7話・そんなのダメだよ!
揺れる心は落ち着いたかに思えた。しかし、幼い頃のピピアノを知るという人物が現れ、彼女は再び悩みの渦へと飲み込まれていくのであった。
私達は今、人通りの少ない地元民用の喫茶店でお茶を飲んでいる。面子は私、リアリス、ギィさん。そしてピピアノとレマさん。
レマさんはピピアノの事を探していた犬の獣人だ。歳も歳なようで毛並みに艶が無い。しかし、老齢を感じさせつつも上品な立ち振る舞いは、長年の生活の中で培われてきたのだと私達は感じ取る事が出来た。
「……」
ピピアノは黙ったままお茶を啜る。武器商店の近くでピピアノを見つけた時、レマさんが懐かしそうにピピアノに挨拶をした。それで感動の再開、とはいかず……それからピピアノは黙ったままだ。
席順は私の隣にピピアノ。向かい合ってギィさん、リアリス、レマさんだ。ピピアノとレマさんは正面で向かい合う。
「あ、あのクロエリス様――」
「ピピアノよ。クロエリスなんて知らないわ。ヒト違いじゃないかしら?」
冷たい目、冷たい声。出会った頃の彼女に戻ったみたいだ。最近のピピアノ、何だかんだ言って優しかったのに……
「いえ、長年ピシェルマロッテ家に仕えていた私がクロエリス様を……お嬢様を間違えるはずが御座いませんっ」
落ち着きながらも確かな力強さが感じられる。でもその瞳は優しく、慈愛に溢れている。このヒトは確信を持ってピピアノの事をクロエリスと呼ぶのだろう。
――私達の事を偶然見かけて、兵士さんに勇者だって聞いたって言ってたけど、まさか詐欺か何かの……
私はそこまで考えて止めておいた。何て言うのか……こんな風に接する事が出来るヒトが悪い事をするはずが無い。
――少しでも怪しい事をすれば、斬っちゃえば良いんだもん。
「お嬢様はまだ小さかったですので、覚えておいでではないのかもしれません……」
悲しそうな顔でそう言うと、レマさんはピピアノの顔を見て涙ぐむ。
「てっきり私は、旦那様と奥様と一緒にお嬢様も亡くなられたものだと思っておりましたが、こうして元気なお姿を見れて……」
「だから、ヒト違いだって言ってるでしょう? 何度言えば分かるのかしら?」
尚も冷たい態度のピピアノ。その冷たさが逆に変だと私は思う。
「ヒト違いでは御座いません。奥様の生き写しかと思う程、お嬢様はよく似ておられます」
そう言うと持っていた鞄から小さな額縁を取り出す。それをピピアノに見せると、彼女の目元がピクリと動いた。
「これは写真、という物です。写真機という不明遺物を使用し、まるでその時を切り取ったように映し出した物です」
見せられた写真には、白い毛並みの綺麗なげっ歯類の獣人が一人、椅子に座って優しく微笑んでいる姿が映っている。少し色あせているが、絵よりも表情が生き生きしている。確かにその時間そのものを切り取ったように感じられる。
「わぁ。ピピアノそっくり……というかこれ、ピピアノじゃないの?」
非獣人の私には獣人の細かな違いとかは分からないけど、獣人であるレマさんが生き写しだとまで言うのだ。私が見れば最早同一人物にしか見えない。
「……偶然でしょ。確かに私にそっくりで驚いたけど」
「ピピアノ、良いんじゃないですか? 確かに貴女は幼い頃の記憶は無いのかもしれません。ですので、真実はともかくとして滞在中はクロエリスでも良いじゃないですか」
とリアリスが言う。なかなかに面白い発想だ。確かに真相は分からないのなら、それも良いかもね。互いにそれで良ければだけど。
「アンタねぇ……」
ピピアノは腕を組んで考えていたが、やがてレマさんを見て言った。
「仮に私がクロエリスだとして、もう十年以上失踪していた事になるのよね? 今更何か用事があるのかしら?」
「用事だなんて……こうしてお嬢様が生きていると知っただけで、私は嬉しくって嬉しくって……」
