第5話 夏の入口
七月の中旬。夏休みを目前に控えた終業式の前日。 校舎の中はいつもよりそわそわとした空気が漂っていて、教室では「明日プリント忘れんなよ」「宿題、去年やばかったんだけど」なんて声が飛び交っていた。
昼休み、いつものベンチに村田洋一が座っていると、風が少し強く吹いてきて、制服のシャツがふわりと揺れた。
「先輩、いました」
その声に振り返ると、やっぱり藤城祐希がいた。 小さな紙袋を手に持ち、息を切らしながら駆け寄ってくる。
「……どうしたの?」
「これ、どうしても渡したくて」
差し出された袋には、小さなキーホルダーが入っていた。
「夏休み前に会えなかったらって思って……先輩、これ、好きかなって」
控えめな笑顔と、まっすぐなまなざし。
「……俺に?」
「もちろんです。変じゃなかったら、カバンとかにつけてください」
洋一は、袋をそっと受け取った。
「ありがと」
そう呟いた彼の頬が、すこしだけ赤くなる。 照れているのは、たぶん自分だけじゃない。
「明日、終業式、会えますか?」
「……うん、教室は違うけど……時間合わせれば……」
「じゃあ、ちょっとだけ……会いたいです」
そう言って彼女は、満足そうに笑った。
藤城祐希は、きっと自分のことを好きだなんてまだ思っていない。 けれど、村田洋一の胸の中には、もう彼女の笑顔がしっかりと根を張り始めていた。
気づかれたくないけど、気づいてほしい。 そんな矛盾が、いつの間にか心を満たしていく——。
夏はすぐそこまで来ていた。