第2話
「「え゛っ?」」
お互いに顔を見合わせ、驚きの声を上げる。
「ひなた。どうかしたのかい?」
私とその男が同時に声を上げたため、何かあったのかと二人は飛んで出てきた。
「ううん、違うのパパ。今日、偶然会った人にそっくりだったから驚いただけ。えっと、オッサンのお迎えだよね?」
玄関先で固まったように突っ立っている男に回答を求めるように視線を向けた。
驚きから解放されたのか、漸く頷いた。
「すみません。ひなたさんのクラスメイトで原田康平といいます。父がご迷惑をおかけしました。すぐに連れて帰りますから」
ええっ、クラスメイトっ。
何となく見たことがある男だと思っていたが、同じクラスにいたとは……。
原田君は、あたしを見て驚きのあまり動揺を見せてはいたが、それを立て直すと、そつなく大人ばりの対応を見せた。
「まあ、ひなたのクラスメイトだなんて奇遇ね。さあさ、原田君。外は寒いからとにかく上がって」
ママに促されて原田君はリビングに通され、オッサンがソファで横になっているのを見て大きなため息を吐いた。
言われてみれば、オッサンと原田君はどことなく似ている。オッサンは酔っ払って、顔色も悪く、痩せこけていたが、もう少しふっくらしていれば、凄く似ているだろうと思われた。
「父さん。父さん。起きろよ、帰るぞ」
ソファで爆睡するオッサンを懸命に起こそうとするが、なかなか起きる気配はない。
「原田君。もしあれなら今日はこのまま泊まって貰っていいんだけどね」
パパがそう言うと、原田君は間髪入れずにこう言った。
「いえ、でもそれじゃ迷惑になりますので」
恐らく、あたしみたいな奴の家族に迷惑を掛けたくはない(貸しを作りたくない)と考えているのだろうと思う。
「迷惑なんて、うちは大丈夫よ」
そうママが言った時だった。
オッサンがガバリと起き上がり、キョロキョロと辺りを見回す。その動作はあまりに必死で、あまりにヒステリックだった。
「ああっ、ひかげっ。ひかげっ。夢じゃなかったんだな」
あたしを見つけると、起き上がり抱き付いた。あたしは抵抗する手段もなく、ただ呆然とされるがままになっていた。
「オッサン。残念だけど、あたしはひかげじゃないよ。ごめんねぇ」
かぶりを激しく振り、私の言葉を受け入れようとはしない。
「父さん。違うだろ? その子はひかげじゃないんだ。ひかげは……」
「原田君。あたしは平気だから。オッサン、あたしは消えたりしないから。そんなマジック使えないから、取り敢えず放してくれる?」
そんな言葉だけでは駄目だった。オッサンはどうしてもあたしから離れようとはしない。無理矢理手を放そうとするも、酔っ払いのどこにそんな力が潜んでいるのか、中々手ごわい。
「パパ。仕方ないからあたし今夜はオッサンと寝ることにするよ。あたしももう眠いしさ」
「うーん。パパとしては、年頃の娘とよく知りもしない人を一緒に寝かせるのには、抵抗があるよ。原田さんが決して悪い人じゃないってことは分かっているんだけどね……。だから、客間に布団を敷いてみんなで寝よう。原田さん。娘に何かしたらただじゃすみませんからね?」
あたしにしがみついたまま、こくりと素直に頷くオッサン。どこまで理解しているのかは定かではない。なにせ酔っ払いなのだ。
「原田君も一緒に寝よう。あ、お母さんが心配しているかな?」
「いえ、離婚しているので、父と二人暮しなんです。心配する人間はいませんが、さすがに同級生と寝るのはちょっと……」
「あたしは別にいいよ。別に二人きりで寝るわけでもないからね」
にへらと笑ってみせると、原田君は眉をひそめて顔をしかめた。
原田君の耳にもあたしの話は確実に届いているのだろう。カップルに割り込んで男を奪い、飽きたら捨てる悪女、だっただろうか。色仕掛けで男に近付いて、くったらポイッ、だっただろうか。百戦錬磨の性病持ち、だっただろうか。それとも、風俗勤めの性病持ち、だったか。確かにそこに事実が全くないわけじゃない。あたしは沢山の男を、彼らの表現を借りれば、陥れて来た。だが、色仕掛けで迫ったことはないし、男たちに体を許したことはない。イヤ、色仕掛けとまではいかなくても口説きはしたか。
