うっかり召喚編
世界の終わりを告げる鐘の音が聴こえる。
【ステージ移行】
【海上】
神の力。
瞬時に風景が切り替わり、足場が消えた。
子狸「!」
子狸さんは反射的に女子たちをカバーする。
それを見越してのステージ変更だ。
即座に距離を詰めた女神が、子狸さんの頭を掴んで引きずり倒した。
子狸さんの顔面を海に押し付けたまま、女神は笑う。
王都「副作用」
他者の制限を解除するのは、かなり無理がある。
強力な魔法には、それ相応の代償が生じる。
魔導師の退魔性はほとんど機能していないから症状が表に出にくい。つまり、まったくないわけではないのだ。
一時的に足場が消失した女子たちが悲鳴を上げかけて、すぐに再構築された力場にぺたりと座り込んだ。
目の前で展開される高速戦闘に頭が追いつかず、リアクションは半拍遅れたものになる。
王都「ひとりで戦ったほうが、まだ」
脅威になれたのに。
さっと振り返った女神に、教官が迫る。
教官「っ……」
教官がぐっと歯を噛み締めた。
限界を越えたという実感だけがある。
この感覚。この力。
何ができる?
何でもできる。
子狸さんの培ってきたものが、今この血を駆けめぐっている。
こうしたいというイメージがあれば、それに応じた詠唱が口を衝いて出る。
けれど知識がないから、思いついたことしかできない。
【教官の攻撃!】
【開放レベル6!】
魔法は複雑であればあるほど開放レベルが上がる。
上位の魔法は下位のそれに勝るという原則があるから、開放レベル9を連発するのがもっとも正しい。
だが開放レベル5の「射程超過」と「平行呪縛」が手を組めば、たいていの願いは叶えることができる。できてしまうから、開放レベルが上がらない。
女神は辛らつだった。
王都「あなたたちには無理ですよ」
宝の持ち腐れだ。そう言った。
知識なくして開放レベル7の壁を乗り越えることはできない。
教官「だからと言って!」
教え子を見捨てることは彼女の矜持に反する。
空間を折りたたんで肉薄した教官が至近距離からひじを繰り出した。
捕縛術とは名ばかりの、健康を著しく損なう恐れがある格闘術だ。
王都「遅い」
次の瞬間、何をどうしたのか、教官の身体が宙を舞っていた。
かろうじて着地した教官がうめく。
教官「合気…….。共和国の技まで…….」
人体の仕組みや力の流れを知り、利用する体術だ。
有名なところでは、王国最強の騎士と謳われるアトン・エウロがよく使う。彼は共和国の出身だ。
間を置かず、男子たちの狙撃が戦場を埋めた。これを女神は片手で一掃する。
王都「お気に召したようですね。では、さよなら」
朗らかに言って、ぐっと視線に力を込めた。
【女神の攻撃!】
【開放レベル9!】
【カウンター!】
【子狸さんの自動防御が作動した】
子狸さんは四つん這いになったまま、苦しそうに咳をしている。海水が気管に入ったらしい。
女神の攻撃が無効化されたと知って、トミやんが驚きに目を見張る。
男子「なんだ? 何をした?」
子狸さんに代わって女神が答える。
王都「覚醒魔法です。法典を生み出す途上にある魔法……と言ったところで、あなたたちには通じないでしょうが」
魔法が行き着く先は、多くの世界では「法典のコピー」だ。
覚醒魔法とは、その途上にある魔法の総称である。
魔法の形式によって道のりは異なったものになるが、覚醒に至ったということは、とくべつな意味を持つのだ。
女神は、その美しい容貌をトミやんへと向けた。
王都「真似をしようとしても無駄ですよ。あなたはバウマフ家のものではないから」
仮想人格に魔法の主導権を与え、攻撃と防御を行うのがこの世界の覚醒魔法だ。
その仮想人格は、歴代勇者をモデルにしている。
魔物たちが作り上げた、複雑かつ緻密な大魔法。バウマフの血という要素が欠けただけでも成り立たなくなる。
いずれは勇者さんも覚醒魔法の一部を担うことになるのだろう。……いや、あの勇者は要らないかな。
――上位の魔法は下位のそれに勝る。
数の利が意味を為さない。女神の優位は揺るがない。
子狸さんがぽつりと言った。
子狸「海外旅行か」
つい先ほどまでゴホゴホとむせていたから、自分でも驚くほどか細い声が出た。
不安を振りはらうかのように叫ぶ。
子狸「海外旅行かーッ!」
このとき、異世界という概念はすでに過去の遺物と化していた。
異世界ではなく異国。何が起こるかわからない海外旅行に女子たちを連れて行くことはできない。
それは、子狸さんが新たに見出した、この戦いの意味。
男子たちがぎくりとした。
女子たちが「ぎゃー!」と悲鳴を上げた。
女子「デキるバウマフくんじゃない!」
デキるバウマフくんとは?
