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短編小説

空賊稼業、休業中。

作者: 伊那

 ここは大陸が天空に浮かぶ世界、オールトモンド。

 空飛ぶ船で船乗りたちが天を翔ける世界。

 商人が冒険者が博物学者が、そして空賊が、夢や宝を追い求め空へ飛び出す時代――。


 頭の上で一つにまとめた黒い髪が踊る。

 飛空船の後方から巨大な爆音がし、船体が揺れるがベアタの足は止まらない。舳先まで来て、やっと彼女は立ち止まる。一歩足を踏み出せば掴むものは何もない、無慈悲な空が広がっている。落ちたら遥か下方の酸の海まで、長い長い旅をするはめになる。

「てめえ、ベアタ! 盗んだものを返せ!」

 彼女が振り向けば、予想通りの男がいる。日に焼けた肌、闘志を燃やす灰色の瞳。短かった砂色の金髪は最近少し伸びてきた。

 探査船チェルカーレ号の船長は、怒りに顔を引きつらせている。

「つうかあの爆弾娘から目ぇはなすなよ、あぶねーな!」

 ダンは顎で爆音のした方角を示す。彼の後方は今も騒ぎがやまない。

 すべてベアタの計画通りだ。彼女は子供一人ぐらい入りそうな、大きな箱を抱え直すと、白い歯を光らせて笑う。

「陽動作戦に決まってるだろ、ダニー坊や。あっさり引っかかるなんてな!」

 確かにダンはまだ少し若いが、坊や呼ばわりされてうれしいはずがない。

「お前ほんと殺す!」

 ダンはベアタに切りつけるつもりで甲板を蹴った。しかし彼女は跳躍して避ける。そしてそのまま空へと浮かび上がった。

 その羽音はダンを苛立たせる。ベアタにはダンたちヒト族にはないものがある。浮遊大陸から足を踏み外せば死が約束されるヒト族は持たない、翼というもの。彼女は竜人族(ドラゴーネ)だ。

「あーっはっは、宝物奪うのも楽しいけど、アンタの悔しがる顔見るのが一番楽しいわ!」

 ダンへの嫌がらせの為に探査船に忍びこんだと言わんばかりの高笑い。ダンの血管が何本か切れそうになる。

「ベアターーッ!」

 叫び声を上げても、もうベアタはダンの剣が届く距離にはいない。彼女はげらげら笑いながらチェルカーレ号から飛び去った。

「くそっ、空賊め」

 ダンは歯を食いしばって、怒りをおさえこまなければならなかった。ついでに、期待はあまり出来ないが、もう一人の侵入者がまだ船内にいる事を願った。


 日焼けよりも濃い褐色の肌、つややかな黒髪、金色の瞳。加えて少し童顔。これらは竜人族の多くが持つ特徴で、ベアタはすべて該当する。

 竜人族はヒト族に似た姿だが、翼がありツノがあり尻尾がある。そしてヒト族よりも膂力に優れる。大人の男も引きずるような重さの箱を、小脇に抱える事が出来る。

 ベアタの飛空船デルフィーノ号は、ダンの船からは離れた浮遊小島に隠しておいた。彼女は空賊船に降り立つと、魔術で先に戻っていたリールを見つける。リールは丸い眼鏡の奥で瞳を輝かせた。

「ベアタさん! わたし、作戦通りにやれましたあ?」

 重そうな箱を抱えながらもベアタは歩をゆるめない。母親に褒められるのを待つ幼児みたいな顔のリールへ「うんよくがんばった」と雑に伝える。

 リールは別に何かする必要はなかった。彼女は魔術師だが魔術のコントロールがものすごく苦手で、力を暴発させる事が多い。ただ彼女がそこにいさえすれば物事は必ず複雑になる。

「おかえりなさい、ボス」

 ベアタと古い付き合いのグライトが、荷物を受け取ろうと手を出すが彼女は渡さなかった。重くもないし、ベアタが一番にこの日の収穫を眺めたい。甲板の上にチェルカーレ号からのお土産を置く。自分の魔術杖を握ったままのリールが、大きな箱へと首を伸ばす。

「どんなお宝、持ってきたんですかあ〜?」

「知らね」

 見たところ、頑丈に作られてはいるが普通の木箱だ。魔術での封印はなく南京錠がかかるだけ。

「知らないで盗ってきたんすか」

 グライトの少し呆れたような声に、ベアタはにやりと笑う。

「いやあ、アイツを出し抜くことしか考えてなくてさー」

 ダンと敵意を向けあった事は何度もあるが、共通の獲物があった時や、仕返しだと口にした時以上に簡単に怒ってくれた。ベアタにはそれが愉快でたまらない。

 今回はチェルカーレ号が重要な積み荷をセレニッシマ帝国に届ける最中だと聞いて、ベアタはその邪魔をしたくなった。チェルカーレ号は世界のまだ見ぬ浮遊大陸を探して旅する船だが、必要とあらば時には財になるものを積み、持ち運ぶ。

「さて、今日はどんなお宝が入ってるのかな」

 山盛りの金貨か、きらめく装身具か、色とりどりの宝石か。竜人族の怪力の前で南京錠の守りは、なきに等しい。ベアタが両腕に力を入れると南京錠は簡単に砕け、箱が開かれる。

「……え?」

 目にしたものに、ベアタはまばたきを繰り返す。

 目に痛いくらい日光を反射し、輝く白い衣。淡い銀色の髪。透き通るような肌の横顔と手足。目を伏せた少年が箱の中に横たわっている。

 確かにベアタは人が入りそうなサイズの箱だと思った。しかしまさか、本当に人が入っているとは。

「ヒト?」

「てゆうかあ、白翼族(アルピア)ですねえ」

 リールが細かい指摘をしてくる。箱の中の少年は、よく見ると耳が鳥の羽根のような形になっている。白翼族の特徴の一つだ。

 髪と同じ淡い色のまつげが震え、少年が身じろぎする。今やベアタやリールのみならず、グライトや他の乗組員まで固唾をのんで少年を見守っている。

 少年は寝返りを打とうとして、ゆっくりと瞼を持ち上げる。

 あらわれた薄い空色の瞳が揺れた。

「……ここ、どこ?」

 不安そうな表情の子供は、とんでもない美少年だった。


 予想外の出来事に、甲板にいた乗組員は顔をつきあわせる。

「なんで、白翼族が箱の中に?」

「おいおいまさか……」

 なんとなく声をひそめてしまう空賊たち。嫌な予感しかしないのだ。

「人身売買?」

 誰かが、空賊たちが最も恐れていた言葉をこぼす。ベアタの表情が険しくなった。

「ええーっ、チェルカーレ号の人たちって、そんなひどいことするんですかあ?」

 驚いているようだが緊張感のないリールの声に、乗組員たちは何故か安心した。

「いや、何も知らずに運んでいた可能性もある」

 グライトはリールにそう言ったが、可能性も何も知らなかっただけだろう。チェルカーレ号の乗組員は真面目に外空(そとぞら)を探査しているだけで、非人道的な事には興味がない。

