9話・虚無感
どうやってカートシラに戻ったのか、覚えていない。気が付いたら宿のベッドに横たわっていた。ただ覚えているのは――行きの人数と、帰りの人数が違ったという事だけ。シュシュさんがいないという事だけ。
ベッドに寝転がりながら、ゆっくりと体を動かしてみる。何処もが重く、動かしにくい。自分の手なのにまるで人形みたいに感じる。いや、何も感じなくなるのなら人形も悪くない。
ササさんやビリガード達が何度も部屋に来てくれた。でも、俺は一言だって言葉を発する事も無かった。本当に何処かが壊れてしまったみたいに、どう応えて良いか分からない。応える気力すら湧いて来ないのだ。
「シュシュさん」
無意識の内に名前を呼んでしまう。自ら俺達の元から離れていってしまった、最愛の人。この世界に来て最初に出会い、俺が生まれてからこれまでで、肉親以外で初めて優しくしてくれた人。
一緒に過ごして一緒に戦って……一緒に旅した時間は短かったかもしれないけど、俺の人生の幸せを毎日更新していた、思い出の日々。脳裏に浮かぶそれは全て、キラキラに輝いて見える宝物だった。
「シュシュさん」
おかしいな……俺の好きだったゲームやアニメ、漫画だと主人公はこういう時、すぐに立ち直って冒険を再開するのに。体を起こそうと力を込めるが、思ったように動いてはくれなかった。
今は暑いのか寒いのか、腹が減ってるのか眠いのか……あらゆる感覚が理解出来ない。もどかしい気持ちもあるようだけど、その気持ちも何だか自分の感覚じゃないみたいだ。
「……」
体は少し動くが、重力に逆らう事が出来ない。上半身を腕の力でググっと起き上がらせようとしたが、途中でパタンと力が途切れてしまう。
ダメだ。まるで動かねぇ。今までどうやって動いてたんだっけ?そんな事すら曖昧な感覚。
俺の冒険も、ここで終わりかな。勇者として邪神討伐に行かなきゃならないのに。あれ?でも、神と名乗ったあいつが下した神託なら、聞く必要などないよな……
昔の俺だったら、女に振られたくらいで動けなくなるなんて事は無い、って笑いそうだけど……これが本当に動けないんだよ。
突然コンコンと部屋の扉がノックされるけど、返事をしようとも思わない。そして少しの沈黙の後、ヤエさんが静かに入って来る。
無言のまま踏みしめるようにゆっくりと歩き、部屋の真ん中にスッと正座した。
「情けないな、勇者エータ」
何を言いに来たかと思えば。俺はゴロリと転がりヤエさんに背を向ける。何だ。動けるじゃないか……
――情けないのなんて自分が一番知ってる、分かってる。無意識に噛み締めた唇が痛い。ちゃんと痛いじゃないか。
「いや、情けないのは、私も同じか……」
自虐気味に笑ったヤエさん。その表情が背中越しでも分かるくらい、彼女の言葉は弱々しかった。
「……」
※以下日本語
「瑛太君。返事はしなくても良い。そのまま聞いてくれ」
どうして急に日本語に……
いや、どうでも良いか。興味がまるで沸かない。
「私の考えは、恐らく間違って無かった。この世界は未来だと思う。同じ時間列の未来かは……やはり分からないけどね」
どうでも良い。
「そしてもう一つ。これもまだまだ仮説ではあるが、君に伝えておきたい」
どうでも良い。
「この世界の人は、恐らく人間ではない」
どうでも……
「厳密には分からないが、恐らくは人工的に作られた生命体か、それの子孫なんだと思う」
その言葉に対し、それほど驚く事は無かった。思い当たる事があったからだ。
ウルバリアスで勇者の剣を取った時の事を思い出す。サクラコと名乗る人物が言った言葉。『君はヒトじゃない。私達と同じ、人間だ』。研究者のような出で立ちの女性は、確かにそう言った。
「何故そう思うか、だが……理由はいくつかある。決定的だと思ったのは奴の言葉だ。奴は私に『貴様らヒトは、我が姿を消した後は数分しか我を覚えておられないのだ。忘れた後は、トモエにシュシュがついて行ったと記憶が変わるだろうよ』と言った」
「……」
何も言わない俺に構う事無く、ヤエさんは続ける。
「ディエゴはシュシュの頭に手を乗せ、何か感じ取っているようであった。そして、『良い個体』『珍しい個体』と言ったんだ。それはつまり、ディエゴのような神を名乗る者達が創り出した事を意味するのではないだろうか? 創造は他者でも、管理する立場なのかもしれない」
色々と不明な事だらけではあるが、最早そうだとしか思えない。だが……
「もし、人工的に作られた生命体だとしたら、どうだって言うの?」
ヤエさんに背を向けたまま絞り出された声は渇いていて、少し掠れてしまっていた。
「分からないか? シュシュは傍目から見て、君の世話を好んで焼いていたように見える。若干依存しているようにさえ見えるほどに、な」
心当たりは、ある。こんな見ず知らずの奴に優しくするにも、限度があるよな。
「そして、ディエゴは我々と同じ人間だと思う。神を名乗ってはいるが、あんな神がいてたまるか」
ヤエさんは舌打ちし、吐き捨てるように言った。背中越しだが、憎しみの漏れた表情が想像できる。
「すまない、話が脱線した。シュシュはそれで、人間であり自分達を創ったディエゴにより強く惹かれたのだろう。というのが私の推測だ」
