第三話 『言葉使い』の罠、堕ちた鴉たち
翌日の朝、嘘月は生徒会室にいた。帝人に呼び出されたからだ。帝人はまだ来てない。嘘月は美咲華と護と、歪のスカートの絶妙の長さについて語り合っていた。その時、扉が開く音がした。
「てめえら、遅くなって悪かったな」
帝人は一人の少女を連れて入ってきた。その少女は冷たい目をしていて、黄金色の髪は腰まであった。
「みなさん、これからよろしくお願いします。精一杯みなさんの手伝いをさせていただきます」
少女は頭を下げ、丁寧に言った。
「こいつの名前を決めようと思うんだが。何かいいのねえか」
「プロトタイプでは駄目なのですか?」
「呼びにくいから駄目だ。あと長いし」
「そうですか」
嘘月はそう言って、考えることにした。名前、名前ね。黄金色だから黄金とか。安易過ぎるかもしれませんね。ふーむ。
「人造というのはどうだ?」
護は自信ありげに提案した。人造? ダサいダサすぎる。女の子につける名前じゃないでしょう。嘘月は呆れ気味に首を振った。
「護、センスなさすぎますわ」
「ダサすぎるぞ」
「そうか。いい名前だと思ったんだが」
護は拗ねたように言った。
「こういうのはどうでしょうか?」
そう言ったのはプロトタイプの少女だった。
「何だ? 言って見ろ」
帝人は促した。
「では、アンドロイ子という名前を提案します」
プロトタイプの少女、もといアンドロイ子はどや顔をした。なぜか誇らしげな顔をしていた。反応を窺うように、チラチラとこっちを見ている。何か言った方がいいんだろうか? 嘘月は迷った。
「美咲華、どう思います?」
「ついていけませんわ」
「同感です。というかあんな感じでしたっけ? もっと冷たかったような気がするんですが」
「わたくしもそう思いますわ」
「それはな。機器が自動停止プログラムを仕込んだ時に、感情のバリエーションを増やしたんだ」
帝人はそう言った。
「バリエーションねぇ。あのネーミングセンスもその一種ですか?」
「それは知らないが」
「あのーみなさん」
いつまにか近くにアンドロイ子がいた。
「何ですか?」
「私の名前はアンドロイ子で決定で、よろしいでしょうか?」
「えっ、うーんどうします? 帝人」
「この俺に聞くなよ」
「みなさん、駄目……ですか?」
シュンッとした様子で、悲しそうにうつむいた。罪悪感が嘘月の胸をよぎった。
「だ、駄目じゃありませんよ。素敵な名前じゃないですか。ねぇ、帝人、美咲華、護」
「あぁ、そうだな。いい名前だ。てめえの名はアンドロイ子で決定だ」
「えぇ、そうね。とてもいい名前だと思うわ」
「素晴らしい名前だ」
アンドロイ子はパァッと顔を輝かせ、嬉しそうに笑った。嘘月は思った。……こいつ超可愛い。本当にアンドロイドなのか。オレには人間にしか見えませんが。
まぁ、もっともアンドロイドというのは外見や思考、行動が人間同様のロボットのことですし、当然といえば当然なんですが。しかしここまで精巧なものを作るには、相当な技術力が必要のはず。機器改械とはどういった人何でしょうか。気になりますね。
「なんて可愛い子なのかしら。気に入ったわ」
「美咲華も可愛いと思ったんですね」
「えぇ、そうですわね」
「本当に可愛いですよね。華やかになりそうです」
嘘月はアンドロイ子を見つめた。美咲華も同様に見つめていた。その視線に気づいたのか、アンドロイ子は首を傾げ疑問を述べた。
「何でしょうか?」
「いえ、可愛いなぁと思ってただけですよ」
「そうですか」
アンドロイ子は照れたように顔を背けた。嘘月はその姿にキュンッときた。その状態のまま、ふと思い出したようにアンドロイ子は、嘘月たちに質問をした。
「あのー、私はみなさんのことなんてお呼びしたらいいんでしょう?」
