第13話
走りついたそこは、うちのすぐ近くにある事故の多い交差点だった。
その交差点の隅に花束が飾られているのは、ひかげに手向けられたものか。あるいは全く知らない人へのものか。
うちの近くと言っても学校とも、駅とも逆方向なため、滅多に通らない。
『いるよ。そこにいる』
声だけでは、そこがどこを差しているのかは分からなかったが、あたしはそれをとらえた。
花束を眺めている制服姿の少女がいた。薄らと透けるような彼女は、原田君を見て嬉しそうに微笑み、あたしを見て驚いていた。
「はじめまして、ひかげ。ずっとここにいたの?」
あたしの問い掛けに、淋しそうに頷いた。
「原田君と話がしたい?」
再び頷いた彼女を見て、あたしは微笑んだ。
「なら、あたしの体を貸してあげる。原田君に言いたいこと、言ったらいい」
『ありがとう』
ひかげはすっとあたしに近づくと、そのままあたしの体へと入ってきた。
ひかげに体を譲ったあたしは、体の外に投げ出され、魂だけが空中を彷徨った。
眼下には原田君と原田君に抱きついているあたし、ひかげの姿が見えた。
おぉ、リアル幽体離脱だ。
「お兄ちゃん。こんな形で先に死んでしまってごめんね。お兄ちゃんより格好いい男の子捕まえて、将来はお父さんとお兄ちゃんの二人にバージンロード歩いて貰おうと思ってたのに」
「ひかげ。お前、俺たちが心ない態度をとったせいで……」
「違うよ、お兄ちゃん。私ね、お父さんもお兄ちゃんも大好きだったんだよ。ずっと一緒にいたかったんだよ。自殺なんかしないよ。そんな勿体ない。本当にあれは事故だったんだよ。大きなトラックを目の前にしたら、足がすくんで動けなくなった。怖くて怖くて、涙が出たよ。ああ、もう私は死ぬんだなっておもったら、お兄ちゃんとお父さんの顔が浮かんだの。いつも優しい笑顔の二人が浮かんできたの。私は幸せだったんだよ。だから、お兄ちゃん。私のことは気にせずにもっと幸せになってよ。そのほうが私、嬉しいんだからね。お父さんはもう大丈夫だって、あのお姉さんのお父さんが教えてくれた。お兄ちゃんももう大丈夫でしょ?」
パパはひかげと接触をとっていたようだ。まあ、そんな予想はしていたけど。
「ああ、大丈夫だよ」
「泣かないでよ、お兄ちゃん。もう行かなきゃ。お姉さんが体に戻れなくなっちゃうから。私もこれで安心して行ける。バイバイ、お兄ちゃん」
ひかげがそう言ったと同時にあたしの意識が体の中へと吸い込まれていく。
戻った途端にあたしは意識を失った。
「ひかげ。ありがとう。またな」
優しげな原田君の声が遠退く意識の中で聞いた気がした。そして、こんな言葉も。
「お姉さん、ありがとう。お兄ちゃんのことよろしくね」
夢と現実の狭間で聞いたその声は、嬉しそうだった。その声の主が遠ざかっていくのを感じていた。
恐らく、成仏したのだろう。
あたしが目を覚ましたとき、あたしのベッドの横にはこの家の住人が勢揃いしていた。全員で一斉にあたしを覗き込むものだから、怯んでしまった。
「うわっ。びっくり。みんなお揃いで、どうしたの?」
あたしは目覚めたばかりで、自分がどんな状態からこの状態に陥ったのか、思い起こすことが出来なかった。
「まあ、寝呆けてるのね。それも仕方ないわね。丸々二日は寝ていたんだから」
「あたし、二日も寝てたの?」
「そうだぞ。心配したんだ」
パパの怒気を含んだ声。だが、その瞳はいたわりと労いを含んでいた。
「ごめんね、パパ」
何かを話さなくても、パパならきっと分かっている。その上でのパパのその瞳はあたしを勇気づけた。
「ひなた。何か食べる?」
ママの言葉に今まで意識していなかったのに、急に空腹を感じた。
「うん、食べる。お腹すいたよ」
