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些細なイレギュラー3

 


「えーと、アイスティーといちごパンケーキ、それから……」



 向かいに座る彼女がメニューを指しながら注文をしていく。その瞳がつとこちらを捉え、僕の顔を窺うように揺れた。



「航先輩は、何にしますか?」


「……抹茶」


「じゃあ抹茶パンケーキ一つで!」



 かしこまりました、と店員が頷いて、注文を復唱する。

 その流れを終え、目の前の相手は改めて僕に向き直った。



「そういえば、航先輩の分のドリンク頼んでなかったですね」


「僕はいいよ。それより、」



 どうして下の名前で僕を呼ぶの?

 問いは喉の奥に詰まって上手く出てこなかった。そんな僕の様子を訝しんだのか、彼女は首を傾げる。



「何ですか?」


「……何でもない」



 自分でも釈然としない回答だったけれど、次の瞬間にはニコニコと上機嫌になっている彼女を見れば、訂正する気も失せた。


 美波清。先日そう名乗った彼女は、あれから度々僕の元へやって来た。

 無駄に元気で声が通るせいで、とにかく目立つ。毎回懲りずに彼女が僕に言ってくるのは、「私の絵をみてくれませんか」ということだった。


 頼み事は得意だけれど、頼まれ事は苦手だ。それに、彼女の面倒をみたところで僕にメリットはない。


 だからいつもやんわりと断っていたのに、どういうわけか、今日は「一緒にパンケーキを食べに行きたいです」と力説された。

 なかなか引き取ってもらえないことに苛立っていたし、頻繁に僕の元へ通う彼女に周囲からの同情票も集まっていた。仕方なく僕は自分の面子を守るため、彼女に従うことにしたのだ。ただし、彼女の奢りという条件付きで。


 彼女の目的が分からない。本当に絵を見てもらいたいのか、それは口実で、こうして僕との時間を過ごしたいのか。

 距離の詰め方が若干強引で馴れ馴れしいけれど、見え透いた下心も感じられない。今のところ害はないから、適当に相手をしてやろうと思っていた。



「お待たせしました」



 先にテーブルへ運ばれてきたのは、彼女が注文したパンケーキだ。三段重ねの生地に、白い生クリームといちごのソースがかかっている。


 赤が全く見えない、というわけではない。むしろ鮮やかな赤なら、それなりに判別できる。光の当たり方や様々な要因によって赤と緑の区別がつきにくいけれど、そこは人に頼って上手くやってきたのだ。


 でも、赤は嫌いだ。自分が赤だと思っている色はきっと、他の人からしたら赤ではない。

 じゃあ僕がいま見ている色は一体、何色なのか。それは一生分からない。



「食べないの?」



 パンケーキを目の前にして一向に手をつけない彼女に、そう問うた。

 彼女は背筋を伸ばして僕を真っ直ぐ見つめると、大きく一度頷いてから口を開く。



「先輩のが来たら、一緒に食べます」



 なるほど、そういう魂胆か。

 健気さをアピールしたいのか、可愛さを演出したいのか知らないけれど、そんなことをされたって僕は別に何とも思わない。



「いいよ。先に食べて」


「いーやーでーすー」



 口を尖らせる彼女に少々げんなりした。それを顔に出さないよう気を張りつつ、僕はぐっと口角を上げて努めて穏やかに促す。



「美波さんが食べてるところ見るだけで十分楽しいから。食べなよ」



 この前のように、うっかり嫌な態度を取らないように気を付けていた。

 人懐っこくて誰からも好かれやすい。それが長い時間をかけて培ってきた、「僕」の理想像だ。こんな些細なイレギュラーで、僕の周りからの評価を崩されるわけにはいかない。



「そうですか? うーん……じゃあ、お言葉に甘えて。いただきます!」



 微塵も心がこもっていない言葉を告げたのに、彼女はあっさりと信じたようだった。両手を合わせて挨拶をした後、ナイフとフォークを持ち上げる。


 切り分けられた柔らかい生地のうち、一つが彼女の口に吸い込まれていった。決して小さいとは言えない口が目一杯開く。ぱくり、という擬音がここまで適切に使われるべき場面はないだろう。



