1話・モッフモフのフッカフカよ?
獣人の多く住まう国、獣人国「ダンザロア」この国にも神託は下っていた。
――どんなに苦しくても、どんなに悲しくても、どれ程の理不尽があっても、それが私にとっては……普通なんだ。
――この世に神様というモノがいて、神様がヒトを造っていると言うのなら、私はきっと適当に造られたのだろう。
――この世に神様というモノがいて、神様がヒトの生まれる場所を決めていると言うのなら、私はきっと適当に放り投げられたのだろう。
――この世に本当に神様というモノがいるのなら、きっとそれは、ヒトの味方などではないのかもしれない。
獣人国『ダンザロア』王都『クノスティア』質実剛健という言葉が似合う街並み。私はこの獣人の国に生まれた。幼い頃、私は近所の子ども達に酷い虐めを受けながら、目立たないように息を潜めて生きていた。殴る蹴るは当たり前。買い物に行こうとすればお金を取られるし、物を食べていれば泥を投げつけられた。どうして私だけこんな扱いを受けないといけないのか、幼い私には到底理解出来なかったが、幼さ故、その理不尽さに抗う術など知る由も無かった。
――きっとこの世界は、『普通』のヒトには優しくて、私みたいな『欠陥品』には優しくないんだ。
そんな風に考えて隠れて生きていた。だって、私には両親も頼れる人も誰もいないし、周囲のヒト達のように獣人でもない。そして何よりも、私には|左目と右耳が生れつき無かった《・・・・・・・・・・・・・・》のだから。
「やーい! お化け女~! こっち来てみろよ~。ってこっちは聞こえてないんだっけな~。ぎゃはははは!」
左目を隠すように垂らした前髪のせいで、私はまるでお化けみたいだと揶揄された。こんな風に言われるのは日常的な事で、時にはもっともっと酷い言葉を投げ掛けらている。そんな生活を続けた私は、幼いながらもこの世界での生を終えるという選択肢を、容易に選びかける。
毎日が苦痛、苦痛、苦痛、苦痛!家に帰っても誰もいない。一応保護者として国が選んだ熟年夫婦がいたが、普段は母屋に居て寄り付かない。
あぁ、私の家?母屋から50メルトロくらい離れた物置小屋だったよ。何が希望なのかも、何が絶望なのかも分からない。明日にでも死んでしまおうと思っていた毎日。
そんな中だった。私にとって救世主とも呼べるお方に出会ったのは。
「卑屈な顔で地面ばかり見てるんじゃない。顔を上げて前を見よ。例え身体に欠損があろうが無かろうが、貴公は貴公である」
そんな言葉を掛けてくれたヒトは、初めてだった。今にして思えば、実に単純かつ当たり前の事のような言葉だけど、昔の私にとっては、石で頭を殴られたように衝撃的だった。
そして、私は顔を上げて彼を見た。毛むくじゃらの獣人の彼の後方には、数人の使用人らしき人物がおり、私を虐めていた子達は地面に転がっている。
「そうだ。貴公はしっかりと前を向ける。自らの力で前に進む事も出来る。もしまた、貴公が虐げられそうになったら、我を頼るが良い。我の名は――」
ちゅんちゅんと小鳥が朝の合唱を始めた頃、私はゆっくりと目を開ける。
「……小さい時の夢見たの、久しぶりだわ」
自室の寝床で目を覚ました事を認識すると、上半身を起こして思い切り伸びる。幼い頃の夢を見たのは、今日が私の誕生日だからだろうか。
「ん~~~……」
窓を開けると早朝のひんやりとした冷たい風が爽やかに流れ込んでくる。遠くからは鳥の歌声が聞こえ、気持ちが落ち着いていくのが分かる。
――今日が何の日であろうと、鳥達の歌声は普段と変わらず美しいわね。
「ふふふ。綺麗な歌声ね、私も後で混ぜてもらおうかしらね」
寝床から出て身支度を手早く済ます。鏡を見て、垂れ下がった前髪を左側に寄せると、ニンマリと笑って見せる。
――よし、良い調子。さて、これから日課の剣の訓練、その後は朝食、その後は……
ゴンゴンと私の部屋の扉を叩く音。誰かしら?
