うっかり宣告編
気付けば、白い部屋に居た。
見渡す限り白く、気が狂いそうになるほど白い。
壁と床の境目が判別できない。
陰影がない。だまし絵の中にでも放り込まれたかのようだった。
それでも「部屋」と言い切ることができたのは、音の反響によるものだ。
おそらくは教室よりもひろく、図書室よりは狭い。そのように当たりを付けたのは、担任教師のコトちゃん先生だった。
子狸さんの(現)担任教師は、日常生活を送る上でさして重要とは思えない数々の特技を持っている。
突発的な事態に直面した際、自分の意思とは無関係にいったん思考をリセットできるのもその一つだ。これは情報量をしぼることで混乱やパニックを抑え込む技能の一つであり、とある家系に代々受け継がれる特性を真似たものだ。
コトちゃん先生は魔物たちから「教官」と呼ばれる。
若い女教師だ。諸事情により教員免許を強制的に発行されたから、年齢とキャリアが見合っていない。
ざっと白い部屋を見渡した教官が、背筋をぴんと伸ばして叫んだ。
教官「整列!」
教員過程をすっ飛ばして教師になった彼女だから、教え子たちに体当たりでぶつかっていくしかなかった。
子狸組の規律が他の追随を許さないのは、その体当たりが実戦的でひどく血なまぐさいものだったからだろう。
生徒たちは一糸乱れぬ動きで男女の列を成し、その場で直立した。
教官「休め!」
号令を飛ばしている間も、教官は白い部屋を隅々まで見渡そうと目を凝らしている。
肩幅のひろさに足を置き、腰の後ろで両手を組んだ生徒たちの統率された動きには、授業参観では決してお見せすることのできない「何か」があった。
教官「点呼!」
いっさいの遅滞なく埋められていく出席名簿も同様だ。
欠席者が居ないことを確認した教官は、生徒ひとりひとりの顔を横目に睨みつけながら白い部屋を横断していく。
教官「われわれは現在、異常事態にある。原隊への復帰は困難と判断し、これより貴様らをわたしの指揮下に入れる。質問は」
隊列からあぶれている子狸さんの前足が、ゆっくりと上がった。
子狸「勝敗を決するものは、寂しがり。寂しいんだ、本当の勝負ってやつは」
前足から滑り落ちた牌が、ころんと卓に転がる。
ぱたりと倒された子狸さんの手牌は……
子狸「ふっ、終わったな」
ポーラ属のお昼寝牌、一色。
牌の数から言ってまず現実にはありえないとされる……
神域の、手。
男子「ばかな……」
呆然と呟いたトミやんが、がくりと項垂れた。
現実にはありえないから、お昼寝牌一色などという役はない。
だが、説得力はあった。
この子狸は、ずっと待ってた……!
ありもしない、お昼寝牌を……!
奇跡、を……!
そして、成した……!
男子「僕の、負けか……」
涙だけは見せまいと、トミやんは天を仰いだ。
大きく深呼吸して、席を立つ。振り返りはしない。きっとそれは敗者の特権だったから。
ぼやけた視界の中、何もかもが白く映った。
男子「ちっ、随分と背景が手抜きくさいぜ……」
全てを出し尽くしたという実感があったから、視界不良にも違和感を覚えなかった。
教官「…………」
教官は、じっと卓上の牌を見つめている。言った。
教官「これは反則じゃないのか?」
記憶を頼りに教室の出口に向かったトミやんが、壁に頭をぶつけてうずくまった。
激闘を制した子狸さんが、勝負の余韻にひたるように寂しげに微笑んだ。
子狸「ああ。白い、な。……真っ白だ」
そう言って、静かな足取りで男子の列に加わった。
痛打した顔を押さえながら、トミやんも列に加わる。
一人の女子がぼそりと呟いた。
女子「よくわかんないな、この二人……」
一つの戦いが終わりを告げた、まさにそのときであった。
??「ようこそ、みなさん」
美しい声だった。
美しい。そうとしか言い表せない声だった。
しかし子狸組のリアクションは薄い。
それが気に入らなかったのかもしれない。声の主は、「ふんぬっ」と空間を引き裂き、わりと力業で姿を現した。
この世のものとは思えない、美しい女性だった。
しかし子狸組のリアクションは薄い。
沈黙を保ち続ける子狸組に、女性は「いつの間にこんなんなっちゃったんだ……」と小さくぼやいてから、超然とした微笑を人間たちへと向ける。
彼女は言った。
王都「わたしは、神です」
教官「神、だと……?」
教官自身がそう躾けたので、教官がリアクションするしかなかった。
