7話・私が悪い
町が襲われたと聞いたフィズ達は、急いで現場へと向かう。そこで見たモノは――
兵士さんから報告を受けた私たちは街へと急いだ。ピピアノとウードが身体を魔法で強化し、先行してくれている。私とジフテックが遅れて到着した頃には、もう軍の大部分も到着していた。
「これは……」
焼け焦げた建物や、なぎ倒された建物。めくれた通路。至る所に飛び散る、血。血。血。
それがヒトのものなのか、家畜のものなのか、魔物のものなのか、判別はまったくつかない。落ちている肉片も、そのほとんどが何のモノか……
惨劇の跡を目の当たりにした時、私は言葉に出来ない感覚に囚われる。それが何なのか、考えている余裕は無い。
「うぐっ……」
私は不意に吐き気に襲われる。急いで両手で口元を覆う。動悸で呼吸が乱れた。
少しの間目を閉じ、呼吸を整えると、吐き気は何とか治まった。目を開けると壊滅した町中に将軍を見つける。
「ゼンデュウ将軍!」
現場でキビキビと指揮を執っている将軍に駆け寄る。兵士たちは将軍の指揮の元、生存者探しや魔物がいないか警戒に当たっている。この様子では生存者は……いないだろうけど。
「……勇者殿。御覧の有り様です。まさか、この町『ゼラ』が落ちるとは思いませんでした。私が来た時には強力な魔物の姿はありませんでした。町の状態から見て、昨日か今朝くらいに襲撃があったのでしょうから、恐らく近くにはいると思いますが……」
ギリッと歯を噛み締め、悔しそうな表情でゼンデュウ将軍は言う。
彼の拳が震えている。町の防衛兵達の物であろう、血だらけの籠手を握り締めて。
「強力な魔物――」
小さいとはいえ、一つの町を壊滅させる事が出来る魔物が近くに……私の背筋に冷たいものが走る。
先ほどまでの遠足気分から現実に引き戻される。いや、或いはこれも非現実なのかもしれないけど。
「理解したかしら?」
「っ!」
不意に後ろから聞こえる冷たい声。その声の主が今日知り合ったばかりの旅の仲間である事は直ぐに分かった。げっ歯類の獣人……ピピアノである。
「な、何を……かな?」
震える声でそう言って振り返ると、彼女は冷たい目で私を睨んでいる。
「はぁ……アンタのお気楽さを、よ」
ため息混じりでそう言うと、ピピアノは私に詰め寄り、ガッシリと胸倉を掴んだ。引き寄せられ、額と額がガツンとぶつかる。
「アンタはこの行軍が楽しみ程度のもので、仲良しこよしのお遊びかもしれないけど。力を持たない者達からすれば、勇者だろうがなんだろうが、誰でも良いから魔物を退治してくれって思ってるの!」
もの凄い勢いでまくしたてられる。掴まれた所とぶつかった額がジンジンと痛い。
「あぁそう言えば、知ってるわよ? アンタの都合で出発が一日遅れたの。ご両親に会いに行ってたんだっけ? アンタがママのおっぱいを吸いに行かなかったら、ここの町、無事だったかもしれないわね」
「っ!」
皮肉たっぷりに放たれた容赦無い言葉の刃で私の心は抉られる。鋭い痛みは、胸倉の比ではない。
――そんな、私、私は……私が……この街を?
つまり彼女が言いたい事は、そういう事なのかもしれない。私がもっと勇者として自覚を持っていれば……自分の事など考えずにいれば……常日頃からもっと訓練しておけば……
「おい! 言い過ぎだッ! 勇者殿、先の事は誰にも分からないのだ。気にする事はありませんぞ」
ゼンデュウ将軍はピピアノから私を離すと、慰めの言葉を掛けてくれる。が、それが逆に辛い。
私はその場に崩れ落ちる。焼けた地面がまだ暖かく、焦げた臭いが近くて鼻がツンと痛い。
――私はバカだ。自分が思っていたよりも、ずっとバカだ。首都の大きな壁の中でぬくぬくと育ち、壁外がどうなっているのか、魔物がどういうモノか、よく知らなかった……うぅん、知ろうとしなかった。知らないまま、今日を迎えてしまった。
顔を上げて町の惨状を視界に入れる。その結果がこれだ。この町の姿だ。
「言い過ぎ? 気にするな? 言い過ぎなものかっ! 気にしろ! アンタ達はここで暮らしていたヒト達を何だと思ってる! 無力なヒト達の無念な気持ちが分かるのか!」
ピピアノの怒声に、周囲の兵士たちがこちらを見始める。
――町のヒト達の無念な気持ち。もし、もし私が両親に会わずに出発していれば……もし私が、もっとちゃんと壁外や魔物の事を勉強しておけば……
繰り返し同じような事を考え、のろのろと首を動かして町を見渡す。
火は鎮火したが、無残に崩れた建物や、引き裂かれた家畜の姿が目に入る。
――これは……いや、これが現実だ。この現実を作ったのは私だ。町のヒト達の全てを奪ったのは私だ。その使命があったのに、果たさなかったのは、私だ。その力があるはずなのに、護らなかったのは、私だ。
