幕はまだ、降りない
季節が変わった。
ラメールに初雪が降った朝、レインは衛兵隊の訓練場の前に立っていた。
「入隊試験、受けに来ました」
レインの声は震えていなかった。
ガルドが見ていた。少し離れた場所から、腕を組んで。レインには気づかれていない。
試験官が「年は?」と聞いた。「十四です」と答えた。試験官が顔を上げレインを見た。
体格は小さい。でも目が違う。路地で鍛えた身のこなしと、地図で培った空間認識能力と、仲間たちを守り続けた責任感。それは簡単に手に入るものではない。
(行け、レイン)
秀は思った。声は届かない。それでも思った。
試験が始まった。
同じ日の午後、サラの食堂に見慣れない旅人が入ってきた。地図を広げて、東の街道について聞いてきた。サラは地図を見て、すらすらと答えた。旅人が目を丸くした。
「詳しいな。どこかで地図の勉強でもしたのか?」
「本で」サラは答えた。
「もしよければ、うちの隊商の地図読みをやらないか。半年の仕事になるが、給金はいい」
サラが固まった。
夢が、突然、手の届く場所に降りてきた。
父はどうする。食堂はどうする。でも兄は来年帰る。父の体は、少し良くなってきている。
サラはしばらく迷って、言った。
「……少し時間をください。父に相談しないといけないので」
旅人は「わかった、ここには五日は滞在しているから」と言って出ていった。
サラは厨房に戻り、スープをかき混ぜながら、雪の降る窓を見た。
ガルドは夕方、王都への手紙を書いていた。旧知の同僚に宛てて。内容は秀には読めなかったが、何日も書けなかったその手紙を、今日ついに書き始めた。それだけでわかる。何かが動き始めている。
三人の人生が、それぞれのやり方で、次の章へと向かい始めていた。
秀はラメールの空の上に視点を上げた。
雪が舞っている。石畳の町が白くなっていく。どこかで子供が笑い声を上げた。馬車が走り、煙突から煙が立ち上り、誰かが誰かを呼ぶ声がした。
テアトルムは、今日も動いている。
(前世では、舞台に立つ人間だった)
秀は思った。
(今は、舞台を見る人間だ)
どちらが良いかという話ではない。前世の自分も、今の自分も、同じ輝輝 秀だ。ただ、立っている場所が変わっただけ。そしてこの場所から見える景色は、ステージの上から見えた景色と同じくらい、いや、もしかしたらそれ以上に、豊かだった。
人の人生は、一つとして同じものがない。
どんな人間の一日も、知れば知るほど、面白い。
泥棒の少年が試験場に立っている。夢見る少女が迷っている。疲れた元騎士が手紙を書いている。
幕は降りない。
物語はまだ、続く。




