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さて、管理人夫妻を除けた、ここにいる全ての人間に動機があるようだが。
俺はオーナーのご遺体に目をやった。結構な悪事をやらかしてきたようだが、可哀想に。
(ん?)
俺は目を見張った。オーナーの口から、何か出ている。もしやこれは――。
オーナーの傍に寄り、しゃがみ込む。
(青酸カリだ)
多分、だけど。俺、文系なんだよね。薬物や化学の分野はちょっと苦手。
そう、俺、文系なの。だから、うーん、多分だけど。
オーナーは殺される前に毒を飲んだ。(飲まされた。)だが、青酸カリは即効性がある薬物だ。飲ませた後にナイフで刺すというのは、あまりよくできた犯行だと思わない。刺す必要があるとは思えないからさ。
「あの、聡子さん」
俺は聡子に手を軽く振ってみせた。
「オーナーが騒ぎはじめたのは、ドアを開けてどれくらいですか?」
「え?」
目を丸めたまま、聡子は記憶を手繰り寄せ答えた。
「そんな、経ってませんよ」
「じゃ、酒を呑んだりして寛ぐ時間は――」
「ありませんでした。本当にすぐだったから」
「そうですか」
なら、青酸カリはいつ飲んだ?
『何をする、やめろ!』
それが、青酸カリを飲まされる時に放ったものだったとしたら?
緩く頭を振る。
オーナーはそんなやわなタイプじゃない。身長は恐らく、一八〇超え。体重も百キロを超えているだろう。そんな男に力尽くで青酸カリを飲ませるくらいなら、ナイフで刺すだけの方が賢いやり方だ。青酸カリは力尽くで直接飲ませたものじゃないと考えた方がいいだろう。
ベッドのサイドテーブルに、ペットボトルの水が置かれていた。このペンションで取り扱っているものじゃない。ということは、ここに到着する前にどこかで買ったものだ。
キャップは閉まっているな。中身はまだ半分くらい残っている。傍にコップもないし、下に落ちている形跡もない。キャップを開けて確認するまでもないことだろう。水に青酸カリは仕込まれていない。……呷ってすぐキャップを閉めたのなら、分からないけど。
なら、あと考えられるのは、他の毒物と合わせて飲ませたか、カプセルなどで飲ませて時間を遅らせたか。
「昭雄さん。お父様は何か薬を常用されていましたか?」
昭雄の目も丸まった。
「いえ。特に持病もなかったので」
「そうですか」
なら、その日たまたま起こった何かしらの症状を抑えるため、薬を飲んだという線が有力か。薬を用意したのは誰だ?
「昨晩、オーナーは何か症状を訴えていませんでしたか? 頭痛とか、腹痛とか」
全員が目を丸めて、頭を左右に振る。となると、オーナーはあらかじめ持ってきていた何らかの薬を、人に知られず、または知らせず飲んだということか。なら薬はすり替えと見るべきか。
ともあれ、犯人が確実に刺し殺すため、あらかじめ毒を盛った線も考えられるけど、犯人が二人いる線も否めないな。
「あの、さっきからあなたは一体何なんですか?」
俺が窓の外を眺めたり、家具を確かめたりしながら、だしぬけに質問をしたからだろう。管理人が怪訝そうに声を放った。
「いや、その、ちょっと興味があって」
はは、と笑顔で誤魔化してしまう。しまったな、つい職業病が。
管理人の顔から色が消えた。
「お客様。すみませんが、客室でご待機願えませんか?」
「なぜですか?」
「その、まずは関係者のみで話し合った方がいいと思うので」
「と言うか誰なの?」
聡子が声を零す。奥方がゆるりと頭を振った。
ははん。『部外者はすっこんでろ』ってことか。面白いな。
「おやぁ? 変ですね。この中でオーナーと全く関わりがないのは俺だけだ。普通なら、真っ先に疑われるのは俺だと思うんですが」
「それは――」
「部屋に隠しカメラが付いているからですよね」
俺の声を聞いた面々が息を呑んだ。
「やだっ。もしかして、私、見られてたの⁉ 全部、全部⁉」
「一体どういうことだね!」
聡子がパニックを起こし、霧島が管理人に詰め寄る。俺は、まぁまぁ、と彼らを宥めた。
「ご心配なく。俺の部屋にだけですよ。少なくとも、あなた方の部屋には付いていないと思います。恐らくですが、誰かからの紹介などでやってきた、オーナーと直接関係のない客を通す部屋にのみ取り付けているのでしょう。俺みたいなね」
「そう、それなら良かったわ」
「うむ」
俺の補足で、彼らは一様に安堵の吐息を漏らした。俺としては全然良くないが。
コホンと一つ咳払いをする。
「素性がはっきりしない客の部屋を監視するのは、まさにこういった場面を想定してのことでしょう。オーナーだけでなく、政治家や警視総監が寝泊りするようなペンションですからね。念には念を入れていたのでしょう。そのおかげで、俺の無実は証明されているのですが」
そうですよね、と、管理人に首を傾げる。
「……そうです」
管理人は硬い声を放ち、首を縦に振った。防犯のためとはいえ、客に断りもなく隠しカメラを設置していたんだ。それはそれで結構な犯罪だぞ。おかげで昨晩は居心地が悪かったなぁ。幸いバスルームにはなかったけど、もしカメラの存在に気づかないままパンツ一枚で部屋をウロウロしていたら、俺の肉体美を管理人夫婦に披露してしまうところだった。
管理人から謝罪を貰い、俺は仕方なく許した。そうしないと先に進まないだろうから。
ただ、俺の存在が皆に認められたわけじゃない。犯人でないことが証明されただけだ。部外者であることに変わりはない。
俺は迷っていた。ここで探偵であることを明かしてしまうか否か。
「君はもう出ていった方がいいんじゃないかい?」
「そもそも、君は誰なんです?」
霧島と月城の声に導かれ、皆の視線が一斉に俺に集まる。このままでは、俺は唯一の部外者として部屋から追い出されてしまう。
あ、でも休暇中なんだからそれでもいいか。探偵は休み返上で事件を解決しなければならないっていう決まりはないんだし。
いやいや。
頭を振る。それは駄目だ。もしここで『はいはい』と退場してしまったら、今後の仕事に支障が出るかもしれない。そうなったら、所長に怒られる。
もう、仕方ないな。休暇中だってのに。
「俺は黒田といいます。探偵です」
「探偵⁉」
一瞬にして、皆の顔が引き攣った。管理人夫妻の顔まで引き攣っている。そうか、何でさっき奥方が首を振ったのか分からなかったけど、以前の依頼人は管理人夫妻に俺が探偵だとは伝えていなかったのか。探偵が現場を調査することはおかしなことではないのに、ずっと怪訝な顔をしていたから不思議だったんだ。休暇なのだからと、依頼人は細かな気遣いをしてくれていたってわけだ。無駄にしてしまったけど、ありがたい。まあ、依頼人の依頼が依頼だっただけに余計な詮索をされたくなかったって線も否めないが。