新大陸の発見に端を発し、様々な人種が非正規のルートで上陸し、得体の知れない技術を持ち込んでいるようだった。
そこで、先手を取るべく異国を訪問し、異文化を学ぶという名目で投下されたのが子狸さんというわけだ。
もちろん王都のひとも一緒だ。
できれば俊敏性に優れ小回りが利く妖精さんも連れて来たかったのだが、許可を貰いに妖精の里を訪ねたところ女王が不在だったので断念せざるを得なかった。自分より強い奴に会いに行ったらしい。
政治はむずかしい。
代わりに、肩にハムスターが乗っていた。勇者さんの分身であり、子狸さんを遠隔操作する役割を担っている。
勇者『…………』
姿かたちは何でも良かったのだが、子狸さんのオーディションを経て候補が絞られていった結果このような有様になった。
冒険者ギルドの建物を見つめる子狸さんの眼差しは鋭い。
子狸「……おれは何をしにここに来たんだ?」
この小さなポンポコがバウマフ家の期待の新星だ。
自分が何をしに来たのかわからないことを自覚し、かつそれを口に出して認めるだけの謙虚さがあった。
勇者『とにかく入る』
勇者さんと子狸さんの意思疎通は念話のような形態をとっている。
他人には聞こえないので、子狸さんは自らの意思で道を切り開かねばならない。
魔物たちをして「いやマズイでしょ」と言わしめたセルフモードを採用。勇者さん本体は自宅のベッドでごろごろしながら自機のハムスターを操作し、子狸さんをナビゲートするという画期的なシステムを実現していた。
子狸「よし……」
ひとには侵されざる自由意思というものがある。
子狸さんは勇者さんの指示に従ってもよかったし、本能が命じるまま野に帰ってもよかった。あるいは得体の知れない魔法を披露して署に連行される未来すらあり得た。
しかしこのとき、子狸さんは慎重だった。
異国の地で、勇者さんの声だけが自分に残された唯一の道しるべのようだった。
冒険者ギルドとかいう謎の施設に後ろ足を踏み入れる子狸さん。
そう狭くもない建物の中には屈強な男たちがひしめき合っていた。
仲間たちと談笑するもの、何かを物色するような目で人の流れを見つめるもの、様々だ。
王都「ちっ……」
王都のひとが苛立たしげに舌打ちした。
武器を所持している人間が多い。子狸さんの国で「武装」と言えば、甲冑を身につけることを意味する。武器で殴るより魔法で殴ったほうが有効であり、また経済的だからだ。
子狸さんはなんとなく受付に並んだ。
建物の片隅が受刑者の面会室みたいになっていて、そこに自分の居場所を見つけたような気がしたからだ。
カウンターの奥には受付嬢が座っていて、受刑者たちの列を事務的にさばいている。最後尾に並んだ子狸さんを見て、いぶかしげな顔をした。
飼い主の愛情がたっぷりと詰まった衣服の着用を義務付けられたペットのように、布の服を装備している子狸さんの姿が奇異に映ったのかもしれない。
これも文化の違いだろう。子狸さんの国で金属製の鎧を身につけるのは騎士くらいだ。魔法はふつうに金属板を貫通するし、重すぎて走るのが億劫になるからだった。鎧と騎馬はワンセットという扱いである。
子狸さんの目の前で刑務所の給食みたいに列がはけていく。
思い当たるふしは幾つかあった。考えるともなしに自供する内容を二、三思い浮かべていると、勇者さんのアバターが嬉しそうに小さな手を叩いた。
勇者『順調ね。その調子よ』
子狸さんは頷いた。
自分は一人ではない。悩んでいることがあれば相談すればいいのだ。
子狸「どのプランにする?挨拶代わりに軽いので行くか……それともパンチが効いたやつがいいかな?」
勇者『そうね……。そもそも冒険者というのが何なのかよくわからないけど……』
二人の会話は危うい均衡の上に成り立っていた。
勇者『見て。何かカードを取り出して受付に渡しているわ。必要なものみたいだから、まずはあれを手に入れることを目標にしましょう』
子狸「倒して来い……と?」
