君の知らない色2
「まさかお前が入るなんてなー……どういう心境の変化だよ」
書類に必要事項を書き込む僕を見下ろし、純が問いかけてくる。
六月の第一土曜日。真昼間だというのに、太陽は分厚い雲に邪魔をされて顔を出せないようだ。今にも雨の降りだしそうな色をしている。
憂鬱な天気にも関わらずこの福祉センターまでやって来たのには、もちろん理由があった。
「これでいい?」
僕が差し出した書類を手に取り、「はいどーも」と彼はそれに目を通す。
「おっけ。そしたらまあ……お前は今日からサークル員ってことで」
美術部には戻らない。そう決めたのと同時に、「なないろ」で活動してみようという考えに至った。
絵を描くこと自体は好きなのだと思う。けれども、それが趣味かといわれると怪しいところだ。
強制的に絵を描く状況をつくらなければ、僕はまた投げ出してしまうかもしれない。これは防御策である。
純の腕がこちらに伸びてきた。そのまま肩を叩かれ、くるりと体の向きを変えられる。目の前には集会室のドアがあった。
「なに? 痛いんだけど」
「おーいみんなー、いいかー。開けるぞー」
僕の文句を無視し、彼が姿の見えない相手に呼びかける。
一体どういうことだ、と思わず眉をひそめるものの、純はそんな僕の様子に目もくれずドアを開けた。――瞬間、
「『なないろ』へようこそー!」
威勢のいい声が飛び、ひらひらと紙切れ――否、紙吹雪が舞う。傍らでせっせとそれをまき散らしているのが清で、正面には小中学生のサークルメンバー。
あまりにも唐突な歓迎に、立ち尽くす他なかった。
「ほら、早く入れって」
「いや……どういうこと?」
「お前の歓迎会だよ、分かるだろ。うちは誰かが入ってきたらみんなで歓迎会するって決めてんだよ」
背中を押され、部屋の中を見渡す。
ホワイトボードにはご丁寧に「わたるくんようこそ」と大きく記されており、動物やキャラクターの絵が好き勝手並んでいた。壁には折り紙で作成されたであろう輪つなぎが連なっている。
まるで、小学生の頃の誕生日会だ。久しく見ていない光景に懐かしさすら覚えた。
「ありがとうくらい言えよ。みんな随分前から来て準備してたんだからな」
耳元でそんな前置きをして、純は「注目ー!」と声を張る。
「今からこの兄ちゃんが自己紹介してくれるらしいから、ちゃんと聞いてなー」
強引な事の運び方には、相変わらず、との感想を抱かずにはいられない。なんといっても、この場の権限は全てサークル長の彼にあるのだ。
一斉に僕へと集まった視線が、急かすように輝いている。
「犬飼航、高二です。よろしく」
簡潔に述べて口を閉ざせば、脇腹を強めに肘で小突かれた。犯人は隣にいる男しかいない。
「おい、ありがとうは? リピートアフターミー、あ・り・が・と・う」
「…………えー、と、僕のために色々、ありがとう」
痛みのせいで若干途切れ途切れになった謝辞だったけれど、純は渋々納得したようだった。
静かになった彼とは対照的に、今度は正面から手が挙がる。
「はいはいしつもーん! わたるくんは何の虫が好きですか! おれはね、カブトムシ!」
「ユイもしつもん! わたるお兄ちゃん、好きな人いるの?」
虫は好きじゃないし、好きな人もいない。
しかし僕が答えるより先に、一人の少年が噛みつくように声を上げた。
「おい、ユイ! こいつの好きなやつなんて聞いてどうすんだよ!」
「タイガくんには関係ないでしょ! わたるお兄ちゃんのこと、こいつっていうのやめてよ!」
「はぁあ~!?」
またこの二人の言い争いか、とやや辟易しつつ、そういえばタイガはそもそも「なないろ」に所属していなかったはずだと気が付いた。
一体どうして彼がここにいるのだろうか。そこまで考えたところで、純が耳打ちしてくる。
「タイガのやつ、お前に好きな子とられると思って『なないろ』に入ったんだと。最高に不純な動機だけど、小学生って感じで可愛いだろ」
「好きな子?」
「ばぁーか、ユイしかいないだろうが」
にやにやと心底愉快そうにしている彼も小学生男子と大差ないような気がする。
生憎、僕に小学生女子を愛でる趣味はないので、タイガには心配するなと伝えたいところではあるけれど、それすら阿呆らしい。
結局、歓迎会といっても別段変わったことはなかった。なし崩し的に雑談へと移行し、僕への質問を終えて満足した子は早々にフェードアウトだ。クレヨンやらクーピーやらを取り出して、絵を描きだしている。
「おれはおまえがここに入るの、認めてねーからな!」
「もうっ! タイガくん、いいかげんにしなよ! わたるお兄ちゃんのこと悪く言わないで!」
びしりと人差し指をこちらに向け、タイガが僕を睨む。
先ほど「おまえ、上から目線でなまいきなんだよ!」と指摘を受けたので、しゃがみ込んで目線を合わせているのだけれど、それをいいことに、背後では別の子が僕の髪をヘアゴムで結んだり三つ編みしようとしたり、やりたい放題だ。
「わたるくん、もうちょっと頭下げてよお、やりにくい!」
「……何やってるの?」
「可愛くしてあげてるの!」
それなら僕ではなくて、髪の長い清の方が適任だと思う。とはいえ、彼女は彼女で他の子の相手をしているようだ。
諦めて床に胡坐をかく。甘んじて洗礼を受けることにした。
「おまえ、おれと勝負しろよ! それで、おれに勝ったらおまえのこと認めてやってもいいけど?」
「勝負?」
「そーだよ!」
勝負の内容までは考えていなかったのだろう。ええと、と視線をさまよわせたタイガが不意に目を見開く。近くの机で画用紙を広げていた少年二人に近付き、彼は高圧的に切り出した。
「なあ、ちょっとクレヨン貸して!」
「えー……いま使ってるんだけど」
「すぐ返すって!」
タイガの圧に押されたのか、二人はおずおずとクレヨンを差し出した。それを受け取ったタイガが戻ってくる。
「どっちがうまく絵かけるか勝負だぞ!」
「いいけど……テーマは?」
「は? テーマ? えーと」
と、再び言い淀んだ彼は、何か悪いことでも思いついたらしい。不敵に口角を上げ、自信満々に告げた。
「赤。赤いものにしようぜ!」
「ちょっと、タイガくん! わたるお兄ちゃんは……」
思わずといった様子で身を乗り出したユイの口を、手のひらで塞ぐ。
彼女の言いたいことは分かっていた。自分と同じように、赤を鮮明に見ることができないから。そう伝えたかったのだろう。
だけれど、そのことはタイガだって知っているはずだ。
絶対に勝ちたいからこそのテーマ選びなのだと思ったし、変に忖度されるよりよっぽど清々しい。この頃の純粋さは、一体いつ失ってしまうのだろうか。
「いいよ。赤いものだったら、何でもいいんでしょ」
あっさり了承した僕に、タイガは少し面食らった表情で頷いた。
机の上にあった画用紙をそれぞれ一枚ずつ用意して、視線が交わる。
「言っとくけど、手加減なしだからな!」
彼はそれだけ吐き捨てると、クレヨンを一本掴んで早速取り掛かった。恐らくタイガが握っているのは赤のクレヨンだろう。
こちらも始めることにして、僕は一番端にある黒いクレヨンを手に取った。




