11話・軋む道
それで良いと思っていた事に、後から後から新しい情報が入って来る。もうどうにもならない過去の話に決着を付けるには、どうすれば良いのだろうか。
私は、私はどうすれば良いのだろう。この自問は何度目か……中央国の近郊で拾われ、孤児院で育った。周囲に獣人はいなかったけど、そんな事は気にならなかった。優しい院長の愛情を受けて育ち、余計な事など考えた事も無い生活。
それで良かった。クロエリスであった事など忘れ、ピピアノとして生きていく事に、疑問を感じる余地など有りはしなかったのだ。それなのに、今更こうして実の親の仇と思わしき人物が近くにいる。何なのだ、この状況は。
「まったく……歩けねぇほどの怪我を負わせたつもりはねぇぞぉ?」
私は再びジルクス達のボロ屋の寝床に寝かされている。隣の寝床ではジルクスが眠っており、ラルクスが廊下で倒れていた私を運んでくれたのだ。
「……」
「ちっ。歩けるようになったら直ぐに出て行けぇ。お前がいると兄貴がまた余計な事を思い出しちまう」
「余計な事……それって、十数年前の商人殺害事件の事なのかしら?」
私の言葉に、ラルクスは千切れていない方の耳をピクリと動かした。
問わなければ、知らぬフリをしてサッサとここから出て行けば、私はただの『ピピアノ』として生きる事が出来ただろう。そしてそれが望みだったはず。なのに何故、私は聞いてしまったのだろうか。
「あ? 知ってるのか? だとしたら尚更話は早い。兄貴は事件の関係者だ。惨劇を目の当たりにしちまってな、頭から離れねぇんだとよ」
――父も母も御者も死に、生き残りは私だけ。だとすれば、やはりジルクスは……
私はゆっくりと体を起こし、掛けられていたボロ布をジッと見つめた。思い出されたのは血に沈む両親の顔、光が失われていく瞳。赤黒いボロ布がまるであの日の血溜まりのようだ。
「そう、あの薬を売っていたのはジルクスなのね」
私は呟く。誰に聞かせる為でもなかった。ただ、気が付いたら声に出ていただけだ。そしてハッとする。私の中にいる『クロエリス』が、父と母の死の真相を知りたがっているのだと気が付いたからだ。
「お、お前、もしかして……? いや、そんなはずはねぇだろ。一家全員が死んだと兄貴は言っていた……万が一生き残っていたとしても、こんな、こんな偶然があるわけがねぇ!」
声を荒げて動揺するラルクス。分かるわ、その気持ち。私だって動揺したもの。こんな偶然、空想上の物語でしか有り得ないと思うのが普通よね。
「先に言っておくわ。今更ジルクスを責めるつもりは無いの。確かに動揺してこんなザマだけど、それは偶然が重なって怖くなっただけ。どうして良いのか分からなくなっただけなのよ。仇を目にして気持ちが高ぶったとかでは無いわ」
そう……なのだろうか。自分で言っておいてよく分からない。確かに責めるつもりは無い。しかし、それは今は動揺していて責める気が起きないだけで、しばらくすれば憎んでしまうのかもしれない。
自分の中の『クロエリス』、私がなりたいのは『ピピアノ』。どちらも自分であるはずなのだが、感情がついて来ない。自身の事なのに、他人事のような感覚がする。『クロエリス』は真相を知りたがっている反面、『ピピアノ』は聞く必要が無いと思っている。
「――ちっ。お前が本当に生き残りであろうとそうでなかろうと、その言葉を信用しろって方が不自然だろうが。こっちは危ねぇ仕事だってやってる。仇討ちだ恨みだって言って襲ってくる連中は数知れねぇ。そうじゃなくても、理由も無く襲い襲われるのがここ、『掃き溜め』なんだからよ」
「……そうね。自分で言っておいて分かっていないわ。今は責める気が起きなくても、後から怒りが湧くかもしれないのだし」
そう言って視線を落とす。しかし、そんな無法地帯の中でもこうして他者の面倒を見る奴らもいる……私の場合は偶然が重なって、運が良かっただけなのかもしれないけど、その事実が少し希望のようなモノに思えた。
