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依然として青い2

 


 学校での身の振り方に少々困っていた。

 連休明け、変わらず話しかけてきたショータに戸惑いつつ、それでも大多数は僕と目を合わせようとしない。隣の席の田中さんは、怖いもの見たさといった様子で時々こちらを見やるけれど、以前のように自分から話を振ってくることはなくなった。



『明日の放課後、玄関で待ってます』



 昨日の別れ際、美波さんの言葉。僕の返事を聞く前に、それじゃあ、と沈み始めた夕陽に歩いていった彼女の背中が、脳裏に濃く焼き付いている。


 その日の授業を終えて下駄箱へ向かうと、退屈そうに爪先をぱたぱた動かしながら俯いている美波さんの姿があった。

 声を掛けようか、掛けるにしてもなんて言おうか――逡巡していた矢先、彼女が唐突に振り返る。



「あ、航先輩!」



 数歩近付いてきた彼女に、僕はようやく我に返って靴を履き替えた。

 咄嗟に顔を伏せてしまったのには、特別な理由などない。ないのだけれど、ただ何となく、目を合わせるのが気まずかっただけだ。



「遅いですよ~。結構待ってたんですからね」


「ああ……ごめん」



 かなり時間をかけて階段を下りてきたという自覚はあった。

 外靴に履き変わった爪先を二回地面に叩きつけたところで、視線を感じて顔を上げる。



「なに?」



 僕の問いかけに、彼女は大きく空気を取り込むように口を開けた。



「航先輩がごめんって言った……」


「は?」


「だってだって、あり得ないじゃないですか! 絶対に今のは『そんなの、君が勝手に待ってただけでしょ』とか言う感じでしたよね?」



 僕の真似でもしてるつもりなのだろうか。わざとらしく声を低めて眉間に皺を寄せた彼女は、やけにテンションが高い。



「バカにしてるの?」


「まさか! 感動してます、とっても!」



 そこまで力説されると、かえって嘘くさいのだけれど。

 顔をしかめた僕に、美波さんが「早く行きましょう」と急かしてくる。以前彼女と訪れた、閑静な住宅街の中にある公園。そこでスケッチの練習をするらしい。


 電車に乗りながら、彼女はどうでもいい話を一方的に浴びせてきた。

 食べ物で一番好きなものはいちご。最初にいちごを見た時、あまり美味しそうに思えず、食わず嫌いをしていたそうだ。



「だって緑色でブツブツだし……甘酸っぱい味がするなんて想像つかなくないですか?」


「それは君の主観でしょ。いちごは赤いんだよ」


「航先輩だって、私のこと言えないくせにー!」



 こんな色覚ジョークを言い合っているのなんて、電車内に僕と彼女以外いないだろう。お互いの事情を知り、変に気を遣う必要性がなくなった。


 美波さんの前で気を張ることがなくなったのと同時に、学校にいて疲れることも減った。彼女に怒鳴った一件から、周りの目も変わり、「いい人」であり続けることは既に不可能になっていたからだ。


 それなのに、ショータは相も変わらず僕に話しかけてくる。彼は自らノートを差し出し、こう言ったのだ。



『先生から聞いたんだけど、お前黒板見えにくいんだろ? 俺、字汚いし寝てばっかだけど、これからはなるべくちゃんとノート取るからさ。分かんないとこあったら聞いて』



 今日の帰りに担任に引き留められ、ショータに僕の事情を説明したと聞かされた。田中さんにも話したと。

 クラスメートには言わないで欲しいと、最初に頼んでいたはずだ。誰にも知られたくなかった。



『授業に支障が出るなら話は別だ。申し訳ないが、席の近い二人には最低限理解してもらう必要があると思って、犬飼のことを話した。世界史の先生にも、見やすい板書をつくってもらうように頼んだから。今まで気付かなくて、悪かった』



 そう言って頭を下げた担任に、僕はなんて返せばいいのか見当もつかなかった。


 なぜ彼が謝るのだろう。なぜ僕は謝られているのだろう。

 ショータも、田中さんも、どうして僕を馬鹿にしないのだろう。どうして人のために――僕のために動くのだろう。


 だって、僕はもう「いい人」じゃない。何もせずとも人が寄ってきて、周りから好意や親切を受け取れるような、そんな人間の殻はとっくに投げ捨ててしまった。


 ただ汚れているだけの僕に、どうして――。



「航先輩、具合悪いんですか?」



 返事をまともにしなかったり黙り込んだりするのは、彼女に対する態度として今に始まったことではない。

 しかし美波さんはわざわざ僕の顔を覗き込むと、そう問うてきた。



「別に……普通だけど」


「そうですか? ずっと怖い顔してますよ」



 目的の駅に着き、二人で降り立つ。

 改札を抜けてから、僕はふと彼女に質問を投げた。



「心当たりがないのに人から優しくされると、不安にならない?」



 突然の話題提供に驚いたのか、美波さんは目を瞬かせる。



「どうしたんですか、いきなり」


「どう思う?」


「えー……そうですねえ。不安、はないです。嬉しいって思うのが先なので……」



 顎に人差し指を当て、斜め上を見つめながら彼女が答えた。

 あまり納得のいく回答は得られなかったので、更に質問を重ねることにする。



「親切にされる理由もないのに?」


「理由? 理由なんていちいち考えます?」


「メリットがあるから行動を起こすんだよ」


「うーん……」



 首を捻った美波さんが、じゃあ、と声色を変えた。



「荷物をたくさん持ったおばあちゃんが歩いていたとして、それを手伝う人って、見返りを求めてるんですかね?」



 彼女の瞳が僕を刺す。真剣な表情はすぐに崩れて、その口元に柔らかい笑みが現れた。



「多分、求めてないですよ。目の前に困った人がいたから助けたんです」



 不安ですか?

 美波さんは念を押すように、僕にそう尋ねる。



「でもそれはきっと、航先輩が素敵な人だから、優しくしたいって周りの人が思ったんですよ。私だってそうです」


「……素敵って」



 よくそんなことを面と向かって言えたものだ。聞いているこっちが恥ずかしくなる。



「この世界は、航先輩が思っているよりもずっと、あなたに優しいですよ」



 風が吹くのと同時、彼女は照れ臭そうに背中を向けて歩き始める。


 この世界は、僕が思っているよりもずっと、僕に優しい。

 もし本当にそうだとしたら、色と色の狭間をもう少し、ゆっくりと眺めていられるだろうか。



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