第68話:春が来た
モーゼスが宗一郎を殴ってから1週間が経った。領主の館には毎日キャスカとモーゼスとコールの歌が流れている。今ではラジオ体操をする人も増えた。
あの後モーゼスはリズに会った途端、泣き始めた。それを見たナターシャが宗一郎を問いつめると、違う、俺が悪いんだ、とモーゼスは泣きながら言い、途切れ途切れに事情を説明した。宗一郎はそれを無言で聞きき、モーゼスが話し終わった時に、再度頭を撫でた。するとモーゼスは一層大きな声で泣いた。
無垢な少年は、憎むべき相手であり、被害者の宗一郎に優しくされて、どうすれば良いのかわからず、ただ泣くことしかできなかった。
その後リズとパールはモーゼスとコールを連れて風呂に入った。風呂で女性の話を聞くのはアリッサの役目だったのだが、そこは家族水入らずということで遠慮した。風呂から出てきたモーゼスは泣き止んでおり、宗一郎に再度謝罪した。
「気にするな。子供は間違いを犯すのが仕事だ。しっかり反省してくれればそれで良い」
宗一郎は親から習った事をモーゼスに伝えて、頭を撫でた。
それからというもの、モーゼスとコールは領主の館に通っている。季節は冬で畑仕事がないため、彼らも仕事がなく暇なのである。毎日やってきて、ラジオ体操をして、キャスカに稽古をつけてもらって、風呂に入って帰っていく。
宗一郎はあの事件以来、モーゼスを問い詰める事はしていない。おおよその事情はわかり、大人を問い詰める事にした。子供は口が軽いだろうと思い、真っ先にモーゼスを問い詰めた罪悪感もあり、宗一郎はモーゼスとコールを可愛がることにした。彼らも宗一郎に好感を抱いているが、他の領民の手前、馴れ馴れしくすることはできない。他の住民には、領主の館に通っているのはキャスカの様子を伺うため、と言ってある。
宗一郎の情報収集は続いている。領民が宗一郎に懐くことはないが、ドレスデンが排他的な理由とその解決法もわかってきた。
現在ロクな産業もないドレスデンの働き手は出稼ぎに出ており、その仕送りでほそぼそと暮らしていた。そのため働き手は相当な発言力を持っている。普通は長老などの老人の発言力が強いが、ここでは金を稼いでくる男の発言力がそれを上回っていた。
「つまり、そいつらを説得すれば良いってことか」
「春先には帰ってくるって」
「何の仕事をしているって?」
「兵士だって。重要な仕事をしていて、みんな強いって、モーが自慢していた。コーもそれに同調していたから、少なくともあいつらは、そうだと思ってるんだろう」
「出稼ぎの兵士か」
「働いている姿を見たことはないから、なんとも言えないけどね。……もしかしたら、父さんと同じ仕事をしているかも」
「もしそうだったらどうする?」
「おいらが考える事じゃないよ。どうせお前が止めさせるんだろ?」
「……そうだな」
「お前は知らないだろうけど、おいらの生活もモーやコーと大してかわらなかった。いっつも腹をすかして、隙間風どころか、敷居もない洞窟に住んでたんだ。そんな生活抜け出したいだろ?」
「……そうだな」
「だからモーやコーの生活を改善しようとするお前の行動を止めたりはしない。その点だけはおいらも感謝している。でもおいらは父さんの仇としてお前を見ているんだからな」
「お前が俺に感謝するなんて、らしくないな。なんか変な物でも食ったか?」
「……寝るよ」
「おやすみ」
「…………」
ビットはこの1週間で、モーゼスとコールの兄貴分となっていた。貧困により、旅行などしたことのない彼らにとって、モーゼスの話は魅力的であった。新任領主を無視しろ、と言われているが、領主の連れ子に辛く当たれ、とは言われていない。そのため彼らは歳の近いビットへ、自然と接近した。
キャスカの修行についていけるのも、リーザとビットだけである。お遊び半分でモーゼスとコールは修行に参加したが、半分程で疲労困憊になり立っていられなくなった。リーザは獣人だから体力あるよな、と考えでもない彼らだがビットは人間である。ちょっと歳が上なだけの、彼らと何も変わらない人間の男である。リーザのスピードに翻弄されて、何度も頭を叩かれるビットを見て、最初は嘲笑していたが、それが続くに連れて尊敬の念を強めた。修行の合間にコールが声をかけた時から彼らの関係はスタートした。
ビットはこの2人を兄貴分として、「モー」「コー」と呼んで気にかけている。
◇
「お前らの目的はキャスカさんを領主にすることだろ?」
「そうです」
「ならおいらに良い考えがある。耳を貸せ」
「良い作戦?」
モーゼスとコールはビットの発言を訝しがる。大人達が何度も協議を重ねて、でた結論がこの耐久戦なのである。それより良いモノがビットの口から提案されるとは思えなかった。彼らは軽い気持ちでビットの提案を聞いた。
「いいか、良く聞けよーー」
ビットは2人にだけ聞こえる声で喋った。それは耳の良いリーザにさえ聞かれなかった。訝しげな顔をしていた2人は、ビットの考えを聞く内に喜色満面になった。
「アニキ、それは良い考えだ。……でも可能なのか?」
「可能だ」
「アニキ、それをバーチャンに話してくれないか?」
「わかった。任しとけ」
そうしてビットが2人と共に領主の館を出ようという時に、リーザに声をかけられた。
「ビットくん、どこ行くのですか?」
