4話・お酒を飲むには、良い夜ね
夜の街を一人歩くピピアノ。ジフテックに見つかり、半ば強引に飲みに連れて行かれてしまう。
フィズ達と別れた後、商店街の端にある道具屋に私は来ていた。ロロッカの襲撃に備える為に。火薬、刃物、それから何種類かの薬と薬草を物色し、購入する。これらは調合すれば毒になる。
――こんなところかしらね。欲しいものは大体買えたはず。
買い物を終え、宿に戻ろうと商店街を歩いていると、一人ふらふらと歩いているジフを見つけてしまった。覚束ない足取りで、周囲を歩くヒトにぶつかりそうになっている。
――ったく、あの酔っ払いは、悪い意味で目立つのは避けてほしいものだわ。
「アンタ、こんな所で何やってるのよ?」
「おおぅ? ピピアノじゃねぇか。どうした、一人か?」
「見ての通りよ。それで、アンタは何してるの?」
「いやな、すっかり醒めちまったんで、他の酒場で飲み直そうと思ってよぉ」
足取りはふらふら。何処をどう見ても完全に酔っぱらっている。これで酔いが醒めているなど、誰にでも嘘だと分かるだろう。もう止めた方が良さそうだけれど……
「そう、明日以降に響かなければそれで良いわ。それじゃあね」
私は酔っ払いに構うのも面倒だと思い、立ち去ろうとする。が……
「まぁまぁ、奢るからお前も飲んで行けよ」
そう言って腕を掴まれた。酔ってるっていうのに、凄い力。
「ちょ、ちょっと。離しなさいよ。飲めないんだって言ったでしょ? このバカ!」
言っても聞かないジフに、強引に酒場に連れて行かれる私。今から毒の調合に取り掛かる予定だったというのに、この酔っ払いのせいで狂ってしまった。
「――店員さーん! ビラを二つー!」
「だから飲めないんだってば。申し訳ないけど、一つは水に変えてもらえるかしら?」
――ったく。この酔っ払いは。席に着くなり酒を注文するなんて、生粋の飲んだくれね。
「んだよ。一杯くらい飲めよ。十七も十八も変わんねぇだろ」
「変わるわよ。っていうか女性に面と向かって年齢の話、しないでよね」
「あん? さっきもしてたんだから気にすんなよ」
細身の男性店員がビラと水が運んでくる。落ち着いて店内を見渡すと、まぁ、特に感想も無い普通の酒場と言ったところ。時間も遅いから、私達の他にはほとんど客はいない。
「さっきは、まぁ、皆いたから不問にするわ。でも今は別。アンタと私しかいないじゃない」
ごくごくと旨そうに喉をならしてビラを飲むジフ。
――聞いてないわね、絶対。
「ぷっはぁ。あー! ウメェ! ま、歳とか、んな事はどうでも良いんだがよ、実はピピアノに聞きたい事があったんだよ」
どうでも良い……このオジサンめ。
「何よ?」
飲み干したビラのコップをトン、と優しく置くと、私の首筋がピリっとざわついた。
「……お前、一体何者だ?」
急に真顔になるジフ。雰囲気も全然違う。今の今まで酔っ払いだとしか思っていなかったこの男が、急に別人になったように錯覚する。私は咄嗟に腰に隠し持っている短剣に手を掛けた。
「おっと、そんなに警戒しなくても良い。別にどうこうしようって訳じゃない。ただ、気になってな。ゼンデュウの所で見せてもらった経歴書によると、お前さんは郵便屋って事になっているみたいだったが、ありゃウソだろ?」
「……何故そう思うの?」
急な事過ぎて、上手く切り返せなかった。私もまだまだ甘い。
「その反応だと、肯定と捉えるぜ?」
「質問に答えなさいよ」
「先に質問したのはこっちだっての。まぁ良い。まず気配の消し方が上手過ぎる。俺達と一緒にいる時はあえて消していないようだが、一人の時は違う。俺でさえ注視していないと見失いそうだ」
俺でさえ、ね。アンタこそ何者だと問いただしたくなるが、今はこちらが聞かれている身だ。
「あとは身のこなしだな、ゼンデュウから聞いたぞ。消えるように背後を取ったらしいじゃねぇか」
――ちっ。ゼラでの時か。あの時は頭に血が上っていて将軍の事なんて気にしてなかったわ。
「あとはまぁ……」
「まだあるの?」
ダメね私、こんなオジサンに怪しまれているようじゃ。覚悟を決めるしかないかもしれないわね。捕まる覚悟と、殺す覚悟。
「その買い物袋ん中の物だな、薬に薬草。パッと見ただけで毒物を調合出来る組み合わせだ」
私が買った袋を指差し、ニタリと笑うジフ。普通のヒトが分かる訳ないような調合をしないと、毒性は出ないんだけど?