「じゃあ、父のことが心配なので泊まらせて貰います」
原田君が出した答えは少し意外だった。どんな状況でも断ると思ったからだ。
原田君のあたしへの昼間の視線を思うと、あたしのような女を侮蔑していることが分かるのに。
「それじゃあ私は客間に布団を敷いて来るわね。原田君、お風呂は? 寝間着はパパのジャージでいいかしら」
「お風呂はもう入って来ましたし、寝間着はこのままでも大丈夫です。お気づかいありがとうございます」
原田君は、上はトレーナー下はジーンズを来ていた。
「駄目よ。上はそのままでもいいけど、下は着替えないとごわごわして寝にくいでしょ?」
「はい。じゃあ、下だけお借りします」
ふと、自分の記憶の中に原田君の学校での姿が思い出される。
ああ、そういえばいたわ。原田康平。うちの委員長じゃないか。
原田君のことを常に目にとめているわけではないけれど、彼が友達とふざけたりするのをあまり見たことがない。笑顔の彼を見ることは多々あるけれど、その笑顔が原田君の本心からの笑顔だとは到底思えなかった。しかし、彼はとても人気者だ。皆から信頼されている風に見える。
原田君は、サラリーマンだ。
先生にも友達にも先輩にも愛想を振りまく、サラリーマンだと私は思う。
彼に、心から笑い合える人がいるんだろうかと、大して親しくもないながら心配になってしまった。
「ひなた。もうお布団用意したから、寝てもいいわよ」
「うん。オッサン、あたし歯磨きしたいから先寝てなよ」
「イヤだ。ひかげが消えてしまう。絶対放れたりするものか」
何だか必死にしがみ付いてくるオッサンを見ていたら、愛おしい気分になってしまった。こういうのを母性愛というんだろうか。
あたしの胸に顔を埋めているオッサンの頭をポンポンと二回軽快に叩くと、諭すように言った。
「大丈夫。あたしは絶対にいなくなったりしないから。本当だよ。信じて」
オッサンがあたしを見上げて、それが真意なのか目を覗き込みながら懸命に探っている。
縋りつくようにあたしの目を覗き込む中年のオッサンとそれを支える女子高生、という構図は他人が見たらとても滑稽に見えるだろう。だが、当の本人たちはとても真剣だった。
あたしは、オッサンに真摯に向き合いたいと思ったし、オッサンは必死にあたしの声を聞こうとしていた。それを誰も止めようとはしない。誰も止められなかったのかもしれないが。
「分かった。信じるよ」
そう言って、オッサンは漸くあたしの体を解放した。とても慎重に、とても惜しみながらではあったが。
あたしはママに連れられて行くオッサンの寂しげな背中を眺めていると、あたしの隣りにパパがそっと近づいた。
「あたし、間違っているかな?」
「うーん。間違っているかいないかは、この先のひなたにかかっているかな。同情だけでは人は救えないよ、ひなた。原田さんはとても大きな傷を負っている。その傷には人の命が関わっている。そして、原田さんの傷はそれだけではないんだ。そう簡単に入り込んでいい領域じゃない。それは、ひなたにも分かっているだろう?」
「うん。でも、あたしはもう既に巻き込まれている気がする」
「まあ、そうだけどね」
パパはさっき私がオッサンにしたようにポンポンと二回頭を叩いて、笑顔をくれた。パパなりのねぎらいだ。
パパの職業は占い師。インチキもんじゃない。霊能力のようなものも持っているので、人とかかわると見たくないものまで見えてしまう。既にパパはオッサンの苦しみを、何らかの過去を見てしまっている。ただ、パパには身内のことは見えない。イヤ、見ないようにしているのかもしれない、意図的に。
立ち去ったパパの後姿も心なしか寂しげに見えた。オッサンの悲しみを少し引き摺ってしまったのかもしれない。