「ボス……」

 空賊たちのリーダーであるベアタがどう出るか。グライトは彼女を見やる。

 最初の衝撃から抜け出したベアタは、膝をついて少年に目線を合わせた。

「もう大丈夫だよ。怖いことは何もないからな」

 箱に押し込められるなんて、きっとつらい目に遭ったのだろう。

「そうですよお〜、このベアタお姉さんが助けてくれたんですからねっ、もう安心ですっ」

「そうなの? お姉さんありがとう」

 ベアタとリールの顔を交互に見ていた少年が、ぎこちなく微笑もうとする。

「ダンを見損なったな……こんなこと……」

 ベアタは空賊だ。デルフィーノ号に乗って果てない空をゆく無法者。必要があれば他人のものを奪い、傷つける。だが弱い者を痛めつけるような事はしない。特に、この少年のように十歳ほどの子に危害を加える存在など、許せない。

「とにかく、もう君は自由だ。元いた家に帰してあげる」

 ベアタは不当に拉致されたこの子供を、無事に送り帰す事に決めた。だが、

「やだ」

 はっきりと断られ、眉を寄せる。

「あそこは……いや」

「え」

 美少年の顔が悲しみに満ちる。

「帰りたくない……」

 うるんだ空色の瞳のふちには、今にもこぼれ落ちそうな涙。これにはベアタも慌てた。せっかく彼のためを思って言った事なのに。

「な、泣くんじゃない」

「だってえ……」

「分かった、何か他にいい方法考えるから」

 少年には家に帰りたくない理由があるのだろう。ベアタは世界中の家族が幸せであると信じるほど愚かではない。

 ベアタの言葉に、少年は期待でいっぱいの瞳になる。「ほんと? ありがとう」彼はベアタに抱きついた。


 箱入り美少年の名前はフェイルといった。白翼族に付き物の背中の白い翼はなく、羽根のような耳と獅子のような尻尾があるだけだ。空賊たちは白翼族には無知で、少年がまだ成長途中だから翼がないのかハーフだからないのか分からなかった。

 ちなみに竜人族であるベアタは自分の意志で翼を“しまう”事が出来る。狭い船内にいる時などいつも翼はしまってある。

 救出から一日、フェイルはすっかりベアタに心を許していた。その信頼っぷりは彼の行動から見てとれる。

 用事があってグライトがベアタを呼び止めた時、視線を少し下に動かすとフェイルがいた。彼はベアタの腰に抱きついて、離れない。

 フェイルはまだ周りを警戒しているのか表情は硬いが、ベアタと目が合ったり撫でられたり(彼女は撫でた手でどかそうとしたがムダだった)するとうれしそうになる。

「だいぶ懐かれましたね、ボス」

「うん……でもぶっちゃけ動きづらい」

 まるで迷子になって母親に再会した幼子のよう。実際フェイルはまだ子供なのだが、こうも終始くっつかれるとベアタもいろいろやりづらい。もちろん用をたす時や寝る時などは別々だが、最初は同じベッドに入ってきた。二十歳をとうに過ぎたベアタが恥ずかしがる事はなかったが、さすがにやめてと頼んだ。

「この間話したウェローナからの商船を襲う話なんすけど」

 いつもの空賊の仕事の話だ。グライトが続けようとすると、ベアタは顔をしかめた。

「あー、グライト。その話はまた今度な」

「なんで」

 彼女は仕事の話を先のばしにはしないはずだ。グライトは怪訝な表情になる。

「バカお前、フェイルの前で空賊稼業するワケにはいかないだろ」

 今更、ベアタたちが空賊である事を隠すかのように彼女は声をひそめる。

 これまでフェイルの前で、彼らが空賊である事を隠した事はない。ベアタも口止めはしてないし、乗組員の中には戦闘の自慢話や空戦の話をする者があちこちにいる。

 やはり、とても今更だとグライトは思う。もちろん小さな子供を危険な目に遭わせるつもりはないが。

「うーん、そうっすけど」

「とりあえず空賊の仕事はしばらく休み」

 ベアタは言い聞かせるようにグライトを指差す。物言いたげな顔にならないよう努めたグライトだが、心の中では納得がいかない。

「ボスがそう言うなら、無理は言わないが」

 首すじをぽりぽり掻いてグライトは去る。上背のあるグライトの広い背中を眺めながら、ベアタはふうと息を吐く。

 正直、ベアタ自身も疑問だった。


 竜人族(ドラゴーネ)は生来、好戦的な者が多い。そうでなくとも体を動かす事が好きな種族だ。空賊行為を禁止したベアタは、自分でもそれを守りきれるのか疑問だった。

 だってまだ空賊を休業して七日もたっていないのに、もう暴れ足りない。そもそもフェイルが始終抱きついてきて文字通り動きづらくてたまらない。

「ぼく、住んでたところからはなれるの、はじめてなんだ」

 空はよく晴れている。ベアタはあの真っ青な空に舞い上がりたくなった。今は無理な願いと分かっているが。

 竜人のあかしである硬い翼をしまい、ベアタは石畳の上を歩く。お供付きで。

「フェイルさんは、どこの町に住んでたんですかあ?」

「わかんない」

「じゃあー、どこの浮遊大陸にいたんですかあ?」

「それもわかんない」

「えっとおー、こういうのって、なんてゆうんですかねえ」

 リールとフェイルの要領を得ない会話は無害そのものだが、ベアタを疲れさせる。

「箱入り息子だろ」

「そんな感じですう」

 ついこの間、フェイルは本当に箱に入っていたというのに、リールは何故思いつかないのか。

 リールはフェイルに向けてにっこり微笑んだ。

「フェイルさんはコモの町が初めてのお出かけ先なんですねえ。いっぱい楽しみましょうね」

「うん!」

 ベアタたちはコモという小さな町に買い出しに来ている。町に出る時にオマケがついてくるのは彼女の望むところではなかったが、フェイルはベアタから引き離されそうになると途端に目をうるうるさせるのだから、他に道はなかった。

