登校日二日目からはじまる物語
魔王が復活した。
だが、ものは考えようだ。
ひとは、互いに支え合うことで困難に立ち向かうことができる。
仮に魔王復活の要因が半分くらい魔物たちにあったとしても――いや、だからこそだ。
人間たちは一致団結してこの危機を乗り越えねばならない。
それは信念の問題であり、一人ひとりが高い意識と自覚をもって今ある現実といかにして向き合うべきか問われる時期が来たということだ。
他者がどうこうではない。今、自分に何ができるか。重要なのはそこだ。
なるほど、あるいは魔王復活の要因は八割くらい魔物たちにあるかもしれない。もしかしたら九割、いや十割だったとしてもだ。
だから何だというのだろう。少し前提が変わったくらいで揺らぐものを信念とは呼ばない。
つまり魔物たちが知らんぷりしたとしても、まったく問題ないということになりはしないか?
というわけで、魔物たちはこの件から目を背け、容疑を否認することに決めた。
自分たちが可愛いからではない。いや、可愛いが。見た目は置いておくとして、全ては人間たちの成長を促すためだ。保身ではない……。
*
春。芽吹きの季節である。
春休みが終わったので、子狸さんは学校に行かねばならない。学生の本分は勉強だからして。
超世界緊急会議が開催されているようだが、招集令は惜しくも子狸さんまで届かなかった。たぶんうっかり出し忘れたのだろう。出し忘れたのであれば仕方ない。人間、誰だってミスをする。機械ではないのだから。
招集令を握りつぶした王都のひとが、散歩に出掛けたワンちゃんのように子狸さんを引っ張っている。
王都「ぽよよんっ、ぽよよんっ」
いつになく積極的な様子だ。
よほど学校を楽しみにしていたのだろう。
愛嬌あふれる仕草で教室の前まで跳ねていくと、ドアの隙間に身体をねじ込んで――そこで何かトラウマを刺激されたらしく、急に冷静になって触手でふつうにドアを開けた。
王都のひとに引っ張られて子狸さんも教室に後ろ足を踏み入れる。羊組の教室だ。
羊組の生徒たちがざわついた。
――バウマフ先輩がなぜここに?
彼らの内心は図らずも一致したようだ。
例外は、ただ一人。
子狸さんの指定席のとなりでじっと恨めしげにこちらを見つめている勇者さんだけだ。
つい昨日、ぬいぐるみに最高の笑顔を披露した動機は定かになっていない。
子狸「ふっ」
不敵に笑った子狸さんがのこのこと教壇まで歩いていき、教室を睥睨した。
むろん――
むろん、子狸さんは出席日数という名の時空の断裂が自身へと降りかかり、ごく狭い範囲で時間の流れが滞ったことを理解している。
子狸組でしめやかに行われたお別れ会で子狸さんに厳しい女子と優しい女子が声を揃えて「いや、違うよ」「そうじゃないよ」と言っていたが、それが気遣いから来るものであることを悟れないほど子狸さんは鈍感ではない。最後のほうは「ごめんよ、後輩たち……」だの「モンスターを解き放ってしまった……」だのと敗北を認めるような発言をしていたから間違いないだろう。
だが、学年という名のレースを周回遅れで走ることと、教室が変わることはまったく別次元の問題だった。
ならば王都のひとが教室を間違えたのか? いいや、それはない。その手のミスを魔物たちはおかさない。魔が差した場合は話が別だが、子狸さんは魔物たちを信頼している。
つまり子狸さんは、この腑抜けたクラスをたったの一年で鍛え直さねばならないということだ。
(タフなスケジュールになりそうだぜ……)
瞑目した子狸さんが、カッと目を見開いた。颯爽ときびすを返し、のこのこと教室を出て行こうとする。去りぎわに、ぎろりと羊組の面々をねめつけ、言った。
子狸「ついて来い。これから“狩り”に行くぞ」
勇者「…………」
スルーされた勇者さんが無言で席を立ち、子狸さんのマフラーを掴んだ。ぐいっと引っ張る。
子狸「くっ……」
子狸さんは動揺した。勇者さんがいるなとは思ったが、物事には優先順序というものがあり、並行して処理することは困難な状況下にある。
子狸さんは、予防検診に連れて行かれるペットのように教室のドアにしがみつき、抵抗を試みる。
子狸「この感じ……本物か。勇者だと……」
魔王モードに突入した子狸さんにとって、勇者さんは天敵とも言える存在だ。
抵抗する子狸さんを勇者さんは全力で引っ張るが、非力な彼女はすぐにバテた。
しめたとばかりに子狸さんが煽る。
子狸「それで全力か? おれはまだ半分も本気を出しちゃいないぜ……?」
勇者「…………」
勇者さんが聖剣を起動した。
勇者「いいわ。掛かってきなさい。わたしとあなた、どちらが上かはっきりさせてあげる」
予鈴が鳴った。条件反射的に子狸さんは魔王モードを脱した。
子狸「……お嬢。きみ、さいきん調子に乗りすぎじゃないかな? 毎日、山腹のひとに起こしてもらってるの知ってるんだぞ……!」
勇者「それは違うわ」
つい先日まで意識が高いニートみたいな生活に甘んじていた勇者さんは一人では起きられない。
だが、そうではないのだと彼女は言う。
勇者さんは言った。
勇者「山腹のひとが起こしてくれるのに、自分で起きる必要なんてないでしょ。……ようは効率の問題ね。わたしは無駄なことはしない」
山腹「!?」
それらしきことを言っているが、まったく違ってなどいなかった。
子狸「言っても無駄か。仕方ない……」
前足をひろげた子狸さんが無造作に距離を詰めていく。
子狸「お嬢。きみが怠けている間、おれは血のにじむような修練を積んできた」
勇者「にじんだの?」
子狸「にじんではいないが……」
にじんではいないが、子狸さんは推し進めた。
子狸「弱いものいじめにならなければいいが」
子狸さんは勇者さんを気遣った。
いまの二人には、それほどまでの大きな差があった。
数々の強敵たちとの戦いが、子狸さんを強くしたのだ。
じっさいに勇者さんと相対して驚いた。
こんなものだったか? と。
まるで負ける気がしない――。
(あるいは)
と、子狸さんは思った。
……あるいは、自分が強くなりすぎたのかもしれない。
子狸さんは常備している魔どんぐりを慎重に床に置いた。ぎらりと眼差しを鋭くする。
子狸「ばかめ!」
勇者「えいっ」
子狸「ぐあ~!」
返り討ちにされた子狸さんがもんどり打って倒れた。
がくがくとふるえるひざを叱咤しながら立ち上がるも、大きくよろめく。
かろうじて転倒を免れた子狸さんが、前もって王都のひとが安全性を考慮して用意してくれた無人の机にしがみついた。
子狸「くそっ、身体がしびれて……! コンディションさえ万全ならお嬢なんかには負けないのに……!」
子狸さんは、あと三回の変身を残している。
本来であれば勇者さんなど敵ではないのだ。
けれど自由自在に変身できるわけではないから、このとき負け狸さんは遠吠えを上げるしかなかったのである。
子狸「おれは、もっとやれるんだ……! 完全体にッ、完全体になれさえすれば~!」
子狸さんの慟哭が教室に虚しく響き渡り――
先生「…………」
――この春から子狸さんの担任教師を務めることになる女性の教師が、教室の入り口で唖然として立ち尽くしていた。
完全体になりさえすればと絶叫する教え子に、教育現場の最前線を見た思いだ。
自分のような新米教師が、いったい何をしてやれるのだろうか。
~fin~




