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「やっぱり、おまえじゃないのか?」
昭雄が聡子に唸った。
「だから、私じゃないってば!」
聡子が悲鳴に近い声で訴えるが、昭雄はさらに追い打ちをかける。
「おまえには動機があるじゃないか」
「それはそうだけど、だとしたらあなたにだってあるわよね⁉」
「ああ、そうかもしれないな。でもおまえほどじゃないと思うぞ。それともアレか? 殺しの動機にならないくらい、オヤジとの行為を楽しんでいたってことか?」
「ヒドイ!」
「昭雄君、やめなさい」
「そうだ」
「あんたたちだって聖人面できる立場じゃないだろ!」
昭雄が、止めに入る月城と霧島の声をヒステリックに払い除けた。
「俺は知っているんだぞ」
「僕は潔白だ」
「儂らには何もない」
「へえ、なら見せてあげましょうか? オヤジから書類を預かってますから」
「どんな書類だ⁉」
霧島が鋭い声を轟かせる。あらま、そんな口調で訊いちゃうの? それはちょっと冷静じゃないと思うけどな。傍の月城だって、『おいおい』と言わんばかりの視線を霧島に送っているじゃないか。
「皆さん、落ち着いてください」
管理人が止めに入った。今のところ、彼と奥方には動機がない。彼らは無関係と判断するべきか。
「おいおい、佐竹君」
霧島が嫌な笑みを浮かべた。
「随分落ち着き払っているようだが、君が一番オーナーを殺したがっていたんじゃないかね?」
「どうしてですか?」
管理人、佐竹の双眸が開く。
「『どうして』って、分かっているだろう」
「何がですか?」
「まだ白を切るのかね。オーナーがこのペンションを解体して、高級スパ・リゾートの建設を計画していたのは君も知っているだろう。儂が知らないとでも思ったかね」
「しかも、あいつは愛人のおねだりから半ば強引に決めてしまったらしいじゃないか」
月城も話に加わる。
「それはそうですが、スパ・リゾートができれば僕たちはそこで働かせてもらえることになっておりましたし」
「いや、それでも君にとっては屈辱だったはずだ」
「なぜですか?」
佐竹の困惑が消えた。顔色がないのは、困惑すら感じられなくなったからなのか。
「ここは、君のお父様が苦労して作ったペンションだそうだね。君の生家でもある。一度人の手に渡ってしまったが、オーナーの助力もあって何とか取り戻せた。そうじゃなかったかな?」
「そうです。でもここはオーナーのものですから、取り戻せたと言っても……」
つまり、佐竹は生家であるこのペンションで働き暮らしているが、所有者は飽くまでオーナーであると主張したいわけだ。
霧島が何度か頷いた。
「そうだな。でもどんな事情であれ、今、このペンションは確かに存在している。君にとっては思い出深い場所だ。そんな場所を、オーナーが愛人ごときのために潰してしまうことを、君は良く思っていなかったんだろう」
「オーナーが消えれば、スパ・リゾート建設の話は白紙になるだろうしね」
「そんな! 確かに残念ではありましたが、働き口をちゃんと確保してくださる約束があってのことですし、先程言ったとおり、ここはオーナーの持ち物です。僕がどうこう言う権利はありません」
「そう、どうこう言う権利はない。それこそが殺人の動機じゃないかな」
懸命に弁明する佐竹の意見を、月城が突いた。
「君には、数年前からこのペンションを買い戻す資金ができていたんだ。なのにそれを彼は突っぱね続けた。挙句の果てに、解体だ。それで我慢ならなくなったんだろう」
「その話は儂も知っている。『佐竹にペンションを譲れと言われ参っている』と言っていたな」
「『参る』なんてそんな!」
「ほら、そこで激昂するところを見ると、ペンションを譲ってもらえないことに憤りがあったんだ。『もともとは僕のものだったのに、なぜ』って気持ちがあるからこそ、君は今怒っているんだろう」
「それは、そうかもしれませんが。……でも、僕はオーナーを殺していない」
佐竹の拳が揺れた。これは、動機がないとは言い切れなくなってしまったな。
奥方が佐竹に寄り添う。慈愛に満ちた表情だが、その心情は如何なるものなのだろうか。
