うっかり立志編
『雪』
猛吹雪の中、悲痛な叫び声が響く。
小柄な身体を殴りつける雪が渦を巻き、孤独に閉ざされるかのようだった。
帝国「かまくらのひと~かまくらのひと~!」
小道具担当の一人、帝国在住の小鬼さんだった。
鬼のひと、あるいはメノゥディンとか呼ばれることもある彼。
ふだんは街と街をつなぐ街道沿いに住みつき、行き交う旅人や馬車を襲撃することもある。
この世界に「山賊」と呼ばれる人種は存在しない。
それは鬼のひとたちの職務とかぶるからであり――
魔物と同一視された犯罪者の辿る末路が、言葉では言い表せないほどひどいものだからだ。
帝国「かまくらのひと~!」
鬼のひとは叫び続ける。
帝国は豪雪地帯だ。
街道沿いでじっと獲物を待つ鬼のひとは、冬のシーズン訪れと共にひまを持て余しはじめる。
そのぶん実りの季節である秋は忙しいのだが、今は積雪を掻き分けてさ迷い歩く小鬼の姿が見るものの憐憫を誘った。
助けを求める声が、吹き荒れる風雪に浚われ、散々に千切れていく……。
帝国「こ、ここまでか……」
心因性の疲労感から片ひざを屈した鬼のひとが一筋の涙を流した、まさにそのとき。
一面の銀世界を輝線が走り、浮かび上がった無限回廊を軸に光の奔流が立体的な厚みを帯びはじめた。
――魔法陣だ!
魔物は魔法そのものである。
彼らは魔法の回路を通して世界に出力される。
凝縮された光の帯が徐々に輪郭を描き――
それとはまったく別に、ぽこっと生まれた青いのが雪の上に軟着陸した。
かまくら「なんだよ」
世界中どこに行っても居る、もちろん南極にも居る、かまくら在住の不定形生物さんだった。
青いひと、あるいはメノゥポーラとか呼ばれることもある彼。
まず人間が来ないという問題点から目を逸らして、日々を南極の動物たちと一緒に生きている。
機嫌はあまり良くない。
他の魔物たちに「なんか鬼のひとがお前を呼んでる」とか言われて瞬間移動してきたのだが
その遠回しなSOSに薄汚れた意思を感じたし
そもそも魔物は決して死なない。
けれど物事に絶対ということはないのだと、いつものように知ったふうな口を叩く同胞たち――それでいて自分は動こうとしない――彼らのあざとさに辟易としていた。
魔物たちの魂を癒してくれるのは、管理人と呼ばれるとある子狸しかいない。あとは人間たちの阿鼻叫喚くらいか。
景色を飲み込む濁った青い体色に、鬼のひとが感極まってすすり泣きを漏らした。
帝国「かまくらのひと、来てくれたのか……」
かまくら「そういうのいいから。用件を言えよ」
帝国「それでいい。お前は、それでいいんだ」
かまくら「うぜぇ」
大きな力と無限の寿命を持つ魔物たちは、それゆえに漫然と過ごしていては見落としがちな「今」という瞬間を言葉で彩るのだ。
かまくらのひとが苦言を呈した。
かまくら「お前らのそういうトコがホントに駄目。ひとを呼びつけておいて自己満足に走るとかさ……。子狸かよ」
帝国「子狸じゃないです」
鬼のひとはやんわりと訂正した。
かまくらのひとがため息を吐く。
かまくら「用件を言え。……あいつがな、寒い寒いとうるさいんだ。これは何の罰ゲームだと騒ぎ立てる。あんなにワガママだったかな……?」
思い出はいつも美しい。二度と手元には戻らないと思うから、良い面にばかり目が行くのだ。
だから、いざ取り戻してみれば、そうではないことに気が付くこともある。そういうものだ。
鬼のひとは頷き、言った。
帝国「そこで少しじっとしていてくれ」
かまくら「出たよ、これじつは用件などなかったパターンだ……」
文句を垂れるかまくらのひとだが、いったんは言われた通りにする。
どんなに下らないことでも、少しは付き合ってやるかと、それくらいの気安さが魔物たちの間にはある。
帝国「しっ」
静かに、と人差し指を立てた鬼のひとが、姿勢を低くして子供みたいに小さな両手を上げる。
まるで風景を切り取るように、佇むかまくらのひとの姿を、指の隙間に収めた。
帝国「いいね」
