001 受験勉強のち、カツアゲと羊毛頭
私は勉強が嫌いだ。
だけど明日はアルトリウス王立探索者養成学校の入学試験日だし、さすがに勉強しないわけにもいかないよなあ……。
と、いうわけでシャワーを浴びたのちに暗記カードを手にベッドにダイブ!
うわあ! さすが都会のホテル、ふかふかだあ!
眠くなるまで復習しよ。
ペラリ、と暗記カードをめくる。
『エーテル』
空気中に含まれる魔力エネルギー。
うん、さすがにこのくらいはわかる。
裏面を見る。
『ダンジョンから漏れ出ている、空気中に含まれる魔力エネルギー。エーテル濃度はダンジョンに近い場所ほど高く、離れるほど低くなる。』
ま、まあ細かい部分は、多少ね。
次。
『マナ』
ダンジョンにある鉱石から取り出せる魔力エネルギーだね。
簡単簡単。
裏面を見る。
『高濃度のエーテルが結晶化した特殊な鉱物に含まれる魔力エネルギー。高効率の動力エネルギーとしても利用される。』
「ッスゥーーーー」
い、いや、結晶化するほど高濃度のエーテルなんかダンジョンにしかないし……実質正解だよね、うん。
つ、次。
『マナスフィア』
そうそう、これがエーテルの結晶化したものだね。
『エーテルの結晶化した鉱物であるマナクリスタルを、マナが取り出せるように加工した鉱石』
んああああああ!!!(枕ドン)
こんなんで明日の受験大丈夫なのか私!!!
次!
『マナドライブ』
魔術を使うための道具!
『設置したマナスフィアから取り出したマナを原動力にした道具全般のこと』
次!
『マナクラフト』
魔法!
『古代に使われていた魔法を人為的に再現した人工の魔法。魔術ともいう』
次!
『オド』
体内にある魔力エネルギー!
『呼吸によって取り込んだエーテルが体内で変質した生命力。身体能力や回復力を向上させる効果を持つ』
おやすみ!!!!!!!
私は寝た。
◇
「おい嬢ちゃん、金出せや」
「ひえっ……」
拝啓、故郷のお母ちゃんへ。
私は今、いわゆる“カツアゲ”というものをされています。
家畜を世話する癖で早起きしたので日が昇る前にホテルを出たらこの様です。
都会は田舎と違って怖いところなので、お母ちゃんもこちらに来られる際は気をつけてください。敬具。
「聞いてんのかテメェ!」
「わあああ! ごめんなさいごめんなさい!」
顔がこわいよう!
筋肉がいかついよう!
これがお母ちゃんの言ってた“チンピラ”!
現実逃避で頭に浮かべていた故郷への手紙を破り捨てる。
どうしてこんなことに……。
ついさっきまで故郷とは違う石畳の道に心が弾んでウキウキだったのが嘘みたいだ。
目に入った路地裏がなんだか別世界につながる入り口みたいで楽しそうだな、とか。
ちょうど入り口が街灯に照らされていたのが幻想的で素敵だな、とか。
それにここを経由すれば試験会場への近道にもなるはずだ、とか思うんじゃなかった……!
何とか出来ないかな……。
そっと周りを探っても山積みにされたゴミ袋くらいしかない。
どうしよう、暴れるわけにもいかないし……。
だって、大怪我なんかさせたくない。
「おい!」
「な、なんでしょう!」
「その鞄よこせ、そしたら見逃してやる」
「えっ」
だ、だめだ!
背負ったバッグに意識が集中する。
この中には私が田舎から持ってきたすべてが詰まっている。
衣服や明日の高等部受験に必要な諸々、そして村のみんなが託してくれた――、
「オラ! よこせ!」
「あっ……!」
村のみんなが託してくれたお金が、私を学校に通わせるために出し合ってくれた大事なお金が、奪われようとしている。
みんな生活に余裕があるわけじゃないのに、村で一番若い私のためにかき集めてくれたお金が。
『アイリス、頑張ってね』
大好きなお母ちゃんの声が脳裏をよぎる。
村総出で送り出してくれたみんなの笑顔が浮かぶ。
それだけは駄目だ。
許せない。
大丈夫。振り払うだけ。怪我は……させない。
だから私の体、震えるな。
覚悟を決めてグッと全身に力を――、
突如、ガサリと音を立ててゴミ袋の山から人の腕が生えてきた。
「ええ!?」
「あ? って、なんだぁ!?」
私の声に振り向いたチンピラがゴミ袋の山から生え出た腕に驚愕する。
私も驚きのあまり呆然としてしまう……いや! 逃げるチャンスだ!
