白の証明 3
男はブツブツと呟きながらパソコンに向かって何かを入力していた。微かに「消去…」という言葉を呟いているのだけは聞こえた。
俺は意味がわからなかった。それもそうだ。なんたって車が行き来する地下の駐車場でノートパソコンならともかく、こんな馬鹿でかいモニターをしかも地面に置いていじってるんだ?というか、こいつは誰だ?こんなところで何をしているんだ?
「お、おい…」
と俺は声をかけてみた。男は聞こえてないのか視線をモニターから離さない。仕方ないので俺はもう一度そいつに声をかけてみる。
「おいって!」
男のパソコンを打つ手が止まる。どうやら俺の声に気付いたらしい。少しした後、男はすっと立ち上がりこちらに振り返った。
「・・・」
男は小柄でおそらく160cm前半だと思われる。年齢は俺と同じぐらい、ロングのUネックのシャツと少しタイトなジーンズ、初期のビートルズみたいなマッシュルームヘアに丸めがね、度が強いのか薄暗いここでは瞳が見えづらかった。そして、何より驚くのはその華奢さと色白さだった。太陽の光を浴びたことがないのかと思うぐらいの不健康男子だった。
「・・・」
男は黙り続けていた。話しかけたくせに、俺もなかなか最初の言葉が見つからない。明らかに男は不機嫌そうに見えたからだ。それでも覚悟を決め、俺は言葉を発した。
「あ、あのさ・・・」
チーン♪
え?この音はエレベーターがこの階へ到着した音だ。まずい、誰かここに来る…。せいぜい、俺は立ち入り区域に入ったというお咎め程度で済むだろうが、ここにパソコンを持ち込んで得体の知れないことしている目の前の不健康男子はそれだけでは済むまい。
「お、おい、はやくパソコンを隠さないと」
「・・・」
不健康男子は相変わらず返事をしない。それどころか俺の背後にあるエレベーターの方を見つめているようだ。
「ど、どうなっても知らないからな!」
俺はそう言うと、言い訳を考えながら後ろを振り返った。俺は関係ないんです。興味本心でここに来てしまったんです。ホント、サーセn
「おまえ…誰や?」
俺の目の前にはまた別の男が立っていた。今度は中肉中背の男でやはり歳はあまり俺と変わらなそうだった。まだ春先だっていうのに緑色のアロハシャツに七部のズボンを履いている。髪型はテクノカットというのだろうか、眺めの前髪にモミアゲと襟足を刈り上げた髪型だった。というか、こいつはエレベーターが開いてから瞬間移動でもしたように俺の後ろに立っていた!!何この人、サイア人さんですか!?
「聞こえへんかったのか?お前、誰や?」
アロハは流暢な関西弁で疑い深く聞いてくる。どうやら関西出身らしい。
「い、いや、俺はたまたまここに興味本位で来ただけなんだ。そしたらここにこいつがいて…」
俺は背後の不健康男子の方へ振り返った。が、奴は再びモニターの前に座り込んでまた何かをタイプしている。もうなんなんだよ。再びアロハの方へ振り返る。
「・・・」
アロハは腕を組んで俯いていた。不健康男子とアロハは仲間なのだろうか…そう思った瞬間、アロハはいきなり、カッ、と目を見開き、俺の両肩を掴んで言った。
「そうか、そうかー。疑って悪かったァ。こんなところにお客さんなんて珍しいもんでなァ。いやァ、疑って悪かったわァ。」
アロハはそう言うと、アハハ、と笑いながら俺の方をボンボンと叩いた。先ほどまでとはうって違って高めの声だった。ちょっと痛いぞ、この野郎。俺はアロハのスキンシップ?に耐えながら、背後の不健康男子の方に目を配りながら、言った。
「おまえ、こいつと知り合いなのか?」
アロハはニコニコしながら
「そうや、でなきゃこんなところに人が集まるわけあらへんがな」
と言ってまたアハハと笑った。どうやら、悪い奴ではなさそうだ。
