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真っ白な封筒

 


『清へ



 北海道はどうですか。

 今年の夏はそっちもすごく暑いとニュースでやっていました。熱中症には気を付けて。


 前に山岳観光へ行った時に会った近江さんから写真をもらったので、君にも何枚か送ります。


 それから、僕の描いた絵が全国の美術大学を巡回することになりました。北海道での展示期間は来週からの二週間だそうです。

 パンフレットを入れておくので、もし良かったら行ってみて下さい。



 犬飼 航』





 ***





「清、あんた宛てに手紙が来てたよ」



 扇風機が欠かせない――というよりも、扇風機だけではいよいよ耐え切れない暑さになってきた。でも、おじいちゃんおばあちゃんの家にはクーラーがついていないのだから、我慢するしかない。


 保冷剤を首に巻いて勉強していると、おばあちゃんが封筒を机の上に置いた。



「ありがとう……私に?」


「美波清さまって書いてあったんだから、あんたしかいないべさ」



 誰からだろう。友達とは大体スマホでやり取りしているし、わざわざ手紙を送ってくる人なんていないはずだ。

 仕方なく手を止めて封筒を裏返す。と、



「航先輩!?」



 そこには確かに、「犬飼航」の名前があった。驚くのと同時、嬉しさがじわじわと胸に広がっていく。

 彼は、とても大切な人だった。私の恩人であり、尊敬する先輩だ。


 去年の夏、空港へ向かう私を見送ってくれたのを最後に、連絡は途絶えている。

 私は北海道の高校へ転校し、新しい生活や環境に慣れるので精一杯だった。自分の力で頑張ると言った手前、すぐに連絡するのは良くないのでは、と迷ったり意地を張ったり。結局、タイミングを逃し続けていたのだ。


 はやる気持ちを抑えて、丁寧に封を切る。

 真っ白な封筒に、中に入っていたのも真っ白な便箋。それからパンフレットが一枚と、写真が三枚。



「これって……私?」



 同封されていた写真に写っていたのは、どれもこれも私だ。

 髪がぼさぼさだから、風が強い時に撮られたものだろう。背景にも見覚えがあった。



『航先輩、あの! カメラ! 何で……』


『いいからそのまま漕いでて』



 そうだ。あの時の写真だ。たまたま会ったおじさんのカメラを借りて、航先輩が急に私を撮りだした時の。

 何回もシャッター音が聞こえて、どれだけ撮るつもりなんだろうと思ったのをよく覚えている。


 一枚目。ブランコが高いところにあって、私がこっちを見ながら何か言っている。多分、「何撮ってるんですか」って言った気がする。

 二枚目。ブランコがちょうど降りてきて、画面いっぱいに私が笑っている。こんなに近くで見られると恥ずかしい。

 三枚目。ブランコの高さは分からない。私の横顔だけが写されていて、今にも泣きそうな顔をしていた。


 被写体は自分なのに、背景も主役も変わらない三枚なのに、そこに物語がある。台詞が聞こえてきそうだ。


 航先輩は構図のとり方が上手なのだと思う。だからあんなに人を惹きつける絵が描けるのだ。


 手紙には、彼の絵が全国を巡ることになったという内容が記されていた。パンフレットにはそれについての詳細情報が載っている。


 舞台は全国の美術大学。あなたの想いを届けよう、というコンセプトで、誰でも応募できる絵画展だったようだ。

 その中でも優秀作品に選出されたものが、期間を決めて展示されるらしい。


 嬉しかった。遠く離れた場所にいても、彼は変わらず私に届けようとしてくれている。


 こっちに来てから、モノクロだった私の世界は、瞬く間に色を取り戻した。

 新しい学校では優しい友達に恵まれ、理解のある先生もいる。逃げたわけじゃなくて、リセットしただけ。そう言ってもらって吹っ切れた。やっぱり心の状態が大きく関係していたみたいだ。


 もう大丈夫。私は自分で歩いて行ける。また転んでしまったとしても、立ち上がり方を知っている。手を差し伸べてくれる人も、たくさんいる。



『いつか、君が自分で自分を取り戻したら、その時は会いに行くから、教えて欲しい』



 本当だった。私が大丈夫だっていうのを分かっていたみたいに、航先輩からの手紙がきた。

 彼の絵が私に会いに来る。私も、会いに行こうと思う。





 ***





 手紙のことは誰にも言わなかった。


 土曜日の午後、一人でバスに乗って大学へ向かう。航先輩からの手紙はお守りのように鞄の中にしまってある。


 校舎は高校よりも圧倒的に大きくて、中も綺麗で広かった。

 休日なのにキャンパス内は意外にも人が多い。活気に満ちていて、とても賑やかだ。


 封筒を取り出し、パンフレットを確認する。



「えーと、三階の……わっ」



 きちんと前を見ずに歩いていた罰が当たった。

 躓いた――否、ぶつかった先は、若い男の人だ。恐らくここの学生なのだろうということは容易に判断できる。



「あ、ご、ごめんなさい!」


「いや……大丈夫だよ」



 へらりと笑った彼に、優しい人で良かった、と胸を撫で下ろす。

 会釈をして立ち去ろうとした刹那、「君、もしかして」と声を掛けられた。



「えっ、な、何ですか?」



 じっと観察するように見つめてくる相手に、冷や汗が出てくる。


 何だろう、異様に見られているような。ひょっとして、ここの学生以外は入っちゃいけないところに来てしまったとか。それとも、構内に入る前に身分証提示しなきゃいけなかったとか。