にたぁ……と鬼のひとは口元を歪めた。打ち倒した旅人の懐をあさる、ふとした瞬間にお目当てのブツを見つけたような、そんな笑顔だった。
帝国「いいよぉ……。やはりおれは間違っていなかった……。雪景色に、かまくらのひとは、映える。おれが欲しかったのは、この画だ。この画なんだ――」
かまくら「…………」
ふと、かまくらのひとが空を仰いだ。
雲が途切れて
晴れ間が覗いていた
天気雨を思わせる
舞い降る雪がただ
ただ美しくて……
かまくら「……こんなこともあるのだな」
そう呟いたかまくらのひとが
寝入るようにまぶたを閉ざして
かすかな微笑を零した
~fin~
『空』
空中回廊。
それは、特定のルートを辿ることでゲートを開放できる、空の要塞だ。
非正規なルートから侵入しようとするものは撃墜される。
ここは、人間の戦士が最後に辿り着くとされる隠しダンジョン。
生死の狭間、信仰にも似た、己を問い問われる戦いにとり憑かれた男たちの最後の楽園だ。
その入り口にあたる空中庭園では、一人の魔物が日向ぼっこしている。
庭園「……ふぁっ」
どこに行っても居る、遥か上空にも当然のように居る、青いひとだ。
眠りが浅かったようで、びくっとした。
本来であれば魔物に睡眠は必要ない。
しかし、やろうと思えば惰眠をむさぼることもできる。食後のお昼寝を満喫することさえ可能とする――
それが魔物だ。
ぐにぐにと寝返りを打つ庭園のひとに、ふと大きな影が差した。
人間とは比べ物にならないほど鋭敏な感覚を持つ魔物たちは、他者の気配に敏感だ。
はっと目を覚ました庭園のひとが、二度寝を敢行する。
ばっさばっさと巨鳥が空を舞っている。
空のひと、あるいはメノッドヒュペスとか呼ばれることもある魔鳥だ。
見ていて悲しくなるくらい、ひよことよく似ている。
首周りのたてがみが、魔物としての矜持を保つ精いっぱいの抵抗であるかのようであり……
また、失敗したシャンプーハットのようにも見えた……。
ついと滑空してきた空のひとが、忙しなく両翼を動かして空中庭園に軟着陸する。
あえなく吹き飛ばされた庭園のひとが、ころころと地面を転がった。
はっと目を覚まし、巨体を仰ぐ。
庭園のひとは言った。
庭園「お前がここに来ることはわかっていた……」
ひよこ「ふっ、さすがだな。お前の目は欺けんか……」
お互い不備を指摘することはない。これが魔物たちの理想とされるご近所付き合いだった。
翼を畳んだ空のひとが、のしのしと庭園のひとに歩み寄る。
ささっと素早く左右に視線を走らせて、目撃者が居ないことを確認してから、羽毛にうずめた片翼をそっと差し出した。
翼の先端には、得体の知れない青い液体で満たされた酒瓶が。
庭園「“ポーション”……」
ひよこ「しっ。……ここじゃまずい。火のひとは?」
手渡された「お土産」を、庭園のひとは懐に仕舞った。ごく手馴れた、日常に埋没するようなそれとなさを装った挙動である。
距離や時間といった要素を、魔法は独特の捉え方をする。
一例を挙げるとすれば、「感染」という魔法が分かりやすいだろう。
魔法は、より近しいものに対して強く干渉し合う。
それが魔法の「距離」であり、時空間の事象において近いこと、遠いことはあまり大きな意味を持たない。
それゆえに魔物たちの秘め事は、目撃者の有無に関わらず小細工を交えることになるのだ。
出る杭は打たれる。本当に大切なのは、それでも抗おうとする意思だった。
二人は、得体の知れない青い液体について口を閉ざした。
そうすることが、彼らの「幸せ」に通じる唯一の道であると信じていたからだ。
庭園のひとは言った。
庭園「火のひとか。最近はたまに外に出ることもあるけど……今日は駄目みたいだ」
火のひと、というのは、王種と呼ばれる最上位の魔物の一人。
不死鳥のニレゴル。空中回廊でひっそりと暮らしている。
人間たちが大挙して回廊に押し寄せた時代、サービス精神を使い果たしてしまい、現在は隠者のような生活を送っていた。
見た目に反して、燃え尽きてしまった不死鳥。それが火のひとだ。
しかし近頃では心境に変化があったらしく、たまに散歩に出掛ける姿を目にする。
