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雨を集めて1

 


「犬飼くんのことが好きです。付き合って下さい!」



 人気のない校舎裏に呼び出された時点で、こうなることは大体予想ができていた。以前ならば「予想」なんてぬるいものではなく、「確信」だったと思う。相手の欲しい言葉をあげて、求められている行動をしていたからだ。


 けれども、今は状況が少し違う。

 僕は別にいい人ではなくなったし、自分本位の言動ばかりだ。実際、これまで僕に絡んできていた女子たちも最近は顔を出さなくなった。


 それにも関わらず、こうしてぽつぽつと呼び出されることがある。



「ごめん。君のこと、全然知らないんだけど」



 はなから了承する気はない。よって、愛想を振りまく必要もない。


 しかし、今この状態の僕を好きだと伝えてくる人は、本当に僕のことが好きなんじゃないかとも思っている。

 僕のことが好きなのではなくて、自分にとって都合のいい言動をしてくれる僕が好きなだけだ――前までは、そう解釈することしかできなかった。



「えっと、四組の斉藤(さいとう)シホです。……付き合って下さいって言ったんだけど、本当はちゃんと告白したかっただけっていうか、だからあの」



 もごもごと口ごもり、彼女が顔を上げる。



「好きです。それだけ、伝えたくて……聞いてくれてありがとう」



 晴れやかな顔つきでそう言われてしまい、拍子抜けした。

 じゃあ、と軽く頭を下げて踵を返した彼女に、慌てて待ったをかける。



「斉藤さん」



 名前を呼んでから、いや呼んでどうする、と自分の蒔いた種に戸惑った。とはいえそれは一瞬のことで、自然と口が動く。



「ありがとう。……それと、応えられなくて、ごめん」



 僕の言葉に、相手の目が見開かれる。ぐっと彼女の眉間に皴が寄る。憎いから、嫌いだから、生まれた皴じゃない。何か溢れそうな感情を抑え込む、そんなふうに見えた。


 彼女は口を開こうとして、噤んで、開いて、を繰り返す。最後に一度大きく頷き、それ以上は一言も話すことなく僕に背を向けた。



「……航先輩」



 斉藤さんが去ってから、突然馴染みのある声に呼ばれて振り返る。

 どうやら物陰に隠れていたらしい。首を伸ばして周囲を見渡し、清は恐る恐るといった様子でこちらに近付いてきた。



「見てたの?」


「す、すみません……航先輩がこっちに行くのが見えたので、つい」



 つい、とは。


 今日の放課後は彼女と出掛けることになっていた。これまで清のスケッチに散々付き合ってきたわけだけれど、今度は逆に、僕のスケッチに清が付き合ってくれるらしい。

 といっても、僕が彼女にそうしてくれと頼んだだけだ。自分一人ではさぼりかねないのと、そもそも彼女のために絵を描くのだから、という理由付きである。


 帰りのホームルームが比較的早く終わったのでそのままここにやって来たものの、まさか清につけられているとは思わなかった。



「今の人、すごく可愛かったですね」


「まあ、そうかもね」


「それなのに振っちゃったんですか?」



 彼女はたまに、デリカシーがあるのかないのか分からない発言をする。大体、一部始終を目撃していたのだから、聞かなくたって答えは明白だろう。



「付き合って欲しかったの?」


「そういうわけじゃないですけど……航先輩はやっぱり、どこでも人気者なんだなあって、思っただけです」



 その言い回しは、むず痒くなるだけなのでやめて欲しい。

 咳払いを挟み、早く行こう、と彼女に告げる。



「雨降りそうですね」


「傘持ってないの?」


「ありますよ! 航先輩がスケッチしてる間、私が傘さすのでご心配なく!」


「……それはどうも」





 ***





 どことなく元気がない。素直な感想としては、それだった。



「清、聞いてる?」



 今一度問いかけると、彼女は我に返ったように顔を上げ、「ああ、はい」と曖昧な返事を寄越す。


 ここのところ、ずっとこの調子だ。

 清と放課後、再び出掛けるようになってから二週間ほどが経つ。最初に違和感を覚えたのは一週間前だった。思案顔で宙を見つめる彼女の様子に、何かが変だと感じたものの、その時は気のせいだろうかとあまり深く受け止めていなかった。


