第70話:カイン
逃げ恥ロストがやばい
カンカンカン、剣の撃ちあう音が隙間風といえないほど大きな穴の開いた部屋で響く。宗一郎は何とかカインの攻撃を受け止めていた。
「カイン!」
キャスカの叫びを聞いたカインは剣を止めて、宗一郎から距離を取り膝まずいた。
「麗しきキャスカ様、挨拶が遅れて誠に申し訳ありません。私がキャスカ様の存在を忘れるわけがありません。この土地の象徴であるサーデルのように美しく、魅力的なお方は私の心の真ん中にどっしりとーー失礼、キャスカ様にふさわしい言葉ではありませんでしたーー美しく根をおろしています。王都にも一般的には美しいと言われる女性は数多いましたが、キャスカ様に優る人物はおりませんでした。あぁなんてお美しいのでしょう。タージフ人も他国人も、歴史上のどんな女性もキャスカ様の前では地団駄を踏み、その美しさに嫉妬することでしょう。そんな奇跡のような存在がーーいえっキャスカ様は奇跡そのものです。その奇跡がこの土地に、私の生まれ故郷にいるということが、私を震わせーー」
「待て、カイン!」
「はっ」
「お前はいつも歯の浮くようなセリフを吐く」
「あぁ申し訳ありません。私も自分の想いを言葉にするのを抑えよう、抑えようとしているのですが、つい口に出てしまいます。いえっ私の言葉ごときではキャスカ様の魅力の一端も表現されていないことはわかっておりますが、それでもキャスカ様を見た私の口からは自然と言の葉がーー」
「待て、カイン!」再度キャスカが止めた。
「はっ」
「私に挨拶する前に、新任領主に対する非礼を謝罪し挨拶しろ」
「愛するキャスカ様の命令でもそれだけは聞けません。何故キャスカ様よりこんな男を優先しなければならないのですか? 私はキャスカ様以外の命令は聞きません。あぁそれにしてもキャスカ様のお姿を見ると子供の頃の思いでが後から後から湧き出てきます。3歳の今日は一緒に稽古に混ざり、4歳の今日は一緒にサーデルを鑑賞しました。5歳の今日はキャスカ様に叩かれ、6歳の今日は鬼ごっこでキャスカ様が泣いてしまったのを覚えています。7歳の今日はーー」
「いい加減にしろ!」キャスカは再々度カインを止めた。
「全く、こいつは放っておくとずっと話す」キャスカがぼやく。「怖い」アリッサがぼやく。「怖いです」リーザがぼやく。「怖っ」ビットがぼやく。
宗一郎はカインの評価を「キャスカ大好き人間」から「ストーカー」に改めた。整った顔立ちと、ペラペラと口が周り、女性の喜びそうなセリフをスラスラ言うカインは、女性人気がありそうだが、この様子ではキャスカ以外に興味はないのだろう。キャスカとの思い出を全て覚えているのか聞いてみたいな、と宗一郎はふと思ったが、パンドラの匣を開けることになる気がした。またこの性格を考えれば一度話始めれば止まらず、永遠と聞かされる事になるかもしれない、宗一郎は背筋が凍る思いがした。
「カイン」とオリジが呼びかけると、「オリジさんか」とカインが返答した。
「相変わらず、お前はキャスカ様が大好きだな」
「当然です」
「こいつとの戦いは良いのか?」
オリジが宗一郎を指さす。
「まずはキャスカ様せいぶーーキャスカ様に挨拶をしなければなりません」
(絶対キャスカ様成分って言おうとした)
「一応こいつは新任領主だぞ」
「どこの馬の骨かわかりませんが、いつも通りすぐに逃げ帰るでしょう。そんな人間に礼儀を尽くす必要などありません」
「カイン、言葉を改めよ。ソウイチロウ殿は今までとは違う御仁だ。きっとドレスデンを豊かにしてくれるだろう」
「キャスカ様は以前もその言葉を仰りました。確か、9,21,31,47番目の領主の時だったと記憶しています。それがどうなりました? みんな逃げ帰りましたよ」
