表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
テアトルムのナレーター  作者: yuruhuwa回路


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

12/61

旅立つ前夜

 サラは三日間、迷った。


 隊商の旅人が待っているのはわかっている。返事の期限も迫っている。それでも、厨房に立つたびに手が止まった。


 父の顔を見た。


 兄の手紙を読んだ。


 地図の本を開いた。


 閉じた。


「行きたいなら行けばいい」


 四日目の朝、父が言った。寝床から起き上がることもできない父が、天井を見たまま、静かに言った。


「え……」

「わかるぞ、お前の顔を見れば。行きたくて仕方ないんだろう」

「でも父さんが——」

「マルクスが帰る。そう言っていた。半年もすれば帰ってくる。それまでのことなら、ご近所のフィネさんに頼めばいい。飯くらい自分で作れる」

「父さん、起き上がれないのに」

「寝たままでも食えるものは作れる」


 父は言い張った。


「お前に飯を作ってもらうために生きてるんじゃない。お前が生きているのを見たいから生きてるんだ。行ってこい。この目で、お前が歩いていくのを見せてくれ」


 サラは黙っていた。


 長い沈黙の後、目が滲んだ。


「……行ってきます」


 声が掠れた。


 父は答えない代わりに、皺だらけの手をゆっくりと持ち上げて、サラの手を一度だけ握った。


 秀はその場から動けなかった。


 動けないのは身体がないからではなく、その場を離れたくなかったからだ。


 父と娘の間にある言葉の少なさと、その隙間を埋める何か。それが何と呼ばれるものかは、説明できない。でも確かにそこにある。


 翌朝、サラは荷物をまとめた。


 着替えと、少しの食料と、地図の本。


 食堂の鍵は隣のフィネさんに預けた。父の食事の世話も頼んだ。フィネさんは「任せておきな」と胸を叩いた。


 隊商の集合場所に着くと、旅人が手を上げた。


「来てくれたか。良かった」

「よろしくお願いします」


 サラは深く頭を下げた。顔を上げたとき、その目には涙のあとがあったが、もう泣いていなかった。

秀はサラの背中を見送った。


(行け、サラ)


 声は届かない。届かなくても、言葉は出た。


 隊商の荷馬車がゆっくりと動き出した。サラは一度だけ振り返り、ラメールの町を見た。それから前を向いた。


 幌の向こうに、知らない景色が広がり始めた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