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蒼衣さんのおいしい魔法菓子  作者: 服部匠
第二部 自由の夢を描くペン・エクレア
45/50

自由の夢を描くペン・エクレア3

 フォークを差し入れた瞬間、ケーキの上に浮かんだのは瞬くオリオン座。黒く艶やかなドームに反射して、キラキラときらめく。


「噂通り、本当に星座が浮かんだわ~」


 早野家のダイニング。明美と両親――家族三人で魔法菓子をのぞき込み、感嘆をもらす。テーブルに並んだ魔法菓子はどれも色とりどりではあるが、ショートケーキやロールケーキなど、一見すると普通のケーキにしか見えないものだから、余計に不思議である。


「このミニフィナンシェ、一周年記念のおまけでもらったの。食べると金の粒が出るかもしれないんだって」


 おまけで貰ったというミニフィナンシェの袋を見せる母は、早く食べてみたいなあと子どものようにはしゃいでいる。


「へえ、運試しねえ」


 父も、小さなフィナンシェをつまんではしげしげと興味深そうに眺めている。楽しいことが好きで、おおらかな両親。進路も、周りが美大と言い続ける中「明美のやりたいこと、やれることをやってみたらいいよ」と専門学校への進学も許してくれたくらいに度量が大きい。

 声の変わるロールケーキや、触れただけで溶けていくいちごのショートケーキに逐一驚き、楽しんでいる両親を見た明美は「ねえ」と口を開く。


「見た目は普通のケーキなのに、すごいね。魔法菓子って、もっと派手なものだと思ってた」


 明美の中の魔法菓子は、結婚式などで供されるような派手なもので、町のケーキ屋さんで売っているとは思わなかったのだ。


「テレビや雑誌で特集されるものはそうかもしれないね。たしかに、お父さんが昔東京で食べた魔法菓子は、飴やチョコレートの細工が豪華で、派手な効果だったし。でも、どうもここのは違うみたいだ」


「お値段もさほど高くなかったわよ。だから、普段使いに買って行かれるお客さまが多いお店なんですって。魔法菓子って敷居が高いと思ってたけど、そんなこともないのねえ。ほら、眺めるだけじゃなくて、食べてみて。おいしいわよここのケーキ」


 母に勧められるまま、星の輝きを受けて艶めくムースをすくい取り、口に運ぶ。すっととろけるチョコレートムースと、センターに入っているキャラメルムースのほろ苦さ。上品な口当たりに舌鼓を打っていると、目の端に少しだけ走る星の瞬きにさらに驚く。


「これ、おいしいしびっくりする」


「でしょ~」


 さほど奇を狙っていない、シンプルな外観や柔らかい味わい。なのに食べれば、星がきらめいた瞬間を見つけたときの、心に小さな明かりが灯ったような感じ――日常の中で感じる、ほんの少しの幸福――が口から全身に広がっていくようだった。


