6話・異世界に転移しても俺は俺な訳で
人生初の魔物討伐に行く事になった瑛太だったが……
「くそ、くっそ……」
凶暴に襲い掛かる猿達。その鋭い爪の一撃が頬をかすめる。反撃で繰り出したこちらの剣など、スルスル回避されてまるで当たらない。ならば魔法と思うが、こう攻められてたんじゃ魔法も唱えられない。すばしっこい猿どもは、まるで遊んでいるように感じられる。煩わしい鳴き声はどこか笑っているようだ。
木漏れ日が眩しいよく晴れたこの日、俺達は予定通りに猿ども、ラスーの討伐に出ていた。カルロ曰く、「素早く動くが、訓練された兵士の相手ではないよ。君達は援護を頼む」とのこと。異世界に来て初の戦いにしては丁度良いと思っていた。しかし、その結果は……これだ。
カルロの言葉で油断しきった俺は、シュシュさんに良いところを見せようとして単身突撃。シュシュさんは俺を追って、一緒に孤立してしまう。
「エータさん!」
俺とシュシュさんの周囲には複数の猿どもが、数匹を残して一定の距離を保って観察している。良い玩具を見つけた子どものように騒ぎ、はしゃいでいる。
――こちらを心配してる場合じゃないだろ!
彼女も、正規の兵士であるカルロ達ですら苦戦している。魔物の活性化という現象は本当だったようだ。しかもカルロの予想を遥かに超えているようで、「これはもう別物だ」と悔しそうにカルロは叫んだのが思い出される。
「一時撤退する! 引け、引くんだッ!」
カルロが俺達に向かってそう叫ぶが、俺もシュシュさんも引くタイミングを見い出せないでいる。囲まれているのだ、無理もないだろう。十名ほどいた正規兵達は手際よく撤退しているようだ。
「そう言われたって!」
「エータさん後ろ!」
「うわぁ!」
今俺達がいる場所は、舗装された床の上でも、広い地面でもない。木の上だ。木と言っても、とんでもなく大きい木ではあるが、気を付けないと落ちてしまう危険はあるうえ、あの猿どもは地形を上手く使って立体的な攻撃を仕掛けてくる。とてもではないが反応しきれない。オマケに「キャーキャー」と煩く鳴く声がいたる所から響いてくるお陰で集中出来ない。
――俺はバカだ……異世界に来て、少し剣と魔法が使えるようになったからって天狗になり過ぎだッ!くそっ!怖ぇ、怖ぇけどしっかり戦わないと、死ぬ!
思考の終わり頃に、猿の鋭い爪が腕をかすめる。血が一筋、ツーっと腕から滴り落ちる。凍る背中、脳裏によぎる、『死』という言葉。
「う、うわわッ!」
ガチガチと鳴る歯。怖くて固まる体。猿どもが一斉に飛び掛かってきたらと考えたら、体の動かし方を忘れてしまった。
「エータ君! ウィンエリアさん! 援護する。隙が出来たら引けッ!」
俺が最悪な想像ばかりしていると、カルロがそう言って持っている短弓で矢を放つ。二十メートルくらいも離れた距離からの矢では猿どもには当たらない。見向きもせずに回避されている。
「ちっ。土の力よ……ガルック!」
矢と共に魔法を放つカルロ。放たれた矢と共に、彼の周囲から小さい石が沢山飛んでくる。ダメージは少ないようだが猿どもは驚き、俺達から距離を取った。
「今だ!」
俺はシュシュさんの手を取り、猿どもから離れる。夢中で走り、何とかラカウまで戻る事が出来た。後方から猿どものキャーキャーという鳴き声が聞こえたが、俺達は一度も振り返りはしなかった。
「すまない。今回は僕達の下調べが甘すぎた。幸い死者は出なかったが……」
カルロが俺とシュシュさんに向かって頭を下げている。結界の張られたラカウに入ると、皆その場に座り込んだ。皆ゼーゼーと肩で息をして苦しそうだ。兵士達も俺達も軽傷程度で済んだのは本当に幸運だったと思う。
「いえ、援護……ありがとうございます。それに、こちらこそ申し訳ありませんでした。一人で突っ込んで……」
そもそも俺が突っ込んで行かなければ、こんな大敗せずに済んだかもしれない。そこで俺は自身が震えている事に改めて気づく。恐怖。実際の戦いとはこうも怖いのか。戦闘開始から撤退開始まで、ほんの十分ほどという短い時間であったが、俺の体に恐怖を刻み込むには充分過ぎる時間であった。
「いや、たかがラスー退治だと甘く見ていた。ラスーくらいであれば、君一人が突っ込んだくらい、どうとでもなると思っていた。まさかこれ程までに変わっているとは……」
腕を組み、深刻な顔をするカルロ。俺は震えている事を悟られないよう、腕を伸ばすストレッチをして誤魔化す。
「そんなに違うんですか?」