子狸「…………」
子狸さんは、じっと王都のひとを見つめている。
微動だにしない青いの。
よく見ると、王都のひとの身体からケーブルみたいなのが伸びて女神とつながっている。
ケーブルを目で追った子狸さんが、ハッとした。
子狸「神、だと……?」
ひとしきり驚愕してから、もう一度王都のひとに視線を戻した。
女神が言った。
王都「その子は一時的に凍結しました。あなたに近しすぎたゆえに、です」
子狸「凍結?」
子狸さんが知る限り、魔物たちの身動きを封じることができるものはごく限られる。
ぐっと身を乗り出した子狸さんを、教官が制した。
教官「待て、バウマフ。わたしが話す」
そう言って教官は、子狸さんの前足を上げ下げした。
急におとなしくなった子狸さんに代わり、教官が女神と相対する。
教官は、神と名乗る女性を観察するふりをしながら頭の中を整理した。
まず、この白い部屋からして尋常ではない。
魔法による幻覚という線は捨てきれないが、だとすればそれを成した目の前の女は想像を絶する腕前の術者ということになる。
目的は何だろうか。……読めない。子狸さんが絡むと、何があっても不思議ではないという諦めにも似た推測が成り立ってしまう。
ひとまず、選択肢を減らすべきだ。教官はそう思った。何もわからないから、何をすれば良いのかわからない。
今、自分にはこの自称神を殴り倒すという選択肢すらある。可能かどうかは別として、やろうとすることはできる。
教官は自身の能力を正しく把握していたから、千の選択肢から百の正解を導くよりも、百の選択肢から五の正解を導くほうが確実性は高いと考える。
かと言って選択肢を狭めるあまり、正解がなくなってしまえば、もうどうにもならない。
戦っても勝てない。その前提で動く。
教官は姿勢を正して問うた。
教官「ここはどこですか?」
王都「意味のない質問ですね」
女神は辛らつだった。
王都「……ですが、許しましょう。ここは世界の狭間です」
教官「狭間……。世界の果てと何か関係が?」
諸事情あって、子狸さんが暮らす世界は天動説みたいな感じになっている。
船で海を進んでいくと、やがて端っこから落っこちてしまうのだ。この端っこを世界の果てと言う。
女神は微笑んでいる。
王都「いいえ、世界と世界の狭間です。世界は無数にあり、あなたたちが暮らしている世界はそのうちの一つに過ぎません」
教官「……?」
この女神が何を言っているのか、教官はさっぱりわからなかった。
そもそも大陸の人間は、宇宙を知らない。
天蓋に太陽と月が貼り付いていて、ぐるぐると回っている。それが一般的な考えであり、またあらゆる観測を以ってしても正しいと立証された事柄だった。
じっさい、人間の目から見た世界はそのようになっている。
見るに見かねたトミやんが挙手して言った。
男子「先生。魔界みたいなものでは?」
魔界とは、魔物たちの架空の故郷だ。どこにあるのかはよくわかっていないが、全体的にじめっとしているらしい。
教官は少し考えてから、トミやんの案を採用した。
教官「魔界みたいなものですか?」
王都「いいえ、魔界みたいなものではありません」
なまじ天動説が横行しているものだから、話が先に進まなかった。
早くも万策尽きた教官は、ぴしりと姿勢を正して女神の言葉を待っている。
女神は、虚空からホワイトボードを引っ張り出して基礎的な説明をしなければならなかった。
王都「……つまり、世界は幾つもあって、ここは世界と世界の間に挟まれている場所なのです。わかりましたか?」
教官「んん? 待ってくれ。またわからなくなってきた。世界と世界の間……。では、ここはどこなんだ?」
王都「これだけ説明してもなんでわかってくれないの? やだ、なんか怖くなってきた……」
女神は心情を吐露した。
とにかく推し進めるしかない。
王都「話は変わりますが……」
女神は説明を諦めた。
王都「現在、あなたたちは異世界に召喚されようとしています」
教官「異世界とは何だ? 魔界みたいなものか?」
教官の口調はすっかり地が出ている。
王都「魔界じゃねえっつってんだろ。……ったく、子狸かよ」
教官「子狸じゃないぞ」
子狸ではない教官。
しかし、なまじ受け答えが成立するから話が先に進まないのだ。
女神はうんうんと悩んでから、ホワイトボードの大陸と別の大陸を矢印で結んだ。
