6話・敗北を知った後、ヒトは強くなれるの
旅の初日を順調に終えられるかと思った矢先、突然現れた謎の女ミア。遊びと称して戦いを挑まれたハルは、その力の前に敗れてしまうのだった。
熟年夫婦に引き取られるずっと前。獣人国の貧民街。通称『掃き溜め』の中に、私の姿はあった。この地区で暮らすヒト達は皆、腐った魚のような目と、泥や垢に塗れた姿をしていた。もちろん例に漏れず、私も汚らしい格好だったし、諦めたような目をしていたでしょうね。そんな記憶が曖昧なほどに幼い頃に話だが、一つだけ忘れられない記憶があった。
「全く……やはり我々と同じようなモノを作り出してしまうとはな。模造品とはいえ、良い気分はしないものだ」
掃き溜めの中でもヒトがあまり寄り付かない裏道で、金短髪の男性と、眼鏡を掛けた女性が話し込んでいる。見た事も無い白い綺麗な服を靡かせて。明らかにここの住人では無いと、誰が見ても一目で分かる。
「そうね。だけど、これも彼らが作り出した世界よ。これも自然の一部と言えるわ」
幼い私は物陰に隠れ、ジッと動かずに二人を見ている。他には誰の姿も無い。私がそんな場所にいるのも全くの偶然だったはず。理由は忘れてしまったけど。
「ふはははっ。これを自然と呼ぶのなら、これまでに人類が繰り返してきた歴史も同様に自然だろうよ。無論、我が何をしようとな」
「そうかもしれないわね……だけど、貴方はこの大陸に干渉し過ぎよっ。私達の我が儘の為に、これ以上この大陸の人間達に迷惑を掛けられな――」
その時、カタンという音が私の背後で聞こえる。風で木の枝が飛んできたらしい。
「誰かいるのか?」
そう言って金髪の男性がこちらに歩いてくる。見つかったら何をされるか、幼い私は見当も付かなかったが、掃き溜めの中ではそもそも、突然殺されてもおかしくない。幼い私は必死に息を殺し、ジッと動かずに物陰に隠れ続けた。
「ただの風でしょ? もう去りましょう。アベル君から面白いの貸してもらったのよ」
眼鏡の女性がそう言うと、男性はため息を吐き、女性の方へ向き直す。そして女性が何かを取り出すと、強く発光し、思わず目を瞑る。目を開けた時には跡形も無く消えていたのだった。
私が目を覚ますと、見知らぬ木目の天井が視界に入った。何処からか漂う甘い花の香りが心地良い。小さい頃の夢を見たせいか、自分の体が少し大きく感じた。その感覚も、直ぐに元通りになる。
「……」
ゆっくりと上半身を起こす。痛みは少し残っているが、動かしてみたところ、怪我や違和感は無い。私はどれくらい寝ていたのだろう?まさか、王子達は私を置いて先に行ってしまったのではないだろうか?
私が不安に感じる前に、ガチャリと部屋の扉が開かれ、毛むくじゃら王子が入って来る。
「おぉ。起きたか、ハル。痛みや違和感は無いか?」
王子の顔を見て、安心する自分がいる。
――良かった、置いて行かれてないわ……
「王子……はい。特に異常は見当たりません。御迷惑をお掛け致しました」
上半身を起こした姿勢で、出来る限り深く頭を下げる。
「良い。貴公が無事で何よりである」
王子のその言葉に、嬉しさ少し、悔しさいっぱい。王子に見えないように唇を噛み締める。
――私、弱いなぁ。あの女……ミアに勝てる想像が全く出来ないわ。
いけない。弱気になっているようだ。ともかく、今は情報を整えないと。
「あ、あの、私は何日くらい寝ていたんでしょうか?」
窓の外を見ると、陽はすっかりと登りきっている。お腹の空き具合から考えて、あれから何日かは立っていると思う。
「あれから二日後だ。あの夜が一昨日。昨日丸一日、貴公は眠っていた」
――二日?そんなに……
それほど強烈な衝撃だったのに、大きな怪我をしていないというのは運が良かった。生きていたとしても、大きな怪我で旅の序盤から再起不能では、私にとっては死んだと同じだ。