「はい。二年前に私がラスー討伐に出た時とは全然違います。すばしっこかったですが、あそこまでではなかったですし、もう一回りくらい小さかったような……それに――」
シュシュさんは前に討伐に出た事があると言っていた。今十六歳って言ってたから、十四歳の時か。中学生くらいの年齢で魔物討伐に行かなければならないなんて、さすが異世界。しかしそのお陰か、魔物に対する恐怖は俺ほどじゃないようだ。
「それに? もしかして、ウィンエリアさんも気づいたかい?」
何だ?カルロとシュシュさんが深刻な顔をして見つめ合う。この時に少しムッとしてしまった俺は、空気が読めないんだと思う。
「はい。明らかに遊ばれていたように感じました」
「やはり、そう思うか」
二人は深刻な顔のまま、うーんと唸っている。俺は仲間外れにされたようで居たたまれなくなる。
――俺だって、遊ばれているような感じには気づいていたさ。
そうは思ったが、口には出せなかった。
「ええっと、それは……どうしてそう思うの? シュシュさん」
しかし俺はどうにか会話に入りたくて、そう言った。後になって考えれば、俺も気付いていたと言えば良かったと思う。この疎外感は久しぶりに味わったけど、やはり嫌いだ。頭が回らないくらい焦るからだ。
「えと、ですね。簡単に言うとラスー達、一匹ずつ襲って来ていましたよね? 周囲を囲んだりはしていましたけど、多方面から攻撃はしてきませんでした」
そうなのだ、奴らの大半は、近くで見ているだけ。実際に襲ってくるのは少数。もしも奴らが一斉に襲ってきたら、と思うと震えが大きくなる。
「……」
俺もカルロもシュシュさんも、深刻な顔のまま何も喋らない。黙ったまま、時間だけが過ぎていく。集落に吹き付ける風が暖かみを増す。遠巻きに見ている集落の人々も増え、ヒソヒソと何か話している。楽だと思われていた討伐任務が一転、絶望的な雰囲気になったからであろう。この緊張感から、俺は居ても立っても居られなくなり、口を開く。
「ど、どうすれば良いんだよ! 一匹ずつであれだけ強いんでしょ? 兵士だって苦戦してたってのに、どうやって勝てって? 結界の中には入れないんだったら、いっそこのままでも――」
どうしてこんな事を言ってしまったんだろう。後になって考えれば、どうしようも無いくらいに小物感溢れる態度だった。震える体と卑屈な声。せっかく魔法や剣を教えてもらって、シュシュさんを護るんだと息巻いていたのが遠い過去のようだ。
「そう、ですね。エータさんはやはり集落でお待ちください。私と兵士さん方でラスー討伐は続行しましょう。作戦を練って戦えばきっと大丈夫です」
シュシュさんは困った顔で優しくそう告げ、少し離れた場所で兵士達を集めて作戦会議を始める。
――何故だ?何が彼女をそうさせる?まるで理解出来やしない。いや、そもそも俺は彼女の何を知っている?数か月一緒に暮らしたとはいえ、俺は彼女の事を何も知らないじゃないか。
強く握り締めた拳がワナワナと震える。集落に射した暖かい陽の光が、大きな木の枝や葉っぱの加減で、話し込んでいるシュシュさんとカルロ達に当たる。
俺は、俺だけが……薄暗い日陰の中。場違いだと言わんばかりに、陽の光も俺を避けているのか。
――ははっ……この光景、まるで一枚の宗教画のようだな。
天啓を受けた女性が兵士達と共に魔物退治に向かう様子を描いたような――そんな一枚の絵。俺が日陰からそれを見ている様子も描けば、いっそう引き立って良い絵になるかもしなれない。教会にでも飾れば、それだけで名画に見えるだろう。
「これで、良いのかもな。こんなの、ちょっと前まで平和な日本で暮らしてた俺にはどうしようも無いよな」
脱力し頭を垂れ、自虐気味に笑いながら呟く。
――そう、俺にはどうしようも無いんだ。きっとシュシュさんとカルロ達が上手くやってくれるさ。さっきは突っ込み過ぎた俺が全部悪いんだ。足手まといがいなくなればきっと簡単に討伐が終わるさ。そうしたらまた、シュシュさんと平和に暮らしていける……
「ははっ。自分で考えてて、情けないな」
俺はシュシュさんが好きだ。それはもう誤魔化すつもりも無い。だけど、都合良すぎないか?役に立たない男に微笑み掛けてくれる女性なんていやしない!いや、いるかもしれないけど、そうじゃない。俺はシュシュさんに護ってもらいたいんじゃない。彼女と対等になりたいんだ。
いつまでも情けない姿を晒したままでは、俺はいつまで立っても彼女から困ったような笑顔を向けられてしまう。異世界に来てまで、俺は情けない人生を続けるつもりか?そもそもここに来る前、俺は何をしようとしていた?
