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9話・遠い記憶と、届かない手

夢です。

~十数年前、中央国首都の近辺、『ゼラ』壁外付近にて~

 

「おとーさん! おかーさん! あっちあっち! とーく(遠く)にちっちゃく壁、見えるよっ!」


 牛車の荷台に揺られながら、興奮気味の幼いハムスターの獣人が、両親の袖を引っ張りながら荷台から身を乗り出している。ガタガタと揺れる荷台に爽やかな風が吹き抜け、両親はもちろん、牛車を操る御者も、その牛ですら笑顔になるような長閑(のどか)な光景だ。

 獣人国の商人である彼らはこの日、中央国で大きな取引がある為にこの地へとやって来ていた。この仕事が成功すれば、祖国にとって大きな利益になる。その(えき)で救われるのは、『掃き溜め』に住む貧しい国民達。

 一介の商人には任せられぬ大きな仕事ゆえに、獣人国きっての大商人であるピシェルマロッテ家の当主夫婦が自ら出張って来ているのだ。当主の首から誇らしげに下がる特別な金属板には、爪と牙をあしらった模様が刻まれている。

 

「クロエリス、落ち着きなさい。中央国に着く前に怪我でもしたら大変よ」


「はっはっは! 良いじゃないか、エリスライザ。子どもはこれくらい元気な方が気持ちが良い。どれ、元気なクロエリスには中央国に着いたら、可愛い人形でも買ってやろうな!」


 冷静に反応する妻、エリスライザは白く美しい毛並み。豪胆に笑う父、クロイルドは灰色の毛並み。そして幼子のクロエリスは母譲りの白い毛並みであった。家族揃ってハムスターの獣人である。


「わーい! おとーさんだーい好き!」


「もう、アナタは甘やかし過ぎなのよ。少しは父親らしく(いさ)めて頂戴」


 暖かな陽気の中をガタガタと進む牛車からは、とても幸せそうな空気が発せられていた。優しく豪快な父、美しく聡明な母。そしてその娘は、両親の愛情を一身に受けて朗らかに育っている。

 誰がどう見ても幸せそのもの。この光景を見て、この幸せがこのほんの少し後には失われてしまうなど……一体誰が想像しようか。


「――あ、おとーさん、誰かいるよ?」


 クロエリスが指を差す方には、行商人と思わしきウサギの男獣人の姿が見受けられた。大きな荷物を地面に置き、親子の乗る牛車に向かって手を振っている。


「あれは行商人だね。町が近いとは言え、こんな壁外で商売をしているなんて……」


 クロイルドの疑問は(もっと)もだった。魔物がいる壁外で商売をする者など、余程腕に自信がないと出来る事ではない。しかも、買う方にもそれなりの実力が無ければ、買い物の最中に襲われたら一溜りもない。

 ちなみに、地面に荷物を置いた行商人が手を振るというのは、「買い物していきませんか?」という意味である。


「面白いな、ちょっと寄って行くか」


「本気? 壁外にいる時間は短いに越したことは無いわ」


「分かっているさ。でも、同じ商人だ。何を取り扱っているか気になるだろう?」


「わーい! お買い物~」


「ほら、クロエリスも嬉しそうだし」


「まったく……娘をダシに使わないで頂戴」


 呆れるエリスライザを尻目に、クロイルドは御者に命じ、ウサギ獣人の行商人の所へと立ち寄った。


「――ふむふむ、食料品を主に扱っているのか……」


「はい。どれも旨い物ばかりです。見たところ、獣人国から来られたようですが……」


「あぁ。そうだよ。君は違うのかい?」


「えぇ。お――私は中央国生まれでしてね。この辺りは庭みたいなものなんです。獣人国からのお客さんでしたら……」


 そういうとウサギ獣人の男はゴソゴソと袋を物色し始める。


「なるほど、だから壁外で商売出来るのか……しかし、危険な事には変わりはないだろう。店舗は構えないのかい?」


「気ままに売り場を変える方が性にあってるんですよ……あ、これだこれだ」


 男が取り出したのは、何やら液体の入った一本の細長い小瓶であった。瓶自体は薄い青色で、中の液体は赤色だろう。色が混ざって紫色に見えている。


「それは?」


「これは面白い薬でしてね。キナジース(リンゴジュース)に入れると色が緑色に変わるっていう物です。味に変化は無く、ただ見た目が変わるだけのシロモノなんですがね、お子様は喜ばれるかと。森林国で流行っているんです」