三回に一回くらいの割合で出現する上質な子狸さんのことである。
その日の仕上がりを見分けることはできないが、めっじゅ〜と鳴く。
子狸さんは常に成長しているのだ。
バトルメニューが消失した。
女神の動揺によるものだろう。
子狸さんの発言に気を取られたことで、小道具担当の鬼のひとたちが衝突したのだ。
転倒した王国小鬼が「ちっ……」と舌打ちしながらのろのろと身を起こす。
その不満げな態度にイラッとした帝国小鬼が、王国小鬼を突き飛ばした。
喧嘩をしている場合ではない。とっさに割って入ろうとする連合小鬼に、王国さんと帝国さんは冷たい言葉を浴びせた。一人だけ良い子ぶってんじゃねーよと。
三人は無言で立ち尽くし、睨み合う。
共通の友人であるモグラさんたちが仲裁に入った。彼らは大道具担当だ。
【ステージ移行】
【無効】
【神の小部屋】
戻ってきたと言うよりは、虚構の風景が剥がれ落ちたように感じた。
女神は動揺している。
王都「ばかな……」
ダイスロール担当の青いひとたちが何やらもめている。
女神の出目が良すぎると不正を訴えた庭園のひとを、海底のひとが絶賛したことが発端だった。今日は勝負どころで大きく崩れないなと。
庭園のひとはカチンと来た。不幸キャラの押し付けはやめて欲しかった。
いや、そうでなくとも、じつは庭園のんは海底のんに対して不満があった。
海底のんは、諸事情あって千年くらい陸に上がって来なかった。それは必要なことだったから、これまでとやかく言ったことはない。
厄介事が片付いた今だからこそ言えることだ。
海底のひとが陸に上がって来なかったのは、たんに面倒くさかったからなのではないか……。
各所で内輪もめが勃発していた。
完全無欠に思えた女神が、はじめてつけ入る隙を見せた瞬間だった。
そのとき、ついに女子たちが動いた。
子狸さんに優しい女子が駆け出し、それを見て他の女子たちも「仕方ないなぁ」とあとに続く。
彼女たちだって、何も考えていないわけではない。
この女神が怪しいことくらいは勘付いていたし、傷付いていくクラスメイトを黙って見過ごせるほど悪らつにはなれない。
彼女たちには才能があった。
本人たちが乗り気でないためあまり知られていないが、子狸組の女子生徒は優秀だ。まるで何か大きな力が背後で蠢き、子狸さんのお嫁さん候補が集められたかのようだった。彼女たちは物覚えが良く、コツを掴むのが早い。
捕縛術に限って言えば、男子たちよりも上だ。
自分たちだって戦える。
それなのに、彼女たちの決意はいとも簡単に一蹴された。
目には見えない壁が立ちふさがり、隔離される。
子狸さんが、ふらつきながらも立ち上がった。
……女神は強い。魔物たちと互角か、それ以上だ。
だから、ここから先は、もう。
教官「バウマフ!」
子狸さんは、そういう子だ。
肝心なときに他者を頼れない。周りに人がたくさん居ると、ふとしたときに別の何かを見つめている。
不可視の障壁を叩いた教官に、しかし子狸さんはそうでないのだと微笑んだ。
女神へと向き直った子狸さんに、女子が叫んだ。
女子「また! そうやって出鼻をくじいて! あんたはっ、優しいとかじゃなくてさー! それは優しさじゃないだろ! なんなんだよっ」
長い間、同じ教室で授業を受けてきたのだ。子狸さんが何か隠し事をしているのはわかっていた。それでも、これはないと思った。
子狸さんに優しい女子とて思いは同じだ。けれど今は非難するよりも、応援しなくちゃいけないと思った。
女子「だったら、せめて勝ってよ! バウマフくん! 勝て!」
クエスト――「勝て!」
厳しい声も、優しい声も、等しく子狸さんの背を押してくれるかのようだ。
ぐっと前足を突き出し、言った。
子狸「アイリン」
前足から、どろりと青い液体が伝った。べちゃりと床にひろがった液体は粘着質で、白い糸を引いていた。
霊薬の生成。これが子狸さんの治癒魔法だ。
そして、それが全てではなかった。本質的にはもっと別の、まったく異なった側面を持つ。
ふらついた子狸さんを、差し出された大きな手が支えてくれた。
ダブルアックスの二人が、そこに居た。
高い背、長い手足、鍛え上げられた鋼の肉体……それらは子狸さんが思い描いた理想の姿だ。
ダブルアックス。相反する二つの刃。
連結魔法と誘導魔法の落とし子。
バウマフ家と共に歩むもの。
子狸さんは決然と前を向く。そうでもしなければ、泣き出してしまいそうだった。
子狸「行こう。すべてはおれたちからはじまった……」
~fin~