「ど、どうかしたんですか?」
騒ぎを聞いてか、ウードが駆け付けてくれる。額に汗を掻き、息を切らせた彼は、きっと真面目に捜索任務をこなしていたのだと分かる。
「……」
「……」
私もピピアノも、何も応えない。応える事が出来なかった。少なくとも私はそうだ。
「何でもないさ、ウード君。君は引き続き警戒に当たってくれ。ジフのヤツも連れてな。決して単独での行動は控えてくれよ?」
「は、はい! 了解いたしました」
場の空気を察してくれたのか、何も聞かずに将軍に与えられた任務に赴くウード。今はその方がありがたい。
「……アンタ。この先やっていけるの? そんな甘えた勇者が邪神なんて倒せるのかしら」
ピピアノの言葉は、何度も何度もグサグサと私の心を抉る。こんなに近くにいるはずなのに、耳に入る声が遠い。心臓の鼓動が大きくなり、まるで自分のものじゃないみたいに感じられた。
「……や、やる」
精一杯の返答。頭の中でぐるぐると色んな言葉が駆け巡っている。私がこれから出来ること、やるべき事は変わっていないはずなのに、『重み』が違う。これまでは正直に言って、誰も死なないものだと、いや、死なんてものは遠いものだと――
いやいや、それすら違う。『死』など、思う事すら無かったのだ。知ってしまった今なら、「世界を護っちゃえば」なんて、簡単には思えない。
――でも、やる。だって……
「私しか、いない、から。私は勇者、だから……」
絞り出した声は、本当に小さかった。消え入りそうな声がピピアノまで届いたか分からない。
「別にアンタだけじゃないわ。他にもう二人いるらしいじゃない」
「おいお前! いい加減にしないか!」
ゼンデュウ将軍がピピアノの肩を掴もうとするが、ゼンデュウ将軍が瞬きをした間に目の前から彼女は煙のように消えていた。
「なっ!?」
「アンタがいなくたって、他の勇者が上手くやるかもしれないわ」
ピピアノはゼンデュウ将軍の背中に背中を合わせた状態で立ち、私を見下す。冷たい目つきは私の弱い心を刺す剣のようにも感じられたけど、ここで目を逸らす訳にはいかない。
「それでも――」
吐き気がする。頭がクラクラする。可能であれば泣いてしまいたい。今すぐこの場から逃げてしまいたい気持ちを押し殺し、私はふらりと立ち上がる。
「それでも、私は、勇者だから!」
立ち上がり、ピピアノを睨む。震える体にぎゅっと力を込め、精一杯に声を絞り出した。
「……そう。なら、改めて覚悟しなさい。この先、いつ誰が死ぬか、分からないわ」
真っ直ぐに私を見つめる茶色い瞳を、私も真っ直ぐに見つめ返す。
――私は、私は……
「でもアナタの行動で変わるかもしれない。誰かが生きている喜びも、誰かが死んだ悲しみも、忘れてはダメよ。ヒトは忘れられたら、本当に消えてしまうの。一人ひとりは分からなくても、この町の事はしっかりと覚えておきなさい」
ピピアノはそう言うと、瓦礫の方へ歩いて行く。生存者の捜索に赴いたようだ。全身の力が抜け、倒れそうにあるのを必死に堪え、私は唇を噛み締める。
「……ゼンデュウ将軍、少しお話があります」
瓦礫の方へ消えていったピピアノを見送った後、私は静かに口を開いた。
「何ですかな?」
「私、安全な所で守られたくない。勇者として、私は前に出ます」
将軍は目を瞑り、ふむぅ。と腕を組んで小さく唸る。
「将軍が、いえ、皆さんが不安なのは、正直分かっています。でも、もう私は後悔したく無いんです。このまま変わらず進軍していったら、きっと私は色んな所で後悔します」
「しかし勇者殿。勇者殿が前に出たくらいで戦況は変わるかどうか――」
腕を組んだまま、将軍はこちらを見る。私だって分かっている。これは気持ちの問題だ。どうにかなるとか、ならないじゃなく、前に出る。
「それは分かっていますけど、それでも私は前に出ます。ピピアノが言った通り、私の行動で少しでも変わるなら、護れる何かがあるなら、私はそれを護りたいんです」
「……」
「……」
しばらくの沈黙。空は夕日が赤く染めており、いつの間にか兵士さん達は天幕を張って拠点を作っている。副将さんの指示のようだ。松明も四方に焚かれ、それぞれに見張りもついていて抜かりが無い。
「……分かりました。もう少し時期を見てから前線に出て頂こうかとは思っていましたが、我々の予想は既に何の意味もなさないようですからな」
「良かった! ありがとうございます!」
「ただし!」
将軍は私を真っ直ぐ見る。私もそれに応え、真っ直ぐに将軍を見る。見つめ合った二人の上空を鳥の群れが飛んでいく。狩りから戻り、餌を雛にやるのだろう。獲物を咥えて飛んでいく様が慈愛に満ちているように思えた。