「んん~~~、ふわっふわ!」



 目を細めて満足気に食レポをする彼女。それはそれは美味しそうに食べるものだ。

 真っ赤ないちごも彼女には鮮明に見えているのだろう。僕が見ているよりもずっと、食欲をそそるファインダーを持っているに違いない。



「航先輩、すっごく美味しいですよ、これ!」



 ああ、そうだろうね。綺麗じゃない、くすんだ世界なんて君は知らないだろう。そういうふうに生きてきた人間に分かりっこないんだ。

 知らない。分からない。――いや違う。知られてたまるか。分かられてたまるか。のうのうと生きてきたお前らなんかに、僕の一部でも理解したつもりにさせるものか。



「ねえ。やっぱり、ドリンク頼んでもいい?」


「いいですよ!」


「あとトッピング追加でアイスと、それから……」



 メニュー表を視線でなぞりながら適当に羅列しようとしたところで、彼女が慌てたように声を上げる。



「ちょちょちょ、待って下さい! 頼みすぎですって!」


「美波さんが言ったんじゃん、何でもいいですよって」


「言いましたけど! ていうか、普通人に奢ってもらう時ってもうちょっと遠慮しません!?」



 冗談めかしたトーンで指摘されたものの、内心どきりとした。

 一瞬言葉に詰まった僕に、彼女はすかさず正解を当ててくる。



「航先輩、さてはそれが目的ですね?」



 相手の目的を断定できないうちに、こちらの狙いがバレてしまった。


 彼女が執拗に僕の教室へ来ていたのは周知の事実だし、正直迷惑していた――というニュアンスのことをそれとなく周りに認知させることができれば、少なくともイメージダウンを免れるだろうか。

 脳内でそこまで勢いよく逆算したところで、僕は両手を組み彼女へ視線を合わせる。



「そうだよ。悪い?」


「ちょっとー、後輩にたかるのやめて下さいよ」



 頬を膨らませた彼女に、「言いたいなら言いふらせばいい」と伝えれば、不思議そうな顔をされた。



「言うって、何をですか?」


「僕がこういう人間だって、周りに言いたいなら言えばいいよ」



 まあ、言ったところでどれだけの人が信じるか分からないけれど。

 僕の方が人望はある。むしろ彼女が言いふらしてくれた方が好都合だ。犬飼くんがそんなことをするわけない、という反応に転がるか――仮に彼女の言うことを信じたにしても、僕が「そうでもしないと彼女がしつこかった」と付け加えれば、大抵の人は納得するだろう。



「ええ……? 言いませんよ。わざわざそんなこと」



 変なの、と彼女が呟く。

 ちょうどその時、僕の頼んでいたものもテーブルに運ばれてきた。


 苛々する。彼女は僕のことが好きじゃないのか? 僕がこういう人間だと知って、嫌になって離れていってはくれないのか?


 鬱陶しい。相手の求めているものが分からないことも、場の主導権を握れないことも。



「おお……すごい食べっぷりですね。そんなにお腹空いてました?」



 会話を放棄した。彼女の質問にも答えず、僕はひたすら食事に徹する。

 その後も何度か話しかけられたものの、無視し続ける僕に途中で諦めたのか、彼女は黙って自分のパンケーキに向き合っていた。



「残念だったね」



 お互いの皿が空っぽになった頃。

 唐突に僕がそう零すと、彼女はアイスティーをストローで吸い上げながら、器用に小首を傾げる。



「僕がこんな人間で、失望したでしょ」



 遠回しに仕組んで駄目なら、直接諦めてもらうしかない。

 あえて愛想良く話しかけるのはやめ、淡々と述べる。いつもならもう家に着いている時間だ。表情筋が限界を迎えていたからちょうどいい。



「いえ、別に失望はしてないですけど……ちょっと変わった人だなあとは、思いました」


「そう」



 目を伏せて返事をすれば、向かいからくすくすと笑い声が聞こえる。



「ふふ」


「……何?」


「残念でした! 航先輩、私に諦めて欲しくて意地悪なこと言ってたんですね?」



 違う。もともと僕はこういう人間だ。

 確かに諦めて欲しかった。だけれど、そのために悪人を演じたわけじゃない。本来の僕を提示しただけにすぎないのだ。


 それなのに否定の言葉は咄嗟に出てこなくて、かといって肯定なんてできるわけがなかった。



「ずっと気になってました。あの絵を描いたのはどんな人なんだろうって」



 あの絵――つまり、僕が去年描いたもの。「天使」の絵だ。


 彼女がゆっくりと目を伏せる。



「何となく見ただけで、通り過ぎるつもりでした。でもできなかった。絵の中の瞼はしっかり閉じているのに、このまま見続けていたらいつか開くんじゃないかって……気が付けば、立ち止まって隅から隅まで鑑賞していました」



 そう語る彼女の瞼が下りていく。テーブルの上に放り出されていた両手を組んで、胸元まで持っていく。



あの人(・・・)は、何を祈っていたんですか?」



 それはさながら、僕があの画用紙に描いた「天使」のポーズだった。


 目の前の彼女は到底、無欲で綺麗な象徴とは似ても似つかない。この一瞬を切り取って額縁に入れたとしても、そのタイトルはせいぜい「堕天使」だろう。


 あの天使は一体、何を祈っていたのか。

 描いた時、そこまで考えていた記憶はない。それなのに、僕は今なぜか必死に考えている。彼女に応えようとしている。


 なぜ? そんな必要は一切ないのに。


 僕が一人そんな思考を巡らせている最中、彼女は目を閉じたまま、手を組んだまま、静かに呼吸だけを繰り返していた。


 椅子を引く。立ち上がる。もう、用はない。


 特別足音を殺したわけではなかった。むしろ茶番は終わりだと、そんな意図を込めて無遠慮に音を立てて席を外したはずだった。


 彼女は追いかけてこない。否――立ち去る直前、つと見やった彼女の瞼は依然として、閉じたままだった。



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