第13話 帝国の最強暗殺者『黒猫』が夜這いをかけてきたが、最高級マタタビお香を焚いたらゴロニャンと懐いてしまった件
深夜。
リーゼ村は深い静寂に包まれていた。
『アレン雑貨店』の屋根の上に、音もなく着地する一つの影があった。
「……ここかニャ。ターゲットの居場所は」
月明かりに照らされたのは、漆黒のボディスーツに身を包んだ小柄な少女。
頭には黒い猫耳、お尻にはしなやかな尻尾。
彼女こそ、ガレリア帝国が誇る暗殺部隊のエース、コードネーム『黒猫』だ。
「フン。王国の警備もザルだニャ。こんな簡単に侵入を許すとは」
彼女の任務は、店主アレンの拉致。
彼女の【隠密】スキルはSランク。気配を消し、音もなく煙突から店内へと滑り込む。
(ふふん、チョロいもんだニャ。寝込みを襲って、袋詰めにしてお持ち帰り……)
彼女が寝室のドアを少しだけ開けた、その時だった。
「――グルルゥ……」
闇の奥から、心臓が凍るような低い唸り声が響いた。
暗殺者の本能が、全身の毛を逆立てて警鐘を鳴らす。
『逃げろ。死ぬぞ』
ベッドの脇で丸くなっていたのは、銀色の毛並みを持つ巨大な狼――フェンリルだった。
眠っていても漏れ出る覇気が、彼女の身体を金縛りにする。
(な、ななな、なんで伝説の魔獣がいるニャ!? 聞いてないニャ!!)
黒猫はパニックになった。
勝てない。瞬殺される。
逃げようにも足が震えて動かない。
フェンリルの耳がピクリと動き、今にも目を覚ましそうだ。
(こ、こうなったら……!)
彼女は奥の手を使った。
【変身】スキル発動。
ポンッ、という煙と共に、彼女の姿は「一匹の小さな黒猫」へと変わった。
これならただの迷い猫として見逃してもらえるかもしれない。
「……ん? なんだ?」
運悪く、ベッドで寝ていたアレンが目を覚ましてしまった。
アレンは眠そうな目をこすり、床で震えている黒猫(中身は暗殺者)を見つけた。
「お、猫か? どっから入ったんだ」
(し、しまった! 見つかったニャ! 殺される……!?)
黒猫が死を覚悟して身を縮こまらせた、その時。
「迷い込んだのか。腹減ってるか?」
アレンが優しげな声で近づいてくる。
そして、インベントリから何かを取り出し、小皿に乗せて差し出した。
「ほら、食うか?」
出されたのは、とろりとしたペースト状のオヤツ。
アレンが『幻の魚・スカイフィッシュ』と『極上マタタビ』を調合して作った、特製猫用オヤツ『チュール・オブ・ゴッド』だ。
(ば、馬鹿にするニャ! 高貴な私が、人間の餌になど釣られるわけ……クンクン……!?)
強烈に食欲をそそる香りが、黒猫の鼻腔を直撃した。
(な、なんだこの芳醇な香りは!? 脳が……脳が溶けるニャ……!)
抗えない。本能が「それを舐めろ」と叫んでいる。
黒猫は震えながら、ペロリと一口舐めた。
――カッ!!
世界が弾けた。
口いっぱいに広がる魚介の旨味と、マタタビによる至福の陶酔感。
(にゃあああああああん! 美味しいぃぃぃぃぃ!! 何これぇぇぇぇ!!)
暗殺者のプライドは一瞬で崩壊した。
黒猫は無我夢中で皿を舐め回し、喉をゴロゴロと鳴らしてアレンの指にスリスリと身体を擦り付けた。
「はは、可愛いな。よほど腹が減ってたのか」
アレンが指先で顎の下を撫でてくる。
そこは急所だ。だが、気持ちよすぎて抵抗できない。
「主よ……夜中に何をしておる」
そこへ、フェルがむくりと起き上がった。
黄金の瞳が、アレンに撫でられてデレデレになっている黒猫を冷ややかに見下ろす。
「あ、フェル起こしたか? 可愛い野良猫が入ってきてさ」
「猫? ……ふん、主は相変わらずお人好しだな。そいつはただの猫ではないぞ」
フェルは鼻を鳴らし、前足で黒猫の尻尾を踏んづけた。
「ギャッ!?」
「変化を解け、小娘。我の目の前で隠し通せると思ったか?」
フェルの魔力が流れ込み、変身が強制解除される。
ポンッ!
アレンの目の前に、猫耳ボディスーツの美少女が、四つん這いで指を舐めている姿が現れた。
「……え?」
「あ……」
アレンと目が合う。
黒猫(人間形態)の口元には、まだオヤツのペーストがついている。
彼女は真っ赤になって固まった。
「……あ、あの……これは……その……」
「……猫獣人だったのか。まあ、猫は猫か」
アレンは驚くほど順応が早かった。
そして、もう一本『チュール・オブ・ゴッド』を取り出した。
「おかわり、いるか?」
「いるニャ!!」
即答だった。
彼女はアレンの手から直接オヤツを吸い付き、恍惚の表情を浮かべた。
「くっ……! 悔しいけど止まらないニャ……! 私、帝国のエースなのに……!」
「はいはい、よしよし」
こうして、帝国の最強暗殺者は、侵入からわずか十分でアレンのペット(三番目の居候)へと堕ちたのだった。
名前は、安直に『クロ』と名付けられた。