「空いてますよ~。どうぞ~」
私がそう返事をすると、扉が開いた。
「早朝から済まぬな、入るぞ」
入室してきたのはなんと我が国の王子様。巨大な体躯に黒く艶やかな毛並み、少し短めな手足には鋭い鉤爪。熊の獣人である。
「お、王子っ!? ダ、ダメですよ、夜這いするなら、ちゃんと夜の内に来てくれなきゃ……」
ワザとらしく体をくねらせてみる。少し頬を赤くするのがコツ。
「今から訓練に行くのであろう? 我も同行したいのだ。良いか?」
私のボケを華麗に無視する王子は、至って真面目にそう言った。
「もちろん良いですけれど、ワザワザそれを言う為に来たんですか? 訓練場で待っていれば良いでしょうに」
私の事だから、待ってたら行かないでしょうね。
「うむ、貴公の事だ、我が待っているところを見つけると、来ないであろう? だから呼びに参じたのだ」
さすが王子、分かっていらっしゃる。朝から王子と訓練するなど、有事の際でもなければ御免被る。一緒にいたいけど、王子の体力凄いから、私は一日の体力を全て持っていかれるわ。
「あちゃ~。バレてますか」
王子はここまでずっと表情を変えずに立っている。この無表情の朴念仁が昔、私を救ってくれたお方。私の救世主。この国の第二王子様である、ガンザリア・デッグタム・ダンザロア様だ。
「うむ、当たり前だ。ではハル、訓練場に参るぞ」
「は~い。承知致しましたー」
私達は訓練場を目指して部屋を後にする。お城の広い廊下を慣れた足取りで歩いて行く。
あ、申し遅れました。私の名前はハルフィエッタ。ハルフィエッタ・サングリエッド。第二王子の側近として王宮に仕えている近衛兵です。肩くらいまで伸ばした桃色の髪が印象的と、他人からよく言われるわ。左の眼球と、右耳は有りませんが、王子の側近としてそれなりに強いんですよ?
無駄話をしながら訓練場に着くと、王子は私の身の丈ほどもある模造大剣を手に取り、軽々しく振り回す。ぶんぶんと振り回される大剣が風を巻き起こし、私の髪をバサバサと靡かせた
「うむ」
振り回した後、剣先を対峙している私に向け、ビタリと止めて構える。
「相変わらずバ……凄い力ですね~」
危ない危ない。つい本音が出るところだった。
「馬鹿力と言い掛けた事は不問にしてやるが、手を抜いたらタダでは済まさんぞ」
ふぎゃん。バレてる。
「あはは~……こりゃ本気でやるしかないですね~」
そう言って私は模造剣を正眼に構えた。屋外の訓練場に朝日が差し込み、私と王子を照らす。周囲からは鳥の静かで美しい歌声しか聞こえてこない。
「では、行くぞ」
王子はそう言うと、私に向かって真っ直ぐに突進。そして真っ直ぐに大剣を振り下ろす。周囲の鳥達は一斉に飛び立ち、聞こえていた歌声が聞こえなくなった。
「……」
私は右足を軸に左足を下げ、王子の斬撃を回避する。顔前すれすれを通った王子の大剣が地面を抉った。
「ふん、さすがに良い動きだな。続けるぞ!」
王子は大剣を右手で握ったまま、左手で爪撃や足での蹴りを繰り出す。私はそのいずれも、最小限の動きで回避し続ける。
「ほっ」
王子の攻撃の隙を突き、手にした模造剣で反撃する。王子は左手の爪の背で、器用に私の突きを防いだ。その瞬間を以って攻守が入れ替わる。
「まだまだ行きますよ~」
続けて連斬を繰り出す。突き、突き、斬り上げ、斬り下ろし。後ろ回し蹴り、横薙ぎ。
――お、最後の横薙ぎが王子の鼻先をかすめたわ。
「ハッハッハァッ! 良い、実に良いッ! どれ、我も速度を上げるぞッ!」
そう言うと王子は私から大きく飛び退いた。着地と同時に魔素を素早く集め、ニタリと笑って詠唱を開始する。
「親愛なるそよ風達。我に宿りて共に遊ばん。リフトゥ・コンスタス!」
王子が魔法を唱えると、王子の体にチリチリと風が纏われているような感覚がする。実際魔力が王子の身体能力を強化する為に体を覆っているのだ。
「行くぞッ!」
王子は再び私に突撃してくる。その速度は先ほどとは全く異なり、王子の巨躯も相まって突風を巻き起こす。
「ぬんッ!」
王子の斬り下ろしをギリギリで回避。剣戟で巻き起こった風が突進の突風と合わさり、物凄い風が訓練場の中を駆け巡る。剣戟の直ぐに右肩を私に突き出して追撃しようとする王子。
――やばっ!
