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テアトルムのナレーター  作者: yuruhuwa回路


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白い部屋の女神

 白かった。


 天井も壁も床も、境界線すら曖昧なほどに白い。音も匂いも温度もない。秀は自分が立っているのか浮いているのかもわからないまま、ただそこにいた。


「目が覚めましたね」


 声がした。


 振り向くと、女性が立っていた。いや、立っているというより、存在していた、という表現の方が近い。白いドレスのような衣をまとい、銀色の長い髪が重力を無視してふわりと漂っている。瞳は深い紫で、その奥に星が瞬いているように見えた。


「……俺、死にましたか」


 秀が問うと、女性は少し表情を曇らせた。


「はい。残念ながら」

「そうですか」


 秀は一度目を閉じ、深く息を吸った。白い空間に空気があるのかどうかもわからないが、それでも胸が膨らむ感覚はあった。


「悲しくないんですか?」


 女性が不思議そうに聞く。


「悲しくないわけじゃないですよ。メンバーのこと、スタッフのこと、ファンのこと……心配ですし、申し訳ない気持ちもある」


 秀は静かに言った。


「でも、パニックにはなりません。なってどうにかなるものでもないので」


 女性はほんの少し目を見開いた。


「私はビブリオラ。女神です。死んだ魂を導く役割を持っています」

「女神様、ですか。……俺みたいな死に方をした人間のところに来てくれるんですね」

「あなたは特別なケースです」


 ビブリオラは言った。


「本来であれば魂はそのまま天国へ向かうのですが、あなたには提案があって」

「転生、ですか」


 ビブリオラが驚いた顔をした。


「……なぜわかったんですか?」

「異世界転生という概念が日本にはありまして」


 秀は少し笑った。


「漫画、小説、ゲーム。死んだ人間が別の世界に生まれ変わる話は山ほどある。白い部屋、女神、提案。ここまで揃えば察しますよ」


 ビブリオラは呆気にとられたように黙ってから、やがて小さく笑った。


「やっぱり、あなたは面白い人ですね。では単刀直入に。選択肢は二つです。このまま天国へ行くか、別の世界に転生するか」

「どんな世界がありますか」

「あなたのような方にはこれがおすすめです」


 ビブリオラは手を広げ、光の冊子のようなものを取り出した。


「勇者として世界を救う道。生まれながらの才能と、前世での人望と経験。きっと伝説に名を刻むでしょう。あるいは魔王として領地を治める道。組織を束ねる力は申し分ない」


 秀は静かにそれらを聞いた。


「……表舞台に出ない世界はありますか」

「……え?」


 ビブリオラが固まった。


「前世では二十二年間、ずっと人前に立ち続けました。それ自体は後悔していないし、嫌いでもなかった。でも……もう十分やりきったかな、と思っていて」


 秀は少し遠い目をした。


「誰かの人生を、間近で見ていたい。自分が主役じゃなくて、観客として。そういう生き方が、次はしたいんです」


 ビブリオラは長い間、黙っていた。

 

 やがて彼女は光の冊子をぱらぱらとめくり始めた。眉を少し寄せて、ページを繰る。ギルドの受付、商人、ダンジョンの主。いくつかを提案してみたが、秀の顔はどれもしっくりきていない様子だった。


「人の人生を間近で見られる、というのが一番の希望なんですが」


 ビブリオラは「うーん」と唸り、冊子の端のページを開いた。ほとんど使われていないのか、そのページは少し色褪せていた。


「……これはどうでしょう。『ナレーター』という存在が一つの世界にいます」

「ナレーター?」

「その世界で唯一の、観測者です。人の体は持たない。特定の場所にいる必要もない。その世界のどこへでも視点を移し、気になった人の人生を見ることができる。ゲームで言う神様視点、とでも言えばわかりやすいでしょうか。一人に密着することも、町全体を俯瞰することもできます」


 秀は、ゆっくりと息を吐いた。


「……それです」

「え?」

「それが一番しっくりきます」


 秀は真剣な目でビブリオラを見た。


「アイドルをやっていて、ずっと思っていたことがあって。ファンの一人ひとりが、どんな生活を送っていて、どんなことを考えて、どんな夢を見ているのか。ステージの上からじゃ、そこまでは見えない。でもナレーターなら、それが見れる。人の人生を、本当の意味で見ることができる」


 ビブリオラは秀の言葉を聞きながら、表情が少しずつ柔らかくなっていった。


「……わかりました。ただ、転生前にいくつか注意事項があります」


 ビブリオラは指を二本立て。


「一つ。あなたは人の体を持ちません。誰かに見えることも、触れることも、声を届けることもできない。二つ。人の人生を見ることはできますが、操作することはできません。どんなに困っている人がいても、干渉は不可能です」


 秀はしばらく考えた。それから頷いた。


「わかりました。それで構いません」

「後悔しませんか?」

「観客は、舞台に上がりませんよ」


 秀は微笑んだ。


「それが観客の美学だと思うので」


 ビブリオラは一度だけ目を細め、そっと手を伸ばした。


「では、テアトルムへ。良い観劇を、輝輝 秀さん」


 白い光が、すべてを包んだ。

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