――でも、それが余計に辛いわ。ジルクスは自身の罪滅ぼしの為にやっている事だろうし、ラルクスに至っては普通に私を売ろうとしたのよね。
「不思議なモノね、ヒトって」
気が付いたら、そう口走っていた。
「あ?」
「だってそうじゃない? 生まれた場所や環境によって、奪ったり奪われたり。裕福だったり貧困だったり。生まれた場所が違えば、ジルクスも苦しまずに済んだかもしれない。富裕層に生まれていれば、汚い仕事を請け負わずに済んだかもしれない」
私がそう言うと、ラルクスは驚きとも、呆れ顔とも取れるような複雑な表情をして私を見ていた。
「何よ?」
「いや、お前ぇ、本当に当事者か? 他人事みてぇに言ってるけどよぉ」
「……それがね、自分でも分からないのよ」
他人事、というのが言い得て妙で、何だか笑えて来る。
「はぁ? お前の事だろうがぁ?」
「そうなのよね。私の事、なのよね。でも不思議なくらいに実感が無いの。私の中の『クロエリス』は真実を知りたがっているけど、私『ピピアノ』は興味が無いのよ」
ゴチャゴチャと頭の中で考えた事をラルクスに漏らしてみる。こんな事を知り合って間もない。しかも自分を売ろうとか考えてたヒトに言うなんて……いや、反対に言い易かったのかもしれない。ジフやらフィズやらに言えるような事では無いと思う。
「はぁあ? 俺にゃあお前が何を言ってるかサッパリ分からんぞぉ? 結局お前はどうなんだ? 幼い頃に毒で死んだ一家の生き残りって事で間違いないのかぁ?」
「……」
「……」
その問いに答えられぬまま、沈黙が場を支配した。『掃き溜め』を吹き抜ける風がボロ屋をカタカタと揺らし、隙間風がピューピューと音を奏でている。
「……ラルクス」
ジルクスは仰向けで目を開け、弟の名を静かに呼んだ。
「……ちっ。兄貴が目を覚ましちまった。お前、歩けるならもう出て行けよぉ」
「そうね……今度こそ、世話になったわね」
私はそう言って立ち上がろうとする。しかし、立ち上がる前にジルクスの手が私の腕を掴む。
「あ、兄貴ぃ?」
「待て、待ってくれ。俺はお前に謝らなくちゃならん」
見れば、冷や汗を垂れる程に掻いて憔悴した表情のジルクス。
「アンタ、まさか聞いていたの?」
「あぁ。俺が起きれば、ラルクスはお前を追い出すだろうと思ってな……」
「兄貴ぃ……」
憔悴した表情のまま、ジルクスは上半身を起こす。それを支えるようにラルクスが傍らに付く。乱暴に思えるラルクスも、兄には優しい。
「お前の、両親を、殺したのは……うぐっ」
吐きそうなくらいに顔色が悪い。口を手で押さえ、肩で呼吸をしている。
「兄貴ぃ! 止めとけぇ! おいッ! お前、早く何処かへ――」
私に向かって怒鳴るラルクスに、ジルクスは小さく「止めろ」と言った。
「俺が、売った薬で、お前の、両親が、ぐぅっ……死んだ。これは、間違いない」
ゆっくり、苦しそうに言葉を紡ぐジルクス。その姿はとても真剣で、聞かなければないらない。そう私に思わせる態度であった。
「……その前に、私が関係者だという証拠はあるの? 毛が白いげっ歯類の獣人なんて、私以外にもいるけど?」
「間違えるものかっ! 呆れた時の表情はお前の母親そっくり……いや、まるでそのままだ!」
声を荒げるジルクスに、恐怖は感じなかった。ただ、憔悴して焦るこの男を哀れに思ってしまう。今、この男は罪と向き合おうとしている。一般的に考えて立派な事だと思う。有耶無耶にせず、当事者に真実を伝えようとしている。だが、私にはそれが何故か他人事のようで、滑稽にさえ思えてしまう。
「俺は、俺はあの日、確かにお前の両親に薬を売った。ただ飲み物の色が変わるだけだと嘘をついて! しかし、俺は……俺も知らなかったんだ。あの薬は睡眠薬だと、聞かされていたんだ」
「……となると、やはりアンタが計画を立てていた訳じゃないのね?」
どうもオカシイと思っていた。ジルクスが計画して実行していたというのなら、ここまで罪の意識を感じるだろうか?ここまで憔悴するだろうか?
