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君の知らない色3

 


「わ、わたるお兄ちゃん、それ、黒だよ?」



 僕が輪郭を描いていた最初のうちは黙って眺めていたユイも、他の色を一向に加えようとしないことに不安になったのか、途中でそう声を掛けてきた。

 うん、と軽く受け流した僕に、彼女の眉毛が八の字になる。



「よっしゃ、できた!」



 自信ありげに腕まくりをしたタイガは、既に描き終えていた僕を見て首を傾げた。



「おまえ、もう終わったの?」


「うん」


「……ふぅん。ま、いいや」



 じゃあおれから! と宣誓し、彼が画用紙を掲げる。



「マスクライダーのレッド! めっちゃかっこいいだろ!?」



 マスクライダーとは、日曜日の朝九時から放送されている特撮テレビドラマだ。僕が幼稚園くらいの頃からシリーズとして続いていて、ライダーごっこは大抵の男子が通る道である。


 画用紙の中では、真っ赤な――といっても僕にはくすんだ朱色にしか見えない――マスクを装着したヒーローが仁王立ちをしている。



「うおーっ、レッドじゃん! すげー! かっけー!」


「先週のさ、レッドが新しい攻撃出したとこ、超かっこよかったよな!」


「ファイヤー・トルネード・アターック!」



 タイガの周りを囲む男子たちの顔がきらきらしている。

 正直、それが答えだと思った。勝ち負けというよりも、惹かれる絵を描いた、という点では、今の僕は誰にも敵わない気がする。



「……これ、いちご?」



 髪を結うのは飽きたのか、僕の絵を指さした女の子が不思議そうに問うてきた。頭皮に違和感があるのだけれど、もしかするとヘアゴムを適当なところで縛ってそのままにしているのかもしれない。



「こっちはトマト?」


「さくらんぼもあるー」


「あ! ここに赤ずきんちゃんとサンタさんいるよ」



 口々に喋りだした女子たちが、でも、と顔を見合わせる。



「ぜんぶ黒だねえ……」



 全部黒、その通りだ。僕は黒しか使わなかった。

 赤といえば? と聞かれて想像するものの中で、なるべくポピュラーで誰でも知っているものをかき集めただけだ。



「お、おい! おまえ、テーマ聞いてなかったのかよ、赤いものって言ったろ!」



 タイガが慌てたように目尻を吊り上げる。



「うん。だから、赤いもの(・・・・)描いたけど」


「は、はあ……? ぜんっぜん赤色使ってねえじゃん!」


「君は赤いものを描けって言ったけど、赤色で描けとは言ってない。違う?」


「なっ……」



 屁理屈だ。そう思う。

 近所の小学生と遊んでいるだけだったら、こんなことはしなかった。だけれど、ここには色んな人がいる。ユイだってその一人だ。


 だからこそ、タイガには言わなければならないと思う。



「赤がどんな色かは、人によって見え方が違う。それぞれの色につけられた名前だけが共通の印だ。赤いものを何色で描こうと、見た人が『赤いもの』だと思えば、勝手に脳内で赤色が補完される。その人にとっての、赤だ」