「オールトモンドには浮遊大陸がみっつあったんですが、航空技術の発達で外空の遠くまで行けるようになったので、よっつめの浮遊大陸が見つかったんですう」

 教師役をするリールという姿が、ベアタには不思議だ。デルフィーノ号の乗組員にしてみればリールこそがもの知らずに見えるのだから。別にリールは頭が悪い訳でもないのだが、世慣れておらず頭の回転がやや緩やかだ。デルフィーノ号最年少の娘からしてみれば、年下の子供にお姉さんぶりたいのだろう。

「もっとたくさん浮遊大陸があるかもしれないんですけどお、今のところは、よっつなんです。コモの町があるのはシティリア大陸っていうんですよ」

 コモは大陸の端の小さな町だ。砂色や黄色の壁と赤茶けた屋根の家々が建ち並ぶ。三人は大きな広場を抜けて、少し狭い道を進んだ。

「シティリア大陸で白翼族はあんまり見ませんから、フェイルさんはもしかしたら他の大陸の子かもですねえ」

 シティリア大陸はヒト族や長耳族(エルフォ)人狼族(ライカント)が多い。リールが残り三つの大陸にまで思いをはせていれば、いずれ白翼族が多く住む地域を思い出せただろう。だが彼女がほしがったのは、友人の相槌だった。

「ねえ、ベアタさん?」

 リールの話が一般常識だから聞く必要がないのとは関係なしに、ベアタは彼女の話を聞いていなかった。

「あーうん」

 暴れたい。今のベアタにはその衝動を抑えるだけがすべて。

 そんなベアタの葛藤も知らずにリールは通りかかった店を目にして、素晴らしいアイデアを思いついた。

「そうだ、パニーノ食べましょうよ」

 近くにあったパン屋にリールは駆け込む。こんなに行き当たりばったりの買い物など、久しくしていない。ベアタは奇妙な気持ちになる。まるでただの観光客みたいだ。

 ベアタの分はリールが選び、三人で仲良く店を出た。

 サラミやチーズを挟んだパンを食べながら歩いていると、さっきとは別の広場で蚤の市が開かれているのを見つける。

 使い古しとはいえ台所用具や本や文具や家具、様々なものが売り出されている。売り物にはフェイルが見た事のないものが多く、彼は「これはなに?」とリールを質問攻めにした。

「あっ、神殿の絵がありますよお。御子さんが一緒に描かれてます」

「みこさん……」

「えっとお〜、たしか、神殿に仕える……俗世? との関係を持たないトクベツなナントカ……ごめんなさい、よく知らないんですう」

 そのうちにリールの答えられない事も出てくるが、ベアタは口を挟まなかった。彼女も神殿には詳しくない。

「わたしの故郷やこの辺りには神殿はないんですう……」

 弟分に頼られてうれしかっただけに、リールは上手く答えられずいじけた。だが別のものを目にして、顔色を明るくする。

「ベアタさん、星屑灯(ステッレ・ルーチェ)ですよお〜。なつかしいです〜」

「何それ」

 リールが次に売り場から取り上げたのは、直方体のガラスケースのようなもの。ベアタにはなじみのない単語だ。

「わたしの故郷では夜の明かりっていえば、星屑灯だったんですよ。星屑(サビエステッレ)、この辺だとあんまり降りませんからねえ」

「あー星屑ね。降らないね」

「ぼくも星屑がよくふるところにいたよ」

 フェイルも星屑灯に手を伸ばす。空賊船デルフィーノ号で照明といえば、ロウソクや火を入れたカンテラだ。

 浮遊大陸の一つ、フィオレンティ大陸ではよく星屑が降る。小さな小さな石のような薄黄色の星が。角の丸くなったトゲのようなものがついたでこぼこの星は、一つでは小さな光を発するだけだが、集めるとなかなかに明るくなる。

「星屑灯、いいですよねえ安全で。わたし、最初は炎を明かりにしてる地域があるなんて、信じられませんでしたあ。だって、炎なんて危ないじゃないですか」

「自分が歩く爆発物みたいなクセして何言ってんの」

 ほわほわしたリールの発言をぶった切った声は、淡々としていた。

「えええ?」

 リールが振り向いた先には、整った顔だが表情のない青年がいる。その隣にはリールを見もしない男が。

「レイスさん。ダンさんも」

 探査船チェルカーレ号の乗組員たちだ。船長であるダンと、その右腕である魔術師レイス。

「よお空賊。この間はよくもやってくれたな」

 ダンの目は真っ直ぐにベアタを射抜いている。義憤に燃えればいいのか復讐の機会によろこべばいいのか分かっていない表情だ。

「再戦の時を待っていたぞ」

 握り拳を持ち上げるダンに、ベアタは一瞥するのみ。探査船の船長の事などどうだってよさそうだ。

「あー、また今度な」

 あまつさえベアタはダンを通りすぎて蚤の市を抜けようとする。ベアタとフェイルに置いていかれたリールは顔を上げた。

「歩く爆発物って、わたしのことですかあ?」

「反応おそ」

 呆れというより、ツッコミに近いレイス。

「待てよベアタ! お前逃げられると思うなよ!」

「別に逃げてない」

「いーや逃げてるね。お前は俺に負けるのが怖いのか?」

 ダンの明らかな挑発に、リールでさえベアタを窺う。

 ベアタの金色の瞳に炎が宿る。探査船の船長とかいう男の顔を殴って歯の一本でもへし折りたい、という感情の炎だ。その想像を実行に移してもよかったが、ベアタはここ数日で自分の感情を制御するのに慣れてしまった。

「ちゃんと手帳に書いとくから、また今度な」

 ベアタは一度も振り返らずに立ち去った。長い髪と長い尻尾の揺れる彼女の後ろ姿は、どこか力強さを失って見えた。

 ダンと会う度に、小馬鹿にしたり高笑いしたり敵を見る目を向けてきたり――そんなベアタとは別人のように大人しい。ダンは行き場のない苛立ちを持て余すはめになり、すっきり出来ない。

