ある双子の兄のお話。
正解なんて、最初から分かっていた。
俺はどうすべきなのか。
なんて言えば良いのか。
「いい?あなたたちはお父さんみたくならないでね。」
「ちゃんと勉強して、いい成績をとって、お母さんを安心させてちょうだい。」
「立派な大人になるのよ。」
母さんの話の切り出し方は、いつもこうだった。
俺はそれに対して決まり文句のように、「もちろんだよ、母さん」と答えていた。
双子の妹は、こういわれるといつも何も言わずにこにこしていた。
母さんはそれをみると、「あぁ、そう。そう。」と安心したようにほっと溜息をつく。
俺は父さんのことはあまり覚えていない。
小さいころにいきなりぱっと姿を見せなくなった。
ただ、日に日に薄れていく幼き頃の記憶の中の父さんには、あまりいい印象がないのは確かだ。
そして俺と妹と同じような、赤い目をしていたような気がする。
俺は母さんを安心させたくてたくさん勉強した。
本も本当は好きじゃないのにたくさん読んだ。
いつしか俺は、問いに対して間違えることはなくなっていった。
母さんは百点の俺のテストを見て、「あぁ、あなたは私の自慢の息子よ。」と、笑顔を見せてくれる。
俺はそれがとてもうれしかった。
だが妹は違った。
学校でいたずらしては、授業をさぼったり、テストでは50点も取れない。
母さんが学校に呼び出されることだって多々あった。
いつしか母さんは、妹に対して汚いものを見るかのようなまなざしを向けるようになっていた。
時には手をあげることだってあった。
……「時には」が「たまに」になって、「いつも」になっていくのには、そう時間がかからなかったかもしれない。
妹はいつも笑顔だった。全然苦しそうなんかじゃなかった。
手をあげられたとて、問題行動をやめようとはしなかった。
俺は「本当は苦しいのだけれど、無理している」とか、「頑張っても空回りしてしまう」とか、そんな頑張っても結果がついてこない、“可哀想な妹”だと思っていた。
そう思っていたんだ。
「なぁ、あんまり無理すんなよ」
ある日、俺は妹にそう声をかけた。
「わかんねぇとこは、俺が教えてやるからさ。」
妹はにこっと無邪気な笑顔を見せた。
作り笑顔には見えない、本当の笑顔だった。
「ありがとう!でもいーんだ。勉強ってめんどくさいじゃん」
ぱたん、と何かが落ちた音が聞こえた。さっきまで俺の手がしっかりと持っていたはずの本だった。俺は慌てて本を拾う。
信じられなかった。
妹は、苦しくも無理なども、頑張ってさえいなかったのだ。
妹は全然、“可哀想”なんかじゃなかったんだ。
すごいと思った。
俺はこんなに頑張っているのにとか、ずるいとか、そんなのは1mmも思わなかったけれど、妹はどうしてそんなに強く在れるのだろうと疑問に思った。
それと同時に、俺がなんだか空っぽにさえ思えてきた。
これが、そんな自由な妹が俺の憧れの存在となり、そして世界一大切な妹となった瞬間だった。
「あんたなんていらない」
でも家での環境は妹にとって、どこからどう見ても苦しそうに見えた。
「あんたなんて生まなきゃよかった」
「いなくなってしまえ」
延々と浴びせられる罵声、増え続ける痛々しい痣。
俺なら絶対に耐えられないと思われるそれを、妹は平気な顔をして受けていた。
笑顔まで浮かべていた。
殴られながら笑っているなんてそんな意味が解らない光景が目の前で繰り広げられていた。俺はただただ、それを黙って眺めていることしかできなかった。
いや、眺めることさえできずに、血を見ないように目を瞑って、鈍い音を聞かないように耳をふさいでいた。
怖かった。
ずっと妹を殴り続ける母さんも。
笑顔でいる妹も。
妹はきっとおかしくなってしまったんだと、助けてあげなければと思うのだけれど。
できなかった。
声が出なかった。
正解なんて、最初から分かっていた。
俺はどうすべきなのか。
なんて言えば良いのか。
でも俺にはなかったんだ。
母さんを、妹を助ける勇気が。