12話・残された幻想と壊れていく現実
獣人国でピピアノに起った奇妙な偶然は、彼女に何をもたらしたのだろうか。小さなヒビは少しずつ大きくなっていく。気付かずに進む者達は、それが幸せなのかもしれない。
朝。窓の隙間から射し込む光で目を覚ます。壁に掛けてある時計を見れば、7時を回ったところであり、私にしては遅い目覚めであった。
「~~……!」
上半身を起こすと、私は大きくノビをする。ポキポキと背筋が鳴り、じんわりと体中が暖かくなった。
「さて……」
私は寝床から立ち上がると、部屋に備えてある水瓶の水を掬い顔を洗い、備え付けの鏡で毛並みを整える。それが済むと大して多くない荷物をまとめ、部屋を出た。受け付けで支払いを済ませて外へ出る。
「眩しいわね……」
朝だというのに陽射しが強い。フィズなら喜びそうだ。何となくそんな気がする。
――入って来たのと反対側の門は……あっちね。
私は方角を確認し、目的地である門を目指した。朝市で食べ歩けるパネを買い、黙々と歩きながら食す。
「おい……聞い××よ? ××事件があった××いぜ?」
不意に耳に入った言葉で、何か事件があった事が分かったが、もうすぐこの国を出るのだ。関わらない方が良いだろう。人混みの騒音で聞き取りにくいし、気にしない方が良い。
それからも妙にザワつく街を若干気にしながらも、私は目的地に到着した。そしてある事に気付き、溜め息を吐いた。
「時間の指定は……していなかったわね」
これは、もしかすると結構待つ事になるかもしれない。我ながらなんて阿呆な事をしているのだと情けなくなったが、喧騒が遠く、門が陽射しを遮っているので涼しいこの場所は、割と居心地が良かった。
「あの……」
少しボーっとしていると、不意に声を掛けられる。声の方に顔を向けると、あの犬獣人の女性……レマが立っている。気まずそうな表情で、腹の前でおずおずと手を動かしている。
「あぁ、確かレマ、さん……だったわね?」
私がそう言うと、少し表情が和らいだようだ。
「あの、クロエ……ピピアノ様! 昨日は申し訳ございませんでした!」
人通りが少ないとはいえ、往来で老齢の女性に頭を下げさせるというのは、目立ってしまう。私はガラにも無く慌ててしまった。
「ちょ、止めなさいよっ。とにかく顔を上げて。謝るとすれば、私の方なんだから」
顔を上げたレマさんは、布で目を拭い、涙が零れるのを防いだ。周囲のヒト達の視線を若干感じつつも、私は彼女を近くの長椅子へと誘導する。
「……座って話しましょう。っと、その前に私の方からも謝らないとね。昨日は色々酷い事を言ってしまったわ。ごめんなさい」
目を伏せ、頭を下げようとすると、レマさんは私の額に自身の手の平を当てがった。
「良いのです、お嬢様。お嬢様が何と言う名前であろうと構いません。外国でこれまでどんな道を歩んで来られようと、過ぎ去った時間はどうにもならないのですから。私の仕えたピシェルマロッテ家はもう無いのです」
悲しそうなその表情に、私は何と答えたら良いか分からなかった。遠くに聞こえる喧騒が、今日は何だか昨日までとは違って聞こえる。
「ですから……いえ、だからこそ、これからのお嬢様が楽しみなのです。私はもう歳ですから……結末を見届ける事は出来ませんが、願う事は出来るのです」
「……」
「お嬢様、いえ、ピピアノさん。貴女のこれからが、より一層、輝かしいものである事を、願っています。家柄に囚われず、個人としての幸せを、どうか願わせてください」
柔らかい口調で言葉を紡ぐ彼女を見ていると、何故か懐かしい気持ちになる。きっと私は覚えているのだ、うんと小さかった昔、彼女が家に仕えていた頃を。
「私、私はクロ――」
額に当てられていた手の平が、口へと移動する。出掛けた言葉を飲み込んでしまった。
「言ったでしょう? お嬢様が何と言う名前であっても構わないのです。私は貴女の幸せを願う。それだけで良いのですよ」
遠い遠い、もう思い出せない記憶が、私の内側から感情となって込み上げてくる。熱くなった目頭から何かが零れそうになり、それを必死で堪える。そうすると不思議な事に、言葉が出なくなった。