庭園のひとは思った。
これはチャンスかもしれない。
具体的な入手経路を明かすことはできないが、ふとした偶然から懐に転がり込んできた、この秘薬。
ポーションとも呼ばれるこのクスリには、使用者の精神を高揚し、前後不覚に陥らせるという効能がある。
ここ最近の火のひとは心に余裕がある。
外に連れ出してしまえばこっちのものだという思惑が庭園のひとにはあった。
回廊の入り口に半身を滑り込ませて声を張り上げる。
庭園「赤いの~赤いの~!」
その声は、深い闇に吸い込まれる。
返事はない。
庭園のひとは舌打ちして言った。
庭園「こちらから乗り込むしかないか……」
空のひとが肯いた。
ひよこ「ならば、おれも同行しよう」
二人は頷き合った。
永遠に等しい寿命を持つがゆえに、魔物たちは暇つぶしに熱心だ。
空中回廊の内部に住みつく強力な魔物たちは、とくにこれといった理由もなく同胞に襲い掛かる。
激しい戦いになるだろう。
庭園のひとを頭に乗せた魔ひよこが、のしのしと回廊に踏み入る。
目の前にひろがる闇を、庭園のひとは厳しく見据えた。
決意の眼差しをあざ笑うかのように闇が蠢く。
立ちふさがるは、色とりどりの魔物たち……。
ぐっと上体を沈めた魔鳥ヒュペスが咆哮を放った。突進する。
ひよこ「ケェェェエエエ!」
彼らの戦いははじまったばかりだ。
~fin~
『決意』
きん、こん、かん、こん。
遊びの時間はおしまいだとばかりに鐘の音が響き渡った。
予鈴を告げる鐘の音は日によって違う。
当番制で、鐘を打つ圧縮弾の習熟度が人によって異なるからだった。
本日の澄みきった鐘の音は、聞くものが聞けば
(ただものではない……)
となる。
ただし、後ろ暗い過去を持たない新米教師にとってはどうでもいいことだった。
そういえば今日はあの女性が係だったなと思い出す、その程度である。
彼女の関心事は別にあった。
教室に入ると、無意識の内に走った視線が、さっと最前列をかすめる。
そこには、もはや当然のように置かれた大きなぬいぐるみがある。
空蝉の術だ。
初日はまんまと騙されてしまったが――妙に大人しいと思ったのだ……。
あれは無口な生徒ではない。ぬいぐるみだ。そう自分に言い聞かせる。
教壇に立ち、生徒の顔をぐるりと見渡す。
なんとなく目を逸らす子もいれば、目が合ってはにかむ子もいる。
生徒の個性は人それぞれだ。「大人」の視線にいっさい動じない生徒は、むしろ少数派だった。
じっと目を離さないのは、じつのところ世慣れしていない証拠かもしれない。
見られていることに対する意識が薄いのか。
まっすぐ視線をぶつけてくるものだから、こちらがひるんでしまう。
絡み合った視線を笑顔でほぐし、一巡した目線が最前列に戻る。
アイ先生は言った。
先生「バウマフくんは、今日も欠席ですか……」
悲しいことだった。
初日はまんまと騙され、二日目は何故か古巣に匿われていた。そして三日目。
校内きっての問題児と噂され、更生してみせると意気込んで来たら、当然のように居ないという、この事態に――
??「先生、おれはここですよ」
ぞるっ、と闇からバウマフくんが這い出でた。
先生「ぅ、おっ」
とうとつな出現に、アイ先生はとっさに悲鳴をねじ伏せた自分を誉めてあげたくなった。
――迷彩だ。
魔法で可視光線を操作すれば、周囲の風景に溶け込むことはそう難しくない。ただし、それはあくまでも卒業生レベルの話だ。
いや、光魔法ではなく闇魔法で、となれば、あるいは卒業生でも難しいかもしれない。
才能がある。いとも容易く不法投棄される無駄な才能だ――
破棄された迷彩、闇の衣を脱ぎ捨てたバウマフくん――ここでは仮に子狸としよう……。まがまがしくも登場した子狸さんに、クラスメイトの一人が呟いた。
勇者「ついに姿を現したわね……」
勇者さんだ。
子狸さんを闇の御子とするならば、彼女は光の使徒だ。
ゆっくりと席を立つと、甲高い音と共に駆け上がった精霊の輪が波形となって少女を彩る。これは聖剣を起動する前兆だ。
しかし子狸さんは動じない。憐れむように言った。