そう言って手拭き布で涙を拭うレマさん。とても演技には見えないから、打算とか無さそうだよねぇ。
「それだけ期間が空けば家やら土地も無いでしょう? まさか誰かが代わりに財産管理しているとか? それでクロエリスが戻れば手に入るから、こうして接触しに来たのかしら?」
ピピアノはレマさんの涙には触れず、自分の疑問を述べた。私は少しムッとしてしまったけど、口を挟めるような問題では無いと思い、一人お茶を啜った。
「ち、違うますっ。私は土地や財産等に興味はありません。しかし財産と言われれば、不可解な話があるのは確かです」
「不可解な話?」
「はい。財産等は旦那様方が亡くなったという報を聞いた後、全て国の管理下に置かれる事になっていたのですが、それ以前にマイルクルオール家が買収しました」
「国の管理下に置かれる予定のモノを買収? 管理下に置かれた後ではなくて?」
丸い耳がピンと伸び、腑に落ちない表情のピピアノ。
「……はい」
神妙な顔つきで答えるレマさん。ギィさんとリアリスも真剣な顔だ。私だけが何にも分かってない。
「何か、変なの?」
「変よ。持ち主がいなくなった土地や家は一度国が管理下に置いてから、国営競売で売りに出す事はあるわ。公平を期す為にね」
「……えーと、一旦国のモノにしてからじゃないと、何かズルが起きるって事?」
こういう話、私は弱い。兵学舎でも兵法学やら歴史やら神学やら……私の頭はこれらの知識が侵入するのを拒み続けて来たのだ。
「国の管理下に置く前に買収出来るのなら、狙ってその土地や家からヒトを消してしまえば良いじゃない? それで持ち主がいなくなって手に入るんなら、そういう方法も取れてしまうわ」
「え……」
「そういう事を抑制する目的もあって国が一旦管理するのよ。競売の運営ももちろん国がやるのだから、貴族と言えど必要以上に出しゃばれない。当然、買収されない信頼できる競売員の配置は絶対よ」
なるほど。国が管理する事で、略奪のように土地等を奪い合う事が無いって事……だよね?
「うーん。私には難しくて分からないけど、そのマイルクルオール? って家のヒトは何で競売まで待てなかったのかな?」
私の言葉を聞き、皆レマさんを見た。涙を拭きながら少しの沈黙。ザワザワ小うるさい店内で、私達の席だけが異様に静かで逆に目立つ気がした。
「……マイルクルオール家は獣人国の中でも最高位に属する貴族です。その権力はとても大きい。ですがお嬢様の言う通り、貴族と言えど本来は国の決めた事を曲げ、我先にと買収出来るはずが無いのです」
「なら、何故かしら……?」
「これは噂ですが……」
そう言うとレマさんは周囲をキョロキョロと見回す。それを合図にしたように、私達は身を寄せてレマさんの話を聞く姿勢を取った。
「マイルクルオール家は王家に貸しがあるとか……」
「菓子? あ、貸しか」
「フィズ、ちょっと黙ってなさい」
怒られた。
「貸し、というのは少し先の話になるのですが……掻い摘んで話せば、元々マイルクルオール家の令嬢は第一王子の妃となる予定でした。その令嬢は現在行方不明。その原因が第一王子にあると噂されたのです」
「へぇ。あの優しそうな王子、何かやらかしたのかしら? それとも、その令嬢と結婚するのが嫌になって始末した、とか?」
「色々な噂がありますが……どれもこれも噂の域を出ません。第一王子は昔から優柔不断で気が弱く、第二王子の後ろに隠れているような事が多かったものですから、そんな王子に嫁ぐのが嫌になった、というのが有力だとされていますが……」
貴族等の上流階級同士の婚姻は色々と面倒そうだ。中央国でもそんな類の話はたまに噂されたりするから、それほど珍しい気はしないけど。
もし王族に嫁ぐのが嫌と言われたら、王子や王様の面目丸つぶれな気がするけど……そうなったら不敬罪、だっけ?そういうのに問われないのかな?
