ナレーターの見た真実
二ヶ月が経った。
秀はこの間、レインとサラとガルドだけを追っていたわけではなかった。
ラメールの商人、王都の学者、北の山に住む猟師、港町の漁師の娘、旅の吟遊詩人、田舎の薬草師。気の向くままに視点を飛ばし、いくつもの人生を覗いてきた。
その中で、秀が気づいたことがある。
誰もが、何かを抱えている。
それは当たり前のことだ。でも前世では、そこまで深く考えることができなかった。ステージの上から見える顔には、悲しみも迷いも見えない。見えるのは笑顔と涙だけだ。でも人の生活に密着してみると、喜びと苦しみが分かちがたく混ざり合っているのがわかる。
商人の男は家族を養うために、良心に少し目をつぶって粗悪品を売ることがある。でも娘が熱を出した夜は一晩中看病する。
学者の女は世紀の発見に興奮しながら、故郷の両親に何年も手紙を書けていないことを気に病んでいる。
猟師は獣を仕留めるたびに小さな祈りを捧げる。信仰の深さからではなく、生きているものを殺す重さに慣れたくないからだ。
(みんな、複雑だ)
秀は思った。
単純に善い人間も、単純に悪い人間も、あまりいない。事情があって、歴史があって、その上でその日その人はその選択をしている。
ナレーターとして見ることの、最も深い意味は、そこにあるのかもしれない、と秀は感じ始めていた。
ただ眺めるだけではない。
この世界の人々が生きていることの重さを、受け取ること。忘れないでいること。
前世のステージでは、ファン一人ひとりの人生を全部知ることはできなかった。でも今は違う。一人の人間の一日を、隅から隅まで見ることができる。
それはとんでもない豊かさだ、と秀は思う。
そしてそれは同時に、責任のようなものも感じさせた。
見ている、ということは、証人になるということだ。
その人の喜びも苦しみも、自分が知っている。忘れなければ、少なくとも一人がその人の人生を知っていることになる。
(それでいい)
秀はテアトルムの夜空の下で、そう思った。
この世界に体はない。声もない。名前を呼ばれることも、誰かに感謝されることもない。
それでもここにいる。見ている。覚えている。
武道館の階段で終わった人生の続きが、こんな形でテアトルムに続いているとは思わなかった。でもこの続き方は、悪くない。むしろ、自分らしいとすら感じる。
遠くで、レインが夜の素振りをしていた。
サラが旅先の宿で地図に書き込みをしていた。
ガルドが王都の訓練所で、初めて生徒たちを前に立っていた。
三人の人生の続きが、今夜も動いている。
秀はその全部を見ていた。
幕はまだ、降りない。
物語はまだ、続く。
そしてナレーターの目は、静かに、確かに、この世界に注がれている。




