勇者さんは王さまになりたい
『野心』
王都の復旧が軌道に乗った頃の出来事である。
王都では、国を挙げての終戦パレードを執り行っていた。
理由は幾つかある。
いずれはやらなければならないことなので、面倒なことはさっさと済ませたいというのが一つ。
復旧の人手が足りないのでお祭りという名目で人員を集めたかったというのが一つ。
そして、とくにここが大事だ。同じくらい大きな国である帝国と連合国に舐められるわけにはいかない。
だから大々的に「自分たちは勝者であり、魔王軍との戦争でいちばんがんばったのは自分たちである」とアピールする必要があった。
はっきり言って、王国は崖っぷちに立たされていた。
今回の戦争で、王国は帝国と連合国に借りを作った。この「借り」というのが面倒で、例えば帝国が何らかのへまをして重箱の隅をつつくように魔王軍の襲撃を受けたとき、王国はどさくさに紛れて帝国に攻め込むことができない。いや、不可能ということではないし、じっさいにはやるだろうが、対外的には「そんなことはしませんよ」という態度を示さねばならなくなった。
王国は、敵国に助けられたという事実をなかったことにしたい。
むしろ、自分たちが矢面に立ったからお前たちは無事に済んだのだという立場をとりたかった。
そこで勇者の出番である。
本来「勇者」は国に縛られる存在ではない。
勇者の功績を国に還元するのはご法度である。
勇者は、他者の権限を一時的に停止することを認められた唯一の存在だ。
これは簡単に言うと、上官の命令を無視して勇者の言うことを聞いても罰せられないということだった。
また、この指揮権のリセット権は勇者本人にも適用される。正義感の赴くままに単独行動に走りがちな勇者を法律的に守るための処置でもある。
要するに、勇者が「魔王をやっつけたから王さまになりたい」とか言い出しても「でもそれはお前が勝手にやったことだよね」と突っぱねることができるということだった。
王国は他国に対して「ウチには勇者いるからお前ら逆らうなよ」とは言えない。
しかし事実として勇者が一人の人間である以上、動物園におけるパンダみたいな働きを期待することは可能だった。
いや、それ以上のことは期待していなかったし、おとなしく檻の中で笹の葉を召し上がって頂くことが最上とさえ考えている。
王国は勇者効果によるパンダマネーを欲している。
だが、そんなことはパンダさんにとって知ったことではなかったのである……。
*
大喚声と紙吹雪が舞う中、アトン・エウロはみなぎる戦意を押し隠していた。
見るからに恰幅の良い男である。
突き出た太鼓腹を、今は金属製の胴巻きで押さえ込んでいる。
戦士としては異様な風体の、この男こそが王国最強の騎士と謳われる人物だった。
この太っちょを、魔物たちは「王国のドルフィン」と呼ぶ。
個人として突出した技量に興味を持った魔物たちが難癖をつけて絡んだところ散々に撃退され、得意の水中戦でも危なげなく窮地を脱した太っちょの腕前を称えてのことである。
もちろん魔物たちはやろうと思えば一瞬で下すこともできた。ただし人前で全力を出すのは、魔物たちにとって敗北に等しい。具体的には他の魔物たちに「え? お前なにムキになってんの?」とか言われるのである。
黄色い声援に片手を上げて応えるアトンの面持ちは朗らかだ。
年若い娘さんの嬌声が聞こえるたびに舌打ちする恩師の態度も気にならない。
つい先ほども「お前、ちょっとモテるからって調子に乗るなよ……?」と酒焼けした低い声で忠告を受けたところだ。
気を抜くな、ということだろう。
アトンが師と仰ぐこの人物は、ジョン・ネウシス・ジョンコネリ。
先の大戦で華々しい戦果を挙げた老将軍であり、アトンが心の底から尊敬する数少ない人間の一人だった。
敬愛する上司の前で無様は晒せない。
アトンは職務に燃えていた。