「死んでは、いけませんぞ」
ここに来るまでの私には分からなかった言葉の重み。今ならこの言葉の重みが分かる。分かるからこそ、「死にません」等と軽々しい返事は出来ない。
「精一杯……生きます。一人でも多く、護りたいから」
私の言葉に、将軍は何かを言いたそうに口を開きかけるが、悲しそうに微笑むとそれ以上は何も言わなかった。
※※※※※※※※※※※※
「予想よりも魔物の活性化は深刻かもしれないな……ちっ。あのクソ神モドキどもめ!」
壊滅した『ゼラ』の跡地に張った天幕の中、私は苛立っていた。我々を虫程度にも思っていない神モドキの連中。一日でも早く……殺してやる。
「兄様。あまり大きな声で言っては――」
同じ天幕にいるこの娘は私の妹だ。腰まで伸びた暗い赤髪を一本に纏め、戦場では弓を用いて戦う。
「あぁ、すまない。それよりもリアリス、ゼラを襲った魔物は分かったかい?」
ゼラ壊滅を目の当たりにした時、私は直ぐに妹を偵察に出した。町の壊滅具合から、そこそこ大きい魔物の仕業だと思ったからだ。その根拠は火の跡、なぎ倒されたような建物や木だ。この辺りで火を扱うような魔物と言えば――
「はい、お兄様。大型の魔物はタウロンでしょう。近くに巣を見つけました」
「やはり、な。以前は縄張り外に手出しはしない魔物だったが、活性化した事で範囲を広げたか、あるいは性質そのものが変わったか」
タウロンは四足歩行で歩く大きな魔物だ。四足歩行時の高さで大人の倍近くはある。体長も長く、力も強い。更に面倒な事に口から火を噴く。我々の仲間曰く「タルに手足が付いたみたいだな。変な奴だ」だそうだ。
以前であれば、縄張りの外には手を出す事もなく、鈍重で温厚な性格であった為、旅人がうっかり巣に近づいたりしない限り、犠牲は無かった。
「少々、厄介ですね。タウロンは皮が厚い為、剣や弓等は効きにくい魔物ですので」
「ふむ、そうだな。タウロンの巣の存在は軍の連中は気づいていそうか?」
このままあえて無視する、という手もある。旅の邪魔にならなければ別に放って置いても良い。しかし、今後の旅での発言力を高める為に、退治するのも悪くは無い。
「いえ、恐らく気づいてはいないと思われますが、副将のアニルタは町に入って少しした後、周囲の探索を命じていました」
――ほぅ。さすがは副将と言ったところか。
「それなのに気づいていないと思うのは、何故だ?」
――余程の無能か、それとも……
「はい。私、巣を見張っていて、近づいてくる兵士を追い返していました。こっちは何もありませんでした。と」
そんな事で簡単に探索を止めるとは、やはり無能ではないか。私達が先に巣を見つけていれば、手柄を取り易くなる。手柄があれば、発言力が増す。戦功はあって損は無い。
「ふん。ハーシルトの兵士の質が知れるな。さて、どうするか」
即席の机の上の二つのコップに水を注ぎ、妹に一つ手渡す。
――このまま知らせないか、それとも知らせて手柄にするか……
「ありがとうございます。兄様……このまま軍に同行していくのは危険では? 想定した以上に勇者フィズは弱いようです。彼女が私達の目的達成の助けになるとは思えません」
妹はコップを両手で持ったまま、飲まずに椅子に腰かける。妹の言いたい事は分かる。フィズはハッキリ言って未熟以下の存在だ。このままいけば邪神にたどり着く前に魔物にやられるか、逃げ出すだろう。
「それはまだ分からないさ。他の勇者の元に向かった仲間達からの連絡も待ちつつ、我々は我々のやれる事をしよう」
私は水を飲み干し、妹の隣に座る。フィズは当てにはならないが、それでも仮に「勇者」に選ばれるだけの何かがある。はずだ。切り捨てるにはまだ早い。それに、彼女が持っている剣は、なかなか面白いものだ。
「大丈夫、きっと上手くいく。あんまり不安がってばかりだと、またメーリーから笑われるぞ」
「……私、メーリーさん嫌いです」
頬を膨らませる妹。これはしまったな、妹にこう言うと機嫌が悪くなるのを忘れていた。
「はは。そう言うな。仲間じゃないか。同じ『神殺し』の仲間同士、仲良くしなさい」
「むぅ。兄様がそう言うなら、努力します」
久しぶりの壁外。私自身、多少の不安はあった。しかし何世代と待ったのだ。この機会を逃す訳にはいかない。
――必ず。必ず殺してやる。我々は実験動物などではない!
「ふぁああ~」
「よし、作戦開始!」
「あぁ――我慢出来ないや」
次回「神託の勇者は私だけじゃない!!」一章8話――
「斬殺衝動」
「ズルいなぁ。次は私の番だからね♪」