「ふぅん。つまり、妃になる予定の者の家に対して贔屓したって事ね? それでマイルクルオール家はピシェルマロッテのモノを手に入れた……」
「はい。そう言われております。もちろん、真意の程は分かりかねますが……」
「それが、貸し……ねぇ。それが貸しになるのなら、王子に責任があると王族は認めてしまったようなモノね。知らぬ存ぜぬで通さないところが、律義な王様という演出にはなるのかもしれないけど」
ピピアノは腑に落ちない表情のままだ。私はサッパリ分からないから、途中から考えるのを止める事にした。うん、お茶が美味しい。
「ま、噂の域が出ないような話だし、腑に落ちない点何かいくつもあるわ。参考程度にしかならないわね。で、話を戻すけど、私がクロエリスだとしたら今更何の用事があるの?」
「ですから、用事というものはありません。ただ、生きていてくださっただけで嬉しいのです。それをお嬢様に伝えたかった。そして……」
レマさんは鞄をゴソゴソと探り、少し変色した小さなヌイグルミを取り出した。犬を模したヌイグルミは手の平程の大きさで、元は白だったと思われる毛並みは灰色掛かっていた。
――あれ?何だか獣人国の王様みたい。色褪せ具合なんてソックリだよ。
「お嬢様が昔とても小さかった頃、城の宴の席で王様を見て笑った事があったのです。旦那様は顔を青くしておりましたが、王様は笑いながら言いました。『この顔が面白いか。ならばヌイグルミにでもして贈ろう。将来母のように美しくなるように願いを込めてな』と」
「ふふっ」
私は想像して笑ってしまった。ピピアノも小さい頃は可愛かったんだろうねぇ。
「それでこれを後日贈って下さったのです。ピシェルマロッテの財産がマイルクルオール家に全て買収される際、これだけは何とか持ち出せました」
そう言ってレマさんはピピアノにヌイグルミを手渡そうとする。しかし、ピピアノは首を横に振って受け取らなかった。
「何度も言うけど、私はクロエリスじゃあないの。そんな小汚いヌイグルミを渡されても困るわ」
「ちょっ、ピピアノっ!」
思わず声を大きくしてしまった。店内のお客さんの何人かがこちらを見ている。そんな言い方は無いだろう。
「……落ち着きなさい。レマさんと言ったわね。それは貴女が持っていて。その方がきっとクロエリスってヒトも喜ぶわ」
冷静にそう言うピピアノの顔をジッと見つめる。恐らく睨んでいたかもしれない。それでもピピアノは表情を変えなかった。
「さ、話が終わったんなら私は買い物の続きに戻るわ。フィズ、出発は明日なんだから、買い忘れの無いようにしなさい」
「ピ、ピピアノ!」
「良いのです、勇者様」
「そんなっ! ちょ、ピピアノってばッ!」
「……」
席を立ち、素早く立ち去るピピアノを止めようとしたが、レマさんが私を制止する。
「良いのです……!」
「何で!? 折角会えたんでしょ? こんな事って……!」
「お気遣いの気持ち、嬉しく思います。ですが、何度も言いますが、私はお嬢様が生きていてくださっただけで嬉しいのです。それに、お嬢様……ピピアノ様が言った通り、もう十数年も昔の話です。幼過ぎた故に記憶は無いのでしょう」
悲しそうに微笑むレマさんを見て、私は胸が痛んだ。同時に胸が熱くなり、何とかしたいと思った。私に何が出来るか分からないけど、このままじゃレマさんが可哀そう過ぎる。
レマさんはゆっくりと立ち上がり、私に向かって丁寧に頭を下げる。
「……ピピアノさんにお伝えください。ご迷惑をお掛けしました、と。勇者様達にもお詫びを。大変申し訳ありませんでした」
その言葉を聞いた瞬間、私は反射的に立ち上がっていた。ガタンと倒れた椅子の音に反応し、またも店中の客が私達の方を見ている。しかし、そんなのはもう気にしていられない。
ぐるんと素早く体を捻ると、景色が線を引いて変わり、出入口が見える。
「フィズ!」
リアリスが私を呼ぶ声が背中の方から聞こえる。気が付けば私は走っていた。行先はもちろんピピアノのところ。
「ピピアノー!」
飛び出した勢いのまま走る。店の外の喧騒を掻き分け、道行くヒト達に笑われながら、私はピピアノを探して街中を走り回るのだった。
「ピピアノ―! 出て来なさーい!」
「私はマーセル・マイルクルオールと申します」
「私? そうね、殺し屋ってヤツかしらね。休業中だけど」
次回「神託の勇者は私だけじゃない!!」七章8話――
「富裕層と貧民層」
「汚い。汚いよ、全部斬って綺麗にしてあげなくちゃ……」