「これは私の、城下街に住むただのお婆さんの独り言ですから、聞き流してくださって構いません」
私の口から手を離し、正面を向いて座り直したレマさんが、静かに口を開く。その瞳は遠く、何も無いはずの空中の、その遥か遠くを見つめている。
「豪胆な旦那様と聡明な奥様、生まれたばかりのお嬢様が作り出す幸せに満ちた時間は、私達使用人にとっても掛け替えの無い宝物でした」
柔らかな口調は暖かさを含み、喧騒を運び吹き抜ける風と合わさって心地が良い。目を閉じれば眠ってしまいそうなくらいに。しかし、彼女が放つ雰囲気は今までと変わり、刺々しさが違和感となって感じられる。
「お嬢様が勇者様と旅をなさっている事は承知のうえです。邪神という、ヒト全体にとっての敵を倒す旅だというのも承知しております。そのうえで、あえて言わせて頂きます。危険な旅を止め、この街で暮らしませんか?」
少しズルいと思った。聞き流して良いと言っておきながら問い掛けてくるなんて。しかし、きっと答えは分かっているのだろう。返事すら期待していないのかもしれない。それでも聞いてくるのは、彼女の我が儘に他ならない。
「……」
「ふふっ。困ったでしょう?」
沈黙のままでいると、悪戯っぽくレマさんが笑う。
「少しだけ意地悪な事を言わせて頂きました、お嬢様。いいえ、こういう言い方は卑怯というものですね。私の本心から言わせて頂きました。邪神の討伐は確かに御立派な使命だと思います。昨日少し話をしただけですが、勇者様もお仲間様も素晴らしい方だと思いますし」
フィズの顔が浮かぶ。あの馬鹿っぽい小娘を素晴らしいと呼ぶのは抵抗があるが、まぁ、個人的には共感できる……気がする。
「ですが、良いではありませんか? 幼少の頃に辛い体験をされ、ようやく故郷に戻られたというのに……お嬢様一人がいなくとも、きっと勇者様達なら邪神を討伐してくださいます」
欲しいものをねだる子どものように、私を引き留めようと必死になっているのが分かる。老齢の淑女が放つ上品で落ち着いた雰囲気が中和させているが、これはやはりただの我が儘なのだろう。
自身の楽しかった頃を取り戻したい。出来る事なら今からでも再現したい。縋るような彼女からはそれが伝わってくる。ピシェルマロッテ家の使用人として働いていた頃が、彼女にとって一番輝いていた時間なのだと思う。
「お嬢様の~……」
「……」
「お嬢様と奥様が~……」
「……」
昔の思い出を懐かしそうに語り、遠い遠い記憶に想いを馳せる彼女を見ていると、違和感が強くなる。
――このヒト、私を見ているんじゃないわ。
「旦那様もその時~……」
楽しそうに私と私の両親との思い出を語るレマさん。しかし、その記憶の中の私は、私じゃない。例えこのまま私がここに残ったとしても、茶番だ。茶番の日常が待っているだけだ。遠い日の幻想を見ながら、レマさんは笑うだろう。満足だろう。しかし、きっと私を見ない。
そう、私じゃなくても良いのだ。言うなれば、この顔……いや、彼女が持つ写真に写る女性の顔と似ている奴であれば、誰でも良いのだ。そんな風に考えていると、いつの間にか熱くなっていた目頭は冷え、込み上げたものは下がっていた。
「ごめんなさいね。私、そろそろ行かなくちゃ。クロエリスさん、見つかる事を祈っているわ」
そう言って立ち上がる。罪と向き合い、私を見ようと苦しみながらも真実を告白したジルクス。楽しかった日々ばかりを探し、私を見ずに自身の理想の道具にしようとするレマさん。
きっとレマさんは、私に似たヒトを見つけては、このような事を繰り返しているのだろう。昨日彼女が渡そうとした犬獣人のヌイグルミ、実はジルクスのボロ屋に似た物が置いてあったから、創作話にすら感じられる。
「待ってください。あぁ、お嬢様……」
弱々しく引き留めようとする言葉も、私の気を引こうとしているようだと思うと、哀れに思えてくる。フィズやウード辺りになら効果的な態度だと思うけど、私には逆効果。
たまたま私が本物のクロエリスだっただけ。ただの偶然……『掃き溜め』の出来事も偶然だったし、ちょっと怖いくらい続いている気がするが、偶然とは続く時は続くものだろう。