「ふごっ!」
私は王子の肩撃を剣の腹で受けたが、体格が違い過ぎる。そのまま三~四メルトロくらい吹き飛ばされてしまう。
「あいたたた……」
地面を後転し、飛び起きる様に立ち上がるも、衝撃で骨がギシリと軋んだ気がする。痛い。
「もうっ。次は私の番ですよ!」
私は攻撃に転じる。王子目掛けて繰り出す斬撃は、その一撃一撃がギリギリで防がれてしまっていた。
――ふふっ、体格も異なり、左目右耳の無い私が王子と対等に戦えているというのは、我ながら不思議な事よね。もちろん私には強くなりたい理由があったのだけれど、ずっと忘れていたわ。それを思い出したのは……そう、数日前の出来事だったわね。
「ハル、リオ。話がある」
王子が私達にそう言ったのは、とある日の暖かい昼下がり。お城の敷地内、王自慢の庭師が手入れをした、緑美しい中庭での事だった。
「何でしょうか? ガンザリア殿下」
よく通る綺麗な声、藍色短髪のこの男は、私と同じく側近のリオ。リオッチ・レオンモラリオ。ガンザリア王子が幼い頃からのお目付け役のようなモノで、私が王子と出会った日は王子と共にいたらしい。
私の趣味じゃないけど、王宮、城下問わずにモテモテの独身男性だ。ちなみに、男からもモテモテという噂が……
「まさか王子、ついに私に求婚ですか? そんな、ついにこの時が――」
「馬鹿者が。人目に付かん所に移す。ついて来い」
王子について行った場所は、王宮の懲罰室。使用される事は数年に一度あるかどうか、という場所だ。
「こんな所で話すなんて、余程聞かれたくないんですね」
「うむ。前置きは無しにするが、先日、我に勇者として邪神を倒せ、という神託が神皇殿に下ったとの報を聞いた」
――神託?そんなの昔話の本でしか聞いた事無いわね。
王子の口から、勇者として邪神を倒さねばならない事、魔物の討伐もしなければならない事等を聞かされる。
「――殿下。話は分かりました。しかし、それでは王位継承はどうされるのです?」
リオは王子を真っ直ぐに見据え、一切の迷いの無い口調で言った。王子はその視線から顔を背けず、全てを受け止める覚悟。こういう気概が、このヒトが王に足る風格を持っているとヒトに思わせるのだ。
「王位など、元より我は望んでおらぬ。兄上に継いで頂くのが良いだろう」
王子のお兄様、つまり第一王子は、良く言えば優しく思慮深いお方。悪く言えば臆病で優柔不断。おおっぴろげに声に出して言う者は少ないが、次期王はガンザリア王子であろう、という風潮が国中に広がっている。
「なりません! アルスホルム様なぞでは国王は務まりません! 次期の王はガンザリア殿下、貴方しかいないと私は思っております! いえ、私だけではありま――」
リオが珍しく声を荒げている。普段のリオは冷静沈着なだけあって、こういう姿は私もあまり見た事が無かった。そんなリオの目を真っ直ぐに見つめる王子。その剣幕に気圧されたリオは言葉途中でたじろぐ。
「あ、その、し、失礼を……」
「リオ、貴公が我を高く買っていてくれる事は嬉しく思う。兄上への不敬も聞かなかった事にする。しかし、これは神命だ。この国では勇者は我しかおらぬ」
王子に気圧されてリオは俯く。リオは幼い王子に仕えた頃から、ずっと王子を王にするべく教育を担ってきたと聞いている。そのせいでアルスホルム王子の陣営とは仲が悪い。
「あれ? この国ではって事は、他の国にはいるんですか?」
空気をあえて無視して私は質問する。リオへの助け舟のつもりでもあるけど。
「うむ。我の他に、中央国と森林国に勇者がいるらしい。名も何も分からないがな」
中央国にも森林国にも、私のような『ニアイ』が多いのよね……まぁ私と違って目も耳もあるのでしょうけど。あ、『ニアイ』っていうのは、私やリオのような非獣人の事。獣人は『エオーケ』って呼ばれるわ。この国発祥の名称だから、他国じゃあんまり使われないらしいけど。
「そういう次第なのでな、ハル、リオ。貴公らには我と共に邪神を討伐に赴いて欲しいのだ。過酷な戦いになると予想される故、強制はせん。ゆっくりと考えるが良い。我からは以上だ」
「私は行きますよ~」
即決する。当然よね、王子あっての私の人生だもの。王子がいる所には、何所にだってついて行くに決まっているわ。恥ずかしいから言わないでおくけど。
「早いな。もう少し考えてからでも良いのだぞ?」
「だって王子、私がいないと寂しいでしょう? だから私が――」
「リオはどうする? 今日一日じっくり考えてくれて構わぬぞ」
くぅ。私のボケを華麗に無視する王子がたまらないわね。