 しかし、日に日に彼女の表情が暗くなっているのは明白で、僕にはその原因が分からない。



「今日はもう帰ろう」



 そう切り出してスケッチブックを閉じれば、清が焦ったように首を振る。



「え、だ、だめです、ごめんなさい、私がぼーっとしてたから……」


「いや、いいよ。どうせ明日もサークルあるし」



 半分本当で、半分嘘だった。サークルではどうしても下の子たちの面倒をみなければならない。そもそも、楽しむという目的で集っているのだから、別段集中して作業ができる環境ではないのだ。


 けれども、今は彼女の体調の方が気がかりではある。

 それとなく原因を探るつもりで、僕は質問を投げた。



「頭痛持ち?」



 天気の悪い日に頭が痛くなるという人は少なからずいる。低気圧のせい、だっただろうか。ともかく、梅雨時に頭痛で悩むことは珍しくない。



「いえ……大丈夫です、頭は痛くないので」


「具合悪いの?」



 続けて問うても、いえ、と同じ答えが返ってくるだけだ。


 顔色は悪くないし、歩いている時もふらついてはいなかった。体調が悪いわけではないというのが本当ならば、いよいよ困ってしまう。一体、彼女から活気を奪っているのは何なのだろう。



「あ、そうだ。ずっと描いてたアクリル画なんですけど、もうすぐで完成しそうなんです」



 あからさまに話題を変えられた、と感じた。

 それでも、彼女の絵については関心を持たずにいられないのが正直なところである。僕は彼女のスケッチしか見たことがない。あれから絵の進捗を尋ねたことは何度かあったけれど、その度に「秘密です」と躱されていたのだ。



「出来上がったら、一番に見せに行きますから」


「どれだけ上手くなったか見物だね」



 僕の皮肉めいた口調に、清が控えめに笑う。いつものように言い返してこない彼女には、やはり調子が狂わされると改めて思った。





 ***





 彼女が言っていた「もうすぐ」とは、案外早く訪れた。


 月曜日の放課後。最近元気のない清はその日、少しだけ明るさを取り戻した声で僕を呼んだのだ。



「あ、航先輩」



 下駄箱付近で待っていたのだろう。僕の姿を見つけると、彼女は周りを用心深く見回してから背筋を伸ばした。



「もう帰れますか?」


「うん。……どうしたの」



 そわそわと落ち着きのない様子で一歩踏み出してきた清が、実は、と切り出す。



「絵ができました。今から見てもらうこと、できますか?」



 この後はどっちみち彼女と過ごす予定だったのだ、断る理由はない。

 頷いた僕に、目の前の清の頬が安堵で緩んだ。



「キャンバスを学校外に持ち出すのは、さすがに駄目みたいで……」



 そう説明した彼女と共に、階段をのぼる。

 部長に頼み込んで、今日は特別に美術室の鍵を開けてもらったらしい。もうここへは立ち入らないと思っていたけれど、早々に戻ってくる羽目になった。



「ちょっと待ってて下さいね」



 清が隣の準備室に入っていく。作品はそちらに保管してあるのだろう。

 誰もいない美術室の空気を肺に取り込んで、なんとはなしに部員の絵が貼られている壁を眺めた。一つだけぽっかりと空いているのは、僕の絵が掲示されていた部分だ。


 ぱたん、と背後でドアの開閉音が響き、彼女の帰りを知らせる。



「航先輩」



 振り返ると、大きなキャンバスを重たそうに抱える清がいた。手を貸そうと近付いた僕に、彼女は「そこに座って下さい!」と容赦がない。


 大人しく指示に従って腰を下ろす。



「結局、最後まで何を描いたのか教えてくれなかったね」


「その方がわくわくしていいじゃないですか」



 別にエンターテインメント性は求めていないのだけれど。しかし、そんな小言を口にしても彼女の機嫌を損ねるだけだと分かっていたので、心の内にとどめることにした。



「じゃあ……い、いきます」


「どうぞ」



 どうやらかなり緊張しているようだ。硬い表情と声で、彼女はゆっくりとキャンバスを裏返す。


 まず目に飛び込んできたのは、青だった。否――そこにあるのは、青と白、そして黒だけだ。



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