「……なんなんだ? あいつ」

 むっすりと眉を寄せるダンの目には、ベアタのあとをついていく少年の姿は認識されていない。

 勘のいいレイスにはあの子供が関係していると推測出来た。が、レイスは自分の船に害が及ばない時には、ベアタには無関心な為、何も言わなかった。


 入りくんだ町の小道を進み、ベアタは唇を噛む。

 初めてダンに会った時から、最悪の出会いだった。

 あれはダンが、ベアタにとって必要な人物をチェルカーレ号に乗せていた時の事。ベアタはその船が探査船だなんて思わず、若い船長の名前がダンだという事も知らなかった。

 あの時ベアタは、ある男を捕まえて問いただしたい事があった。

 そのためだけに、探査船チェルカーレ号に降り立った。

 突然あらわれた武装勢力を優しく迎える者などない。当然、交戦となった。

 デルフィーノ号にはヒト族よりも戦闘に向いている種族が多かったが、チェルカーレ号は未知なる空域に飛び出す探査船。もしもの備えは伊達ではなく、乗組員の多くが戦闘訓練を受けていた。そして数の上では空賊よりダンたちの方が上だった。

 つまり彼らの力は拮抗した。そして混戦の最中、ベアタは目的の人物を取り逃がし、探査船を去る事になった。事実上の敗退。目的の邪魔をされた事も、ダンに負けた事も彼女は許せなかった。

 それをきっかけに、彼らは出会う度に相手に剣を向けるようになった。

 ダンはベアタの敵なのだ。

 状況が許さないからといって、あんな風に馬鹿にされて黙っているのはベアタの矜持に関わる。

「さっさと町を出よう」

 フェイルをどかしてダンを黙らせる手もあったが、それだけでは腹の虫がおさまらない。あの男の顔を見ずに済むところへ行くのが一番だ。

 ベアタは船着き場に戻ってきた。コモの町にベアタがやってきた時にはなかった飛空船がいくつかある。その内の一つはダンのチェルカーレ号だが、それよりももっと見たくない船がある。

「げっ……ウソだろ」

 帆に黒と藍色の紋章が描かれた飛空船――セレニッシマ帝国空軍だ。

「空軍……!」

 ベアタはすぐにその身を物陰に隠す。フェイルを引っぱるのも忘れない。空軍の船から制服を着た軍人が何人も吐き出される。

 コモのような田舎町に理由もなくやって来るほどセレニッシマ空軍は暇じゃない。任務で来たのは明らかだ。

 心当たりのありすぎるベアタには、あの軍人たちの間を歩いて帰る気はない。何しろ彼女は空賊としてデルフィーノ号に乗る前から軍の目に余るような行為をしていたのだ。まだ新参者のリールと違い、ベアタはちょっと調べればお尋ね者だと分かる。

 それをリールも知っていて、彼女は一人船着き場の近くまで偵察に行く。軍人に事情を聞こうと群がる野次馬にまぎれて、リールは耳をすませた。

 軍人たちは大勢の船乗りたちに問いただされてうんざりしているようだ。

「空軍さんたち、空港(そらみなと)の出入りを制限してるみたいですう。理由までは聞けませんでしたけど」

 更に出港時に怪しい船があれば船内を調べるとも言った。

 デルフィーノ号は特別空賊船らしい見た目ではないが、中を見られでもしたら、違法な乗り物だとすぐに知れてしまう。何しろ武器やお宝がごろごろしているのだから。

「くうぐんって?」

 難しい顔をする年上の二人についていけないフェイルは、ベアタの服の裾を引っぱる。

「平たく言うと、あたしたちを牢屋にぶちこめるやつら」

 空軍には法を守らぬ不届き者を捕える権限がある。

「これじゃ町を出られない」

 補給の為に寄っただけの町なのに、出られなくなるとは。ベアタは苛々と尻尾の先を地面に打ち付ける。

「あ」と声を上げたのはフェイルだ。ベアタにくっつけていた手を放して、もじもじしはじめる。最初は気にしなかったベアタだが、まさかオシッコじゃないだろうなと彼を見やる。

「ブレスレットこわれちゃった」フェイルは自分の手にしたものを持ち上げる。

 あまり丈夫そうには見えない、半透明の白いバングルタイプのブレスレットだ。割れて真っ二つになってしまっている。

「さっきベアタお姉ちゃんが、いそいだ時に」

 隠れようとフェイルの腕を引いた時に、竜人の力が強すぎたのかベアタがブレスレットを壊してしまったらしい。彼は自分の持ち物が壊れた事を悲しんではいないようだが、そう言われてはベアタも後ろめたい。

「悪かった。代わりに何か買ってやるから」

「ほんと? 今から行く? お買い物、たのしみ」

 フェイルは新しいものがもらえるからではなく、ベアタと出かけられる事がうれしいようだ。この様子だと、そのお出かけは何日も先では許されそうにない。

「空軍いる町で……?」

 のん気にふわふわ笑うフェイルに、ベアタは疲れてきた。

「ベアタさん、前に言ってたじゃないですかあ、堂々としてるとかえって気づかれないって。大丈夫ですよお〜」

 緊張感なく言われても、ベアタはまったく大丈夫な気がしない。

「帽子とか、かぶっていこう……」

 どの道町からは出られない。ベアタは諦めた。


 翌日、ベアタたちはふたたび買い物に出た。自分と同行者に帽子かフードをかぶせて。

 しかし田舎町コモには、装身具を売るような店はあまりなく、ベアタたちは一時休憩をする事にした。

「あ、羽リス」

 リールが言う通り、耳の大きな羽リスがフェイルの足元にまとわりついている。羽リスを知らない箱入りフェイルは不思議そうな顔だ。小鳥まで寄ってくるのを見て「昨日もいましたねえ」とリールはつぶやく。

 とりあえず食事をしようと、ベアタたちは目についた店に入った。町外れにある為か空いている店だ。

 空軍の服を着た者もいないしゆっくり出来ていいなと、ベアタは席に着こうとする。そこである人物が振り返った。

「なんだお前、俺のストーカーか?」

 レイスと共に食事に来たらしいダンが笑っていた。ベアタは顔の真ん中にしわを寄せる。

 お互いにコモの町に来たのは偶然と分かっている。少し前に近くの空域で会ったのだから、さほど離れていない町で再会してもおかしくはない。おまけに小さな町では店も少ない。問題はダンの冗談が全く笑えない事にある。