「……死のうと、していただろ?」
自身への問いに声を出して答える。そう、あの日の俺は……イジメに耐えかねて死を決意していた。通い慣れた学校を選んだのは、せめてもの復讐のつもり。
あの四階建ての校舎の屋上から飛び降りて、あの日俺は死んだのだ。卑屈で根暗で臆病者の冴島瑛太は生まれ変わった。そうでなくていけないのだ!
――異世界に来てまで、日陰者の人生を送りたいのかッ!
「そんなの――嫌に決まってるッ!」
顔を上げ、俺はシュシュさん達の元に駆け寄よる。そう、日陰から出て、日向へと。あの絵画のような世界へと、俺は自らの意思で飛び込んだ。
――もう、何もしない自分は嫌だッ!
「待ってくれ。俺も、俺も行かせてくれ!」
ここでこのまま尻尾を巻いて逃げたら、元の世界にいた頃と同じだ。前は何も無かった俺だったが、今は違うはずだ。シュシュさんに教えてもらった剣や魔法がある。足りてなかったのは、覚悟。その覚悟を、俺はしっかりと示さなければならない。だけどこの世界では、きっと覚悟を決めただけではどうにもならない。覚悟と、力。そのどちらも示さねばならない。
「……ダメですよ。と言ったところで、聞いてくれなさそうですね」
諦めたような事を言うが、どこか嬉しそうな彼女の反応が嬉しかった。
「さぁ、次は勝つぞ! エータ君!」
カルロが俺の肩に手を置く。兵士達も声を上げ、集落内に響き渡る。この一体感は生れて初めて味わう。全身に恐怖からではない震えが伝わる。
「おうッ!」
嬉しさのあまり泣きそうになるのを堪えながら、俺は力の限り咆哮した。今度はきっと勝てる。俺は自分にそう言い聞かせるように声を上げ続けた。兵士達の咆哮と合わさり、大気を震わす大咆哮となる。その大きな力が、次の戦いでの勝利を暗示しているように思えた。この時は、本当にそう思えたのだ。
※※※※※※※※※※※
「ふぅ」
傷ついた体を廃ビルの奥で休ませていたサクラコは、ゆっくりと椅子から立ち上がった。三十八階建てのビルの三十五階にある一室から外を眺めると、沈みかけた夕陽が無人の街を照らしている。崩れたビル。割れた道路。強大な力で抉られた大地……それらに夕陽が射し、虚しい気持ちをサクラコは感じていた。
「綺麗……」
目を閉じれば、遠い遠い昔の記憶。まだこの街に人間が居た頃の記憶。サクラコはその時代にここに来た事があった訳ではないが、その風景が思い出されるような気分になる。きっとこの街でいくつもの命が生まれ、死んでいっただろう。悲しい事、楽しい事、辛い事、嬉しい事。様々な人生を、この夕陽は見てきた事だろう。
「ここに居たんですねェ」
「誰!?」
急に声を掛けられ、飛び上がるサクラコ。振り返ると、部屋の入口に長身の男が一人立っている。
「はぁ……なんだ。アベルくんか」
サクラコは安堵し、ほっと胸を撫で下ろす。
「っていうか。貴方、相変わらずの察知能力ね」
そう言いながら彼女は椅子に腰かける。
「えェ。これだけが僕の取り柄ですからねェ」
あはは、と可笑しそうにアベルが笑う。
「どんな術式で組めるのよ? そんな便利なの。ま、教えてくれないのは知ってるけど」
足を組んで頬杖をつきながら彼女は言った。その言葉を聞いたアベルは「その通り」と言わんばかりに二コリと笑う。
「まぁいいわ。そんな事より、どうしたの? 貴方の事だから、ディエゴの所に行ってから来たんでしょ?」