「今度は違う。今度は本当だ」「……その言葉も先の4人の時に仰りました」カインが冷たく突き放す。キャスカを領主にしようと画策している彼らにとって、新任領主はいわば「敵」である。到底認められない。
「まずは挨拶しよう。新任領主のソウイチロウだ。以後よろしくーーグハッ」
キャスカを手で押しのけ、カインとの間に入り、宗一郎は自己紹介したが、言葉半分でカインの拳を腹に受けた。「なにをする?」とキャスカが崩れ落ちる宗一郎を抱きとめた。
「私とキャスカ様の会話を邪魔しようとは、万死に値します。やはりお前は死んでからまた死になさい」
カインが宗一郎に剣を振り下ろそうとしたが、途中で止めた。
「今斬りますと、キャスカ様が薄汚れた新任領主の血を浴びることになります。また倒れた相手を斬るのも騎士道に反します」
先制攻撃しといてどの口が「騎士道」とか言ってるんだよ、宗一郎は苦痛に顔を歪めながらも、心中でカインに悪態をついた。
「よって私は新任領主であるソウイチロウに『決闘』を申し込みます」
「『決闘』は法で禁止されている」
キャスカが反論した。
決闘ーー由緒正しい問題解決方法である。問題事を抱えた両者が戦い、勝者の意見を優先するのである。ルールは1対1のみであり、事前準備や凶器の持ち込みも可である。現代では野蛮な風習と言われているが、近代以前は普遍的な行いであり、洋の東西を問わず記録はある。
ガイアでも同じで、ごく一般的なことであった。しかし敗者の死亡事件が多発したため、ルクス王が法で禁止にした。
「失礼、言葉を間違いました。私は新任領主であるソウイチロウに稽古を申し込みます。勿論稽古の最中にやり過ぎて死ぬ場合もありますが御了承下さい。……この申し出受けて下さいますよね?」
宗一郎に向けて剣を突き出すカインの目には狂気の色がにじんでいた。明らかに詭弁だが、了承しないと更にヒドイ目にあわせる、とその目は告げていた。
「受けても良いが条件……いやっその申し出受けよう」
宗一郎は戦う条件として対話を先に行う事を、カインに伝えようとしたが止めた。カインのこれまでの行動や言動を鑑みるに、戦うほかないことを理解した。典型的なバトル脳に加えて、最愛の人を弄ぶ極悪人として宗一郎を捉えているのである。対話の余地があるとは思えない。
「ありがとうございます。私が勝った場合には、新任領主の即時辞任とキャスカ様をいたぶったその剣の譲渡を望みます」
「私はいたぶられてなどーー」
「俺はお前との対話と領地運営への協力を求める」
「良いでしょう。戦いは……何時にしますか?」
こっちは何時でもいい、といった余裕しゃくしゃくの表情をする。
「今だ。そもそも全力でやれば、俺がお前に負ける筈がない。ドレスデンの問題で頭一杯なのに、これ以上問題を増やしたくない」
「これは……随分と甘く見られましたね。私はドレスデンで、キャスカ様の次に腕が立つのですよ」
「ジックがいるだろ」オリジが茶々を入れるが、カインは全く取り合わない。
「取り敢えず庭に出ろ。そして少し待て」
「良いでしょう。首を洗う時間くらいあげましょう」カインは自分の開けた穴から出て行った。オリジも「俺もカインが負けたらあんたに従うとする。まぁあり得ないだろうけどな」と言って、カインを追った。
「ソウイチロウ殿……」キャスカが申し訳無さそうな目で宗一郎を見る。
「大丈夫よ、ソウイチロウは強いから、あいつなんて楽勝よ」アリッサが宗一郎の背中を押す。
「ソウイチロウさん、頑張って下さい」リーザが宗一郎を応援する。
「あの兄ちゃん、使えそうだな」ビットがリーザにしか聞こえない声で呟く。
「大丈夫だ。お前らは安心して見ていろ」
宗一郎は、外へ出て領主の館に被害が出ないように、念入りに結界魔法を貼る。万が一を考え、自身の肉体にも結界魔法を貼る。
