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遠いぬくもり

作者: 管野緑茶

忘れ去られた神様モドキと、ひとりぼっちの優しい少女の話。

ひとりぼっち同士は惹かれ合う。

「昔は、よかったのにねぇ」

 祠の中で眠っていると、そんな声が聞こえた。暗闇の中でのっそりと起き上がり、小さな扉から外を覗いてみた。細く光が漏れるそこに右目を寄せると、二人の女が立ち話をしているのが見えた。

「今の若い子は、ゲームだ携帯だ、って。家の中でぐうたらしちゃって」

「私達が子供の頃は、日が暮れるまで山や川で遊んでたってのにねえ。懐かしいわあ」

 頬に手を当てて、如何にも昔恋いそうに語る女たちは、こちらに振り向きもしない。

「あの祠だって、昔はよくお供え物して、綺麗に掃除もしてたのに」

「勿体ないわよね。取り壊すなんて」

 女たちの平たい声を頭の片隅で聞きながら、私はゆっくり、目を閉じた。


 私に名前はない。名前など必要ないから。遠い昔、人には座敷童子と呼ばれていた。居着いていた家の人は、時々姿を現してみせていた私に、握り飯をくれた。一緒に遊んでくれた。負ぶってくれた背中は、暖かかった。

いつしか、人は座敷に神棚を設けて私を祀るようになった。毎朝神棚の前で手を合わせ、小さな皿に米や塩を盛った。その時から私は座敷神と呼ばれるようになった。神棚から人を見下ろす日々が続いた。大人も子供も、毎日飽きもせず手を合わせた。自由に遊んでいたころよりは窮屈になったが、人々が暮らしを営むのを見守るのも、存外面白かった。

しかし、それから五十年ほど経ったころ、私が居着いていた家は明治維新とかで取り潰しになった。いつも騒がしかった家がもぬけの殻になり、ただの箱になった。家を出ていく時、人々は私に祠を建てていった。私の居場所がなくならないように。そこで私は土地神になった。祠の中から人々が行き交うのを見守った。歩いて行くだけの人を見るのは少し退屈だったが、時々足を止めて果物や饅頭を供えていく者もいれば、手を合わせていく者もいた。そういう者たちの話を聞くのはいい暇つぶしになった。今年は作物がよく実っただとか、子供が嫁に行って少し寂しいだとか、取るに足らない話に耳を傾けるのが、好きだった。

しかし、それから百年以上経った今、もう私の祠を訪れる者はいない。かつて緑が茂っていた道は灰色になり、一面豊かな田畑だった景色は、今では冷たい色の建物が建ち並んでいる。目の前を通っていくのは臭い息を吐く鉄の箱ばかり。手を合わせる者など、私のことを見る者など、いなかった。

人は冷たくなってしまった。あの優しいぬくもりは、思い出す事しかできないものになってしまった。

なった、はずだった。


「神さま、こんにちは!」

 小鳥が鳴くような声で、私はまた目を覚ました。祠の扉を見ると、白い光が差し込んでいた。ゆっくりと舞う埃が星のように光った。

「神さま、禊だよ。遊びに来たよ!」

 急かすような声に、私は傷んだ木の扉を僅かに押し開けた。開いた扉の隙間から忍び込んだ風が、星屑を吹き飛ばした。

 祠の前には、小さな人の子が立っている。白いひらひらと風になびく服を纏い、二つに髪を結った頭には藁で編んだ帽子をのせている。

「やっとおきた! もうお昼だよ?」

「相も変わらず、五月蠅い人の子じゃ」

 蛙のように飛び跳ねる人の子の前に、私はふわりと欠伸をしながら出ていった。

「〝ヒトノコ〟じゃないっ。禊だよ、河内禊!」

 人の子、禊は丸い頬を赤く染める。

 禊は他の人の子とは少し違う。この子には、見えないはずの私の姿が見えた。初めて会ったとき、どうしてかは知らないが禊は私の祠の前で泣いていた。人々から忘れ去られ、何十年も放っておかれていた私は、禊のすすり泣く声で深い眠りから目を覚ました。耳障りな声でつまらない現に呼び戻されたのは全く迷惑だった。五月蠅いだけの人の子など追い払ってしまえと、私は数十年ぶりに祠からでた。それが間違いだった。私が外へ出たとたん、人の子は泣き止んだ。零れ落ちそうなほど大きな瞳を見開いて。