ママはにっこりと頷き、いそいそと部屋を出ていった。
「ひなた。後で話をしよう」
パパが言った。無感情な声で。
「うん」
あたしが頷くと、同じように頷き部屋を後にした。
もう、パパに隠せない。
意固地に隠していた事実が露にすることを許され、正直ホッとしていた。
「ひなたさん。大丈夫かな?」
原田君の前でオッサンがあたしの名前を呼ぶのは初めてだった。それを原田君が驚いた様子を見せずに聞いているところを見ると、オッサンは全てを話したんだろう。
「うん、大丈夫」
あたしが引っ掛かっているのは、オッサンもあの場に呼んであげれば良かったということ。
オッサンも会いたかっただろうに。
「ひかげに会ったんだよ。ひかげは行く前に私のところにも来てくれたんだ」
ああ、良かった。
オッサンの笑顔を見たらあたしも嬉しくなって笑った。
「ありがとう」
とても心のこもった優しい響きを持っていた。
その言葉はあたしには勿体ない言葉だ。謙遜する言葉が口元まで出かかったが、それを呑み込んだ。そんなくだらない言葉でオッサンの誠意を汚したくなかったのだ。
言葉の代わりに笑顔を向けた。
「じゃあ、下で手伝ってくるよ」
明るい笑顔を浮かべて、出ていった。
原田君と二人になった部屋に静けさが訪れた。
こっそりと顔を覗き込むと、付き物が落ちたようなスッキリとした表情をしていることにホッとした。
だが、その次の瞬間、その表情は硬く暗くなった。
「ひかげとちゃんと会えたんだよね?」
あれがもしかしたら夢だったんじゃないかと思って、そう尋ねた。
「会えた。話せた。気になっていたことも聞けた。ちゃんとひかげのこと見送れた」
「そっか。大丈夫?」
「俺は大丈夫だよ。大丈夫じゃないのはお前の方だろ? あんな無茶しやがって。初めてだったんだろ? それがどれだけ危険なことかも知らなかったんだろ? 俺がどれだけ不安だったか、分からないだろ?」
口に出せば出すほど、気が高ぶっていくのか、徐々に声が大きくなっていく。
「ごめんっ。ごめんって」
謝罪を口にしたが、原田君の高ぶりは治まるどころか、上がっていくばかりのようだ。
「俺はっ、お前まで失うんじゃないかって……」
ハッとして原田君を凝視した。
泣いていた。原田君は泣いていたのだ。声を出さずにしずしずと。
「ご……めん」
自分のしたことがそんな危険なことだとは思っていなかった。
パパが何か言ったんだろう。あたしも後で聞くことになるのだろうことを。
「あんな思いをするのは二度とごめんだ」
原田君の涙を絶望的な思いで見ていた。
あたしのせいで、原田君が泣いている。あたしは、原田君に笑って欲しかっただけなのに。
「ごめんなさい。ごめんなさい」
悲しかった。原田君の涙が何よりも悲しかった。心を締め付けられるとはこのことを言うんだと妙に納得した。
「大切な人を目の前で失うのを見たくない。俺の腕のなかに倒れていくお前を見て、死ぬ思いだった」
「大切な人?」
キョトンと原田君の瞳の中を覗き込んだ。
原田君はスイッと視線を逸らし、こほんと一つ咳払いをした。
「恩人ってことだよ。お前は俺の恩人だ」
「そんな、大袈裟な」
一瞬にして涙は乾き、苦笑が漏れた。
「そんなことない。俺はお前に感謝してるよ。今度は俺がお前のために何かをする番だな?」
恩を売るために何かをしたわけじゃない。そんな風に言われる立場にもない。
だけど、一度だけワガママが許されるなら……。一度だけ幸せを分けてくれると神様が言ってくれているんだとしたら。どうか、どうか……。
「じゃあ、その感謝の印に、あたしをどこかに連れてって」
あなたに向ける最後のワガママをどうか許して。