「なんでもいいですが。しいて言えばお兄ちゃんと呼んでほしいですね」
嘘月はアンドロイ子に向かってほほ笑んだ。会心の笑みだ。アンドロイ子は可愛らしい笑みを浮かべ、
「お兄ちゃん」
と呼んだ。
「……もう一度、呼んでくれません?」
「はい……お兄ちゃん」
可愛すぎてつい嘘月は、アンドロイ子の頭を撫でていた。アンドロイ子は驚いたように、嘘月を見ている。
「お兄ちゃん、どうしたんですか?」
アンドロイ子は不思議そうに首を傾げた。
「可愛くて、つい撫でていました。すみません」
「いえ、謝らなくて結構です。嫌という訳では……ありませんから」
アンドロイ子は恥ずかしそうにうつむいた。キュンッとなる仕草ですね。嘘月はほのかに微笑んだ。
「虚無、独り占めはずるいですわ」
美咲華は頬を膨らませ、拗ねていた。……ふむ、これはこれでいいですね。嘘月はそう思った。
「わたくしだってアンドロイ子とお喋りしたいですわ」
そう言って美咲華は嘘月を睨みつけた。
「そうですか。なら交代しましょう」
嘘月がそう言うと美咲華は嬉しそうに頷き、アンドロイ子に話しかけた。
「えっと、アンドロイ子ちゃんって呼んでいいかしら?」
「はい、いいですよ」
「よかったわ」
「私はなんて呼べばいいんでしょうか?」
「そうね。美咲華って呼んでほしいわ」
「分かりました、美咲華」
「ふふ、嬉しいわ」
「? 何がですか」
「アンドロイ子ちゃんみたいな可愛い子と、友達になれるのが嬉しいのですわ」
美咲華はまるで女神のようなやさしい表情で、笑っていた。不覚にも嘘月たちは見惚れてしまった。アンドロイ子は虚を衝かれたような表情をしていた。
「友達……ですか」
「いや……だった?」
「いえ、そうではありません。ただ驚いただけです」
「そう、それじゃわたくしたちは友達ということでいいかしら?」
「はい」
アンドロイ子は嬉しそうに友達、友達と繰り返していた。
「オレも友達に立候補したいんだが」
護は手を挙げ、口を挟んだ。
「はい、いいですよ」
「そうか」
護は満足げな様子だった。
「俺のことは護と呼んでくれ」
「はい、分かりました」
帝人も手を挙げた。
「この俺はてめえの恋人に立候補したいんだが?」
ん? 恋人……恋人! 嘘月は帝人の言葉に驚いた。
「はい、いいで……今なんて言いました?」
「恋人に立候補したいって言ったんだ」
「こ、恋人! えっあっへっ、えっええとあのーその」
アンドロイ子は顔を赤らめて、パニクっていた。目をキョロキョロさせ、手をあたふたとふり、口をパクパクさせている様子は可愛らしかった。
「可愛いなー」
帝人はアンドロイ子に顔を近づけ、妖艶な笑みを浮かべた。
「か、可愛い。そ、そんなことないです」
「そんなことないことねえよ。アンドロイ子、てめえは可愛いよ。なんせこの俺が惚れるくらいだからな」
アンドロイ子はカァァッという感じで頬を染め、小さな声で呟いた。
「……バカ」
何あれ? なんか二人だけの世界に入ってません? 完全にオレは蚊帳の外ですね。と嘘月は嘆息した。
「美咲華、護どうします?」
「わたくしに聞かれても困りますわ」
「右に同じ」
「そうですか。……そろそろ戻りますか」
「そうね。そうしましょう」
「じゃあ、行くか」
嘘月たちは一言声をかけ、その場を後にした。
放課後、織姫は歪と二人で、部室に向かって歩いていた。そんな中、歪は唐突に、
「ねぇ~、織姫~。嘘月とはどんな関係なの~?」
と興味があるのかないのか、分からない感じで織姫に聞いた。織姫はどう答えたものか迷った。織姫にも分からないからだ。分からないものは答えようがない。まぁ、嘘月なら友達以上恋人未満などと嘯くような気がするが。私と嘘月は友達ではないし、ましてや恋人なんかでもない。なら何なのだろうか?