 男はそう言って小瓶をクロエリスに見せる。


「わぁっ。面白そうっ! おとーさん、これ欲しいっ」


「はっはっは! なかなか商売が上手いじゃないか。娘にこう言われたら、父親として買ってやりたくなる」


「へへっ。あんが――いえ、ありがとうございます」


「本当、娘には甘いんだから。ほら、遅くならない内に行くわよ?」


 やれやれというように呆れるエリスライザに、親子揃ってぺろっと舌を出す。その様子を見て男はニタリと笑っていた。


「おかーさんも一緒に飲もうね!」


 そうクロエリスが言うが、エリスライザは微妙な表情だ。得体のしれない物を飲みたくないというのは、大人であれば当然の感覚であろう。


「奥様、奥様のような美しい方には是非キナジースを勧めたいですねぇ。最近の研究ではキナの実は美容に効果が高いとされております。お子様と一緒に是非これを試し、楽しく美しさに磨きを掛けられては?」


「はぁ……口が上手いわね。ま、騙されたと思って後で試してみるわよ。娘に甘いのは私も一緒みたいだし」


「やったー!」


 嬉しそうにはしゃぐ娘と手を繋ぎながら、夫婦は満足そうに馬車へと戻る。その後ろ姿を男はニタリと笑って眺めていたのだった。

 しばらく牛車の中で小瓶を眺めていたクロエリスであったが、早く試したい気持ちが強くなり、父に懇願する。


「おとーさん。これやりたいよー」


「はっはっは。クロエリスは好奇心が旺盛だなぁ。よーし、確かあっちの荷物にキナジースが……」


 荷台の中の荷物をゴソゴソ探し始めるクロイルド。


「アナタ。甘やかすのも程々にして頂戴。我慢の出来ない子に育ってしまうわ」


「はっはっは。まぁそう言うな。っと、あったあった」


 クロイルドが用意したキナジースはコップ四杯。御者の分まで用意する辺り、クロイルドの人の良さが分かるであろう。高級なガラス製コップに注がれた薄黄色い液体に、クロエリスの視線は釘付けだった。


「こいつにこれを入れれば良いんだな」


 薬品の注がれたキナジースは見る見る内に新緑のような緑色に変わり、クロエリスの感嘆を誘った。


「わぁ~……」


「ふぅん。綺麗ね」


 思わず声を漏らすエリスライザ。持ち上げたコップに陽の光を当てると、キラキラと宝石のように輝いている。


「はっはっは。買って良かったじゃないか。おーい、君ぃ、ちょっと止めてくれー」


 牛車を止めさせ、御者にコップを手渡す。一同はキラキラ輝く緑色の液体を手に荷台へ座っていた。


「よーし……そうだな、商談の成功を願って!」


 クロイルドがそう言ってコップを掲げると、呆れたような表情のエリスライザと、それを見て苦笑いの御者は黙ってコップを胸の位置まで上げる。その光景を見てクロエリスは慌てて母の前をするのだった。


「いざ、一気に!」


 掛け声と共にグイっと飲み干すクロイルド。それに続き、エリスライザと御者も一気に飲み干す。一歩遅れてクロエリスも一気に飲み干そうとコップを傾ける。しかし、その拍子にほとんど中身が零れてしまった。