 まずい。航先輩の絵を見るまでは、絶対に帰るわけにはいかないのに。



「失礼します!」


「え、ちょ、ちょっと君……!」



 エレベーターはどこ? もう階段でもいい、とにかく三階に行こう。

 全力ダッシュで構内を駆け抜ける。幸いにも、閉まりかけていたエレベーターに滑りこめた。



「大学って、怖い……」



 自業自得だけど。分かってるけど。

 はあ、とため息をついてから、気持ちを切り替える。


 三階にはすぐに着いた。しかも降りて早々、目の前で「全国美大絵画展~あなたの想いを届けよう~」との文字列が出迎えてくれる。


 手前の方から、急いで一つずつ描いた人の名前を辿った。

 違う、これも違う、航先輩じゃない。焦る。呼吸が整っていない。汗も滲む。



「あ、いた! ねえ、そこの君――」



 さっきの人だ。どうしよう。

 飛んできた声に、振り返ろうとした時だった。



『犬飼航』



 他の絵とは反対側の壁に、たった一枚だけ展示されていたそれ。



「あっ、た……」



 吸い寄せられるように近付く。最優秀賞、と掲げられたその下には、彼の名前と絵のタイトルがあった。



『白虹』



 キャンバス一帯に広がる青。そこに架かるのは、紛れもなく、白い虹だ。

 透き通っていて儚くて、今にも消えてしまいそうな白虹。でも確かにそこにある。


 この空は昼でも夜でもない。私と彼が見に行った、朝の空。

 柔らかい霧がかかっている。澄んだ空気が見える。夜の気配を背負った暗い群青と、始まりを告げる爽やかな青白磁が手を取り合っている。


 初めて航先輩の絵を見た時もそうだった。

 どうしてこの人は、こんなにも美しく青い世界を描けるのだろう。この絵だって、青と白しか使われていないのに。


 この世界には“暖色”と“寒色”があって、私が見えるのは、肌寒い色、らしい。

 寒いって何だろう。それよりも、暖かいってなんだろう。あたたかさを知らない人間なんだって言われているみたいで、私はそれが悲しかった。


 でも、航先輩はすごい。どんな色を使っても、彼の絵は温かいのだ。柔らかくて繊細で、その儚さにみんなが目を奪われる。


 寒いなんて、冷たいなんてそんなの嘘だ。航先輩が優しくて温かい人だって、私は知っている。

 弱さを隠そうとして強がる時、誰しも差し出された手を振り払ってしまうけれど。彼は振り払うことがあっても、そのぶん他の誰かに差し出すことのできる人だ。



『虹なんて何色でもいい。七色だろうが二色だろうが――ましてや一色でもいい。君が見た虹は、これから見る景色は、何もおかしくないんだ』



 涙が止まらない。今この瞬間を、彼が届けてくれた想いを、目に焼き付けなければならないのに。


 必死に拭っていると、後ろから優しく肩をたたかれた。



「これ、落としたよ」



 どうやら私を追いかけてきていたのは、落とし物を返却するためだったらしい。

 彼が差し出したのは私の写真だった。それも満面の笑みで写っている一枚だ。封筒を開けたままだったので、ぶつかった時にでも落としてしまったのだろう。



「パンフレットを持っていたから、これを見に来たのかなと思って追いかけたけど……合ってて良かったよ」


「あ、ありがとうございます……」


「素敵なラブレターだね。もう落としちゃだめだよ」


「え?」



 彼の言葉に首を傾げると、「あれ、もしかして気付いてない?」と目を見開かれる。



「裏もちゃんと見てごらん」



 じゃあ、と踵を返した相手を呆然と眺め、それから恐る恐る写真を裏返す。



『僕は君の笑っている顔が一番好きだ』



 ほんの少しだけ収まったはずの涙が、復活した。息を吸うのも大変なくらい泣いてしまって、その場にしゃがみ込む。


 俯いた先には、あの日のような水たまりはない。小指を結んで約束することもない。

 だって、約束はもう果たされた。私たちは自由だ。どんな道でも歩んでいける。


 顔を上げる。涙を拭いて、彼が好きだと言ってくれた笑顔をつくる。


 私は立ち上がって、「大切な人」への通話ボタンをタップした。



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