 彼はきっと、これから沢山の出会いをするだろう。自分と異なる価値観に対峙した時、ただ「おかしい」と主張するだけではどうにもならないことが必ずある。

 それに気が付くことができるかどうかは、単純に運次第な部分も否めない。今その機会を得られている彼には、見逃して欲しくないのだ。



「タイガ。君が僕のことを好きじゃないのは分かってる。でも、自分の言葉で誰かを傷つけることに、もっと敏感になった方がいい」



 僕のように、誰かを傷つけてから後悔するな。深く潜って戻れなくなる前に、自分の「好き」と「嫌い」に向き合え。


 タイガは黙り込み、それから口を尖らせて俯いた。



「……いーよ、分かったよ。おまえの勝ち。それでいいだろ」



 ていうか、と彼が不服そうに呟く。



「おまえがそんなに絵うまいとか聞いてないし! ずるだろ、ずる!」


「勝負しかけてきたのそっちでしょ」


「入るのはいいけど、……ゆ、ユイに、ちょっかい出すなよ」


「小学生に興味ないし、君の邪魔もしない」


「はあ!? お、おれは別に関係ないけど!?」



 その意地の張り方で誤魔化せているつもりなのだろうか。あまりにも分かりやすくてため息が出る。



「わたるくんの絵すご! 写真みたい!」


「どうやって描いたらこんなふうになんのー?」



 タイガとの勝負は思いのほか興味をそそるものだったらしく、ふと顔を上げると子供たちが僕とタイガを囲うようにして集まっていた。


 勢いに圧倒されつつ、ぼんやりと彼らの様子を眺めていると、唐突に後ろから肩をたたかれる。

 振り返れば案の定、純と目が合った。彼の笑みが深まり、何だか嫌な予感がする。



「お前、今日から副サークル長な」


「は?」


「高校生少ねーんだわ。俺が最年長、で、次がお前」



 そういうわけだから、よろしく。

 二、三度ダメ押しのように僕の肩をたたき、純が立ち上がる。



「俺このあと予定あるから、後は任せた。分かんないことあったら清に聞け」


「ちょ――は、……はあ?」



 彼を追いかけようにも、子供たちに捕まって動けない。遠ざかる背中を呆然と見送り、頭を抱えたくなった。







「わたるくんじゃあねー」


「さやかちゃんも! ばいばい!」


「ばいばーい、気を付けてね」



 子供たちに手を振り返す清の声が浮かれている。彼女は僕の方につと視線を移し、頬を緩めた。



「航先輩、すっかり人気者ですね」


「どうせ今日だけでしょ」


「そんなことないですよ。ほら、タイガくんだって最後は名前呼んでくれてたじゃないですか」


「呼び捨てだったけど」


「ふふっ、仲良くなりたいんですよ。きっと」



 くすくすと嬉しそうに肩を揺らした彼女は、突然背筋を伸ばして真面目な顔になる。



「航先輩、ありがとうございます。『なないろ』に入ってくれて、……私のために、絵を描くって言ってくれて」



 僕を見上げる清の目は澄んでいた。今日の彼女は凛としていて、泣く気配など微塵もない。



「こないだ、ちゃんとお礼を言えなかったので……本当に、本当に嬉しかったんです」



 しっかりと腰から折って頭を下げる彼女に、むず痒くなる。

 自分の選択を間違ったとは思っていないし後悔もしていないけれど、丁重に掘り返されるのは勘弁して欲しいところだった。


 話の流れを変えたくて、「あー……」と中途半端な声を出してしまう。



「それはもう、いいから。ちょっと付き合ってよ」


「はい?」



 かくして彼女を連れてやってきたのは、いつかのアイス専門店だ。土曜日ということもあってか、店内はかなり賑わっていた。



「ええと……航先輩、そんなにアイス食べたかったんですか?」



 戸惑い気味に尋ねてくる清から目を逸らし、言葉に詰まる。

 別にアイスにはさほど興味はなく、思いつきで来てしまっただけだった。他に彼女の好きなものなんて知らない。



「あ、分かった! 今回の誠意(・・)ですね? 私買ってきます、バニラでいいですか?」



 勝手に結論付けた彼女が走り出すのを、慌てて腕を掴んで引き留める。



「そうじゃなくて。……いい。僕が買ってくる」


「え、」



 散々悩んで自分で決めたことを、彼女の責任だと押し付けるような人間だと思われるのは心外だ。否、そう思われるような行動を取ってきた僕が悪いのは承知している。


 固まる清に「そこで待ってて」と言い残し、店内に足を踏み入れた。


 以前彼女はバニラを二つ注文していたけれど、確か一番好きな食べ物はいちごだと言っていたはずだ。

 バニラを一つ、それからストロベリーを一つ注文し、清のもとに戻る。



「あ、ありがとうございます……あれ?」



 カップを受け取った彼女が首を傾げた。



「これ、バニラじゃないです、よね?」


「いちご好きじゃなかったっけ」



 生の果物は好きでも、加工されたものは好きじゃないという人はいなくもない。とはいえ、前にパンケーキを食べていた時も彼女はいちごを頼んでいたはずだ。



「えっ、好きです! 好きですけど! でも、ちょっと高くなかったです……?」



 そう聞かれて、嘘をつく必要もなかったので頷いた。確かにストロベリーはバニラよりも五十円くらい高かった気がするけれど、騒ぐほどの値段でもないだろう。



「大して変わらないでしょ。早く食べないと溶けるよ」


「え、あ、あの、私自分のぶん払います!」


「別にいい」


「ええっ……」



 なぜ途端にしおらしくなったのだろうか。僕の方が圧倒的に彼女に奢られた値段で言えば上である。


 先にアイスを食べ始めた僕を見て諦めたのか、清はようやくスプーンを動かした。



「航先輩、ありがとうございます」


「うん」


「ふふ」


「なに?」


「何でもないです。ちょっと、嬉しくて」



 今日の彼女はやけに上機嫌だ。

 やっぱり僕よりも早く食べ終わった清に、そんなに美味しいなら二つともストロベリーにするべきだったか、とほんの少しだけ後悔したけれど、これまでの大きな後悔に比べれば、それはちっぽけなあやまちだった。



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