「二日も……ミアは? アイツはどうしたんですか!?」
あの後、まさか王子達が倒してしまったのだろうか?それならそれで良いけれど。
「うむ。奴は土壁が崩壊すると、直ぐに消えてしまった。街の中を探しはしたが――」
ぐぅぅ。私のお腹は空腹を告げる音を容赦無く部屋中に響かせた。
――真面目な展開だったのに、どうして鳴るかな。まぁ、二日も寝てればそりゃお腹の中もスッカスカになってるでしょうけど。
「ハッハッハ! うむ。とにかく飯だな。少し待て、今何か持って来る」
王子がそう言って背を向ける。その背中を見ると、何故だか無性に焦る。何かしなくてはと気持ちが空回る感覚。
「お、王子!」
私は無意識に王子を呼び止めていた。
「むぅ? 何だ? 献立は我には分からんぞ? 希望くらいは料理人に伝えてやるが?」
「ち、違います! そ、その、私、私……その――」
言葉が上手くまとまらない。
「うん?」
「えっと……私がアイツに、ミアに勝てなかったから、置いて行ったり、しないんですか?」
こんな事聞きたくないけど、聞かずにはいられない。
「ハル?」
強く拳を握ったけど、上手く力が入らない。
「私の役割なんて、戦う事しか無いのに……戦う事しか、出来ないのに……それも役に立てないなら――」
「何を言うかッ! ハルフィエッタ・サングリエッド!」
私の声を遮り、王子が大きな声で叫ぶ。その声でビリビリと部屋が揺れた気がした。
「貴公がたった一度破れたくらいで、置いて行ったりするものかよ。確かに今回は勝てなかったかもしれん。だが、貴公はこうして生きている。幸いな事に怪我だって軽微で済んでいる。生きているなら、また奴と見える事もあるだろう」
「でも、私は負けました。次やっても、勝てるかどうか――」
「貴公はッ! 貴公は一度負けた相手には、もう一生勝てぬのか? 否ッ! 我はこれまでの貴公を知っている。入隊したての頃、リオに負けて悔しがる貴公を。我に負けて悔しさに涙した貴公を! しかし、その度に何度も立ち上がり、訓練を重ね、今や貴公は我らの中で屈指の強さを誇っているではないか!」
負けて負けて、その度に訓練を増やしていた頃を思い出す。泣きながら振った剣も、涙声で上手く詠唱出来なかった魔法も、今では私の自信に繋がっていたはずだ。
――あぁ。そうだったわ。
「それに――」
王子は私の所まで来て、両手でガッシリと肩を掴んだ。
「貴公一人で勝つ事が難しいのであれば、我やリオ、タカトも騎士団もいるではないか。我らが力を合わせれば、必ず勝てる。違うか?」
私は無意識のうちに、一人で戦うつもりをしていたのかもしれないわ。王子にやリオ、タカトだっているのに。
「申し訳ありませんでした。王子……」
私はもう、弱音なんて吐かない。
「私、いえ、私達は必ず勝ちます。ミアにも、邪神にも!」
王子の目をキッと見つめる。私の目を王子もジッと見つめ、やがて笑った。
「ハッハッハ! うむ、それでこそ我が側近! 近衛騎士たるに相応しい者よ! ハーッハッハッハッハ!」
王子は笑いながら部屋を出て行った。私は王子が部屋から出て行ってからも、しばらく扉を見続けた。
さすが王子ね……敵いやしないわ。
王子が出て行って少し経つと、ゴンゴンと部屋の扉を叩く音が聞こえた。
――王子?にしては早過ぎるわね。
「空いてますよー」
私が返事をすると、扉が開かれタカトの姿が。
「ハルさん! 良かった。ガンザリア王子から目を覚ましたって聞いて……」
そこまで言うとホッとした表情で私の近くにやってくる。
「心配掛けたわね。でも、もう大丈夫よ」
ぐぅぅ。またも大きく鳴る私のお腹。
「……お腹以外はね」
――王子!早くご飯をっ!
