第4話
放課後、あたしはパパの店へと急いだ。
今日一日クラスメイトだけじゃなく、学校全体に見られていたような気がしたが、それは必ずしも大袈裟ではなかったはずだ。
昨日の修羅場がもうすでに本来の姿を留めることなく広がっているのだ。移動教室で廊下を歩けば、好奇に満ちた視線やあたしを卑下する視線、僅かに同情する視線を感じていた。
そんな視線に慣れきってしまっているあたしには、別段気になる類のものではないのだ。
当然だが、あたしは原田君とは他人のフリをした。
何故かあたしに近付こうとする態度が見られたが、あたしから自然を装って避けていた。
「今井さん。もう帰るの?」
放課後、あたしが教室を出ようとすると突然声をかけられた。
「うん。もう帰るよぉ」
あたしには友達はいない。
悪い噂ばかりが先行しているのだから、あたしに近付こうとする物好きはいないのは当然と言えば当然だ。
目の前でもじもじと俯いている少女は、確かクラスメイトだったはずだ。名前すら覚えていない。今まで一度も話したことはないと記憶している。それが何故突然話し掛けてきたのか。
あたしを気の毒に思って、同情しての行動か。それとも何らかの罰ゲームでも課されたか。
「? 何かあたしに用かなぁー?」
下を向いたまま続きを話すわけでもなく、その場を立ち去るわけでもなくあたしの前に立ちはだかっている。
彼女があたしの前を塞いでいるので、教室から出られないのだ。
面倒だが前のドアから出るとするか。そう思い直し、さようならを切り出そうとした時だった。
「私、今井さんのお友達になりたいっ」
絶句した。
彼女の声が教室中にこだましたのだ。ホームルームが終わったばかりの教室には、ほとんどのクラスメイトがいた。
「えっとー、あたし急がなきゃならないので、その話はまた今度ぉ。バイバイ」
動揺したあたしは、逃げるようにして教室を出た。
予想外だった。
そう言われたという事実よりも、それがたとえ嘘だと思っていても嬉しかったということが。
「今日は何か良いことでもあったのかい?」
あたしが店に入って行くと、パパは開口一番そう言った。
「そんなことないよ?」
一日の大部分は、噂話をされるばかりだった。
少しだけ嬉しかったのは、名前も覚えていないクラスメイトに友達になりたいと言われたこと。
それが罰ゲームかなにかだってことは分かっているけど、それでも嬉しかった。
きっとあたしはあの時真っ赤な顔をしていただろう。だから、逃げるようにして帰ってきたのだ。
もう、諦めていた。もう、諦めている。
あたしに友達なんて出来ない。まだ幼い頃は、こんなあたしでも友達を作りたいと意気込んでいたけど、あたしを理解してくれる存在には出会えなかった。
あたしに友達を作るのは無理だ。
「そうかい?」
「そうなの」
顔を見合わせて笑った。
パパのお店は、占いの店だけあって暗くしてある。本当はパパは暗い部屋が好きじゃない。開店当初は明るいままで鑑定していたのだが、来店する女性たちから占いは暗い部屋でないと雰囲気が出ないという意見を受け、今の形になったのだ。
店に入るとまず受け付けがあり、占いブースがある。受け付けといっても、テーブルの上に用紙が置いてあり、名前と生年月日を記入して貰うようになっている。用紙に番号が書いてあり、その順番に呼ぶことになる。混雑してくると、記入された用紙は乱雑に置かれ、入り切らない人たちが廊下で待つことになる。
あたしの手伝いは、この待ち合い室での作業になる。
記入された用紙を整理し、順番に案内し、料金を貰う。普段それをパパが一人でやっているので、回りが遅いのだ。
あたしもそれらしい衣裳に着替えて(パパが用意してくれた)、受け付けカウンターの内側に座った。
既に依頼者は数人来ており、待ち合い室のソファに座って雑誌を広げている。
見た感じ深刻な悩みを持っている人はいないように見えた。ほとんどが女子高生で、恐らく99%恋愛関係だと思う。
そんなことを考えていると、パパが仕事を終えたようだ。女の子が笑顔を隠し切れずといった感じで出てきた。パパにどんないいことを言われたのだろう。
「佐藤さん。中へどうぞ」
呼び掛けたあと、記入して貰った用紙をパパに手渡した。すぐに受け付けに戻って支払いを済ませて、笑顔で見送る。
決して難しい作業ではない。
パパのお店は、よる8時まで。それ以上はお腹が減って耐えられないといった理由だ。
しかし8時までと言っても、飛び込みで入って来る人もいるので結局8時はゆうに過ぎてしまう。
今日も最後の依頼者が終わったのは8時半頃だった。
最後の依頼者の見送りを済ますと、ブースからパパが出て来た。
「お疲れ、ひなた。早く帰ってご飯を食べよう。パパはお腹がペコペコで、鑑定中も何度も鳴って困ったよ」
そう言うそばからお腹が盛大に鳴っていた。
顔を合わせてケタケタと笑った。
そんな音を聞いたら、自分も空腹を思い出した。
「早く帰ろう」
衣装から制服へと着替え、パパとともにビルを出たら、そこには意外というか、予想通りというか、オッサンが立っていた。
「オッサン。あたしのこと待ってたの?」
「ああ、一緒に帰ろうと思って、迎えに来たんだよ」
意外だったのは、その隣りに原田君も立っていたからだ。
「原田君はどうして?」
「父さん一人でふらふらさせていたら、また飲み過ぎて倒れちゃうからついて来たんだ」
「それじゃあ、みんなで家に帰ろう。きっとママが二人の分も料理を作ってくれていると思うよ」
パパがそう言って二人の背中を押して、歩き出すよう促した。
あたしもパパが言った通りだと思う。今日も二人が来ることを見越して、二人分多く料理を作ってくれているだろうと思う。ママはそういう人だ。
案の定、四人で帰宅したあたし達に、ママは別段驚いた風でもなく普段通りに出迎えてくれた。
「ご飯出来てるわよ」
と、微笑む。とても包容力のあるママを誇らしく思った。
「お腹すいたよぉ」
本心でこんなに明るい声が出せるのは、家にいるときだけだ。学校にいる時のあたしは、あたしであってあたしじゃない。
家にいる時のあたしが一番あたしらしいあたしなのだ。
ママに手洗いうがいを促され、四人で連れだって洗面所に向かう。済んだ者から食卓につく。その普段はいない二人がいることにより非日常になっているはずなのに、それがまるで日常のことのように沁み込んでいる気がして不思議に思った。二人がずっと昔からこの家で暮らしていたかのような錯覚を感じる。
晩ご飯が始まると普段のパパならビールを一杯程度飲むのだが、今日はママに止められた。
「原田さんは少しお酒の飲み過ぎだから、暫くアルコールの摂取は禁じます。パパは原田さんが飲みたくなるから暫く我慢してね」
パパはさほどお酒を飲む方でもないので、別に何の問題もないようで、オッサンの禁酒に快く協力するようだ。
「ねぇ、パパ。もう、原田さんにここに住んで貰ったらどうかしら? こうして、いつも一緒に帰るならもういっそ暮らして貰えばいいと思うのよ」
唐突にママは言った。
「ああ、そうだね。俺もそれがいいと思うよ。原田さん一人では心配なところもあるしね」
パパとママのこの一言により、あっさりと不思議な同居生活が始まったのだ。
オッサンはそれに勿論異論を唱えるわけはなく、原田君はというと、かなり複雑な表情をしていたが、最終的には頷いた形になった。
あたしは、まあ別にいいかなぁ、と思っている間に本決まりとなったのである。