準備が終わり庭に出ると、カインが愛刀を胸に抱きながら空を見上げていた。「フフッ、今夜はキャスカ様をいたぶったあの剣をたっぷりと……」恍惚に満ち溢れた表情でカインは呟いた。
「駄目だこいつ、早くなんとかしないと」聞き慣れた突っ込みを宗一郎はした。
「おやっお早いことで。今生のお別れはすみましたか? ならーー」
あいも変わらず、カインは宗一郎の返答を待たずに剣を振り下ろす。宗一郎は余裕を持ってそれを受け止めた。
「ほほう。読んでいましたか。ですが、そんな力では、私の行動を読んでいようが、いまいが関係ありませんよ!」
カインはその後も宗一郎に猛攻を仕掛けるが、宗一郎は何とか凌ぐ。反撃する余裕はなく防御するだけだが、傷を負うことはなかった。
「すごいです」「すげー」その光景を見ているリーザとビットの口から、思わず称賛の声が漏れる。
それもそのはずである。宗一郎は何の魔法も使わずに生身で、キャスカに比するカインの攻撃を凌いでいるのである。キャスカの稽古を肌で感じた2人だからわかる宗一郎の凄さ。ーーそれは受けの技術であった。
宗一郎の剣は攻撃ではなく、防御に特化している。キャスカの剣を喰らわないで稽古を終えれるのは、宗一郎ただ一人である。リーザの超スピードでもキャスカは難なく剣を当ててくる。ビットは言うに及ばずである。ゴブリンキングの斧の様に、単純な太刀筋(ただ振り下ろすだけ)を、カインは一切しなかった。振り下ろし、振り上げ、横薙ぎ、突き、フェイント、当て身、これらを織り交ぜつつ攻撃しているが、宗一郎に剣を当てることは出来ていない。
宗一郎は剣の道においてはずぶの素人である。小中高大と体育で剣道をやることもなく、ガイアに来た。それが一冬修行しただけで、達人のカインの剣を受けるように成れたのは、『加護:器用貧乏』が関係している。攻撃のように組み立てが必要なく、しっかりとした態勢、次に動きやすい態勢で迫り来る剣を受ければ良い防御は、宗一郎の加護の得手分野であった。それはキャスカをも唸らせる習得速度であり、防御の面に関しては、どこに出しても恥ずかしくない腕前まで、宗一郎は成長していた。
勿論剣とは攻防一体の武器であり、防御に長じていることは利点にはなれど、攻撃がさっぱりでは意味がない。しかしそれは剣士の場合である。宗一郎は仮中級魔導師であり、剣は防御の手段に成れば良いと割りきって考えていた。そのため防御の修行に傾注したがゆえの、成長ともいえる。
「はっ。防御は見事と言って良い。しかし守るだけでは私を倒せませんよ。……腕輪を見るところ中級魔導師のようですが、そもそも魔導師とは守る守備隊がいて、初めて本領発揮できるモノです。単体なら剣士に敵うはずがありません」
カインの言っていることは事実である。
魔法の収縮と拡散が出来れば、中級魔導師になれる。しかしそれはプレッシャーのない状況であり、迫り来る剣を躱しながら、魔法を使うのは決して容易なことではない。それができるのは戦場なれした魔導師くらいである。もし今のように、技量のある剣士が魔導師と決闘したとしたら、距離を詰められた時点で剣士の勝ちである。魔法はある程度のスペースと時間が必要なのである。それを必要としないのは、それこそ上級魔導師以上であり、単体で他国軍と張り合えるブッフハルトのような人物だけである。
カインは薄汚れた新任領主の名前を知らなかった。上級魔導師になるような人物なら大々的に報じられカインの耳にも入るはずである。宗一郎の名が記憶にないということは、上級魔導師ではない、すなわち自分の敵ではない、とカインは判断した。
カインは冬の間王都で生活していた。ある仕事をしていたのだが、その最中も望郷の念は募るばかりであり、早くキャスカに会いたい、という一心で生活していたため、立て看板を見なかった。また各地を転々としていたオリジも同様である。
「良し! 良い稽古になった。そろそろ俺も攻めるぞ」