私はレマさんの方を振り向く事無く歩き出す。と言っても待ち合わせ場所の門は目と鼻の先。早くフィズ達が来ないと気まずい事この上無い。
「あ、ピピアノ見っけ!」
――ほんっと、この子は狙ったように来るわね。
「遅いわよ。まったく、待ちくたびれたわ」
平然を装い悪態をつく。腕を組み、プイっと顔を背ける。昨日の事を謝ろうとは思うのだが、今の今で謝るべき問題が解決してしまったような気もする。いや、内容には触れず、態度が悪かったと謝るべきだ、ここは。
「それがさー、聞いてよピピアノ。リアリスがさー」
「ちょ、ちょっとフィズ! 何を言おうとしているのですか!?」
「はっはっは。朝から元気だなぁ」
リアリスとじゃれるフィズに、それを見て楽し気に笑うギィ。よく見ると、フィズの恰好が違う事に気付く。中央国の兵服だったはずなのに、今は新品の軽鎧に変わっている。装飾性はほぼ無く、取り立てて高価そうな箇所も見受けられない安物だろう。
「あれ? アンタ、防具を変えたのね」
「あ、うん。さすがに汚れちゃったしね」
確かに。ここに至るまでに魔物を血祭りにあげて来ている訳だし、そろそろ新しくしても良いだろう。またしばらく壁外の旅になるのだし。
余談だが、私だってちゃんと下着とか買い換えている。当たり前と言えば当たり前だが。
「ふぁ~。次に酒飲めんのは何時になんのかなぁ。もっと飲んどきゃ良かったぜ」
「いやいやジフさん。昨日は明らかに飲み過ぎでしたよ? あれ以上飲んだら死んじゃいますって」
ダルそう、というよりは残念そうなジフに、昨日付き合わされたのだろう、やつれたウード。
そんな光景を横目でチラッと見ただけで、表情が緩んでしまう。しばらくそれを眺め、遠くの喧騒も気にならなくなった頃、私は口を開いた。
「さて、そろそろ出発しましょ? っとその前にフィズ」
「ん?」
「昨日は悪かったわ。大人気ない態度だったと反省してるわ」
ごめんなさいと言わないあたり、恥ずかしさが隠しきれていない証拠だと思う。
「あー……うん。私の方こそごめんね? 実はあのレマさんって、割と有名なヒトらしくてね? ちょっとでもあの写真……だっけ? に似てるヒトを見つけると、あぁやって話し掛けるんだってさ」
ばつが悪そうに話すフィズ。チラリと横目でレマさんのいるはずの長椅子を見ると、もうそこには影も形も無かった。昔の私を知る、貴重な人物ではあったが、やはり向こうは確信を持って私に接していた訳では無かったのだと思うと、少し胸がザワついた。
「そう。ま、ちょっと乗ってあげても良かったかしら? それも含めて、大人気なかったかもしれないわね」
軽く笑いながら言うと、ジフが私の頭に軽く手を置いた。
「まだ大人じゃねぇんだろ? だったら大人気なくて良いじゃねぇか。子どもは子どもらしく、気楽にいけよな」
全てを分かっている、というように不敵に笑うジフのご機嫌な横隔膜に、私は肘を入れてやった。
「ごふっ」
「そんな子どもに酒飲ませるなんて、アンタみたいなのをロクデナシっていうのよ。さ、そろそろ出発しましょう?」
そう私が言った瞬間、門の向こう、ずっとずっと遥か彼方から、地響きを伴った何かの叫びが聞こえて来た。ビリビリと震える壁、揺れる門、何が起きたかまるで分からない。
大陸では地震が無い訳ではないが、何と言うのだろうか、地震の揺れ方とは違って空気がビリビリと揺れる感じ……とでも言えば良いだろうか。何か強大な存在が遥か向こうで咆哮をあげたようにも思える。
「うぉ!?」
「な、何ですか!? お兄様っ!」
「こ、これは……!?」
「まま、まさか邪神の!?」
口々に驚嘆の声を漏らす面々。街の方はもともとあった喧騒に悲鳴が加わり、恐らく市場の方は混乱しているだろう。揺れも収まり、ふとフィズを見ると……
「早く、行こうよ」
口角を限界まで歪ませ、ギラギラと輝く瞳。カタカタ震える体は恐らく恐怖心からでは無い。ゆっくりと門へと近づいて行き、動揺する門番へ何か言うと、直ぐに開門が成される。
「ちょ、もう! 行くわよ」
私は動揺している面々を手招きで呼ぶと、一人歩いて行くフィズを追いかけて行ったのだった。