「……あなた、だぁれ?」

 無邪気に首を傾げた人の子が、まさか信仰を失った神の成れの果てに懐いてしまうなど、思いもしなかった。

私が他の者には見えない存在だと知って物珍しく思ったのか、その日から禊は毎日、昼になると祠の前に立つようになった。真夏の強い日差しに肌を焼きながら、いつもお土産と言って饅頭や焼き菓子を手にもってやって来た。毎日、毎日、飽きもせず。無理やり叩き起こされるのは不愉快だったが、禊の持って来る変わった供え物にはなかなか興味がそそられ、ついつい出て行ってしまう。

 今日も懲りずに私を叩き起こしに来たようだ。

「私の眠りを妨げるとは……それほどの価値のあるものを持ってきたんじゃろな」

「持ってきたよ。今日はわたしの手作りクッキーだよ」

 禊はにんまり笑い、肩から下げていた鞄から小さな包みを取り出した。包みの中には丸や四角の焼き菓子が入っていた。その中のひとつをつまみ上げ、口に放り込む。煎餅とはまた違う硬さのそれを噛み砕くと、砂糖の甘さが口に広がった。

「ふん。妙ちくりんな味じゃな」

「おいしいんでしょ? 素直じゃないなあ」

 禊は祠の隣の石段に座ると、くっきーとやらを齧った。「ほら、おいしい」そう言い、満足そうに笑った。特に他にすることもない私も、石段に座った。

 禊が来るようになって、三週間が経った。出会った日から、一日も欠かさずやってきては日が暮れるまで居座った。

 私は細く息を吐いて、禊に問うた。

「お前、なぜそうして私のもとを訪れる。このようなところに来るよりも、友と遊んでおるほうが、楽しいじゃろうに」

「……わたし、友達、いないから」

 禊の言葉と翳った顔で、悟った。この子は人の子の環から外れているのだと。

「わたし、みんなには見えないものが見えるから。気持ち悪いって、言われちゃって」

 小さな肩が震えた。細い腕で膝を抱え込むその姿は、どこか見覚えがある気がした。

「みな薄情なものじゃの。見えないものが見えるのがどうだというのじゃ」

 私はひょいと石段から降りた。灰色の硬い地面が足に響いた。

「昔は私たちのような存在が見える者は、私達と人を繋ぐ者として崇められておった。見えぬ者は見える者の言うことを信じ、私達への信仰を忘れる事はなかった」

 禊が顔を上げてこちらを見た。目尻が赤く擦れていた。

「だが今はどうじゃ。見えぬ者は見える者を己とは違うというだけで除け者にし、共に生きて来たはずの私達を捨てた。私達よりも使い勝手のいいものを見つけたからじゃろな。人は冷たくなったもんじゃ」

 人の子相手にこんなことを言っても仕方がない。分かっているはずなのに、禊の赤い目尻を見ていると、なぜだか口が止まらなかった。そして、今朝祠の中で聞いた女たちの言葉を思い出した。

「昔は、よかった」

「昔、は……?」

 思わず口をついて出た言葉に、禊が首を傾げた。私は心の中で罵った。あのような者たちと同じ言葉を使ってしまった己を。

「昔はよかった……。大人の人たちも、よくそういうよ」

 禊が、かすれた声でしかしはっきりと言った。ただの人の子である禊に、内を見透かされたようで、居心地が悪い。

「昔はってことは、今はよくないってことだよね……。大人にとっても、神さまにとっても」

 禊の言葉は、追い打ちをかけるようだった。私は禊から目を逸らした。

「そうじゃろうて。昔は、人と人が強く繋がり、力を合わせて生きておった。己以外にも、命をもち、生きているものがいることを知り、全ての恵みを有り難く思っておった。今の人々には、その思いがない。忘れ去ってしまったのじゃ。人は、優しさを忘れてしまった」

 灰色の地面を見つめた。冷たい色で、草など一本も生えていない。この世は、どうしてこんなにも冷たく感じるのか。そっぽを向いているように思えるのか。

「私は……今の世界だって、好きだけどな」

 その時、禊がぽつりと呟いた。振り向くと、禊は己の膝小僧を見つめていた。頼りない顔をして。

「昔はよかったっていうけど、今だっていいところはあるよ。たしかに大人たちは、子供が外で遊ばなくなったとか、ネットばかりして人と関わらなくなったとか言うよ。神様を信じる気持ちも、なくなってきてるんだと思う」

 覚束ない言葉だった。それでも、禊は続けた。

「けどね、それだけじゃないんだよ。科学っていうのが発達したおかげで、外国の人といっぱい繋がれるようになったし、みんな長生きもできるの。悪いことばかりじゃないよ。忘れていくだけじゃないんだよ」