「捻りつぶされたいのか?」

 ベアタだって彼がいると知っていればこの店には来なかった。

 相手を殴りつけようとする表情と手つきの娘に、ダンはいつもの調子が戻ったと気づく。

「おしとやか路線はやめたみたいだな。似合ってなかったぞ」

 ベアタは半笑いするダンの胸ぐらを掴む。先に座っていたリールは、ある事をひらめいた。

「ベアタさん、騒ぎ起こしちゃまずいですよう」

 このままだとベアタは文字通り火を吹きかねない。竜人族がケンカをして目立たないはずがない。ベアタは舌打ちをしてダンを突き飛ばした。

「俺だって空軍にとやかく言われたくはない」しわの寄った襟元を直しながらダンは言う。

 二人のやり取りを黙って見ていただけのレイスもこの時ばかりはダンに頷く。ちなみに彼は我関せずと食事を続けている。

 探査船には空軍を嫌う理由などないだろうに。ベアタは目を細める。

「そっちも空軍を避ける立派な理由があるってことかな?」

「あァ? ねえよ。俺たちはコモには休暇に来てるんだ、面倒事はご免だ」

「そう? 箱づめの少年に関しては言い逃れ出来ないと思うけど」

「なんだそれ」

「しらばっくれるのか」

 ベアタの声が一層低くなる。はっとリールは思い出した。

「あっ、それー、グライトさんが、ダンさんたちは知らなかったんじゃないかって言ってましたよお」

「リールうるさい」

「ふえっ」

 ベアタはその内容も聞かずに黙らせる。

「うるさいって言われたあ……」リールは叱られた子供のような顔でもごもご言いながら自分の首にかかる魔術具のネックレスをいじる。フェイルはそんなリールの頭を撫でてやった。

 ベアタはもっと、ダンはまともな仕事をしていると思っていた。

「これまでは、あたしのやりたいことのジャマだったから、ケンカ売ってただけ。アンタらのやってたことに恨みなんかなかった。なのに、なんで人身売買なんかに手ぇ貸したの」

 ダンは難問を聞かされたような顔になる。

「はあ? だからそんな事してない」

「じゃあなんでアンタんとこから盗んだ箱に、子供が入ってたんだよ」

 竜人族の金色の瞳が、憎しみに燃える。話が噛み合わなくてダンは困惑した。

「子供……?」

 ダンが奪われた箱といえば、先日空で会った時の事だ。探査船の船長は積み荷の中身が何か知らされてはいなかった。ただ目的地に届ければいいと言われていた。そういう事もある。