「ワイは桟切って言うんや、よろしくな。そんで、そいつは電卓。ちょっと気難しい奴や けど、パソコンにはめっさ強いんやで。困ったことがあったら電卓に聞くとええ」
俺も桟切と電卓に自己紹介をした。そういや、大学生活でこんなふうに自分の名前を言うなんて初めてだったかも知れない。というか、俺がこのキャンパスで人と喋ったのはいつぶりだろうか、泣。
桟切はすぐに「おう、よしなにや」と返事をしてくれた。しかし、電卓は相変わらず無関心にモニターに向かって何かを打ち込んでいる。
「おたく、何年なん?」
「俺は3年だけど…」
「なんや、ワイらと同学年やないか!」
どうやら、学科は違ってもこいつらとは同じ学年らしい。なんだか安心してしまった。と、同時に俺はどうしても聞かなければならないことがあったのを思い出し、聞いてみることにした。
「なぁ、電卓…だっけ。あいつはあんなところにパソコンを置いて何をしているんだ?」
「気になるかァ?」
桟切はもったいぶったようにニヤつきながらこちらの出方を伺っている。別に、こんなお願いぐらいプライドが崩壊している俺には何の問題もなかった。
「なぁ、教えてくれよ」
桟切は相変わらずニヤつきながら言った。
「仕方ないなァ。そいつは今な、この学校を全部吹っ飛ばすための爆弾を仕掛けているんや」
「えっ…?」
俺は面を食らった。こいつは何を言っているんだ?しかし、妙に信ぴょう性があった。こんな人の目が集まらない場所で明らかに不釣合な高機能そうなパソコンを置いて、作業をしている人間がいる。しかも、電卓という男はたしかに何かしでかしそうな雰囲気を醸し出している。実はもうとっくに爆弾は仕掛けられていて、テロリストのこいつらはそれの起動操作を今ここでしていて…
「アハハ、嘘や。アンはん、そんな真剣に考えたらアカンで。真面目なやっちゃ」
と桟切はまたニヤニヤしている。前言撤回。やっぱ、こいつは性格が悪いかも知れない。取り越し苦労をした俺はため息をついてもう一度言った。
「本当のことを教えてくれよ」
「ホンマはな、電卓はそのパソコンを使ってこの大学のネットワークに侵入して己とワシの授業料から何まで全部、免除にしているんや。すごい奴やでホンマ」
「あぁ、そうなんだ。電卓はパソコンに強いんだな…って、おい!?」
こいつ今、なんて言った?ネットワークに侵入?授業料免除?それって規則違反どころか犯罪じゃないか!?
「お、おい、桟切!?それって犯罪だろ!?さすがに嘘だよな?いくらパソコンに強くたって大学のネットワークに侵入してそんなことが出来るわけが…」
「できるよ」
言い返したのはなんと、電卓だった。電卓はいつの間にか立ち上がって俺を見つめていた。俺と電卓のファーストタッチはこんな感じだった。電卓さん、ちょっと乱暴なパスです。
「た、たとえできたって大学側にバレないわけないじゃないか!悪いことは言わない、はやく元に戻したほうが…」
「あぁー、あぁー。それは大丈夫やで。なぜなら、電卓は1年からずっとやってきているし、一度足りとも失敗したことはないんや。だから、問題ない」
桟切が間に入ってくる。いやいや、そういう問題じゃないっていうの。第一、俺が通報したらこいつら一巻の終わりだぞ。
「問題ないとかそういう問題じゃないだろ!お前らのやっていることは犯罪だぞ!俺は見たからな!だから今すぐそんな馬鹿な事はやめるんだ。そうじゃなきゃ、俺がお前らを通報する、いいな?」
一転して重々しい雰囲気に変わる。桟切はバツの悪そうに頭を掻いている。電卓はうつむいたまま、何かを考えているようだった。すると、電卓はまたモニターの前に座り込んで作業を始めた。ただ、今度はそれまでとは何か違う事をしているように見えた。
「電卓、俺の話を聞いてたか?それ以上続けたら…」
「消去…完了」
電卓は小さく呟いた。何を消去したと言うのだろうか?