「でも、それだとササさんやメーリーさんも連れて行かれちゃうんじゃないの? それに、ヤエさんだって人間でしょ? シュシュさんがヤエさんに懐いてるの、見た事ないけど?」
相変わらず背を向けて横になっている。イライラを隠すつもりも無い。ぶっきら棒な言い方も、改めない。
オカシイなんて、分かっていたさ。こんな俺に優しくしてくれるなんて……でも、それに裏があるなんて信じたくない。認めてしまいたくない。真実なんてどうでも良いんだ。
「個人差があるんだと思う。まぁ、メーリーは――……」
呟くような声。メーリーは、の後が聞き取れなかった。ヤエさんの落ち着いた調子が俺を酷くイラつかせる。
俺が欲しいのは、こんな推測だらけの現実なんかじゃない。俺が欲しいのは……
「ともかく、シュシュがディエゴについて行ったのは本能みたいなものだ。あの場ではどうしようも無かった。君には君の使命があるだろう? 今となっては邪神討伐がどうなのかは、私にはよく分からないけ――」
「うるさいッ!」
自分でも驚くくらい、大きな声が出た。怒りや悲しみ等の負の感情が混ざり合い、胸が張り裂けそうな欲求となって俺の中を暴れ回る。そしてその勢いのまま、ヤエさんに牙を向いたのだ。
「シュシュさんが行ったのは本能? そんなの知らねーよ! なんでだよ!? こっちの世界に来てから、ずっと一緒にいたのに……一緒の家で過ごして、一緒の物食べて、畑で野菜作って、買い物行って、時々喧嘩して、仲直りして、一緒に戦って、一緒に勝って、一緒に負けて、一緒に修行して、一緒に強くなって……ずっとずっと、これからだってずっと一緒に居られると思ってたのに! どうしてあんなに簡単に行っちゃうんだよッ!?」
飛び上がるように起き上がり、ヤエさんの方を向きながら口から勝手に言葉が出ていた。歪む視界の先で黙って座っているヤエさん。
「ラカウの皆を救えなくて、悔しくて……それでも前を向いて歩きだしたシュシュさんを、俺はずっと支えていこうって思ったのに! 将来は一緒に色んな所を旅して、一緒に生きようって……思ったのに……」
溢れる涙を、俺はどうする事も出来なかった。ロクに水分を摂った記憶も無いのに、一体どこに涙があったのだろう。何もかも曖昧になっていた感覚が嘘のようだ。
「ずっと……何があっても……守るって……誓ったのにッ――」
もう喋れないくらいに、止めど無く涙が出る。戻しそうなくらい嗚咽がする。
「……なら、取り返しに行くしかないだろうが」
静かにヤエさんが口を開く。真っ直ぐに俺を睨み、迷いなど一切感じさせない瞳が俺の弱い部分を許すはずも無かった。
俺はその目を本能的に恐れてしまっているのだろう。反射的に視線を逸らしてしまいそうになる。しかし、その真っ直ぐな凛とした目を見ずにはいられなかった。
「何があっても守るのだろう? 一緒に生きていこうと決めたのだろう? それはここに居て果たせるモノなのか?」
「もう、放って置いてよ」
ヤエさんは静かに立ち上がり、俺の方へ。二歩ほどの距離であったが、恐れが体を駆け巡るのには十分だった。
狼狽える事すら出来ずに固まる俺の胸倉を右手で掴み、グイっと顔を近づける。そしてヤエさんは大きく息を吸った。
「こんな所でウジウジ死んだみたいに引きこもってんじゃねーよッ! そんな根性無しじゃ、好きな女一人守れやしないんだよッ!」
いつもの冷静なヤエ・アマサキではなく、感情をむき出しにした天崎八重の姿。剣道で活躍していた頃に彼女は、きっとアツい性格だったのかもしれない。
そんなヤエに今度は左手で胸倉を掴まれる。揺れる視界の先で、ヤエは再び大きく息を吸う。
「お前がここでウジウジしてりゃ、シュシュが戻って来るっていうのか? 来ないだろッ!? 泣くほど悔しいんだろ? 諦められないんだろ? だったら、取り返しに行くんだよッ! お前がッ! その手でッ!」
ガクガクと前後に振られ、首が痛い。しかしそれ以上に痛いのが、胸だ。胸の奥が締め付けられるように痛い。
分かってる……俺がここに居たって、彼女が戻って来ない事くらい。そんな事は――
「分かってるよッ!」
ヤエさんの左腕をガシッと掴む。そして彼女の鋭い目を見ながら、俺は叫んだ。
「そんなの分かってるッ! でも、どうしたらい良いの!? ヤエさんでも歯が立たないような奴なんでしょ!? どうしたら良いんだよッ! 教えてくれよ! 強くなったと思っても、俺より強かったメーリーさんよりも、ずっと強いヤエさんが敵わなかった相手に……俺はどうやって勝てば――」
パァン!そんな音が響き渡り、左の頬が熱くなる。ヤエさんに叩かれたのだと、遅れて認識する。
「っ!」
「そんな事すら分からないのなら……分かったよ。表へ出ろ」
ヤエさんに連れられ、いやほぼ引きずられるように外へ出て行く。
掴まれた腕と、叩かれた頬が痛かったけど、ズンズンと俺の前を歩くヤエさんの後ろ姿を直視出来ない事が、何よりも辛く感じたのだった。
「殺すつもりで掛かって来い」
「シュシュの事も任せておけ。余裕があれば生け捕りにしてやる。余裕が無ければ殺すがね」
「俺は、シュシュさんに会う。そして必ず連れて帰る! 例え彼女が嫌だと言っても!」
次回「神託の勇者は私だけじゃない!!」八章10話――
「いつか必ず、この手で」
「もう一度会うんだ。シュシュさんに」