表向きは朗らかに、ときおり鋭い眼差しを眼下に投げる。
海豚「07-22-A。演技臭いな……要捕縛。子連れの女だ。髪は長い。制圧しろ」
独り言にしか聞こえないが、これは配下の騎士への命令だった。
魔法使いという響きが陳腐に思えるほど、この世界の人間は魔法に慣れ親しんでいる。
魔法を使うための必要最低限の条件は詠唱とイメージであり、そこには特別な才能などほとんど不要だった。
魔法という法則があり、それに則って力を引き出す行為に肉体的な消耗は無いに等しい。
それは、重いものを持ち上げるときにテコの原理を用いることと同じことだからだ。
特別な才能は要らないから、身一つの人間が強大な力を振るえることになる。
その潜在的な脅威に対抗するために組織されたのが「騎士団」と呼ばれる戦闘集団だった。
彼らは戦闘に特化した魔法使いであり、ほとんど病的と言ってもいいほどの連携を血肉に刻み込まれている。
その一例に挙げられるのが、「伝搬魔法」を用いた遠話法だ。
設定した条件に適った人物へと感染していく伝搬魔法を使えば、離れたところにいる特定の騎士に指示を出すことも容易だった。
騎士とは、労働時間が気にならなくなるくらい熱い正義に胸を焦がす戦士たちである。
薄給だが、それがどうしたと笑い飛ばせる。それが騎士だ。だから、究極的に彼らにボーナスは必要ない。
彼らの魂を救うものは人間らしい暮らしではなく、自らを燃やし尽くしてくれるような戦場なのだ。
そして、魔王を打ち倒した勇者をひと目見ようと詰めかけた群衆がひしめく大通りは、アトンにとって紛うことなき戦場であった。
一瞬の気のゆるみも許されない。
もしも自分にその資格があるなら、王種のみが扱えるという竜言語魔法で勇者に害意を持つ輩をまとめて焼却したいくらいだ。
表面上は穏やかに、しかし沸々と仮想敵への殺意をたぎらせるアトンは物騒なことを考えている。
こうなった経緯は省くが、彼は勇者さんのことを自分の娘のように大切に思っていた。
それどころか、ほとんどウチの子だと思っていた。
それなのに、親の心子知らずとはよく言ったもので、勇者さんは呑気に遠くの王城を見つめていた。
彼女を含む魔王軍との戦争で大活躍したメンバーは、豪華に装飾された大きな馬車の上に乗っている。
勇者「…………」
勇者さんは、称賛の声にもこれといった反応を示さない。
鞘に納めたままの長剣の柄に両手を重ね、じっと立っている。
愛想を安売りすることなく、クールな自分を演出しているのだ。
鉄面皮と評しても良い無表情と、微風にそよぐ長い髪が、富や名声のために戦ったわけではない立派な自分を鮮やかに演出してくれる。
微動だにしないものだから、頭に積もった紙吹雪が彼女の断固たる決意を物語るかのようだった。
あと、これは無意識のことだから仕方のないこととはいえ、勇者さんを彩る美辞麗句が飛ぶたびに猫耳が過敏な反応を示している。
魔王軍との激戦のさなか、聖剣の秘められし力を解放していった勇者さんは、いつしか人の領域を踏み越えてしまった。
詳細は定かではないが、勇者さんの猫耳はその代償なのかもしれなかった。
ちなみに、とある子狸はパレードには参加していない。
いちおう勇者一行の一員だったのだが、とある不思議な生きものたちの暗躍によりなかったことにされていた。
具体的には、魔王軍の動きが活発化した頃に世界旅行に出掛けて戦争が終わった頃にのこのこと戻ってきたという扱いである。
そのことに関して、本人はまったく気にしていない様子である。
この日も元気に政府の陰謀に巻き込まれていた。
勇者さんとしては少し面白くない。
せっかくの晴れ舞台だ。絶対に見に行くとか言っていたくせに一向に姿を現さないとはどういうことなのだろうか。
いや、現れたら現れたで騎士団に捕獲される公算は高い……これで良かったのかもしれない。勇者さんは気を取り直した。あの子狸は、騎士の前では挙動が不審になるのだ。
