どうしよう…
パックリと開いた封筒の中に私は指を入れて便箋を取り出した。
私はまたベッドに腰をかけて、恐る恐る便箋を開いて文章を読み出した。
《…………………》
(S…Sって誰かな…登校の時に私達を追い抜く生徒…明後日って…金曜日よね…えっ!…えっ!…どうしよう…)
私の頭の中で何日分かの登校する様子がフィードバックしていきますが、このニュータウンには同じ学校の生徒が沢山いるし特定なんて出来るわけがなかった。
唯一の手掛かりは同じ学年で一度もクラスメートになっていない事だけだった。
(えっ~…誰なの?…)
恋愛免疫ゼロの私にとってクラスメートの男子の顔すらあやふやなのに、ましてや他のクラスの男子なんて見当もつくわけなく、更に私の頭はミステリーになっていった。
(同じクラスになった事も話した事もないのに、どうして私なんかを……)
どちらかと言うと、人から自分のどこが好き?と質問されても答える事も出来ない私…たぶん自分の事は嫌いと言ってしまうだろう…そんな自分のどこがいいのか逆に手紙の差出人に聞いてみたい気持ちもあった。
初めてのラブレター、まだまだ不安が残るけど私は何度も手紙を読み返していた、どこか自分の中でいつまでも小学生の頃と変わりなく成長していたように思える部分と、異性から好意を持たれる女性として成長した部分がある事に朧気ながら気が付いていった。
手紙を読み終えた私は封筒を引き出しの奥にしまい、カレンダーを見つめていた、金曜日の夕方に手紙の差出人はあの公園で待っている、行くべきか…それとも今の自分のままでいるのか…なかなか答えが見つからない。
♪カッチ、カッチ、カッチ、カッチ…
壁かけ時計だけがいつもと同じように時を刻んでいた。
私は3回ほど深呼吸をしてから部屋を出た。
お母さんが夕飯をテーブルに置き始めていた、私はさり気なくお母さんの手伝いを始めた。
『どう?少しはましになった?』
お母さんはお皿を持ちながら私に軽く聞いてきた。
『少し寝たらましになったよ、私‥先にお風呂済ましてくるね‥』
なるべくお母さんと話しを長引かさないようにして、そそくさと部屋に戻り着替えの衣類を取ると私はお風呂場に逃げた。
入浴前に私は洗面台の鏡に映る自分の姿を眺めていた。
(私に魅力があるなんて解らない‥ブスとは思わないけど、可愛くは無いよ‥他にもっと可愛い子が沢山いるのに‥)
何も接点がなく相手の性格や話し声もまともに知らない人の事を好きになるなんて、本当にあり得るのかが私には疑問があった。
下駄箱の手紙を見つけてからまだ数時間しか経過していないのに、私にとっては数日間ずっと悩んでいたような、そんな不思議な感覚が心に押し寄せていた。
湯船に浸かりながら私はまだ知らない差出人の事を考えていた、何気なく高校生活をしていた私の知らないところで、いつも私の事を想っていてくれた人が居た。
(いつ私の事を想ってくれてるのかな‥授業中‥食事中‥寝るときかな‥それとも今この時間も‥)
別に長湯しているわけではないのに、私の顔が熱く火照り額から汗が流れていた。
(男の子と2人っきりで会う‥変なヤツだったらどうしよう‥やっぱり行かないほうがいいかな‥でも、私の事を想って手紙も書いてくれたし‥)
まるでシーソーのように、行くべきか止めるべきかの思案が交互に私の頭の中に現れては消えていった。
お風呂場を出るとお母さんが私に声をかけた。
『ご飯出来てるわよ、食べるでしょ?』
『うん‥髪を乾かしてから食べる‥』
私はドライヤーを持ち洗面台の前に立った、ドライヤーから吹き出る暖かい風が私の髪を揺らす、鏡に映る私は何かの視線を意識するかのように、普段よりも丁寧にドライヤーを当てていた、髪をかきあげる鏡の中の私が一瞬大人っぽく見えた。
(そっか‥私18なんだ‥)
親ならともかく自分の成長を日々理解している人間なんて、そういるわけじゃない、特に自分自身についてとなると尚更いい加減なものだ。
女の子として最低限の身だしなみはしてきたつもりだけど、他人や異性の視線まで意識して自分を作った事はなかったし考えもしなかった、ずっと小学生からの延長線のような感覚で私は毎日の生活を過ごしていた。
(大人‥か‥‥)
まだその言葉にピンと来ない私は髪を束ねながら洗面台を離れた。
食卓に付いた私は急須のお茶を湯呑みに注ぎゆっくりと喉を潤した、目の前にはお母さんの得意な鯖の味噌煮と菜の花のお浸し、ポテトサラダが彩っていた。
お味噌汁を入れたお椀を2つテーブルに置き、私の前にお母さんが座った。
『今日もお父さん残業だから先に食べましょ~』
私はお味噌汁に口を付けてから鯖の味噌煮に箸を入れた、かなり時間をかけて煮込んでいたのか簡単に骨まで取れて食べやすい、お母さんの得意料理だとよく解る。
『お母さん、この鯖食べやすいよ~骨も簡単に取れるねっ』
『圧力鍋でじっくりと煮込んだからね~』
お母さんは鯖を箸でほぐしながら答えてくれる。
『お母さん、私って成長してるかな~?』
『えっ!?…そりゃ高校三年生なんだから成長してるわよ~…』
突拍子もない私からの質問にお母さんはほとんど思い付きのように答えた。
『うぅん…そうじゃなくて…なんて言うか…人間的と言うか~…』
私自身、お母さんにどう説明するか悩んでいた、たぶん私の心の期待としては《女らしくなったわね》と言って欲しかったのだと思うけど、なかなかお母さんにその言葉を引き出させる言葉が見つからなかった。
『変な子ね~…今日はどうしたの?‥何かあったの?‥』
『別に何も無いけど、ただ‥何となく‥ほら、4月から私も大学生でしょ?‥今まで大学生の人って凄く大人に見えていたから‥』
私から出た言葉は嘘ではなかった、小、中学生の頃に教育実習で来ていた大学生の人はとても大人に見えていた、その大学生に私は4月からなるのだ、しかし今だに自分の視線からは大学生の雰囲気なんてこれっぽっちも持ち合わせていないと思っていた。
『あなたも新しい環境で色々経験していけば、気が付かないうちにちゃんと大学生に見えてくるわよ‥さっ、早く食べちゃいなさい‥』
『うん……』
その色々な経験の一つが明後日には起ころうとしているのだけど、やはりと言うか悪い意味での期待通りと言うか、お母さんの言葉の中には今の私の気持ちを和らげる薬はなかった。
食事を済まして私は部屋に戻った、明日の朝の事を考えると今日は好きなドラマも観る気がしない。
(明日は登校する時に誰が通り過ぎるか注意しておこう)
期待と不安の中、静かに夜が更けていった。