言い終わり、ため息をつく。またもアベルは「その通り」と言わんばかりにニコリと笑う。その時、街を照らしていた夕陽が落ち切り、街は暗闇に包まれた。
「コードオン。S-12」
サクラコがそう言うと、彼女の手の平からバレーボールほどの光球が放たれ、天井付近で止まる。光球が部屋を明るく照らし、その事にアベルは驚いた。
「良いんですかァ? 見つかっちゃいますよォ?」
「良いのよ。貴方がここに一人で来たって事は、一旦追うの止めたんでしょ? ディエゴの奴」
髪をかき上げ、外を見つめる。彼女の瞳は遠くを見つめている。
「……さすがァ、察しが良いですねェ。ディエゴさん、『箱庭』の連中を使って貴女を捕らえるつもりですよォ」
「っ!?」
アベルの言葉はサクラコの予想を上回るモノであったという事を、彼女の驚きの表情が物語っていた。
「……ウソよ。『制御機構』を使おうにも、大量のエネルギーがいるわ。私達に自動供給されている分で精一杯。プログラムのシャットダウンすら、ままならないはず」
アベルの冗談だと思い、サクラコは笑みを浮かべて首を横に振った。
「それがですねェ。そのエネルギーがあると言ったらどうしますゥ? 彼ェ、たぶん相当貯め込んでますよォ? エネルギー。サクラコさん、ディエゴさんとほぼ相打ちだったですよねェ?」
そう言うとアベルはサクラコの全身を観察する。所々破けた衣服。出血痕や打撲等、痛々しい損傷が見て取れる。
「えぇ、ディエゴの方がダメージは重いはずだけどね。私の方が撃つの早かったし」
腕を組み、目を閉じて背もたれに体を預けるサクラコ。ギシッと音を立てて椅子は傾いた。
「くく……彼ェ、もうダメージなんて跡形もありませんよォ?」
「嘘よ……」
「……」
「……」
場が沈黙する。サクラコは呆れたような顔をしていたが、アベルの真剣な表情に徐々に気圧される。
「まさか……エネルギーの機構外利用を可能にしていたというの? いや、そもそもさっき私が言った通り、エネルギーそのものが足りないはず……どうやって?」
狼狽え、顎に手を当てて思考を巡らせるサクラコに気づかれないよう、アベルは静かに口角を上げた。
「さァ? 分かりませんがァ、その技術を使えばァ、エネルギーを貯めて置けるのですよねェ。そしてそのエネルギーを使えばァ――」
アベルは最後まで言葉を繋げなかった。サクラコの青ざめた表情から、自分が全てを言う必要は無いと分かったからである。
「それだけは、させない。絶対に! そんな事をしても彼女は……ソフィアはそんな事を望んでいないのよッ! 大陸の人々の為にも、させる訳にはいかない!」
そう叫び、サクラコは部屋を飛び出る。出入口からではなく、割れた窓から。三五階という高さから落ちれば、無論即死である。
「あらら。気が早いなァ」
アベルがそう言って外を見ると、光の羽根を羽ばたかせて勢いよく飛び去るサクラコが見える。彼はやれやれ、といった表情で彼女が座っていた椅子に腰かけ、溜め息を吐いた。
「はぁ……くっくっく。まったくゥ……面白いなァ。『大陸の人々』? あそこに人間なんてェ、いやしないのにィ!」
アベルの冷めた笑いが、暗い廃ビルにいつまでも響いていたのだった。
「ガドルラスー……」
「よし、やるぞ。作戦開始だっ」
「岩石の塊よ、我に仇名す敵を砕け!」
次回「神託の勇者は私だけじゃない!!」二章7話――
「きっといつか、ここではない、何所かで……」
「こんな、こんなのって――嘘って言ってください……」
 