嘘月はなぜ私に付きまとうのだろう。依頼するためと言ったが本心じゃないはずだ――私を……好きだと言ったのも。なぜか少しだけ、織姫は胸に痛みが過ぎった気がした。……嘘月に会いたい――織姫はどうしてかそう思った。視線を感じた織姫が横を見ると、歪が見つめていた。どうやら返事を待っているようだ。
「ん? そうだね。私には分からない。私と嘘月は出会って一週間足らずだから、言葉で表せるほどの関係に至ってないだけかもしれないけどね」
「へぇ~、そうなの~」
「うん、悲しいことにね」
「悲しい~? それじゃあ~、織姫は~、嘘月とどんな関係になりたいの~?」
「どんな関係か。……そうだね。言葉で言い表せない関係に、なりたいかな」
「それって~、言葉で表せるほどの関係じゃ無いことと何が違うの~?」
「大いに違うよ。まず言葉で表せるほどの関係というのは家族だったり恋人だったり友達だったり夫婦だったり兄弟、姉妹だったりあるいは仲間、敵、ライバル、その他などのことを言う。悲しいかな、私と嘘月はそのどれでもない。関係を表す言葉が当てはまらない。一方、言葉で言い表せない関係というのは、その延長線上にあると私は思っている。言葉を当てはめるのがおこがましいほどに、とても強い絆で結ばれた心の奥深くでつながる、関係を超えた関係……それが言葉で言い表せない関係だ。私は嘘月とそんな関係に慣れたらいいと思っている」
歪はなぜかその言葉を聞き、ニヤニヤしていた。
「だってさ~、嘘月~、よかったね~」
歪は背後に向かってなぜかそう呼びかけた。
「気づいてたんですか?」
声が聞こえ織姫はすぐに振り返った。不敵な表情をした嘘月がそこにいた。……まさか聞かれてた? そのことに気づいた織姫の顔は赤く染まった。嘘月は楽しくて仕方がないそんな表情をし、口を開いた。
「ククッまさか、織姫さんがオレと親密な関係になりたいなんて、思いもしなかった。案外オレのこと好きだったりします?」
嘘月はそう言って手を伸ばし、織姫の髪を撫でた。あまりにも自然だったので、織姫は反応が少し遅れてしまった。
「織姫さんどうなんですか?」
嘘月は織姫の髪から手を離し聞いた。織姫は質問に答えず、嘘月を力の限り睨みつけ言った。
「……許可なく人の髪を触らないでくれるかな」
嘘月は平然とした態度で、すみませんねぇと言って肩をすくめた。織姫はその動作に腹が立ち、右足を引き拳を握り締め殴りかかった。
「おっと、危ないですね」
嘘月はあっさりと、織姫の拳を左手で受け止めた。
「止めるなんて酷いな。ここは男らしく潔く殴られるべきだよ」
「いやです。痛いのは大地さんの拳でこりごりですしね。それにたかだか髪を撫でたぐらいで殴りかかるなんて、大げさ過ぎませんか?」
「そんなことは無いよ。髪は女の命ってよく言うだろ。それをただで触ろうなんて、虫が良すぎるとは思わないか? 嘘月」
「虫が良いってことは、名前の最後に氏をつければ、問題ないってことですね」
「? どういうことだい」
「それはですね。オレの名前の最後に、氏をつければ虚無氏になります。虚無氏、虚無氏、虚虫……ね?」
「……」
織姫と歪は無言で踵を返した。
「あれ? どうしたんですか? 織姫さん歪さん。どこに行くんです? 待って下さい、聞いてます? ねぇ、ちょっと」
織姫と歪は聴こえないふりをして足早に立ち去った。