※※※※※※※※※※
「調査結果は出たのか?」
獣人国、首都『クノスティア』の城内部、謁見の間にて、王であるダルガズムは目の前で跪く複数の兵に向かって神妙な顔つきで問い掛ける。
「はっ。今朝の地響きの原因は不明。様々な意見が出ておりますが、魔物の仕業ではないか、との説が有力なようです。城の上層より偶然あちらの方角を眺めていた衛兵の話によりますと、空に登る火柱が見えたとか……」
「ふむ。噴火という可能性は?」
「零ではありませんが、噴火であれば噴煙が長期に渡り観測されるはず……あれより半日ほど経った現在、噴煙は確認出来ません」
「ふむぅ。そちらの調査は分かった。もう一軒の方はどうじゃ?」
「はっ。今朝早朝に発見された、マイルクルオール家当主殺害事件、及び『掃き溜め』地区……」
「『掃き溜め』等という呼び方はよさぬか。あそこは『無人地区』じゃ」
「し、失礼致しました! 『無人地区』の住民皆殺し事件については、情報が錯綜しており、加えて捜査中に先ほどの地響きが発生。捜査が難航しているところであります」
「ふぅぅぅむ……『無人地区』については調査の遅延はこの際容認しよう。しかし、マイルクルオールは我が国の重要人物であった。これについては一刻も早く解決せねばならん」
「はっ」
というやり取りをしている中、謁見の間の扉が乱暴に開かれ、一人の兵士が息絶え絶えに入り込んでくる。
「王の御前だぞ!」
両脇を衛兵に掴まれて制止された兵士は呼吸を整え、ハァハァと深く息をついている。
「良い。何か情報が入ったのじゃろ? 聞かせてみよ」
王の一言で衛兵は手を離す。息を整えつつ、兵士は王の前に来て跪いた。
「マイルクルオール家当主、マーセル・マイルクルオール様が最後に会っていた人物が判明致しました」
「ほぅ。そやつが犯人の可能性が高い、という訳じゃな。申してみよ」
「はっ。中央国勇者、フィズ・アウレグレンス殿であると、マイルクルオール家の使用人が証言しております」
兵士がそう言うと、王を含めたその場の全員が驚きのあまり息を飲んだ。
「ゆ、勇者様が? まさかそんな……」
その場の一兵士が驚きの声を漏らす。自国の貴族が他国の勇者に殺害されたとなれば、当然国際問題に発展する。
「マーセル様の護衛二名も同様に斬殺されており、その斬り口から、相当な使い手であるという検死結果も出ております。恐らく……」
「馬鹿なッ! あのような小娘がそのような事をッ!」
声を荒げて立ち上がる王。焦燥の色が見て取れる。
「しかし、他に怪しい人物は……」
別の兵士が口を挟むと、王は言葉にならない感情を抱きながら、椅子に体を放り投げる。
「……息子と同じく、神託を受けし勇者だぞ? 謁見の際、屈託の無い笑顔で色々と話を聞かせてくれた、あの優しそうな娘だぞ?」
王の言葉は、老体に相応しい弱々しいものであったが、普段の王を知る者からすれば、気を遣わずにはいられない程の変化であった。
「フィズ・アウレグレンスとその一行は、今朝首都を出て行かれたそうです」
「……引き続き調査は続行せよ。邪神を滅せし後、ゆっくりと話を聞かせてもらう事とする」
「王ッ! それでは……!」
「良いのじゃッ! 神が定めし勇者を、ヒトの分際で裁く事は出来ぬ。その役割を終えるまでは、な」
王は立ち上がり、ゆっくりと窓へと近づいて行く。それを見守る兵士達。やがて窓へと辿り着くと、自身の息子が向かったであろう方角をジッと見つめる。
「敵は、邪神だけではないのかもしれんぞ、息子よ。そして神よ。如何な基準で勇者を選ばれたのだ。この老骨の声を聞き遂げてくださるのなら、お応えしてくださいませぬか」
その呟きは誰の耳に入る事も無く、王の胸の中へと仕舞い込まれるのであった。
「私も日本人だ。天崎八重。ふふっ。久しぶりに苗字を先に言った気がするよ」
「え、と……異世界、では?」
「――考えても、分かる訳……無いよな」
「神託の勇者は私だけじゃない!!」八章1話――
「重大な事って、意外とあっさり出て来たリする」
「そんな気がしてたけど、そんな偶然ってあるのかよ」




