一羽目 トリとヒト
まだ少し肌寒い風が吹く春の初め。冬頃に我が家に巣を残して出て行ったツバメ達が、屋根の上で鳴いている。昔の人は、彼らの鳴き声を『ツチクッテムシクッテクチシブーイ』と表現したらしい。彼らに味覚があると判断した昔の人はすごいと思う。
母さんが用意してくれたバターの塗られたパンの上からジャムを塗り、口に放り込む。イチゴジャムの甘酸っぱい香りが鼻から抜けた。鳥にこんな感覚など存在しないだろう。
パンを食べ終え、手近にあったマフラーを巻き、玄関に向かう。後方から母さんの手袋も持っていったほうがいいわよとアドバイスが聞こえる。確かに、相手のことを考えると必要かもしれない。
玄関のホックに掛けられている手袋を一組取り、鞄にいれた。
「いってきます」
扉に手を掛けると同時に、インターホンがなった。そのまま杷手を前方に押すと、150センチメートル弱の小さな旧友が立っていた。彼女とは中学までは同じところに通っていたが、高校は別々の場所へ通い始めたのだ。彼女の姿を見たのは一年ぶりだが、容姿も中身もまったく変わっていない。
彼女は俺を一目した後、母さんに心底嬉しそうな笑顔を向けた。彼女は母さんの事が大好きなようで、目にするたびに嬉しそうに笑う。
「あら、純ちゃん。おはよう」
母もまた彼女のことが好きらしい。2人は顔を合わせるごとに、世間話だの、身の上話だので盛り上がる。この前は、俺が彼女の身長が伸びたことに気づかなかったことを母さんに愚痴っていた。女子というのは、周りに自分の変化をアピールしたい生き物なのだろうか。俺には、到底理解できない。
「おい、ばか」
突然聴覚を刺激した少し怒気の含まれた声に、俺の意識は一気に家の玄関へ引き戻された。声の主であろう純は先に外に出たらしい。母さんにもう一度行って来ますと声をかけ、急いで玄関を出た。
純は、家の門扉の横で自由に過ごす鳥達を見ていた。彼女の表情からは気持ちが汲み取れず、少し不安を感じた。だが、彼女にどう言葉を掛ければよいのかも分からず、俺も同じように鳥を見た。
「鳥は、恋をするのかな」
沈黙を破ったのは純だった。少し前まで怒気を含んでいた声は、普通よりもほんの少し低い、穏やかで落ち着いた声になっていた。
俺は、彼女の問いに答えることができなかった。その問いが難しかったわけではない。その言葉を発した彼女の気持ちに、小さな期待をしてしまったのだ。




