第36話:「迫る影と選択の時」
訓練を終えて部屋に戻った俺は、窓から空を眺めていた。ここに召喚されてから、色々なことがあったが、結局のところ俺は何も選べていない。
「逃げるために強くなる」
最初はそれだけだったはずなのに、気づけばこの世界の問題にどっぷりと浸かっている。
「……はぁ、なんでこうなるんだよ」
ため息をついた瞬間、部屋の扉がノックされた。
「勇者様、よろしいでしょうか?」
エリスの声だ。
「入れよ」
扉が開き、エリスがゆっくりと部屋に入ってきた。彼女の顔には緊張が滲んでいる。
「どうした? また何か問題か?」
「はい……先ほど、王城の近くで黒装束の者たちが目撃されました」
「またかよ……こないだの連中か?」
「可能性が高いです。しかも、彼らは今回は明確に『勇者様に会わせろ』と言ってきたそうです」
俺は眉をひそめる。
「……やっぱり俺に何か期待してるんだな」
「ええ、おそらくは」
エリスは少しだけ不安そうに俺を見た。「どうしますか?」
「……行くしかねぇだろ」
俺は立ち上がり、剣を腰に差す。
「でも、今回は少し話を聞いてみようと思う」
エリスは驚いたように目を見開いた。「本気ですか?」
「ああ。前回は突っぱねたけど、奴らが何を考えているのかは気になる。何も知らないまま、ただ戦うのはごめんだ」
エリスはしばらく黙っていたが、やがて小さく頷いた。「分かりました。でも、決して油断はしないでください」
「分かってるよ」
夜の城下町。指定された場所に向かうと、黒装束の連中がすでに待っていた。
「勇者様、ようこそ」
前回と同じ男が静かに微笑む。
「……話があるんだろ? 手短にしてくれ」
「ええ、もちろん」
男はゆっくりと口を開いた。
「あなたはまだ、この世界の本当の姿を知りません。我々はそれを伝えに来たのです」
「世界の本当の姿?」
「はい。あなたは今、この世界が『封印』によって維持されていると聞いているはず。しかし、その封印は本当に必要なものなのでしょうか?」
俺は言葉に詰まった。
「……どういう意味だ?」
「封印は、この世界を維持しているのではなく、歪めているのです。本来ならば存在し得ない力が、異世界の者の力によって押さえつけられている。その結果、この世界の本質がねじ曲げられているのです」
「……それが何だってんだよ」
「もし封印が完全に解ければ、この世界は本来の姿を取り戻すでしょう。だが、それを阻止しようとする勢力が存在する……あなたの側にいる者たちです」
俺は思わず拳を握る。
「つまり、エリスや王国が間違ってるって言いたいのか?」
「間違いとは言いません。ただ、彼らは真実を知らされていない可能性があります」
俺は横目でエリスを見た。彼女は微動だにせず男を睨んでいる。
「……証拠は?」俺は淡々と尋ねた。「言葉だけで信じろってのは無理だぜ?」
男は少しだけ笑った。「では、一つだけ見せましょう」
そう言って、彼は懐から小さな水晶を取り出した。
「この中には、封印が施される前の世界の映像が記録されています」
「……?」
男は水晶に魔力を込めた。すると、水晶の中に映像が映し出された。そこには――
荒廃した大地、黒く染まった空、人々が逃げ惑う姿。そして、その中心には巨大な魔物が立ちはだかっていた。
「これは……」
「これは封印が施される前の世界の姿です。今の世界とは全く異なるでしょう?」
俺は息をのんだ。確かに今の王国とはまるで違う。でも――
「……結局、封印がなかったらこの世界は滅んでたってことじゃねえのか?」
「ええ、そうとも言えます。しかし、封印があったからこそ、この世界は不自然な形で生きながらえている。あなたはそれをどう考えますか?」
「……分からねぇよ」
俺は正直に答えた。「どっちが正しいのかなんて、俺には判断できねぇ」
男は静かに微笑む。「それでいいのです。ただ、あなたが真実を知ることが重要なのです」
「……なるほどな」
俺は剣を軽く握りしめた。「もう一つ聞かせてくれ。お前らは、封印を解いた後の未来をどうするつもりだ?」
男は少し間を置いてから答えた。
「それは……あなたが選ぶことです」
俺は思わず眉をひそめる。
「またその話かよ……」
「あなたは鍵なのです。選択の権利を持つ者。だからこそ、私たちはあなたに会いに来た」
「……ふざけんなよ」
俺は鋭く睨みつける。「俺はただの一般人だ。勝手に召喚されて、勝手に運命を押し付けられて、それで選べって? そんな都合のいい話があるかよ」
「ですが、それがあなたの役割なのです」
「チッ……」
俺は苛立ちながら剣を収めた。
「……もういい。とりあえず、話は聞いた。けど、俺はまだ何も決めねぇ」
「それで構いません。選択の時が来るまでは……」
男はそう言い残し、黒装束の連中と共に闇の中へと消えていった。
「勇者様……」エリスが俺の横でそっと呟く。
「俺は……どうすればいいんだろうな」
エリスは少し寂しそうに微笑んだ。「勇者様が決めることです。でも、一つだけ言わせてください」
「……なんだ?」
「私は勇者様がどんな道を選んでも、それを信じます」
俺は空を見上げた。
「……そうか」
迷いは晴れない。だが、少しだけ心が軽くなった気がした。