私がそっと壁に沿うように横歩きしてチンピラから距離を取るのと、ゴミ袋の山を崩して人が現れたのは同時だった。
「人が気持ちよく寝てるのにさあ、騒がしいよあんたら」
伸びをしながら歩み出てきたのは、なんというか……軽薄そうな男だった。
故郷の毛刈り前の羊を思い出すモジャモジャとした栗色の髪に、彫りが深い顔に蓄えられた無精髭。
ゴミ袋の山から出てきたことも相まって、正直印象は良くない。
というより悪い。不衛生だ。な、なんだこの人……。
「なんだ、ホームレスかよ。消えろオッサン、金がないやつには用ねぇんだ」
チンピラがホッと息を吐きながら言うけど、ホームレス……?
ホームレスにしては、身なりが良すぎる気がする。
よく見れば着ているシャツはシワこそひどいものの質も良さそうだし、革靴もきれいだ。
腰につけたウエストバッグもひと目見て高いものだとわかる。
……別に目利きに自身があるわけじゃないけど。
そして件の男とはいうとあくびしていた。
呑気だなぁ! この羊毛頭は!
「ゴミ袋って案外寝心地いいんだよ? 生ゴミの臭いがつくのが難点だけど、仮眠には丁度いいんだよね」
「おい聞いてんのかオッサン!」
「で、お兄さん何してんの? こんなとこで」
羊毛頭はチンピラの言葉を無視して私を見た。
「もしかして、いたいけな少女に乱暴しようとしてた? それとも、そういうプレイ? 合意ならまあ……恋愛は自由だからね。未成年が相手とはいえ、とやかく言うつもりはないけど」
その言葉にブンブンと私は首を横に振る。
プレイって……そういうことだよね!?
興味がないとは言わないけど初めては好きな人とロマンチックな感じにって決めてるんで!
少なくともこんな路地裏で散らすつもりはないよ!
ていうこっちを見ないでほしいんですが!
逃げようとしたのがチンピラにバレるから!
「ん……? おいアマ! 何逃げようとしてんだァ!」
「ひえっ!」
バ、バレたじゃないですかやだー!
チンピラがこちらに近づいてこようとするが、続く羊毛頭の声に足を止めた。
「となると未成年相手の性的暴行、ね。だめだよ、お兄さん。知ってるかい、強姦罪って。最低でも二年はお務めしなきゃいけなくなるよ? それも未成年が相手となると、五年は堅い」
「誰がこんな乳臭いガキ襲うか!」
「乳臭い!?」
乳臭いって言われた!?
いや確かにまだ15だけど、これでも村では「大人っぽいね〜」と頭を撫でられながら言われてたのに!
それとも田舎で飼っている牛の乳が大好きだから、その臭いが移ったとでも!?
私が自分の腕をクンクンと嗅いでいる横で、羊毛頭は飄々とした態度を崩さずチンピラを挑発する。
「じゃあ恐喝? どっちにしろ臭い飯を食うことになると思うけど。と言ってもお兄さんは普段から良いものを食べてなさそうだね」
そういう羊毛頭だってお世辞にも良い食生活をしている風には見えないんだけど……。
あ、でも身なりは良いし案外お金持ってるのかな?
「チッ、もういい。痛い目見たくなかったらさっさと消えな」
「おや、優しんだね。忠告してくれるんだ。じゃ、あんたがその子を見逃してあげたらこっちも消えてあげる」
「……後悔すんなよ!」
そう言ってチンピラは懐から棒状のものを取り出した。
あれは……なんだろう、警棒かな。棍棒みたいだけど、色は黒いし材質も木材ではなくてもっと硬質な感じだし。スチール?
何より気になるのは持ち手の近くに嵌め込まれた球状の宝石のようなもの。もしかしてマナクリスタル……じゃなくてマナスフィアかな。
ということはあの警棒は、マナドライブ?
「あらら、お兄さんそれどこから盗んできたの? 届け出のないアームズは違法だよ?」
アームズってなに。
え、もしかして試験に出る? そこのところ詳しく教えて欲しい。
「へっ、これは自前だよ」
「んん? ……あー、その形状。たしかナントカって警備会社が使ってたやつか。あそこはダンジョン遠征に失敗して倒産したって聞いてたけど。なるほどね、落ちぶれちゃったわけだ」
「うるせえ!」
チンピラの怒号と共にマナスフィアが発光したと思うと、アームズと呼ばれた警棒に幾何学模様的な輝くラインが走る。
そして、チンピラの肉体が輝き出した。
思わず吹き出した。
ムキムキの筋肉が光るの、こんな状況だけどちょっとおもしろすぎでしょ。
「街中でのアームズ及びマナクラフトの無断使用、それと暴行未遂も追加と。どんどん罪を重ねるね、たいしたもんだ」
「なんなら傷害も追加してやるよ」
「そりゃ無理だ」
「あ?」
すごむチンピラに羊毛頭は不敵に笑う。
「俺の見立てだと、あんたじゃ俺に傷一つつけられないだろうからね」