「……はぁ。アンタも大概、何者よ?」
もう良いわ。聞いてみよう。正体くらい教えてくれそうだし。私はこれ以上下手に隠せないと思い、半ば諦める事にした。
「元、宮廷魔術師さ」
宮廷魔術師?確かにあの魔法の威力は、宮廷魔術師だと言われれば納得がいく。
「さ、俺は教えたぜ?」
不敵に笑うジフ。まぁ、ここまで来たら隠すのも意味ないか。これ以上都合の悪い流れになったら、その時は……
「殺し屋、ってヤツよ」
ニヤリと笑って言う。どうせなら少し驚け。
「やっぱりなぁ。思った通りだぜ」
即答。余裕な表情、ムカつくわね。
「やっぱりって?」
「さっき言った事から推測すると、それくらいしか思いつかなかったんでな」
確かにそうね。これで郵便屋を名乗る方が無理があるわ。
「それで、何人殺した?」
鋭い目つき。普通こんな事聞くかしら?
「直球な質問ね。仕事で殺したのは十人くらいよ」
一年くらいしか活動してないしね。というのは言わなくて良いか。
「そうか、それは思ったより少ねぇな」
「多いとか、少ないとかの問題かしら?」
「ぶはっ。それをお前が言うか」
吹き出してわらうジフ。何なのよ、このオジサン。変なの。
「で? どうするの? フィズに言う? 軍に突き出す?」
どちらにせよ、ここまでか。仇は取りたかったのだけれどね、仕方ないわ。
「言ったろ? 別にどうこうしようって訳じゃない。ただ気になっただけさ」
そう言うとビラのお代わりを注文する。
「それを信じろっていうの? ここじゃ人目があるから何もしないけど、外に出たらアンタの口を封じる事も出来るわよ?」
私はジフの目を強く睨んだ。こういう言い方をする奴は大抵、後で金を要求したり、ロクでもない事を考えている奴だ。これまでの経験上、そういう奴に関わると良い事が無い。
――そうだ、私はまだ終われない。やはり消えてもらう事にするわ。
忍ばせた短剣を握る手に力が籠る。
「別に信じなくても良いが、止めておけ。アーディの仇を討ちたいんだろう?」
「っ! アンタ一体……」
何故、何故コイツがアーディを知っている?
「うはっ。悪い悪い、ちょっと意地悪だったな。俺は元宮廷魔術師兼、孤児院の出資者、さ。だから当然、孤児院の院長……アーディの事は知っているし、孤児院にいたお前の事も知っていたよ」
――本当、ふざけたオジサンだわ。そう言う事ね。最初から知っててからかってたって訳ね……ムカつく。
「そういう事……全く、ふざけた酔っ払いね。まぁ、アンタが何者かは分かったわ。でも、アーディの仇の事は何か分かるの? まるで知っているかのような口ぶりだったけど?」
私の育て親であるアーディは、半年ほど前に殺された。彼が院長を務める孤児院の院長室で。未だに犯人は分からない。分かったのはヒトの仕業ではない事くらい。私が物音に気付いて院長室に向かった時、窓を突き破って出て行った影には太い尻尾のようなものが見えた。それと、無残な傷だらけだった部屋には、大きな一枚の緑色の鱗が落ちていた。という事くらい。
「ハッキリと全てが分かった訳じゃない。だが、『魔獣』が関わっていると俺はみている」
魔獣。簡単に言えば、私達獣人はヒト寄りなのに対し、魔獣は魔物寄りだ。という話を聞いた事がある。聞いた事がある。というのは、魔獣など、誰も見た事がないのだ。文献に載っている情報しか分からない。しかも、魔獣は『大結界』の向こう側にいるとされている。
――まさか結界を越えて来たとでもいうのかしら?