 子供といえば、ダンの見知らぬ顔がいる。リールの隣に腰かける、帽子をかぶった少年だ。

 目が合うと、少年はダンを睨んだ。箱づめの少年とは彼の事ではないか? ダンがその考えに行き着いた時、店の入り口が騒がしくなった。軍人が二人、入ってきたのだ

 ダンに対峙していた為入り口に背を向けていたベアタだが、リールの顔つきですべてを察した。フェイルに視線を移すと、ゆっくりと彼に近づいて立ち上がらせる。

 視線を戻してベアタはリールに頷いた。丸眼鏡の少女は、気をそらす為に軍人の方へと向かう。

 話し合いを中断させられたダンは、居心地が悪そうに軍人たちを見て、ベアタの様子を窺ったあと、自分の皿を見た。頼んだ仔牛のワイン煮込みは冷え切っている。

白翼族(アルピア)の男の子を探してるんですかあ?」

 入り口にいるリールの間延びした声を背に、ベアタは裏口を探して歩きはじめた。

「ええ〜っとお、わたし白翼族なんて、ちっちゃい男の子なんて、ぜんぜん知らないですう」

 とんでもない棒読み。リールのあまりに残念な演技力に、レイスは思わず彼女を見た。反対にダンはベアタとフェイルを凝視する。

「……おいまさか、その子供」

 ベアタの隣に立つ少年は帽子のせいで耳が見えないが、それが怪しい。

「なに? コイツは親戚の子供だけど。それじゃ」

 ベアタはこれ以上ここにいてはいけない。裏口があるかも知らずに店の奥へと進み、空軍たちから逃げ出した。


 ベアタとフェイルは店に引き返してはこない。空軍はリールが何の情報も持たない無害な娘と知り、店を去った。

 空軍相手に手まで振っていたリールは、安心したように大きく息を吐く。下手くそな演技といい、嘆息といい、いかにも何か隠していますといった様子だ。

「怪しすぎる」

「僕あんま興味ない」

 ダンは言うが、相棒は感情のこもらぬ声で返す。

 彼らは食事を終えると、一度チェルカーレ号に戻る事にした。店内にはもうリールの姿もなかった。

 町の中心部を抜け、船着き場に近くなると軍人の姿が増えた。

「少し聞きたい事があるのですが」

 ダンは空軍嫌いではないが特に親しくもない。目の前に立ちはだかられると、眉を少し寄せるくらいには仲良くない。

「白翼族の少年を探しているんです。見かけた事はありませんか?」

 おそらくは、ある。だがダンもまだ、ベアタの連れていた子が、帽子の下に白翼族の耳を隠しているのか確認した訳ではない。

「たぶんないな。何かあったのか?」

 軍が空港を封鎖してまで行う任務の目的は、白翼族の子供を探す事なのか。

「仔細は話せませんが……」

 その空軍の男は、口が硬い方ではないようだ。あるいは特に秘密にされている訳ではないのか。

「男児の捜索願いが出ているんです。それがどこからかというと……」

 そのあとに続いた軍人の言葉に、ダンは目を見張った。

「なんだって……?!」

 その事を、ベアタは知っているのだろうか? 苦い顔をしてダンは、奥歯を噛みしめた。


 ベアタは急いで空賊船を目指した。船着き場は軍人が多いから、空を飛んで回り込みデルフィーノ号に戻った。

 リールは魔術を使って、ベアタより遅れて船にやって来た。

「あの男の人嫌い」などとダンを評するフェイルを、今回ばかりは引き剥がす。

 フェイルもベアタの緊迫した表情に気づき、彼女を追う事はなかった。彼についてきたらしい羽リスを抱えて、フェイルはベアタを見送る。

 ベアタは船内に進みグライトの姿を探す。

「なんか知らないけどやばい。強行突破で出港だ」

 空軍に阻まれるかもしれないが、そんな事はもう関係ない。

「ベアタさん、もしかしてさっきの空軍さんたち、フェイルさんを探してたんじゃないですか?」

 あとをついてくるリールは不安げだ。

「たぶんな。だからこそやばいんだよ」

「それって、フェイルさんを待つご家族のためにしてるんじゃないですかあ?」

 もしそうなら、ベアタたちはフェイルを家族から引き離している事になる。

「忘れたのか、リール? フェイルは家に帰りたくないって言ったんだよ。家族に売られたのかもしれない」

 リールは息をのむ。記憶力に乏しい自分が恥ずかしくなった。初めてフェイルに会った時、彼はよい環境とはいえない状態で空の旅をしていた。

「それにあの、箱づめの状態。犯罪のニオイしかしないだろ。商品が逃げたから、取り返そうとしてるんだ」

 ベアタの推測でしかないが、あり得ない話ではない。

「あたしは、そんなやつらにはフェイルを渡さない……っ」

 誰かが他人の命を金に換えるなど、あってはならない。ベアタの黄金の瞳が、火の粉を散らすように熱く燃える。

 両手の拳を固く握りしめたベアタは、我知らず皮膜の翼を広げていた。

 ざわざわと、リールの肌が粟立つ。ベアタから、何かヒト族にはない力があふれている。ベアタの黒い髪が持ち上がり、気づいた時には彼女から突風が吹いた。

 バン、と音を立てて甲板へのドアが開いた。風にあおられたのだ。今の風はベアタが起こしたらしいが、彼女は気づいていないか気にしていなかった。


 デルフィーノ号の出港は、予想よりも上手くいった。先日と一緒で、よそでちょっとした騒ぎを起こして空軍の目を逸らし、船出した。

 軍人たちは空賊船を探していた訳ではないので、追手がかかる事はなかった。

 無事にコモを出られたというのにベアタは苛々して船長室にこもっている。フェイルはそんな彼女の近くで眠っていた。

 怒っているベアタは近寄りがたい。リールは船内の食堂で一人座りこむ。

 ちょうどグライトがやって来たのでリールは彼に訊ねる事にした。

「ベアタさんって、なんであんなに人さらいに敏感なんですかあ?」

 リールの知る限りあんなに怒りに満ちたベアタは初めてだ。グライトは少し意外そうに眉を持ち上げる。

「お前はまだ知らないか。ボスはな、人買いに売られた自分の弟を探してるんだよ」

 言いながらグライトは腰かける。持ってきた本と地図を机に広げて、挙動のゆっくりした娘の反応を待つ。

「へ……?」

 ベアタは自分の過去を話したがるタイプではない。リールは目をぱちくりさせる。

「ボスが空賊になった理由だってそうだ。弟を探して、さらわれた子供たちを乗せた飛空船を突き止めたからだ」

 一人っ子のリールには、兄弟の絆はよく分からないが、それでも自分の両親やデルフィーノ号の仲間を、大切に思っている。彼らが不当に連れさらわれたら、リールだって探すはずだ。

「あの性格だ、当然暴れるだろ。そしたら手配書がまわるようになって……あっという間に空賊扱い」

 ベアタが探査船チェルカーレ号に乗りこんだのも、弟探しの手がかりを求めての事。人買いの男を乗せた飛空船を見つけたら、それがダンの船だったという訳だ。人買いの男は身分を巧妙に隠していたからダンはその時も気づいていなかった。