「そうだ……俺は依頼を受け、薬を売っただけなんだ。それが毒薬だなんて知らなかったんだ」
俯き、消え入りそうな声で呟くジルクス。不思議なくらい怒りが湧かないのは、弱った犬みたいに萎縮する姿を憐れんでいるからか。それともその先にある真実を早く聞き出したいからか。小説でも読んでいて、物語の先が気になるような感覚。自分の事のようにはやはり思えない。
「それで? アンタに依頼したってのは何処の誰よ?」
「……」
外を吹き抜ける風がガタガタと家屋を揺らす。隙間風が気になるくらいの沈黙。兄だけでは無く、弟も黙っている。私の配る目線からワザとらしく逃れようと顔を背けるラルクスに対し、ジルクスは震えながらも私を見つめたまま口を閉ざしている。
「言えないの? それほど大きな力を持っているような奴って事かしら? まさか王族とか……上流貴族とか?」
私を探していたレマとか言う獣人の話から考えて、おおよその目星はついているが、証拠は無い。しかし、コイツが証人になれば話は変わって来るはず。
貴族、と聞いてジルクスがビクリと体を震わせた。これは当たりのようね。
「貴族、ね? それもやっぱり上流の……そうね、マイルクルオール家辺りかしら?」
私は不敵に笑みを浮かべ、そう問い掛けた。目に見えて憔悴が強くなっていくジルクスを見ていられなかったようで、ラルクスが私の胸倉を掴んで顔を近づける。
「おいッ! もう止めろ! 兄貴はもう罪を償ったんだ! これ以上、兄貴を苦しめるんじゃねぇよッ!」
ラルクスの怒声も、特に恐怖を感じる事は無かった。ただ、不潔なオジサンの口臭がキツく、顔を顰めてしまったが。
「刑罰を受けたのなら、まだ牢屋にいるんじゃないかしら? まぁ、そんな事はどうでも良いの。さっきも言ったけど、別に責めるつもりは無いわ」
「兄貴は報酬も貰えず、見つかれば消されちまうような生活を強要されて来た! 門番は奴らの息が掛かってやがるから国外にも行けず、追い込まれるように『掃き溜め』にやってきたんだ!」
「だからッ! 責めるつもりは無いって言ってんでしょ! アンタらの身の上話に何て興味無いわ!」
「んだとコラァ!」
「止めろッ!」
言い争いになりそうな時、ジルクスの叫びが私達を大人しくさせた。
「俺に薬を売るように依頼したのは、マイルクルオール家で間違い無い。薬で眠らせ、しばらく幽閉した後に解放する。そういう手筈だった。俺はそれしか知らされていない」
震えながら、しかしハッキリとした口調で言葉を紡ぐジルクス。それを聞いて、ラルクスは私から手を離した。
――やはり、マイルクルオール家か。コイツ等が証人となって裁判所に訴えれば、少しはマイルクルオール家に打撃を与える事が出来るかもしれないけど、まず揉み消されるでしょうね。それに……
「俺を証人として裁判でも起こすか? だとしたら止めておけ。お前が思っている以上にあの家は権力を持っている。それに野心もな。個人でどうこう出来るような問題じゃないぞ」
「あぁ。そのつもりは無いわ。私としては今更ピシェルマロッテを名乗るつもりは無いし、旅の途中なの。明日には首都を……」
そうだ。明日には出発するんだった。壁に掛けてある、ボロ屋には似合わない高級そうな時計を見ると、もう10分もすれば日付が変わる。ちょっと寄るだけのつもりが、結構長居してしまったようだ。
私は頭をポリポリと掻き、ゆっくりと寝床から立ち上がる。取り合えず宿に戻って、明日フィズ達と合流しよう。きっと怒っているだろう。素直に謝った方が良さそうだ。
私にはやるべき事がある。『クロエリス』の真相を知るのは、それが終わってからで良い。ゴチャゴチャ考えるのは、今じゃない。
「アンタ達に迷惑を掛けるつもりは無いし、今更真相を世に暴露するとかいうつもりも無いわ。本当、世話になったわね」
そう言うと一歩踏み出す。軋む床板の音が非常に耳障りだ。
「待ちな」
ジルクスが私を呼び止める。落ち着いた声で震えは感じられなかった。
「本当に良いのか? 何の解決もしていないぞ?」
「良いのよ。言ったでしょ? 旅の途中なの。やるべき事があるのよ」
背を向けたまま話す私に、ジルクスは何を言いたいのだろうか。いや、きっと彼自身まとまっていないのだろう。マイルクルオール家に対する恐怖と、私に対する贖罪の意思が揺らいでいるのだと思う。
「そうか……これ、持っていけ」
背後から私の手を掴み、丸い何かを握らせるジルクス。じんわりと暖かいのは、これを肌身離さず持っていたからだろう。
手を開けて見て見ると、真っ青で飾り気の無い……石?のようなモノであった。丸みを帯びているが、石のゴツゴツとした手触りも無くしていない。