「お前さんが言いたい事は分かる。大結界を越えて来たとは俺も思えない。だが、考えてみてくれ。魔物の活性化が始まったのは半年以上前の話だ。魔物の中には知性が増大したモノもいた、つまり、魔獣に近い存在になったモノがいてもおかしくないだろ?」
「……なるほどね。元々魔獣だった訳じゃなくて、活性化の影響で後天的に魔獣みたいになったって事ね」
そんな事……いや、あり得るかもしれない。この街を襲っているロロッカも、活性化前は木にぶつかるほど知性が低い魔物だったはず。それが今は守りの薄い所から攻め込むまで知性が発達している。
「加えてゼンデュウの話によると、活性化は体形が大きくなるだけじゃなく、個体によっては反対に小さくなるヤツもいるらしい。そういう奴は『特異個体』と呼ぶ事にしたんだそうだ」
特異個体、ね。魔物の活性化については、まだまだ未知な事が多いから、何があっても不思議ではない。
「それは興味深いわ。小さくなる方が知性が高いのかしら? あの日院長室で見た影は尻尾が生えていた。それに落ちていた鱗から考えれば、『アニゲータ』や『ゲランシュ』辺りの特異個体という可能性があるわね」
アニゲータもゲランシュも、鱗と尻尾がある。どちらも中型で四足歩行だが、知性が発達した特異個体であるならば、ヒトみたいに二足で走ってきたりするかもしれない。でもそう考えると何でも有りみたいな気もするわね。
「まぁ、ここで考えてても分からない事だがな。しかし、いずれにせよ、魔物の活性化をそのままにしてはおけない。面倒くせぇが、邪神を倒しちまえば活性化が収まるんだろ? ならやるしかねぇ」
私が志願した理由はまさにそこだった。首都での調査は正直手詰まり。ヒトではないのなら、その親玉と思わしき邪神を倒す事で事態が進むと思ったからだ。
「……そう、ね」
私はようやく短剣の柄から手を離し、椅子の背もたれに体を預けた。
「はぁ、疲れたわ。ジフ、アンタ性格悪いわね。もっと早く言ってくれても良かったじゃない」
私がそう言うと、ジフは嬉しそうにビラを飲む。
「うはは。若いもんをイジるのもオジサンの楽しみだからな」
――ほんっと、ムカつくオジサンね。
私はムッとした顔で睨む。それを見てジフは何だか嬉しそうだ。
「それに、気づいてくれねぇかなぁ、って思ってたんだよ。小さい頃のお前を何回も抱っこした事あるんだぜ?」
うっそ最悪。全然覚えてないわ。
「……覚えてないわ。というか、昔から私を知っているって言われると何だか恥ずかしいわね」
「あぁ、色々知ってるぜ。お前さんの経歴や、本当の名前の事もな」
ニヤりと笑うジフ。ビラを飲むのは止まらない。
名前、か。そういえばこの名前はアーディが付けてくれたものだ。私には孤児院に来る前の記憶が断片的にしかなかった。ハーシルトに来る旅の途中、両親が何者かに襲われて死んだとは覚えているが、自分の記憶なのか分からない。誰かに言われたのを自分の記憶と思い込んでいるだけかもしれない。それくらいハッキリ憶えていないのだ。
「そう。出来れば黙っててくれると嬉しいわ。私は昔の名前に何の思い入れも無いから、バラされてもウザいだけよ」
正直、今更言われても。という思いだ。実は本当の名前は別にあるとか言われても、今更そっちを名乗るつもりも無いから、どうでも良い。
「あぁ。誰にも言わねぇさ。安心しろ」
ジフは残っているビラを飲み干し、机に空いたコップを優しく置いた。
――というか、何杯飲んだ?途中から数えてなかったけど、会話の合間合間に頼みすぎでしょ?
「さぁて、そろそろ宿帰って寝るかぁ――おろろっ? うははっ。さすがに飲みすぎたかね、足に力が入らん」
立ち上がろうとして立ち上がれない様子。ほんっとうに仕方のないオジサンよね。
「はぁ、仕方ないわね。少し待ってなさい」
私はお勘定を済ませると、ジフに肩を貸してやる。少し身長差があるから安定性には欠けるけど、少しはマシでしょ。
「お、済まねぇ。けど、介抱してくれないんじゃなかったか?」
のろのろ歩きながらそんな事を言っている。
「うるさいわね。放って置いてほしいなら今すぐそうするけど?」
「うはははっ! それは困る、頼むぜ、ピピアノ」
「ったく、ほんっとうにムカつくオジサンね」
その後、歩きながら眠りそうになるジフに肘打ちをしたりして、何とか男達の宿に戻ると、従業員にお願いして私は自分の宿に戻る。
部屋に戻るとフィズもリアリスも既に眠っていた。私は窓際にある椅子に腰掛け、こっそり買っていた果実酒をコップに注ぎ、一口飲む。
ジフの事、宿に帰ってくる間に少し思い出した。小さい頃にたまに来ていたオジサン。名前は思い出せないけど、あの笑い方は変わっていない。孤児院に馴染めずによく泣いていた私を、抱き上げて慰めてくれた……気がする。
「ふふ。その内お酒も付き合ってあげようかしらね」
私はそう呟くと窓から月を眺めた。久しぶりに飲んだ果実酒は甘く、まるでこの旅の仲間達のようだと思った。それが妙に恥ずかしかったけれど……ま、今日くらいは良しとするわ。
「……フィズさん。その剣は出来ればもう使わないでほしいです」
「私の記憶?」
「――何か話でもあるのですか? 勇者フィズ」
次回「神託の勇者は私だけじゃない!!」四章5話――
「喋る剣なんて、お伽噺みたいだね」
「壁の上、高いね!」




