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しいていうなら(略  作者: たぴ岡New!
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うっかり招待編

『宴のはじまり』


 早朝。

 澄み切った空気を胸いっぱいに吸い込むと、香ばしい匂いが鼻孔をくすぐる。

 その匂いに誘われるように扉を潜ると、なんともアットホームな雰囲気が出迎えてくれる。

 決して広くはないが、店内は清潔で隅々まで手入れが行き届いている。

 木目調に統一された備品の数々は、都会の生活に疲れ切った人々の心を癒してくれるだろう。

 知る人ぞ知る、王都の隠れた名店。扱っている商品以外は同業者をうならせる、ここがばうまふベーカリーだ。



 *



魔物「…………」


 魔物たちが無言で座っている。

 およそいっさいの感情を失ったかのように無表情だ。

 誰一人として目を合わせようとはしない。うつむき、落とした目線はテーブルの上に固定されていた。

 

 今日は新作パンの試食会。


 そんなに嫌なら逃げればいいのにと思うかもしれない。

 本気を出した魔物たちに不可能はない。

 だが、そんな彼らにも弱点はある。

 暗殺者みたいに忍び寄る、幸せな結末がその一つだった。


 ――避けては通れない戦いもあるということだ。


魔物「…………」


 パン工房で先代魔王がパンを焼いている。

 たったそれだけのことが、とりとめもなく現実感を奪っていくかのようだった。

 冷え切った指先を温かく包んでくれるものはいない。


巫女「…………」


 無言で現れて無言で座った魔物たちに、居候の巫女さんも空気を読まざるを得なかった。

 しかし動揺は隠せないようで、ときおり顔を上げて魔物たちの顔色を窺っている。

 きっと彼女は、まだ希望を捨て切れていないのだ。言うほどまずくないだろ~と思っていることがありありとわかる。

 仕方がない。彼女は素人なのだ。たまたまこの場に居合わせ、同席することになった。その、いつもなら後ろ指を差して喜ぶような不憫な姿も、今の魔物たちの心を慰めてはくれない。

