勇者の「戦い」
校長先生は「敵」だった。
子狸さんは頭の中が真っ白になっている。
だからすんなりと言葉が出た。
子狸「なんでですか」
校長「私は」
校長先生は子狸さんの肩から手を離して後ずさった。
校長「……私は、もう歳だ。この歳になると終わりを考える。自分の人生に意味を見出したい」
嘘だ。校長先生は嘘を吐いた。
校長先生は子狸さんを警戒している。
長年の経験から、他の教師には見えないものが見えている。
子狸さんくらいの年頃の子供が、明確な目的もなく自主的な訓練を、しかも長期間に渡って続けるなどありえない。
話しながら距離を取ったのは、接近戦を避けたかったからだ。
校長「悔いを残したくない。汚点を、すすぎたい」
とっさに嘘を吐いたから、ほんの少しだけ本音が混ざった。
校長先生は慎重だった。
自分の力が通用しない人間がいることを知っていたからだ。
およそ無敵と言ってもいい筈の力を持つ双子の兄が敗れたと知っていたからだ。
そして、自分の力が無敵でも万能でもないと気付いていたから、同じ力を持つ兄ほど傲慢ではなかった。
兄と違い、欠点を克服するという発想があった。
しかしそのためには、まず「力」の正体を知らなくてはならなかった。
だから学府の誘いに乗った。
校長「私は……」
校長先生は地面に両手を突っ伏して嗚咽を漏らした。演技だった。
校長「私は、もうダメだ。破滅だ。おしまいだ。私は……アリア家に目を付けられた」
来年度の春、アリア家の令嬢が王立学校に転入することは決定事項だった。
校長先生の独白に、子狸さんが目を見張った。
子狸「アリア、家? だ、大貴族の、ですか?」
そしてこのとき、悲しい事実が判明した。
勇者さんは、自分の家が大貴族であるという説明を怠っていたのだ。
勇者さんの名前はアレイシアン・アジェステ・アリアと言う。
アジェステというのはアリア家に代々伝わる称号名であり、フルネームを名乗った時点で説明する必要はないと考えたのだろう。それは事実だ。
まず「アリア」という苗字からして有名すぎるため、他に該当する家がない。
だが、一方でこうも言える。説明しなくても伝わるだろうという浅はかな考えは「甘え」なのではないか――。
*
子狸さんがまだ見ぬ大貴族の威光におののいた一方その頃。
山腹「…………」
すっかりアリア家の一員と化している青いのが、じっと勇者さんを見つめていた。
アリア家のアレイシアンさんは、十代目の勇者だ。
仲間たちと共にあまたの苦難を乗り越え、ついには魔王を打ち倒した救国の英雄である。
その彼女が、狐娘と一緒に早くもおねんねしていた。
時刻は、まだ宵の口である。いったいどういうことなのか。
話せば長くなるのだが、簡単に説明すると晩ごはんを食べてお風呂に入ったら眠くなった……そういうことになる。
こんもりと膨らんだ布団を見つめる山腹のひとの体表が、かすかにふるえた。期待と不安が入り混じったふるえ方だった。
アレイシアンさんは勇者だ。
子狸さんの慟哭に、きっと勇者である彼女ならば気が付いてくれるだろう……。
そんな山腹のひとの期待に応えるように――
勇者「!」
ぱっと目を覚ました勇者さんが、もそもそと掛け布団に潜っていく。
見るともなしに宙を眺めていた瞳が、ゆっくりと閉ざされていく。
そして、ついには……!
勇者「…………」
寝た。
山腹「…………」
*
勇者さんが二度寝した一方その頃。
子狸「アリア家だって……?」
逃れようもない邂逅の予感に、子狸さんは衝撃を脱しきれずにいた。
平民代表と申し上げても過言ではない子狸さんだが、大貴族の噂くらいは耳にしたことがあった。
とりわけアリア家は話題に事欠かない一族だ。
聖騎士。代行者。剣術使い。
魔物たちによれば、王国を裏で牛耳る黒幕なのだとか。
彼らは、バウマフ家とは決して相容れない存在だ……。
校長先生は涙ながらに訴えた。
校長「アリア家の人間に私の力は通用しない。だが、バウマフ……お前は私の味方で居てくれるか?」
子狸「それは……」
子狸さんは即答できなかった。
それほどまでにアリア家というのは恐ろしい。魔物たちに天敵が居るとすれば、それはまず間違いなく彼らだ。
ちらりと視線を横に振ると、王都のひとが鏡餅の準備をしていた。
連合国のとある小国には、正月に凧を上げ年始のお参りをする風習がある。
魔物たちの故郷は連合国だから、クリスマスにはケーキを食べてお正月はお餅を食べるのだ。
必要とあらば仮装をして王族の晩ごはんに突撃することも辞さない覚悟だ。
子狸さんの迷いを見てとった校長先生が、とっておきの秘密を明かした。
校長「バウマフ。アリア家は、やつらは私と同じ“力”を持っている。やつらは“異能持ち”だ。さも勇猛であるふりをして、ずっとそれを隠している……民衆の目を欺いているのだ」
子狸「そんな……!」
異能持ち。その言葉に、子狸さんは敏感な反応を示した。
子狸「な、何かの間違いじゃ……? 異能なんてものが実在するわけが……」
子狸さんは異能の実在を信じていない。
じっさいに目にしたことも体験したこともあったが、それらを証拠とするには不十分であった。
例えば、裏返しにしたトランプの絵柄を言い当てる人間が居たとして、超能力はあるんだと盲目的に信じるのはあまりに幼い。まずはトリックの存在を疑いはしないか?
子狸さんの頑固とも言える態度は、つまりは普遍的な「常識」を知るがゆえにである。
雨粒を2cmほど動かして魔物に大ダメージを与えるような人間が居たとしても、本質的には同じことだ。魔物たちのお茶目な一面としか思えなかった。
王都のひとは書き初めをしている。今年の抱負だ。言った――。
王都「クラス転移」
*
王都のひとが得体の知れない所信を表明している一方その頃。
山腹「…………」
にょきっと触手を生やした山腹のひとが布団の上から勇者さんを揺すっていた。ゆさゆさ。
勇者「…………」
アレイシアンさんは勇者だ。
常に戦場に身を置けるよう心掛けているから、ほんの少しの刺激にも敏感な反応を示す。
もそもそと身を起こし、とろんとした目で宙を眺める。
素早く触手を引っ込めた山腹のひとが素知らぬ顔をしていた。
勇者さんが子狸さんの危機に颯爽と駆け付けるならば、それは偶然でなくてはならない。
偶然とは、すなわち運命だ。
運命は勇者を戦場へと駆り立て、更なる戦いへと――
勇者「…………」
ぺたりとベッドの上に座ったまま、勇者さんの頭がこくこくと前後に揺らいでいる。
すう、と息を吸って……
かくんと項垂れた。
山腹「…………」
山腹のひとは無言で毛布をたぐり寄せると、勇者さんの肩にそっと羽織らせた。
壁伝いに窓枠へと這い上がり、夜空を眺める。
流れる星に、祈りを捧げた。
夜空の向こう、星空の彼方に子狸さんの笑顔が浮かんで見えるような気がした……。
~fin~