恥ずかしさで顔を少し赤らめ、苦笑いする。
「あはっ! ハルさんらしいね! あははっ!」
私の様子を見て楽しそうに笑うタカト。
「笑わないでよ、もう。あ、そう言えばタカト、リオは?」
――見舞いに来ないなんて、薄情なヤツ……ウソウソ。忙しいと思うし、来なくて良いんだけど、仕事を全て押し付けちゃっているようで気が引けるわ。
「リオさんなら、騎士団のヒトと街を警備してるよ。あ、そうそう、この街のヒト達は、皆無事だったみたいだよ」
「そう、それは良かったわ。行方不明者や、怪我人なんかもいないの?」
「うん、皆怪我も無いし、ちゃんといるよ」
「なら良いのだけど」
その時、ゴンゴンと扉が強めに叩かれる。
「はーい。王子ですよね? あ、タカト、開けてくれる?」
きっと王子がご飯を持って来てくれたのだと思う。扉は肩か頭で叩いたのだろう。両手は塞がっているだろうから。
「分かった」
タカトが扉を開けると、案の定王子が立っている。手に持った木の板には、湯気が立ち込める美味しそうなご飯が。
ぐるるる。その光景を見た私のお腹はこれまでに無いくらいに鳴いて催促をする。正直、もう限界である。
「うむ、すまないタカト。ほらハル、食え」
王子は寝床の脇にある小さな机にご飯を置いてくださる。ほこほこと美味しそうな湯気が、私の鼻腔を刺激する。
「ありがとうございます~! では早速――」
私は寝床の端に座り直し、スプンを手に取る。
――うっひゃあ~。どれから食べようか迷うわぁ……
私にとっては宝の山に見えるが、取り合えず、野菜がたっぷり入った汁を一口。
「はぁ~」
思わず声が出た。声が消える前に、焼き立てと思わしきパネにかぶり付く。フワっとした食感と、ほんのりとした甘さが口一杯に広がり、もう幸せだ。
「うっまぁい……」
「ハッハッハ! いつものハルだな。安心したぞ」
あ、王子の存在忘れてたわ。
「わ、私ったら、はしたない姿を……」
割と本気で恥ずかしくなる。何度も食事を一緒にしているけど、私だけが食べるという場面は初めてね。
「気にする事は無い。遠慮せず食べろ」
「は、はい」
その後、私は王子とタカトに見守られながら、しばらくぶりの食事を味わったのだった。
「――さて、と」
陽もすっかり落ちた夜。寝床から出て室内灯を付けると、私は体を伸ばす。
――しっかし、ここの宿屋の室内灯、花の形をあしらっていて可愛いわね。こんな繊細なのに、しっかりと魔力も通わせているなんて、なかなかに高い技術者がいるのねぇ。
「ん。ん――よし。問題無いわね」
旅の再開は明日から。王子の命令で食後ひと眠りした私は、すっかり元気になっていた。
――ずっと寝てたら体が鈍っちゃうわ。リオでも誘って訓練しよーっと。
あ、そう言えば。一応リオ、食事の終わり頃に顔を見に来たわ。私を見るなり、「心配掛けおって!」とか言って出てったけど。
リオを誘おうと部屋を出たけど、私、リオの部屋を知らなかった。廊下で立ち止まっている訳にもいかないし。他の誰かを誘おうにも、誰の部屋も知らないわねぇ。
「あれ? ハルさん?」
部屋の前で、木で編んだバスケットを持ったタカトに声を掛けられる。
「あらタカト。どうしたの? こんなところで」
「ハルさんの部屋に行こうと思ってたんだ。起きて大丈夫なの?」
「えぇ。すっかり元気になったわ」
私はクルっとその場を一回転。
「本当に良かったです。あ、そうだ。お腹空いてるかと思って、これを作って来たんだ」
手にした木籠に掛けた布を取ると、ふわっと甘い香りが漂って来た。ほんのりと焦げた匂いも混じっていて、それが何とも食欲をそそる。
「わぁ。良い匂いっ。これは?」
「ハーシルトの菓子職人が考案した、シュッメェル・クックェル・アールビスクェッティというお菓子だよ」
「シュッメ……なんて?」
舌を噛みそうな名前のお菓子ね。
「あはは。呼びにくいので、職人の名前を取って通称マロ焼きって呼ばれてるんです」