「弟さんって」

 リールはグライトの答えを予想出来たが、訊ねずにはいられなかった。

「まだ見つかってない」

「……だから、ベアタさんはフェイルさんに甘いんですね」

 フェイルを未だに見つからない弟に重ねているのだ。

「弟さん、早く見つかるといいですね……」

 リールは今まで知らずにいた自分が悲しくなった。知っていれば、ベアタの為に何か出来たかもしれないのに。

 と、誰かの大声が聞こえた。

 間もなくデルフィーノ号がうなり声を上げて急停止する。いくらかの衝撃にリールたちはよろめいてたたらを踏む。

「グライトっ! 早く来い!」

 リールがグライトと顔を見合わせるよりも早く、甲板から怒号が飛んできた。二人は慌てながら甲板へ向かう。

 “それ”を見た瞬間、リールの心臓は縮み上がった。

「な、な、な、」

 デルフィーノ号は青空の広がる昼の空に出ていたはずだ。それなのに目前に暗い闇が広がっている。

 よく見ると、その闇は空のすべてを覆っている訳ではない。デルフィーノ号を大きく上回る何かが立ちはだかっているのだ。

「なんですかっ?! こ、この、黒いのっ!」

 闇、ではなかった。黒にほど近い藍色の巨大な生物が一頭、飛空船の目前に迫っているのだ。

「まさか、こいつは空鯨(バレーナ)!」

 デルフィーノ号最年長のヒゲ爺が声を上げる。あまりに巨大、あまりに近くにつめ寄られた為に全容は見えないが、首を伸ばせばクジラらしいヒレや目玉が見える。

「空鯨って外空のもっと遠いところにいるやつだろ?!」

 空の危険生物について、ベアタも少しなら知っている。

「そうじゃ、しかも警戒心が強くて人に近づかない!」

「じゃあなんでこっちに飛んでくるんだよ!」

「何かあったんじゃ!」

 下手な浮遊小島より大きな空鯨。彼らはヒトの世に現れないからこそ、お互い平和に暮らしてこれた。だが空鯨の平穏を壊す何かが起きてしまった。

「空鯨を狂わせる何かが!」

 これまで空軍や探査船、商船などのヒト相手の仕事しかしてこなかったデルフィーノ号。あまりにも大きな存在を前に、彼らは何をしたらいいのか分からなかった。

 ベアタは一つの船を任される身として、いち早く混乱から抜け出さねばならなかった。空鯨を避けて操舵手が船を動かしてはいるが、相手は追ってくる。生きた心地がしない。

「と、とりあえず威嚇して……、リール!」

 空賊たちの中で遠方へ攻撃魔術を放てるのは、リールだけだ。ベアタが彼女の姿を見つけると、リールは甲板にへたり込んで涙目になっている。

「いやあああコワいですうぅぅ!」

 今日の爆弾娘は不発弾のようだ。リールは魔術だけでなく感情のコントロールも苦手だ。

「お前ほんとメンタル弱いな!」

 ぼやくように叫ぶベアタ。その時デルフィーノ号が大きく揺れた。空鯨から逃れようとした操舵手が舵をとり損ねたのだ。乗組員たちは慌てて近くの物に掴まる。

 ベアタは翼を広げて飛び上がり、船の揺れから無縁になる。彼女は甲板に、船内に居ろと言ったはずの少年の姿を見つけ、鳥肌を立てた。

「フェイル!」

 白翼族の子供は、事態を把握してないのか周りを見回している。ベアタが彼のもとに向かおうとした時、また大きく船が揺れた。

 空鯨が頭で船底を押したのだ。フェイルの小さな体が空に放り出される。リールの悲鳴がベアタにも聞こえた。

 ベアタは飛んでフェイルのあとを追う。ほどなくしてベアタはフェイルを捕まえた。

 言いたい事は山ほどあったが、ベアタは早くデルフィーノ号に戻ろうと、船を振り返る。少し離れてしまったが、竜人の翼があればなんて事はない。

 そう思ったベアタの前に、闇が迫る。

「うっげ!」

 何故か空鯨がベアタを追ってきたのだ。空賊船は空鯨にぶつかられ、制御を失っている。なんて地獄だ。ベアタは真っ青になった。

 せめてフェイルだけでも助けなければ。翼を羽ばたかせる彼女の元に、闇が身を伸ばす。

 外空の王者の、圧倒的な存在感――。

 ベアタはこの生き物に、勝てないと思ってしまった。もう、だめだと――


「何ビビってんだバカ、乗れベアタ!」

 気が遠くなったベアタの耳に、罵声が飛ぶ。我に返ったベアタは小さな飛空小舟を見つけた。そこにはいつもの顔が一つ。

「ダン?! なんでアンタがここに」

 とりあえずベアタはダンの小舟に飛び乗った。空鯨は小回りの効く小舟に反応が遅れている。

「話せば長い。とりあえず、その子供にこれをつけろ」

 船を操作しながらダンはベアタにブレスレットを放り投げた。バングルタイプの白っぽいブレスレットだ。ベアタは最近似たデザインのそれを見たばかりだ。

「なんでっ?」

 反抗したのはフェイルだ。フェイルがこんなにも不満をあらわにするのは珍しい。

「なんでもだバカヤロウ。あの空鯨はな、お前を狙ってるんだよ、神の御子!」

 聞こえた単語にベアタは目を見張るが、フェイルは反論しない。

 “神の御子”は特殊な能力を持つ者たちの事で、俗世を離れて神殿にこもる。

 ダンはコモの町で聞かされたばかりの事を思い浮かべる――。


『男児の捜索願いが出ているんです。それがどこからかというと……』

 軍人の男は神妙な表情をしていた。

『ヴェネト神殿からなのです。神殿からの依頼とあって血眼になって捜索している最中でして』

 ヴェネト神殿とは、フィオレンティ大陸で広く信仰される神をまつる建物と、その組織の事を指す。信徒の数が多く、他の大陸にも根強い影響力を持ち、この時のように一国の軍をも動かせる。

『神殿が? なんでまた』

『それだけ重要な人物がいなくなったって事でしょ』

 ダンの疑問にはレイスが答えた。

『ええ。その者の能力が、大きすぎるのが問題だそうです』

 空軍の男は息を吐いて、一拍置く。

『それが、どうやら魔獣を惹き寄せてしまう能力みたいで』

 コモの町に空鯨が接近しているという知らせが入ったのは、その時だ。


 白翼族の少年に心当たりがあると、ダンはセレニッシマ空軍に頼みこんでブレスレットを借りた。空軍が神殿から渡されていたものだ。

「そのブレスレットは魔術具で、そいつの惹き寄せの能力を封じるはずなんだ」

 空鯨が追ってきたのはベアタではなくフェイルだったのだ。

「そうなのか?」

「う、うん……たぶん」

 あまり気乗りしない様子でフェイルはブレスレットを手首にはめる。彼は落ち込んでいるようだ。

『ブレスレットこわれちゃった』

 フェイルがそう言ったあたりから、確かに彼には羽リスや鳥などが懐いていた。あれはフェイルの能力が解放されたからだったのだ。

 低い唸りのような空鯨の鳴き声が響く。今はのんびり話している場合ではない。

「てか、この状況どうすんだよ?」

「逃げるんだよ!」

 操縦桿を繰るダンを、ベアタは睨みつけた。

「ばか、デルフィーノ号が!」

 随分遠く離れてしまった自分の船が、ベアタには大事だ。

「うちの参謀が向かってる」

 確かにデルフィーノ号に近づく船がある。何度も見ているチェルカーレ号だ。ダンの信頼するレイスが手助けをしてくれるようだ。

 フェイルがブレスレットをつけた為か、空鯨の動きは止まった。

 自分を惹き付ける何かが突然途絶えたので、戸惑っているようだ。しばらくすると少し悲しげな鳴き声になる。

 大気を振動させるその声が止んだ時、空鯨はゆっくりと外空へ飛んでいった。振り返る事もなく尾びれを揺らし、雲の彼方に消えた。


 ひとまず三人はコモに戻った。地面に足をつけた時、フェイルは「神殿に、かえるね」とつぶやいた。

 戻りたくないと言ったフェイルを知っているのでベアタには意外だった。見ると、フェイルは淡い色のまつげを伏せて俯いている。

「ごめんなさい、お姉ちゃん。ぼく、あんなにでっかい魔獣がくるなんて思わなくて」

 話しはじめた二人に、ダンは少し離れた場所で待つ事にする。重ねられた木箱に背を預けて腕を組む。

「家でひどい目に遭ったんじゃなかったんだな。自分の力の事は知ってたのか?」

 結局、家族に売られて金のために追われているというベアタの想像は外れた訳だ。神殿の御子だったから、必死に探されていただけ。

「うん……。外を見たくてこっそり神殿を出たんだ。かくれるために入った船の箱でねむっちゃって……。でも、あんなことになるなんて……! だって神殿の人は、ぼくにずっと神殿にいればいいっていうだけで、なにも教えてくれなくて」

 フェイルは本当に世間について何も知らなかった。その上、外の暮らしがどんなものか、自分の能力がどの程度なのかも分からなかった。神の御子の家出には軍が動き、空鯨までもおびき寄せる。