『たとえあなたが犯罪者になってしまったとしても、私はあなたについていく』
『あなたが人殺しなんてありえないわ。私は信じている』
どちらなのかな。どちらにせよ、奥方が唯一動機のない人物となるわけだ。ならまず容疑者から外していいか。
聖母マリアの様な奥方を眺め、聡子が鼻で笑った。
「涼しい顔しているけど、あなたにだって動機があるわよね」
「え?」
奥方の涼しげな双眸が、聡子を捉えた。
「お義父さんは見境ないエロジジイだもの。あなたにだって言い寄っていたんでしょ?」
それは考えられるな。義理の娘にまで手を出す男のことだ。逆らえなさそうな女には片っ端から手を出している可能性が高い。
奥方が失笑した。
「何を言っていらっしゃるんだか。私はもうオバサンですよ。あの方は若い子が好きだから」
やめなさい、と佐竹が声を潜め窘める。奥方はそれ以上口を開かなかった。
うむ。彼女の落ち着き払った声調からして、恐らく言葉に嘘はない。
――が、言葉の裏に何もないわけでもないようだ。奥方の両手。奥方は自分で気づいていないのかもしれないが、硬く結ばれている。淡々とした口調には似合わないくらい、強く拳を握っているのはなぜだ。
自分自身を『オバサン』などと称することが屈辱だったのだろうか。奥方は綺麗な人だ。今でも十分綺麗だが、若いころはもっと綺麗だっただろう。綺麗な女性が自身の衰えを口にするのは心苦しいことに違いない。いや、それでなくても、自身の衰えを認めるのは性別、美醜問わず難しいものだろう。彼女の拳が語るのはそれなのか?
『若い子が好きだから』
奥方の声が蘇った。嫌味ったらしく聞こえるほどではなかったが、その部分を語る時のみ、妙にアクセントが強かった気がする。
奥方はなぜ、わざわざそのようなことを言ったのだろうか。恐らく、オーナーは以前からここに若い女性を連れて来ていたのだろう。それを知っている奥方がただその記憶から判断して述べたのであれば、そうややこしい話でもない。
ただ、今それを言うのは、話術としてあまり得策だとは思えない。聡子の奥方に対する口調はあまり友好的なものではなかった。今でも奥方を睨みつけているし、もともと彼女は奥方をあまり良く思っていないのだろう。そして、奥方もそれに気がついている。それを踏まえながらも、彼女が聡子の前で若い子が好みだなどと言うのは、口喧嘩で効果的だとは思えないのだが。相手への賛辞とも捉えられるから。(若けりゃいいってもんでもないけどね。)
もしかして、奥方は自らオーナーに言い寄った? だがオーナーは年齢を理由に彼女の誘いを断った。その屈辱や傷心に耐え、かの言葉を放ったのだったとしたら。
いや、違うな。この奥方に限って、それはないだろう。奥方の淡々とした口調に、『どうせ私なんて』とでも言わんばかりのいじけた様子はなかった。馬鹿馬鹿しいと、本心をそのまま告げた白い声だったように思う。
なら、何が彼女に硬い拳を作らせるのだろうか。
(もしかして)
一つ、気になることがあった。
俺は昨夜、管理人室のドアが開いていたので、軽い好奇心から中を覗いてしまった。
デスクには、一枚の家族写真が飾られていた。
佐竹、奥方、そしてその間には五歳くらいの少女。場所は『レズニーフィールド』というテーマパークだ。
少女は両手で、マグカップを差し出すように持っていた。レズニーフィールド二十周年記念の限定マグカップだ。その内容から、約十五年前に撮られた写真であることが読み取れた。
少女が今でも健在なら、二十歳前後。
もしや、オーナーは佐竹夫妻の娘にも手を出そうとしていたのでは? 彼女の、憎しみをも握りつぶさんばかりの拳が意味するものは、娘のことなのか? 若い愛人を持つばかりか、義理の娘にまで手を出す男のことだ。佐竹夫妻の娘に目を付けるのは不思議じゃない。全て想像でしかないが、この線が一番しっくりきそうだ。
その線が当たっているのなら、奥方の握り拳にも納得がいく。愛娘を毒牙にかけようとしている男がのうのうと自身の前に姿を現す精神の苦痛は如何ばかりか。
そうとなれば、奥方にだってオーナーを殺す動機があるってことだ。生半可ではない、強い動機が。