「そっちの方が呼びやすいわね。っと、ここじゃ何だし、中に入ろっか」
私達は再び私の部屋の中へ。
「――何これ! うっっっっっっまぁぁぁぁああい!」
口に入れた瞬間、ほろ苦さと甘さの絶妙な組み合わせが素敵な広がりをみせ、サクサクとした食感が何とも言えないワクワク感を与えてくれる。噛んでいる内に先ほどとは違った甘さが弾け、目が冴えたかと思うと、自然と飲み込んでしまっていて、その後、気が付いたら次の一口に齧り付いている。
「こ、これ、中毒性があり過ぎるわ! はむ……ほ、ほあらない……!」
バクバクと食べ続ける私を、タカトは苦笑いで見ている。
「お、落ち着いて食べてね……」
と言って水筒からお茶を注いで渡してくれる。
「ふぁいあと。はむはむっ――ぐむっ! んぐんぐっ! ぷはっ!」
急いでお茶で流し込んだ。それ見た事かとタカトが苦笑いしている。
――危うく戦闘じゃなくて、食事で死ぬとこだったわ
「美味しそうに食べてくれて、ボクは嬉しいけど……死なないでね?」
「まったく、大した腕だわ。こんなに美味しいお菓子まで作れるなんて。この旅が終わったら、王宮で菓子職人にでもなったらどう?」
お茶を飲みながら、適当な事を言ってみる。
「菓子職人かぁ。良いかもしれないなぁ――」
「あら、私適当に言っただけなのに」
「適当って……でも、良いと思う。自分の将来なんて、どうせ父上の跡を継いで、マイルクルオール家をどうするか考えるだけの貴族になるしかないって、思ってたから」
ふぅ、と寂しそうに溜め息を吐く。
「ふふ。私の適当も、たまには役に立ったわね。じゃあ、期待してるわよ? タカトの作るお菓子。きっとこの味なら、王子も気にいるわ。あのヒト、意外と甘い物好きなのよ。にひひ」
「は、はい! ボク、頑張ります! 必ずお城で菓子職人になる!」
グッと両拳を握って答えたタカトを見て、可愛いな。と思った。
「じゃあ、タカト。約束よ? このお菓子、お城でも作ってね?」
そう言って右拳を突き出す。獣人国では、約束をする時は拳を合わせる。ま、最近の流行りみたいな、呪いみたいな範疇なのだけど。
「はい! 約束です! もっと美味しく作れるようになるから!」
コツンと拳が合わさり、私達は軽く笑いあった。
「――さて、私ちょっと外に出て来るね」
椅子から立ち上がりながら私は言う。
「今から? もう夜だけれど?」
「えぇ。さすがに何日も体動かさないと鈍っちゃう。外は月明かりも、街灯だってあるから、気にならないわ」
元々はその為に部屋から出たのだし。
「それなら、ボクも行きます。ハルさん、起きたばかりだし、夜に女性一人では心配だから」
タカトも椅子から立ち上がる。その表情は真剣そのものだ。
「お、言うわねぇ、タカト。もう立派な男ね」
「な、何が? ボクはただ心配なだけで……!」
わたわたと慌てている。この手のからかいには弱そうね。
「ふふ。さすがは貴族様、なのかしら? それとも、天然の女たらしの才能があるのかもね」
「どど、どういう意味!? お、女たらし!?」
慌てるタカトは可愛いわね。王子もこれくらい慌ててくれると面白いのだけれど。
「ふふふ。さ、行きましょうか。私が暴漢に襲われたら守ってね? タ・カ・ト?」
タカトの鼻を人差し指で突く。
「も、も、もう! からかわないでください!」
顔を真っ赤にするタカトと共に、私は夜のリフテアに繰り出して行くのだった。
「あら、ごめんねタカト。嫌だったわよね?」
「へぇ! やっぱり凄いんですね! ガンザリア王子は!」
「王子ってば、嫌いな野菜は残すし、トイレ行った後に手は洗わないし、訓練にかこつけて私をいたぶって楽しんで――」
次回「神託の勇者は私だけじゃない!!」三章7話――
「屋台で買う飲食物って何であんなに美味しいのかしら」
「夜に出歩くなんて、ボク初めてですっ!」