「うーむ。言うなれば、卓上の小さな魔法だなあ。どんな職人が作ってるのか興味があるよ」


「お店のパティシエさん、ちらっと見たけど綺麗な顔してたわよ~」


「顔は関係ないんじゃないの、もう母さんったら」


 母のミーハーな発言に苦笑する。そのとき、さっきまでの憂鬱な気持ちが薄れていることに気がついた。

 店のショップカードを見れば、調べれば車ですぐに行ける距離であることを知る。

 見た目は普通のケーキなのに、食べると不思議なことが起きる魔法菓子。

 すると、頭の中にはじけるようにイメージがわき始める。

 ――絵にしたい。この面白さを絵にしてみたい。

 ショップカードを握りしめ、慌てて部屋に戻る。スケッチブックを取り出し、夢中で下絵を描き始めた。

 消えかけていたやる気が、ほんの少しだけ湧いてきた気がする。

 水彩絵の具を取り出し、青や紺、紫や黒を使い夜空を表現。差し色の黄色で輝きを、ホワイトを飛ばしてきらめきを演出して仕上げる。

 フォークを差し入れたときの興奮、目の端で輝き続ける星、甘さと苦さのマリアージュ。食べたときの感情を、線や色に乗せていく。

 できあがったのは「プラネタリウム」を手に持ち、うっとりするように夜空を見上げる少女の絵。

 スマホで撮影し、軽くレタッチする。SNSのアイコンをタップし、とくにコメントもなく絵を載せた。



 翌日。学校に行くと、クラスメートの田中が声をかけてきた。


「昨日アップした絵、よかったよ。めっちゃRTされてたけどその後なんも発言なくて……そっか、通知切ってるっていってたっけ」


 田中は、青年誌志望の男子生徒だ。地味な画風故に目を惹く要素は少ない反面、プロットや話の展開のアイディアといった「物語」を作ることに長けている。自分の絵を気に入って、学校でもSNSでも褒めてくれること、漫画の趣味が合うことや、田中の創作方法を聞くのが楽しくて、クラスメートの中ではよくしゃべる相手だった。


「あ、ありがと」


 アップして以来、反応を見ることが怖くて一度もアプリを開いていなかった。


「アレ『ピロート』のケーキがモデルだろ?」


「わかるの?!」


 モチーフを言い当てられ、明美は驚く。コメントはなにも書いていないはずだ。


「ピロートのケーキ、よくSNSでバズってるし。特にあのケーキは有名だよ。そういえば、お店にイラストのこと教えてるひといたな。なんか返事きてると思うよ」


 そこでやっと、無断でモチーフにしてしまったことに気づき、慌ててスマホを探る。

 TL(タイムライン)をみると、田中の投稿している漫画があり、それは明美の絵よりも数が多い。

 瞬間、胸が焦がれるように痛くなる。

 漫画でバズることのできる――評価される田中がうらやましい。夏休みも、複数の編集部に漫画を持ち込んだと聞いた。


「田中、また漫画上げたんだ」


「ん。アイディア浮かんだし」


 それで描いてしまえるのがすごいのに。劣等感に押しつぶされそうになる寸前、通知欄に『魔法菓子店 ピロート』の名前を見つけて慌ててタップする。


『@hynnnn お客さまから、当店のケーキみたいだとご紹介があって拝見しました。とても綺麗で、魅力的な絵で素敵です!』


 とりあえず、怒られていないらしい。「先日家族が買ってきてくれて食べました。おいしかったのでつい絵のモチーフにしてしまい、申し訳ありませんでした」と打ち返す。

 授業が終わりスマホを見ると、ピロートから返信があった。


『@hynnnn とんでもないことです! うちのパティシエも大層喜んでいました。またご来店いただけたらうれしいです』


 あれを作った職人にも、悪い印象はなかったようだとひとまず安堵する。


「やっぱ早野の絵はすごいよなあ」


 一部始終をSNSで確認していたという田中は、感慨深げにつぶやく。だがしかし、やはり「絵」でなければダメなのか。漫画を描きたいのに――という考えが、浮かんで消えずにいた。


:::


「うーん……ここかな……よくわかんないなぁ……」


 火曜日の午前、名古屋市の中心街・(さかえ)

 百貨店やビルが立ち並ぶ繁華街の中、天竺蒼衣はたたずんでいた。

 憎らしいほど晴れた九月の空は明るく、どこに残っていたのかわからない暑さが蒼衣の頭をじりじりと焼く。寝不足でぼおっとする頭のまま、雑誌からコピーした地図を片手に、きょろきょろと辺りを見回しながら、あっちの路地、こっちの曲がり角……やっとのことで辿り着いたのは、新築のビルの前だった。

 蒼衣の寝不足には訳があるが、定休日を使わなければ訪れることができない場所だ。目的の場所を見た瞬間、蒼衣の眠気はすっかり吹き飛んでしまった。


「立派だなぁ」


 感慨と、ほんの少し躊躇する気持ち、どちらも入り混じった声で蒼衣は呟く。

 ショーウインドウから見える、豪奢なシャンデリアと壁紙、そしてガラスケースの中には、照明を受けて輝くケーキ。

 高級ブランドの服屋や宝石店に溶け混むラグジュアリーな雰囲気は、市の端にある本店を上回る豪華さで、圧倒された蒼衣は思わず目を瞬かせる。

 入り口の看板に書かれているのは「パティスリーパルフェ サカエ」の文字。


 この秋に開店した、五村シェフの店「パティスリーパルフェ」の二号店だった。

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