 禊は困ったように笑った。私は、禊が哀れに思えた。

「人が長く生きたところでなにがあるというのじゃ。長く生きることがそれほどよいことなのか。異国と繋がれるとお前は言うたが、異国とつながる前に、己のすぐ傍にいる者と分かり合おうとは思わぬのか。分かり合っていないから、関わろうとせぬのじゃ。お前のように、はじかれる者がおるのじゃ」

 私の言葉に、禊はきゅっと唇を結んだ。すぐに言い返せない目の前の人の子が、哀れだった。

「人は冷たくなった。己さえよければいい生きものになってしまった。優しさを、欲を満たすために捨ててしまった」

 でなければ、なぜ私達は捨てられたのだ。この子のように環からはじかれる者がいるのか。他の者の心から遠ざかるのか。

 なぜ、あの時の暖かさを、思い出す事しかできないのだ。

「神さま……淋しいんだね」

 ふいに、禊が言った。私は禊を見た。鳶色の瞳が、私を見ていた。

「淋しいじゃと」

「うん。だって、そうでしょ。人が優しさを忘れたっていうのは、神さまが昔、人に優しくされたからでしょ。神さまがそれを忘れられないからでしょ」

 禊の言葉に、私は、何も言えなかった。禊を見つめることしかできなかった。

 禊も私から目を逸らさなかった。

「神さまたちがいるって信じてくれる人、ほとんどいないよ。みんな、見えないものより見えるものを信じちゃうから。見えないものを信じるって、きっと、とても勇気のいることだから」

 膝を抱えた禊の腕が、きゅっと絞められた。何かに耐えるように。

「でもね、だからって冷たくなったわけじゃないよ、きっと。今は新しいものがたくさんできてるから、そっちを信じるほうが怖くないから、そっちに夢中になってるだけなんだよ。どんなに新しいものに溢れても、きっと人は優しさを忘れないよ。神さまに優しくした人みたいに。どんなに時がたっても、いつだって助け合って、手を差し伸べ合うのが、人だから」

 そう言って、禊はまた笑った。年端のいかぬ人の子の言うことだ。その程度のものだ。

 なのに、なぜ私は今、この子の言葉に耳を傾けているのだろう。遠い昔の暖かさを感じているのだろう。

「……お前、どうしてそこまで今の世を、人を信じるのじゃ。お前は今の世に拒まれて苦しんでおるのじゃろう」

 私は問うた。仲間であるはずの者たちにさえ受け入れられないのに、優しさとは相反するものを押し付けられているのに。なぜ、人を信じられるのか。

 禊は己を抱き締めた腕をといた。白い服が風に吹かれて踊った。

「いじめられるのも、無視されるのも、辛いよ。苦しいよ。わたしがわたしじゃなくなればいいのにって思ったこともある。けど、この世界には、わたしを仲間はずれにする人ばかりじゃないもん。大丈夫って言って、抱き締めてくれる人もいるもん。わたしをいじめてる子もね、きっと怖いだけなんだ。初めから優しくない人なんて、いないよ。優しさを忘れたりしないよ」

 禊は石段から飛び降りた。二つに結った黒髪が風に流される。

「それに、わたしはわたしが生まれたこの世界を、嫌いになりたくないから」

 そういう人の子は、まだ幼い顔を綻ばせた。真っ白で、何にも染まっていない笑顔だった。

「だからね、神さまも忘れられたなんて言って一人にならないで。神さまには、わたしがいるよ」

 細い腕が、小さな手が、私に差し伸べられる。その手を握る。小鳥のようにせわしく弱弱しいぬくもりだった。それでも、そのぬくもりは、ひどく懐かしい、あの暖かさだった。子守歌を聞きながら眠ったあの背中の。手をあわせる親子の。供え物をしていく人々から貰った、思い出すことしかできなかったあのぬくもりだった。

「また明日も、明後日もその先も、絶対来るからね」

 頼りない笑顔で、言葉で、忘れられた神を守ろうとする人の子は、何よりも暖かかった。

「……そうじゃな。あの妙ちくりんな菓子も持ってくるのじゃぞ」

 この人の子は、もうすぐこの祠が姿を消すことを知っても、同じことがいえるだろうか。人の優しさを疑わずにいられるだろうか。

 この小さな手を、迷いなく差し伸べられるだろうか。




ご精読ありがとうございました。

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