 ちなみにだが、これは何かの成功を願う際に行う民間的な慣習だ。主に獣人国で行われるが、古い慣習の為、すっかり廃れてしまっている。


「――ぷはっ。はっはっは! 零れてしまったな、クロエリス」


「ふぅ。まったく、こんな古い習慣、やる意味ある? ほら、着替えるわよ」


「うえーん。びちゃびちゃだぁ」


「さて、着替えを済ませたら出発するぞ? 気合も入ったし、これで――」


 言い掛けたクロイルドは、震えながら胸を押さえて倒れ込む。苦しそうな表情。どんどん脂汗を掻いて震えが大きくなっていく。


「アナタ!? どうし――ぅぐッ!」


 エリスライザも同様に胸を押さえて倒れる。御者も同じだ。その光景を見てクロエリスは混乱し、父と母を呼びながら泣き叫ぶ。


「おとーさん!? おかーさん!?」


 その呼びかけに吐血を以って答える大人達。真っ赤に染まっていく荷台の中に、先ほどと変わらぬ爽やかな風が吹き抜ける。


「グ、グロエリズ……ぶ、無事がぁ?」


 口から血を吐き出し苦しそうな父の絞り出されるような声に、涙を流して聞く事しか出来ないクロエリス。

「グゾ……何も、見え……ず、ずまん……エリズ……グロエ…………」


「逃げ……なざい……グロ……エリ…………」


 吹き出すように血を大量に吐き出し、動かなくなる大人達。その様子を涙を流しながら見つめる幼子は、しばらくすると表情や鳴き声が消え、ただ立ち尽くすばかりであった。


「……おとー、さん。おかー、さん」


「――う、嘘だろ? 何だよこれ……うぅ、うわぁあああッ!」


 そう声が聞こえたのは時間が経ってからの事。放心していたクロエリスがゆっくりと声の方向へ顔を向けると、ウサギの男獣人が尻もちをついている姿が目に入る。彼は牛車の荷台を覗き込み、絶叫して震えていた。


「ひぃぃぃいいいッ!」


 慌てて走り去る男を、エリスライザは黙って見送った。流れる涙も最早止まり、誰が吐き出した物か分からぬ血に塗れ、白い毛並みが真っ赤に染まったその幼子は、男を見送った後にゆっくりと膝から崩れ落ちた。


「……」


 そうして言葉も発せぬままに伸ばした手は、父と母だった塊には届きはしなかった。そしていつの間にか、幼子のか細い意識は途切れていったのであった。


※※※※※※※※


「――今のは……私?」


 私は目を開けると、キョロキョロと周りを見渡した。汚い部屋。そう一言で片付けてしまえる狭い部屋に、私は見覚えなど無かった。壁に掛けてあるボロボロの年代を感じる時計を見れば、私が『掃き溜め』に入って三時間程度が経っている事が分かる。


「ここは……つぅッ!」


 首筋がズキズキと痛んだ。起き出してみると首だけではなく右手首も痛む。理由を思い出そうとしていると、床板の軋む音が聞こえてその方向から声を掛けられる。


「起きたのか」


 首が痛むというのに反射的に声の方向へ顔を向ける。案の定痛んだ首、歪む表情。


「ここは? アンタは……」


 声の主はウサギの男獣人だった。白い毛並みはくたびれていて灰色、身に纏う衣類は汚らしい。耳は力なく垂れ下がり、全体的に覇気が無い。何処となくジフと似た雰囲気に、一瞬安心を覚えた自分をぶん殴りたくなる。

 そう、私はこの男を知っている。この男と『掃き溜め』で対峙し……負けたのだ。


「アンタに負けたって事は、私は売られるのかしら? その割には一切の拘束具が付けられていないけど?」


 警戒しつつ、探る。起きたばかりで情報が少ない。気を失ったからか、どう負けたのかも定かでは無かった。

 ――隙を見て逃げるしかなさそうね。


「ふん。売りはしない。それによく見てみろ。お前をのした(・・・)のは、俺じゃあねぇよ」


 男の言葉に(いぶか)しがって見せ、まじまじと全身を見る。


「あ……」


 私は男の頭部に注目した。対峙した男は確か向かって右側の耳が半分ほど無くなっていたはずだが、この男にはある。両方ともダラりと下がっているのは変わらないし、汚らしく染まった灰色の体毛も一緒。服装も……正直そこまでは覚えてないけど、たぶん一緒だ。


「もう少し寝ていろ。俺はげっ歯類の獣人には何もしない。そう決めてるのさ」


「え? どうして?」


 男は私の疑問には答えず、黙って立ち上がって部屋を後にする。


「ちょ、ちょっと……」


 止めようと手を伸ばすが、届かない。ズキズキと痛む首筋にその手をやり、私は腑に落ちないまま一人汚い部屋に取り残されるのだった。


「……ピシェルマロッテ、という家名に聞き覚えは?」

「――ねぇ、マーセルさん」

「子どもには会わせてあげられないけど、その両親には会わせてあげるね」


次回「神託の勇者は私だけじゃない!!」七章10話――

「昨日は我が身、今日も我が身」


「もっとさ、綺麗にしていかなきゃならないんだよ。あはははッ」

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