 この試食会に同席する以上、彼女もまた同胞だった。


 子狸さんはいない。二階の巣穴で眠っている。今は、まだ。

 叩き起こして、この悲しみを分かち合っても良かったが……

 解決できない問題にぶつかったとき、ときとしてひとは天運に縋りたくなる。その場合、可能な限り人為的な要素を排除したいと考えるのはごく自然な心の働きだった。


 寒々しい居間の光景に、母狸さんの朗らかな声だけが人間らしい温もりを与えていた。


母狸「今日はどんなパンなのかしらね~」


 ね? と、かまくらのひとが抱える小さな鉢植えに笑顔を向ける。どこか気遣うような、それでいて悪戯っぽい微笑だった。

 鉢植えにサボテンみたいに鎮座している木のひとが今回のメインターゲットだ。


木「…………」


 諸事情あって千年近く旅に出ていた木のひとであるが、こきゅーとすを通じて一連の事情は察している。やはり無言だ。


 と、そのとき。

 からんからんとお客の訪問を告げる鈴が鳴った。


 あら、と席を立った母狸さんが出迎えに行く。

 母狸さんは、子狸さんと同年代の少女とお話するときテンションが上がる。

 単体で完結しつつある息子の未来に春の息吹を感じさせてくれるからだった。


 果たして母狸さんが連れてきたのは、勇者さんであった。

 肩の上に羽のひとが乗っている。

 逃げられなかったか――と魔物たちは静かに瞑目した。


 ふだんは仲間の不幸を諸手を上げて歓迎する魔物たちであるが、冗談で済ませるには重すぎる事態には自らを犠牲とすることも厭わない。

 羽のひとは逃亡に失敗した。それは、つまり突破口を見つけることができなかったということだ。

 この強制イベントに逃げ道はない。そのことを思い知らされるようで、打ちのめされるばかりだ。


勇者「おはよう」


 勇者さんは大貴族の子女である。所作の端々には気品があり、彼女が上流階級に属する人間であることを物語っていた。

 かつての硬質な雰囲気は鳴りを潜め、今では穏やかな微笑を浮かべることもよくある。


巫女「うおー!」


 巫女さんが吠えた。


 彼女なりにこの気まずい雰囲気を払拭するチャンスを窺っていたのかもしれない。

 席を蹴って勇者さんへと突進する。


 勇者さんは、巫女さんがこの場にいること自体には驚かなかった。

 調べがついていたし、そうでなくとも騎士団に追われている彼女が頼れる相手はごく限られる。

 勇者さんは、巫女さんのことを気に入っている。彼女の才覚を高く買っていたし、理想に向かって邁進する行動力を好ましく思っていた。


 だが、自分に向かって邁進してくるとは思わなかった。


勇者「エニグマ?」


 目を丸くして佇む勇者さんに巫女さんが迫る。


 巫女さんはべつに本気で体当たりをするつもりはなかったのだが、感覚に訴えかけてくる何かの気配に足がにぶった。

 その直感は正しく証明され、勇者さんを取り巻くように配置した五人姉妹が迷彩を破棄して現れる。

 狐を模した面をかぶった「アリア家の狐」だ。


 彼女たちは得体の知れない護身術を身につけている。

 進み出た長女が突進してくる巫女さんを片手でいなした。突き出された腕を弾くと、無駄に長い袖を掴んで素早く身体を沈める。

 長女の背中で前転した巫女さんを、背後に控える次女が抱きとめた。その場でくるりと回ると、巫女さんは何事もなかったかのように勇者さんの眼前に置かれた。


 しばし呆然としていた巫女さんであったが、


巫女「うっ、うっ……」


 目まぐるしく入れ替わる景色が怖かったらしい。ぽろぽろと涙を零して勇者さんにしがみつく。


 三女が巫女さんの肩に手を置いて言った。


三女「アレイシアンさまはお触り禁止だ」


 さり気なく回り込んだ四女が巫女さんの手にサイン色紙(記入済み)を押しつける。


四女「サインが欲しいならそう言え。仕方のないやつだ」


 ぴたりと泣き止んだ巫女さんが手元のサイン色紙を見つめる。


巫女「こ、これが噂の……お色紙さま……」


 この世界において紙は貴重品である。

 お金持ちの勇者さんが惜しげもなく放出するサイン色紙は意外な方面に需要があった。

 生活費に困った人々が商人に鑑定を依頼すると「いやぁ、いい仕事してますけど一家に二、三枚はあるから価値は低いですねぇ」とか言って買い叩かれるのだが、のちにメモ帳の代わりに使われた文書は「勇者手記」と呼ばれ後世へと伝わることになる。