「……いえ、私も当然ついて行きます」
俯いたままリオは言った。
「そうか、貴公らの勇気に敬意を表する。よろしく頼むぞ」
王子はそう言って嬉しそうに口元を歪める。こんな恐ろしい顔、知らないヒトが見たら極悪人にしか見えないわ。
「ただし、邪神を討伐した暁には、殿下には王座に就いて頂きます」
リオは顔を上げて強い口調で言った。
「……リオ。貴公の我に対する忠誠、嬉しく思う。今言えるのはそれだけだ」
そう言って王子は懲罰室を後にする。残された私とリオは顔を合わせる。何だかいつもの豪快な王子らしくない。いつもなら「ふん、一度やらぬと言ったら、やらぬ!」くらいは言い放つのに。そんな王子の様子から、生還の保証など全く無いのだと再認識させられる。
「ハル。殿下を何が何でもお守りするぞ」
「もちろん。言われるまでも無いわ」
そう、リオに言われるまでも無い。王子に受けた恩を返すまで、私が王子を守る。絶対に。
時は戻って現在、私と王子の剣技の応酬は続いていた。木剣のぶつかる音が訓練場に響いている。
――そう、私は王子を守る為に、血の滲むような努力を重ねて近衛兵になったの。守るべき相手に、訓練と言えど負ける訳にはいかないわ。
「ぬぅんッ!」
王子は私の連撃を凌ぎきると、大剣で突きを繰り出してくる。私の腹部を狙った非常に良い攻撃ではあったが……これは私の読み通り。
「そぉっ! れっ!」
私は王子の突きをギリギリで回避し、大剣を持つ腕を剣で払った。
「ぐっ!」
王子の手から、大剣がゴトリと地面に落ちる。
「……うむ。やるようになったな、ハル。しかし――」
王子はその大きな体躯で私に突撃してくる。油断していた私は簡単に吹き飛ばされ、地面を転がった。
「っ! ひ、卑怯ですよ、王子!」
「剣を落としたくらいで勝ちではないと、いつも言っているだろうが。油断する方が悪いのだ」
そう言って王子は大剣を拾い、倒れている私に突き付ける。
「……はぁ。降参です、降参」
「うむ」
私は王子とは違い、素直に負けを認めた。両手を地面に投げ出し、大きく息を吐く。
――王子は見た目に反して、意外と子どもっぽいところがあるのよねぇ……まぁ、まだ十七歳だし、子どもっぽさはあっても良いけど。あ、私も同い年だったわ。
「もう! まったく王子は負けず嫌いなんですから」
私は頬を軽く膨らませ、王子を軽く睨む。負けを認めはしたが、悔しいものは悔しい。
上半身を起こすと、不意に王子が私の目の前にズシャりと座り込んだ。
「ハッハッハ! 王族たる者、負けず嫌いで何が悪い。我は誰にも負けるつもりは無いぞ?」
王子はそう言ってから、私の乱れた前髪を掻き分ける。一瞬にして私の顔は、熱された鉄板の如く熱くなった。
「――ちょ、王子?」
――いきなり何をするんだ、この王子は……
私の思考はこの状況について行けず、停止する。私の左目を凝視する王子に、少しだけ胸が痛んだ。
「いや、我は時々、貴公に嫉妬する事があるのだ」
「嫉妬、ですか?」
王子ともあろうお方が、私なんぞの何に嫉妬するというのだろうか。
「うむ。礼を欠く言い方になり済まないが、貴公には左目と右耳が無い。しかしそれを補い、我と同格以上の強さを誇っている。もしその両方が有ったのなら、今よりもずっと強かったかと思うと、な」
王子ってば、そんな事を考えていたのね。私の髪を掻き分けた王子の手を握り、言葉を返す。
「王子、それは違います。私はこの目と耳が有ったなら、今日この場にいる事は無かったと思います。この目と耳だったからこそ、あの日王子に助けて頂けました……それで、王子に恩を返すべく、精一杯頑張って訓練したのです。それに、私が王子と同格ではダメなんです。私は王子を守れる存在になりたいのです」
恥ずかしい。けど、本当の事だ。王子と知り合って随分経ったけど、こういう事を言葉で伝えたのは初めてだ。いつか伝えたいとは思っていたけど、今日だとは思わなかった。
「……そうか。ならば我は、貴公が恩を返すのに相応しい人物とならねばなるまいな。訓練、ご苦労であった。出立の準備を済ませておくように」
小さく笑って訓練場を後にする王子。何て大きな背中。私は立ち上がり、自身の体の埃を払う。
「はい。承知致しました」
そして王子の背中に向かって頭を下げる。明日、私達は王城を立つ。勇者一行として、この大陸を脅かす邪神を討伐する為に。
「ハルフィエッタ」
「リオッチ」
「ガンザリアを、弟を頼む」
次回「神託の勇者は私だけじゃない!!」三章2話――
「不敬罪にでも問われれば良いんだわ」
「我と供に行こう。邪神を倒す旅へ!」