勇者『どうして強奪が前提なの?そうじゃなくて、お金で買うのよ。お金があれば、たいていのことは解決できるわ』
子狸「お金で買えないものに本当の価値はある」
勇者『議論はあとにしましょう。あのカードが幾らで買えるのか聞きなさい』
そう言って勇者さんのアバターはタンバリンを叩くように身体を左右にひねった。まだ操作に慣れていないらしい。
そうこうしているうちに子狸さんの番が来た。
子狸さんは礼儀正しくお辞儀をした。
子狸「はじめまして」
受付「……はじめまして。新規登録ですか?」
奇跡的に話が先に進んだ。
子狸「登録?……いえ、知り合いにですね。エルフのひとなんですけど。とりあえず冒険者になってみてはどうかと言われて……」
受付「登録ですね。エルフ、ですか?」
子狸さんがこの国に投下されたのは、自国と近しい要素が多いからだ。
ただし同じエルフでも見た目は少し違うらしいと聞いている。ただ大まかには合っているとも言っていた。
受付嬢は、子狸さんをじっと見る。
俊敏そうだが、お世辞にも力仕事には向いているとは言い難い。
受付「……魔法使いですか?」
言われてみれば、確かにそれ以外の選択肢はなさそうだった。
子狸「はあ……」
子狸さんは気の抜けた返事をした。
魔法使いかと問われれば魔法使いである。子狸さんの国では、魔法使いではないものを探すほうが難しい。
だが、この国ではそうではないようだ。少なくとも勇者さんはそう判断した。
勇者『今は手持ちがないから、登録は後日にしたい。相場は幾らですか。さん、はい』
もしも魔法使いが希少な存在であるならば、この場での登録を勧めてくると見越してのことだ。
必殺の発言指定に、子狸さんは従順に肯いた。
子狸「おいおいな」
勇者『ちっ……!』
一言にまとめられた。
だが想定内だ。
勇者さんはすかさず次の指示を飛ばした。
勇者『わたしにヒマワリの種を!』
子狸「……もうそんな時間なのかい?」
子狸さんはヒマワリの種を勇者さんに手渡した。
……どうだ?
受け取ったヒマワリの種をかじりながら、勇者さんは受付嬢の様子を窺う。
今のやりとり。傍目には、子狸がハムスターと意思の疎通を行っているように見えた筈だ。
それは事実なのだから覆しようもないし、動物と話せるなんていかにも魔法使いらしいではないか。
早朝に叩き起こされて訳もわからぬままハムスター扱いされた勇者さんは、この国の魔法がどんなものなのか知らされていない。
しかし予想はできる。この国には、おそらく……
(エルフたちが、これからやろうとしていることがある)
その一つが冒険者ギルドなのだろう。
エルフ。竜人族。
それらは自分たちの国にはなかった概念だ。ならば、どこかにモデルになったものがある筈だ。
この国がそうなのかもしれない。
勇者さんはヒマワリの種をかじりながら、自分の置かれた立場と今後の方針を考える。
一方、受付嬢は思いのほか子狸さんの獲得に積極的ではない様子だ。
受付「登録はあちらの席で行って下さい。係員を呼びますから、わからないことがあればそちらにどうぞ」
子狸「はい。ありがとうございます」
ぺこりとお辞儀した子狸さんがのこのこと受付を離れる。
案内された席に座ってしばらく待つと、奥のほうから堂々たる体躯の巨漢が歩いてきて、ニカッと笑った。
磨き抜かれた肉体に負けないくらい白い歯がキラリと光った。
この男が係員なのだろう。
彼は言った。
係員「アンソニーだ。もしも君が後押しを必要としているなら、少しは助けになれるかもしれない」
そう言ってアンソニーさんは片手を差し出した。
子狸「あ、おれは……」
名乗ろうとする子狸さんを、アンソニーさんはもう片方の手で遮った。
係員「おっと、名前を教えてくれるのは嬉しいが、まだ早い。別れが悲しくなるかもしれないからな?」
おずおずと差し出された前足を、アンソニーさんは力強く握った。
二人は固い握手を交わした。
勇者『…………』
勇者さんは、何かが間違っているような気がした。
〜fin〜