王都「ここから〜ここに〜変な力で誘拐されそうになっているのです」
教官「大変じゃないか」
王都「そう、大変なんです。そこでわたし、この神がですね、こう、させるかっ、みたいなね。やらせるかよっ、みたいな感じでね。こう、がしっとね。こう、コレですよ。コレ」
教官「おお、なるほど。感謝する」
王都「ところがどっこい」
女神は身振りでどっこいした。
王都「わたしは神なので、人間同士のアレには干渉しません。なので、あなたたちには自力でがんばって貰うしかありません」
子狸「神だと……?」
ここで子狸さんが再稼働。
女神は子狸さんの前足を上げたり下げたりした。再びおとなしくなる子狸さん。
女神は言った。
王都「とはいえ、わたしはこの世界の神。異世界の人間よりも、あなたたちのほうが可愛い」
教官「そ、そうか?」
教官は照れている。
女神はかろうじて頷いた。
王都「そこで、スーパーラッキーチャンス。あなたたち、一人につき一つずつ、不思議なパワーを与えようと思います。やったね」
女神の説明はこうだ。
自分っトコの人間が誘拐されるのは気に食わないため、一人につき一つずつ、力を与える。
力は何でもいい。何しろ神さまなので、どんな力も思いのままだ。
その力を以って、異世界から気合と根性で帰ってくるべし。
無事に帰還したなら、与えた力は没収する。
女神の説明を吟味していた教官が、思いつきを口にした。
教官「その異世界? とやらから帰ってくる力はダメなのか?」
王都「おい、びっくりしたぞ。案外、知恵が回るじゃねーか」
女神は親しげに教官の肩を叩いた。
教官は照れ笑いしている。
教官「そ、そうか?」
王都「おう。お前は昔からちょっとにぶいっつーか、ひとの機微に疎い面がある。けどな、やればできるんだよ。たまに賢いふりしやがる」
などと、ひとしきり旧交をあたためてから、女神はダメ出しした。
王都「でもダメー! 言ったじゃん。おれ言ったじゃん。人間同士のアレには干渉しないってさー!」
女神は駄々をこねた。
ひとしきり駄々をこねてから、女神は気を取り直してぱっと両腕をひろげた。
王都「さあ、愚かな人間どもよ。選ぶがいい。自分自身を見つめ直し、おのれにふさわしい力を選び取れ。じっくりと一人で考えてもよし、仲間と相談するもよし。これよりフリートークの時間とする! 存分に思い悩み、各々チートを掴み取れ!」
わあ、と喝采が上がった。
喝采を上げたのは、おもに女子だ。
胡散くさそうに女神を見つめ、一人また一人と車座を囲っていく男子たちは、教官の薫陶が生きているようだ。
その当の教官はと言うと、女子たちに囲まれて相談役におさまっている。
にたりと相好を崩した女神は、腰の後ろで両手を組んで身体を揺すると、うきうきした様子で子狸さんの顔を覗き込んだ。
王都「子狸さん子狸さんっ。子狸さんはどーするの?」
子狸「…………」
子狸さんはじっと女神を見つめている。
いや、睨んでいる。
王都「お、おう……」
思わず仰け反った女神に、子狸さんは言った。
子狸「戦え」
王都「……ん?」
聞き間違えかな? 女神は首を傾げた。
子狸「ずっと前から……決めていた」
子狸さんは、フリーズしている王都のひとの身体を前足でそっと撫でる。
言った……。
子狸「もしも神さまと会えたなら。だからお前を。おれは、一発殴る」
子狸さんは女神と視線を合わさないまま、淡々と述べた。
傍らの王都のひとをおぶって、落ちないようマフラーで結ぶ。
子狸さんは他者の犠牲をよしとしない。道連れを好まない。
葛藤はある。けれど、この場に置いて行くことは、きっと裏切りなのだと思った。
(行こう。どこまでも一緒だ……)
一転して女神を見据えた子狸さんの眼差しには、強い怒りがある。
子狸さんは言った。
子狸「他人を愛せないお前は、けっきょく最後は自分をとるんだろう……」
何かを得れば何かを失う。
それが世界の本来あるべきルールだ。
自分たちは異物に他ならないから、異世界に紛れ込んで何かを為せば、一方で損なわれていくものがきっとある。
失われた「一秒」の価値を、その世界で生まれてすらいない自分たちには語る権利がないということだ。
子狸さんは言った。
子狸「力なんて要らない。だから、おれと戦え」
『最終話』
Bルート エンディング
『希望の魔法』
〜fin〜