「稽古だと?」
「やはり実践に優る稽古はない。実に有意義だった。礼を言うぞ、カイン」
「お前は私をバカにしているのか? おのれ、許さん」
「【竜巻】」
乱気流がカインを襲う。カインは愛刀で何とかそれを受け止めたが、弾き飛ばされ宗一郎との距離をつくってしまった。
まずい、魔導師と距離を作ることは敗北に繋がることを理解しているカインは、即座に態勢を立て直し距離を詰めた。その間に宗一郎は地面に手を置き【鎌鼬】と5回唱えた。直後にカインの横薙ぎが宗一郎の首へと向かった。
「危ない、ソウイチロウ」ビットは目をつむった。
しかし絶叫や剣のかち合う音はなく、アリッサの「は?」という言葉でビットが目を開けると、立ち上がり手に付いた土を払っている宗一郎が見えた。剣を振るっていたカインの姿はどこにもなかった。
「どうなったの? ねぇ、どうなったの?」決定的瞬間を見ていなかったビットはリーザへと問いかけた。「……カインさんが消えました」リーザは呟く。リーザも現状を把握しきれていなかった。アリッサも同様である。
「落ちた?」唯一カインがどうなったかが見えたキャスカが呟く。キャスカは足場を失ったカインが垂直に地面の中に吸い込まれていったのが見えた。
「正解!」宗一郎が満面の笑みで答える。
宗一郎は【鎌鼬】で穴を掘った。四方を削り、底辺を削って、細長い穴を掘ったのだ。そうして切り取られた土を、カインが踏みしめた瞬間に空間魔法に収納した。空間魔法は生き物を収納できないため、土の中にいた虫達はカインと共に穴の底へと落下していた。穴は縦横2mで長さは20mである。底まで一直線で落下したカインは受け身もとれずしたたかに背中を打った。カインは苦痛に顔を歪めていた。
「おーい、聞こえるかー」
「グッ」
「負けを認めるなら何もしないが、認めないなら圧倒的有利なここから魔法を放つぞ」
「…………」
「【火炎放射器】」
宗一郎は脅しをかけるために威力の抑えた【火炎放射器】を放った。しかし真っ暗な穴の中にいるカインにとっては、突然炎が頭上から降り注いできて、どうすることもできず、衣服や髪が少し焦げた。
「おーい、返事しろ」
「…………」
「【竜巻】」
「ガハッ」
カインは火を消した後、密かに穴を登っていた。しかしそれを予想した宗一郎の風魔法によって、再度穴の底に叩きつけられた。
「返事は?」
「…………」
「これでも駄目か。キャスカ、1つ聞きたいことがある。【竜巻】」
「ガハッ」
「……なんだろうか?」
「カインの嫌いな物って何だ?」
「それは……」キャスカは言いよどんだ。そもそもこれは宗一郎とカインの決闘である。自分が口を挟んで良いものか。そう悩んでいた。
「【竜巻】」
「ガハッ」
だが宗一郎がなるべくカインに怪我を負わせないようにして、勝利しようとしていることを、キャスカは理解していた。そしてこの状況を打破する手がカインにないことも。
「【竜巻】」
「ガハッ」
自分が躊躇していてはカインの苦痛が増えるばかりである。キャスカは決してカインを嫌ってはいなかった。ちょっと粘着質なところはあるが、幼馴染でいつも自分を気にかけてくれる男である。キャスカはこの無益な勝負を終わらせるために、宗一郎の質問に答えることにした。
「カインの嫌いな物はーー」
「待ってくれ。負けを認めるからもうやめてくれ」
キャスカを遮ってオリジが敗北を認めた。
「お前が認めても……」
「仰る通りだ。俺が説得するからちょっと待っててくれ」と言い残したオリジは、宗一郎の開けた穴に飛び込んだ。そうして穴の底でカインと話し合った。その話し声が止むと、穴の底から弱々しい声でカインが負けを認めた。
不毛な戦いはここに幕を閉じた。
「駄目か、何とかしないと」の元ネタは「DEATH NOTE」って初めて知りました。俺全巻持っているのに……