子狸「その力。なにを犠牲とした……?」
何かを得ようとしたなら、何かを失う。人を超える力を手にしたならば、その対価は個人で賄える範囲を逸脱してしかるべきだった。
勇者「知ったふうな口を……」
少女の耳が緊張に張りつめる。
彼女は勇者だ。勇者とは精霊の宝剣を扱える時代唯一の存在。とくべつな存在であったから、彼女の特殊な趣味に周囲の人間たちは見て見ぬふりをする。
明らかに作り物と分かる猫耳を装着していたとしても、それは彼女の美点を損なうものではなかった。見慣れた、と言い換えることもできるだろう。
なんとなく一騎打ちをはじめようとしている二人に、アイ先生は慌てた。
この二人は気心が知れているようなのに、何故か頻繁に対立するのだ。それも、あとで事情を尋ねてみると恐ろしく下らない理由であることが多い。
まるで勇者と魔王の……うっ、頭が……。
意識に朦朧と霞が掛かったかのようだ。
アイ先生は思った。
あの子の正体は魔王だ。しかし、だから何だと言うのだろう。自分の教え子の一人であることには変わりない。
バウマフ家の人間の正体が、じつは魔物たちの長であることは一般常識だった。
それは、雨が降れば傘を差すのと同じくらい、当然のことである。
当然のことであるから、驚くほどのことではない。その程度の認識だった。
妙にすっきりとした心持ちで、アイ先生は二人の間に割って入る。
勇者と魔王だ。相容れないこともあるだろう。それよりも、もっと大事なことだ。
腰に手を当てて、いかにも怒っていますと言わんばかりに人差し指を突きつけた。
先生「バウマフくん! どうして姿を隠していたのですか? 先生をばかにしているの!?」
勇者さんは何事もなかったかのように着席していた。
彼女の動向を油断なく見送った子狸が、アイ先生に視線を移す。
子狸さんは言った。
子狸「おれなりに考えてみたんですよ。おれがこのクラスに配属された理由をね。……先生はどうしてだと思いますか?」
先生「そ、それは……」
アイ先生は言いよどんだ。留年というネガティブな言葉を子供たちの前で使いたくなかったからだ。
だから彼女の言いぶんを代弁したのは、黒板をまっすぐ見つめる勇者に他ならなかった。
勇者「出席日数が足りなかったからでしょ」
子狸「お嬢」
勇者「なに」
子狸「それは表向きの理由に過ぎないのサ」
先生「え……」
アイ先生は驚く。子狸の口調は絶対の自信に満ちあふれていた。ほんの少しでも自分の言葉を疑っていたらこうはならないだろうと思わせる声だ。
何か決定的な証拠を握ったとしか思えなかった。本当に何かあるのか……? そう思った。子狸さんの留年に隠された、表向きではない、理由が。
しかしそうではないのだと勇者さんは知っていた。
勇者「……出席日数が足りなかったからでしょ」
彼女は注意深く繰り返した。
子狸に絶対の自信を植え付けたのは魔物たちだ。
現在、彼らの多くは誉めて伸ばすことを主眼に置いている。好意的な解釈を多用し――つまり都合の悪い出来事をなかったことにするのだ。
子狸さんは良くも悪くも素直で、しかも魔物たちとよく似た思考回路を形成しているから、結果的に同じ結論に落ち着くことが多い。
しかし子狸は勇者さんの発言を無視した。
出席日数が足りなかったから留年した、ではこの事件は終わらない。もっと別の視点が必要なのだ。
子狸「……先生」
ずい、と後ろ足を推し進める子狸に、アイ先生は気圧されるものを感じた。
――得体の知れない生徒だ。
とにかく判断が早い。即断即決。迷わない。実戦を知る動きだ。
しかしそうとは判別できない、善良な市民の一人として生きてきたから、子狸の人生を彩る主旋律に追いつけない。
テンポが違うのだ。
子狸さんは言った。
子狸「おれは、このクラスの学級委員長に立候補しようと思う――」
先生「ひっ……!」
大胆不敵な発言にアイ先生は仰け反った。
彼女がもっとも恐れる事態――
ひたひた
学級崩壊の足音が
ひたひたと
忍び寄る破滅の序曲が
亡霊「……ん?」
聴こえた気がした――
~fin~