 お色紙さまを見つめる巫女さんを尻目に、五女が羽ペンを勇者さんに手渡した。

 巫女さんが、はっとして言う。


巫女「あ。ここに『ユニちゃんへ』ってお願いします」


勇者「ユニ、でいいの?」


 巫女さんは一時期「シャルロット・エニグマ」と名乗っていた。勇者さんが巫女さんを「エニグマ」と呼ぶのはそのためである。

 勇者さんは手慣れた仕草で巫女さんの要望に応える。


 巫女さんはもじもじしている。


巫女「あとぉ……名言って言うかぁ……怒らないでね? ひとこと添えて欲しいな……『二度と取り返しはつかない』って書いて下さいっ!」


勇者「…………」


 勇者さんは魔王との一騎打ちの模様を全世界に放映されている。

 そうとは知らずに言い放った言葉の数々が今年の流行語大賞みたいになっていた。

 具体的には小さな子供たちが公園で「吐いた唾は呑めない……二度と取り返しはつかない……」とか言って勇者ごっこに興じているのだった。


 そのことを、勇者さんは悲しく思っている。

 あのときは本当に余裕がなかったから、なんとなく口走ってしまったのだ。

 子供たちが自分の真似をするのは仕方ないとしても、とある子狸につつかれるのは納得が行かないものがある。

 しかしそれを言い出してしまうと、当時の煮えたぎるような激情は何だったのだろうかと面映ゆくなる。


 ――あのとき、きっと自分は、魔王軍との和解を望んでいた。自覚はなかったけれど、たぶんそうなのだ。 

 魔王との直接対決の場に子狸を連れて行ったのは、ずっと魔王は殺すしかないと言っていた自分が、それ以外の結末もあるのだろうかと

 ……あるなら見てみたいと心のどこかで願ってしまったからだ。


 その「願い」を踏みにじられたような気がして、勇者さんは魔王に刃を向けた。


 あの瞬間、人類と魔物の関係は決定的に破綻した。

 それなのに全ては魔物たちの自作自演だったから、こうして勇者と魔物が同じ食卓を囲む未来に辿りつくことができたのだ。

 たったのひとことが、どんな事実よりも重いことだってある。


 そう自分に言い聞かせた勇者さんが、ひとことを添えたサイン色紙を巫女さんに押しつけた。


勇者「……大事にしなさい」


巫女「ありあとやんしたー!」


 直角にお辞儀した巫女さんが上機嫌で席に戻ろうとして、「いや、そうじゃねーよ!」と振り返った。


巫女「リシアちゃん、わたしのこと勇者一行みたいに扱うのやめて下さいお願いします!」


 巫女さんは勇者さんのことを「リシアちゃん」と呼ぶ。


 事実、巫女さんは勇者一行ではないのだが、魔物たちの暗躍によりとある子狸のポジションに滑り込んでしまっていた。

 魔王との対決で勇者さんが巫女さんの名前を出したことが事態に拍車を掛けている。


 しかし勇者さんは悪びれずに言った。


勇者「わたしはべつにあなただとは言っていないわ」


巫女「そりゃ言ってないけど! 積極的に否定してくれないよねっ」


 勇者さんは、ただ事実を述べているに過ぎない。

 自分に同行した魔法使いは、訳あって人前には姿を晒せない。本人もそれを望んでいない。

 あとは周りが勝手に誤解しているだけだ。豊穣の巫女は騎士団に追われている。そして極めて優秀な魔法使いでもある。そう、勇者の相棒として相応しいと思えるくらい。


 もちろん勇者さんは意図して言葉を選んでいる。巫女さんが勇者一行の一員ということであれば、自分との間に切っても切れない縁ができる。この少女は本物の天才であり、他国には渡せない。何かあれば自分が動く口実になる。そう考えてのことだ。


 しかし当の巫女さんからすれば、やってもいないことで持ち上げられても困るのだ。「そのとき――シャルロット・エニグマは――思った……」とか本人が居ないのを良いことに都市級との決戦に挑む心情を面白おかしく綴られつつある!

 付け加えて言うなら、勇者さんが一行の魔法使いに関しては詳細を明かせないとコメントするたびに「仲間との友情を大切にする自分」に酔っているような印象を受ける。いや、これは穿ち過ぎかもしれないが……

 とにかく、この勇者が本格的にだめになる前に何とかしなければならないという思いが巫女さんにはあった。

 

 それなのに、勇者さんはのほほんと言う。


勇者「そんなに気にしなくてもいいでしょ。あなたは、何か困ったことがあればわたしを頼ればいいの。たいていのことは、何とかしてあげる」


 巫女さんは戦慄した。


巫女「こ、こいつ……最初からそのつもりで……!?」


 蜘蛛の糸に絡め取られた蝶は二度と羽ばたけないのだ。


巫女「ともだちは選ぶべきだった……!」


 先人の言葉が少女に重くのしかかる。だが招かざる友人は選択の余地など与えはしない。


 がくりとひざを折って突っ伏す巫女さんを、狐面の長女と次女が引っ立てて連行する。

 五人姉妹を従えた勇者さんが居間を横切って着席した。となりに巫女さんが座る。


魔物「…………」


 魔物たちは徹底して無言だ。


 宴の幕が上がる。


 地獄の釜が蓋を開けるように、ゆっくりとパン工房の扉が開いた。



父狸「待たせたな……」


 

 血に飢えた獣が獲物を前にしてそうするように

 招待客の姿を認めた父狸の口元が

 にぃ……と三日月に裂けた――



 ~fin~



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