 フェイルは本当に物を知らず、恥も知らなかったのだ。今の彼は、ベアタの顔を見るのがこわい。

「ベアタお姉ちゃん、おこってる?」

「怒ってないよ。だけど、どうして自分が神殿にずっといろって言われてきたのか、分かっただろ?」

「うん……」

 フェイルは自分の手首をブレスレットごと掴んだ。

 セレニッシマ空軍が近くに姿を見せはじめた。フェイルが捜索願いを出されている白翼族だと気づくのも時間の問題だろう。

「お別れだね」

 顔を上げたフェイルの顔は、どこか大人びていた。生まれて初めて知った悲しみを受け止めたかのように。

 他でもないフェイルが帰ると決めたのなら、ベアタに止めるつもりはない。思っていたよりも早い別れになったなと、彼女は息を吐く。

「元気でな」

 年下の男の子に、ベアタの弟を重ねなかったといえば嘘になる。べったりくっついてくるフェイルにうんざりした事もある。それでも今はこの少年の成長がよろこばしい。何より、彼の帰る場所がさほど悪いところではないと知り、彼女はうれしかった。

 フェイルは少し困ったように微笑んだ。

「ベアタ、ほんとにありがとう」

 少年は一歩足を踏み出して、ベアタの服を引っぱった。つま先立ちをして彼女の唇に軽くキスをする。

「?!」

 ガタガタ音を立ててダンがよろめいた。

 突然の事にベアタも驚くが、フェイルはすぐに踵を返す。

「じゃあね!」

 走りながら大きく手を振る少年にベアタは、ふっと笑う。

「マセガキめ……」

 小刻みながら駆けてゆき、フェイルの背中は小さくなる。その背を眺めていたベアタには「あれ今俺なんでイラッとしたんだ?」というダンの小さなつぶやきは聞こえなかった。

 そんなダンの様子を、ため息でもって迎える者があった。ダンの右腕である冷静な魔術師レイスだ。

「お前いつの間に」

「言われた通り、魔術でデルフィーノ号牽引しておいたよ。また何か来ても困るから町にはつけてない」

 淡々と報告するレイスに、ベアタは眉を寄せる。

「借りが出来たな……」

 ダンだけでなく、レイスやチェルカーレ号の乗組員にまで助けられてしまった。ベアタたちは空賊だというのに。相手が空軍でなくて探査船だったのがせめてもの救いか。

空鯨(バレーナ)級の大きさのね」レイスはしれっとつけ加える。

「絶対返す。ぜったい」

 戦いの場でリベンジを誓った事は多々あれど、こんな風に助けられて借りを作った事はない。ベアタはもはやダンを睨みつけていた。

「てゆうか、もっとデカい借りにして釣り銭もらうぐらいにしてやる」

 ダンたちチェルカーレ号がとんでもない窮地に陥った時、ベアタは彼らに恩を着せる為に助けてやろう。むしろ恩を盾にダンをこき使いたいくらいだ。

「やってみろよ」

 この竜人の娘が、負けたと思っているのがダンには分かった。ベアタらしい、と彼の口もとがほころぶ。ダンには迎え撃つ準備が出来ている。

 相手の余裕の笑みが腹立たしく、ベアタは頬を引きつらせる。

「次は負けないから」

「おう。手帳に書いとくわ」

 いつかベアタが言ったような言葉を使ってダンは返した。

 そして空軍が近づいて来たのを目にしてベアタは駆け出した。地面がなくなる前に、翼を広げて空へと飛び上がる――。


 空鯨の騒動から、一月近くたった。

 ベアタは空賊稼業に一息入れ、シティリア大陸の東の町テッレを訪れていた。次の仕事の情報収集も兼ねて買い出しに来たのだ。

 陸続きの南東のウェネティア大陸が近い町で、以前訪れたコモより広くて栄えている。

 この時のベアタは船着き場でちょっとした悪戯をしてきた後なので、ご機嫌だった。

「さーて、次はどこに行こうかな!」

 今ならベアタは鼻歌も歌えそうだ。

「さっきのガラス細工やっぱり買えばよかったですう〜」

 相変わらずのん気なリールと、荷物持ちのグライトを連れて、ベアタはテッレの町を闊歩する。

 テッレは坂道と階段の多い町で、気がつけばなかなかの高い場所まできていた。町の低いところがよく見渡せる。家々の屋根がたくさん見えて壮観だ。空は青く晴れ、時々ゆるやかな風が吹く。実に穏やかな日だ。

 リールが少し行ったところで青空市が開かれていると言うので、三人はそこに向かう事にする。

 下りの階段に足を踏み出そうとしたところ、「見つけたぞ!」とベアタの背後から大きな声がした。

「てめえベアタ、なんだよあの船の停め方! 俺の船が出れねえだろうが!」

 振り返るまでもなく、怒ったダンがいるのが分かる。困った顔のリール、呆れた表情のグライトとは違い、ベアタは悪だくみする子供みたいな顔だ。

 ベアタがテッレの町に着いてすぐ、見慣れたチェルカーレ号を見つけた。行儀よく停めてある船を発進出来なくさせようと、出口を塞ぐようにデルフィーノ号を停めた。

「あんなの偉大なるダニー船長の操縦技術をもってすれば、抜け出すのはカンタンでは?」

「ふざけんなお前、隙間なんかなかったぞ!」

 飛空船の発進と浮上には周囲との充分な距離が必要だ。ダンがその事を一から説明してやろうと握り拳を固めたその瞬間、大きな風が吹いた。

「ベアタお姉ちゃ〜ん、来ちゃった〜!」

 一行の髪や服を煽り、羽音を立てる者がいる。ベアタが落ちてきた影に顔を上げると、上空に天馬(ペガッソ)にまたがる少年の姿が見えた。周りに三人のお供までいる。

「この前のことで、みこには、しゃかいべんきょーが必要ってわかったんだって!」

 とても嬉しそうなフェイルの声がどんどんと近づいてくる。ベアタはフェイルが嫌いではない。しかし神の御子というフェイルの立場を知った今、再会を素直によろこべない。苦々しい顔でフェイルのお供が彼女を見ている。

 なんだかまた、面倒な事になりそうだ。

「あいつここに降りるつもりか! 狭いのにあぶねーな、やめさせろベアタ、親だろ」

 親代わりにはまだ若すぎると思っているベアタは、ダンの言葉が許せなかった。

「うるせえ天馬に蹴られて死ね」

「あァ? ふざけんなお前が死ね、つか船どかせ」

 ベアタはダンと威嚇しあうが、また一筋風が吹く。

「ベアタお姉ちゃ〜ん!」

 倒すべき相手と歓迎しづらい旧友の到来で、対処すべき事がありすぎる。ベアタは意識が遠のきそうだった。

「あーもう、今日もう空賊終わりっ!」

 すべてを投げ出したくなり、ベアタは大声を青空に響かせた。空では、太陽が笑うようにきらめいていた――。

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