勇者一行の正式なメンバーは、三人ということになっている。
一人目はもちろん勇者さんだ。
二人目は諸事情あってこの場にはいない。
そして三人目が、勇者さんの肩の上に乗って愛嬌を振りまいている妖精さんである。
小さな身体を精いっぱい伸ばして声援に応えていた羽のひとが、勇者さんの耳元でしみじみとつぶやいた。
妖精「人がゴミのようですねぇ……」
勇者「そうね」
勇者さんは同意した。ゴミと人に明確な区別などないのだと言うように。
精いっぱい生きて、やがて地に還るのだ。人間と生ごみに明確な差異などないのかもしれない。
勇者「だからこそ……」
風に紛れるような小さな声だった。
彼女は、旅の仲間である羽のひとに対してはしばしば本音を吐露する。
勇者さんはつぶやいた。
勇者「ゴミの分別ができる人間が上に立つべきなのかもしれない」
妖精「……え?」
羽のひとは聞き間違えかと思って首を傾げた。
その計算され尽くした仕草が花のように可憐だったから、勇者さんは微笑んだ。
羽のひとは、勇者さんにとって得難いパートナーだった。
勇者「これからの話よ。魔王を倒して、めでたしめでたしというわけには行かないでしょ。お伽話じゃないんだから。ね……?」
勇者さんは、目には見えない不思議な力を持っている。
その力は、アリア家の人間に代々伝わってきたものだったが、勇者さんの場合は少し変異している。
それゆえに、詳細を知るものは、ごく限られる。
つまり勇者さんにとって切り札たりえるのだった。
絶句している羽のひとに勇者さんはもう一度だけ笑いかけてから、目線を正面に戻した。
まっすぐ伸びる視線の先、そびえ立つのは王城だ。
勇者さんは言った。
勇者「わたしの一族はね、自分たちよりもうまくやれる人間はいない……ずっとそう思っているの」
アリア家に代々伝わる力は「透視」という名前をしている。
心を見透かす力だ。ごく狭い範囲にしか作用しないが……それゆえに強力でもある。
彼女たちにとって、自分の心は目に見えるものだから手足を動かすように思いのまま操ることができた。
勇者さんに備わった力は、この「手」が少し長い。
長いぶん、少し細い。それでも他の「異能」と比べるに……どうも十分な力を持っている。
少なくとも、小さな子供たちの感情なら、ある程度まで操れるらしい。
だから
例えば
もしも
願うなら
――勇者さんは、こう思ったのだ。
目の前の人間の首を
縦に振らせることくらいは
できるかもしれない――と。
それは、つまり万人を幸せにできるかもしれない力ではないのか?
そう思ったのだ。
検証は、まだ万全とは言えない。
欲しいのは、確信だ。
どの程度の強制力があるのか。
個々人によって効果に差異はあるのか。
あるとすれば、どの程度の振り幅なのか。
成長の余地はあるのか。
試さなければならないだろう。
もちろんリスクはある。
確実に隠し通せるという保証はない。
しかし分の悪い賭けではない――と勇者さんは思っている。
どんなことも絶対ということはないのだ。
ならば、少しでも可能性が高くなるよう動くべきだ。
時間の勝負になるだろう。
力を持った人間は何も自分だけではない。
中には、心を読めるものもいる。
だが、勇者さんは気運とでも言うべき時代の息吹を感じていた。
それは、もしかしたら気の迷いかもしれない。
それでも……
大歓声に後押しされるように、勇者さんはゆっくりと足を踏み出した。
突き出した手を握り込むと、初雪を踏みしめるような淡い手応えがある。
精霊の輪が少女を彩り、光輝の冠を頂く退魔の宝剣が顕現した。
現出した奇跡の光景に、勇者を称賛する声はとめどもなく膨れ上がっていく――。
高揚する気持ちを押し隠して、勇者さんは思った。
(わたしは、王になる)
――賭けに敗れた勇者さんが入城禁止を申し渡される数日前の出来事であった。
~fin~