「何よ、これ?」
「出所は不明だが、何でも魔除けになる石らしい。役に立った事があるかは自覚出来てねぇが、気休め程度にはなった。せめて、餞別代わりに持って行け」
売れそうにも無い色付き石。正直いらないのだが、元お手伝いのレマが持っていた人形よりも惹かれるモノがあった。
「ふーん。有り難くもらっておくわ。じゃあね」
「それとな」
「まだ何かあるの?」
「獣人国の商人達はほぼマイルクルオール家と繋がりがある。もし旅先で獣人国の商人と会ったら、気を付けた方が良いかもしれんぞ」
「そ。忠告感謝するわ」
そうして私は振り返る事無く、ボロ屋を後にし、『掃き溜め』から出て行った。静まり返った居住区を抜け宿に戻ると、何も考えずに寝床に体を放り込む。
――明日、と言ってももう今日なのだけれど、ちゃんとフィズに謝ろう。それでこの話は一旦お終いにさせてもらうわ。全部終わったら、戻ってくれば良いのだし。
そう、今は取り合えず邪神討伐の旅、アーディの敵討ち……それを再び認識し、私は深い眠りに落ちていくのであった、
※※※※※※※※
ピピアノが『掃き溜め』を後にした数十分後。
「ふー。兄貴ぃ。何だか疲れちまったな」
「ふん。そうだな。だが、俺はスッキリした。まさかこんな日が来るとは思ってなかったからな」
力無く笑うジルクスは何処か満足気であった。それを見たラルクスは窓の外を見て軽く溜め息を吐く。その表情は柔らかい。
「もっと責められるか、刺されるか。それくらいは覚悟はしていたんだがな。八ッ。そういう意味では拍子抜けしたかもしれんな」
「兄貴……」
「ま、アイツの言った『やるべき事』ってヤツが終わったら、きっと戻って来るさ。そんな気がする。その時はもっと詳しく話をしてやりたいもんだ」
言いながら寝床に体を預けるジルクス。ボフっと音を立て、埃が宙を舞った。薄暗く室内を照らす魔灯の光が揺らめいたかと思うと、窓を見ていたラルクスが声を発した。
「あ、兄貴……何か、変じゃねぇか?」
ラルクスの感じた違和感。窓からは『掃き溜め』のゴチャゴチャした広場が見渡されている。いつもならゴロツキ連中が数人は焚火をしながら騒いでいる時間だ。
「あ? ピピアノっつったか? あの娘さんが何人か殺っちまっただろ? だからじゃねぇのか?」
ジルクスも静けさには気づいていたが、それはピピアノが数人殺した為、ゴロツキ達が騒ぐのを自粛しているのだと思っていた。
「いや、兄貴……それくらいは慣れてる奴らだろ? 今までこんな事、あったか?」
弟にそう言われ、ジルクスは起き上がる。
――確かにそうだ。馬鹿騒ぎくらいが生きる楽しみの連中が、誰もいないってのはオカシイ。
ジルクスは寝床から立ち上がると、ラルクスの覗く窓へと行き、窓を開けて外を眺める。不自然なくらいに静かなのは、広場にヒトがいないからだけではない。
「……妙だ。これは血の臭い? ラルクス。行くぞ」
「あぁ。しかし、行けるか? 兄貴?」
兄を気遣うラルクス。それには口元を歪ませて応えるジルクス。
外へ出た兄弟は慎重に歩を進めていく。広場の真ん中へ差し掛かった時、それは暗闇の向こうから姿を現した。
「あははっ! 遅いよぉ? 待ち切れなくなってピピアノまで殺したくなるところだったじゃん」
少女の姿をしたそれは全身に返り血を滴らせ、ケタケタと笑っている。斜めに振り下ろした青い刀身の剣から、ビシャリと血が撒き散らされ、地面を赤く濡らした。
「……ここの連中をどうした?」
ジルクスは静かに問う。ラルクスは剣を抜き、いつでも対応出来るように構えを取る。少女の形をしたそれは既に上がっている口角をグニャリと歪ませる。兄弟は自身が何と対峙しているのか、分からなくなっていた。
「聞かなくても分かるよね? 後は君達二人だけだよ? あははははッ!」
「ちっ」
「兄貴、話の通じる相手じゃなさそうだぜ? さっさとやっちまおう」
ラルクスの言葉に従い、剣を抜くジルクス。ラルクスの直剣よりも細長い長剣を上段に構えた。その様子を見ると、それは天を仰ぎ、嬉しそうに笑った。
「あはははははッ! 良いねっ! それじゃあ、斬らせてね? あはははははははッ!」
月が雲で隠れた『掃き溜め』の中、不敵に笑う少女の不気味な笑い声が、暗闇の中にいつまでも響き渡るのであった。
「眩しいわね……」
「私はもう歳ですから……結末を見届ける事は出来ませんが、願う事は出来るのです」
「王ッ! それでは……!」
次回「神託の勇者は私だけじゃない!!」七章12話――
「残された幻想と壊れていく現実」
「過去にはもう戻れないけど、未来はまだこれからよ」