「あーあ」
やれやれ、と言った様子で桟切は肩を落とした。そして俺をまるで哀れんでいるように見つめて言った。
「アンさん、電卓を怒らしちゃったようやなァ。残念やけど、アンさんはもう、この大学の生徒やなくなったで。たった今、電卓がアンさんの学生記録を抹消してしもうた。」
・・・は?
「残念だけど、君のデータは抹消させてもらったよ。もう君はここの学生じゃない。だから君の言うことは何もかも無駄だし、ここにいる資格すらない。僕達のやり方に反発しなければこんなことはしなかったのだけどね」
電卓はスラスラと抑揚のない声でそう言った。俺の生徒データが抹消された…?
「な、何を言っているかわからないのだけど…」
桟切はまたしても気の毒そうにこう言った。
「なら、試しにアンさんの学生証と学生データが必要な場所へ行ってみ?百聞は一見にしかず…やな」
俺は地下室の住人の二人と離れ、再び地上に戻ってきた。太陽が照らす屋外へ飛び出したとき、それまでの出来事が全て夢のように思えた。そうだ、俺は悪い夢を見ていたのだ…
俺はおとなしく3限の講義へと向かった。3限の講義の出席の取り方は生徒証をバーコードリーダーで読み込んで確認するというものであった。この方式なら、出席しなくても生徒証さえ出席している人に渡して用を足してもらえば出席していることに鳴るため、出席している生徒の数が安定しない。もちろん、友人のいない俺がその方法をとるのは不可能なため、こうして毎回しっかりと生徒証を持って出席するわけだが。
「・・・」
参った。
何が参ったって何回やっても俺の生徒証がバーコードリーダーに反応しないからだ。『エラーです』とバーコードリーダーには表示される。後ろに列ができるほど試してもバーコードリーダーは反応しない。おかしいよ、こんなの…
仕方ないので一旦、俺は講義を抜けだして本館の図書室へ向かう。図書室へ入室するためにはこちらもまた、生徒証の認証が必要だからだ。きっと、あの教室のバーコードリーダーとの相性が悪かった…それだけの話だ。きっと…
「なんでだよ…」
思わず俺は呻いていた。何度やっても、入室のための扉が開かない。何度やっても、まるでバーコードリーダーは反応しない。ソンナバカナ…
俺は走りだしていた。行き先は学生課だった。きっと、俺の学生証がおかしいんだ。それに、あの桟切と電卓のことを話せばきっとわかってくれるはずだ。どうして俺がこんな目にあわなくちゃいけないんだ。
「調べさせてもらったのだけれど…アナタ、前期末で自主退学なさっているようですけど…その際に学生証は返却させていただくはずなのですがどうしてまだこの大学にいて、学生証をもっているのですか?」
困惑気味に学生課の年配の女性は言った。嘘だ…これは何かの間違いだよな?いや、ドッキリか?そうだ、そろそろ出てきてもおかしくない、あの『ドッキリ成功』とか書かれている看板をもったリポーターが…
しかし、そんなものは出てくるはずがなかった。俺は半ば学生証をひったくるように財布にしまい、学生課から走り去った。行くところは決まっている。桟切と電卓がいるあの地下室だ!殴ってでも警察に突き出しても俺は何とかしなくちゃいけない。こんな形で大学を中退なんてバカげてる!
俺は第3号舎まで陸上選手顔負けのダッシュを見せ、エレベーターのボタンを押した。3階から降りてくるエレベーターが馬鹿に長く感じた。
チーン♪
扉が開くと同時に俺は乗り込み、扉を閉めた。そして、二人がいる地下室へエレベーターのボタンを…
「あれ…?」
俺は得体のしれない恐怖と吐き気を覚えた。
『B1』と表示されたボタンは存在しなかった。
その後、エレベーターから出て、俺は目眩を感じつつも裏門へ歩いた。
そこには学校の地下へ続く道路も、駐車場も存在しなかった。
学生手帳の学内地図もそんな場所は存在していないと証明していた。
桟切と電卓がいた地下駐車場は完全に消失していたのだ。
俺はひっそりと創始者の銅像の裏で嘔吐をした。
(続く)