リーザはビットと一緒に暮らし気心が知れた事と、同年齢の事を加味して、最近では「ビットさん」ではなく「ビットくん」と呼ぶようになった。
「!? リーザか。おいらはこいつらの家にお邪魔してくるよ」
盗み聞きされたのではないか、ビットの鼓動が早くなった。
「ソウイチロウさんには話しましたか?」
「いいや」
「ダメですよ。ソウイチロウさんはビットくんのことを気にかけているんですから」
「リーザが伝えといて」
「はぁー。わかりました。伝えておきます。次からは自分でお願いしますね」
リーザに気づかれていないことにビットは安堵した。
モーゼスの家に着いたビットはリズに自分の案を打ち明けた。モーゼスの提案は理に適っていて、リズも納得し、その後長老会にかけられた。そこで了承を得たため、出稼ぎから帰ってくる者達がOKを出せば、その線で進むことになった。
ビットの企みは宗一郎らに漏れることなく、秘密裏に進められた。
◇
雪が溶け、真っ青な花が咲いた。
「あの花は?」
剣を打ち合いながら宗一郎はキャスカに問いかけた。
「あれはサーデルといってこの町特有の花だ。反乱以前はこの花を見に来る観光客もいたが、最近はめっきりいなくなった」
「キレイだな」
「だろ? 私も毎年楽しみにしているのだ」
打ち合いを中断してキャスカが微笑む。
「旦那。ちょっと良いかい?」
「ん、なんだ?」
「どうやら明日から順々に出稼ぎ労働者が帰ってくるらしい」
「やっとか。こっちは待ちくたびれたよ」
「リズばーさんの勘だけどね」
「勘か。お年寄りの勘は無視できないな」
「まずはここに招けば良いんだろ?」
「ああ」
「じゃあ明朝あたいが門の近くに立つことにするよ」
「頼ーー」
「リーザの仕事です」
リーザが猛ダッシュで宗一郎の下へ来た。
「いやっリーザは修行があるだろ?」
「リーザはここに来てから全くソウイチロウさんの役に立っていません。家事はナターシャさんが全てこなしてしまいますし、村人からの聞き取りはアリッサさんの仕事でした。何か探し物があったわけでもありません。このままでは奴隷として心苦しいです」
「俺はリーザにそんなことを求めてない」
「それでも後半年はソウイチロウさんの奴隷です。奴隷である内にソウイチロウさんのお役に立ちたいんです」
「リーザは稽古と勉強をしなきゃならないだろ」
「それもします。リーザはこの家にいても門に近づく人の匂いがわかります。稽古や勉強をしながらでも、出稼ぎ労働者さんの迎えをすることができます」
宗一郎はチラッとナターシャを見る。
「あたいはリーザがやってくれるなら任せたいかな。春先とはいえまだ肌寒いからねぇ」
「わかった。出稼ぎ労働者をこの館に導く役目はリーザに任せよう」
「ありがとうございます」とリーザは頭を下げた。
「リーザ〜〜、代わってくれ〜〜」
キャスカとの打ち合いをしているビットがリーザに助けを求める。1人でキャスカの相手は無理である。
「今行きます」リーザが棒を持ってキャスカに向かった。
「しっかし、ビットは変わったねぇ」
「だな」
宗一郎はビットを王都アーノルドに連れて帰ってきた日の事を思い出していた。
大方の予想通り、盗賊稼業のビットは山に隠れ野に伏して生活していたため、何一つ常識的な判断ができなかった。教養がなく衣食住全てでビットは宗一郎を驚かした。
まずビットは満足に服を着ることが出来なかった。そもそも盗賊時代には服を満足に持っておらず、毎日同じ服を着ていたそうだ。そのため服は肌と密着しており、捕まって服を脱がされた時ピリピリと肌に痛みがはしったとビットは笑っていた。また風呂に入ったのも、アーノルドの宿屋が初めてであり、宗一郎は風呂の入り方から教えなければならなかった。
食事は作法もなくただ貪り食うだけであった。手づかみでぐちゃぐちゃと口を開けながら食べていた。それにはナターシャが激怒し、1から作法を教えていた。「アリッサ様の奴隷……間違えた。旦那の奴隷になるってなら礼儀や作法が一人前にならないとダメだよ」とはナターシャの言であった。
ビットは屋根があり隙間風に悩まされない家で寝るのに感激して、寝床に入っても寝ることは出来ず、部屋を抜けだしてナターシャやリーザにちょっかいをだした。明朝それを聞かされたアリッサが「私にはちょっかい出してこなかったわ」と寂しそうに宗一郎にもらした。
宗一郎の正式な奴隷になるまでの5日でビットな何とか人前に出しても恥ずかしくないほど、礼儀や作法を覚えた。その道に詳しいアリッサとナターシャがいなければ不可能であっただろう。
「アリッサやナターシャのおかげだな」
「はぁー。旦那はホントにそう思ってるのかい?」
「当然リーザも良くやってくれた」
「他には?」
「他か。キャスカは戦いを教えているが、まだ日が浅いからな。それほどビットに影響力はないだろ」
「旦那はどうなんだい?」
「俺か。俺はそんなでもないだろ」
「ソウイチロウ殿、そろそろ良いだろうか」リーザとビットを打ちのめしたキャスカが宗一郎を呼んだ。観戦しているモーゼスとコールも宗一郎に目を向けた。
「悪い。呼ばれたから行ってくる」
「頑張ってきなよ」
ナターシャはキャスカに打ち込む宗一郎に呆れる。
「どうみてもビットに一番影響を与えているのは旦那だろ」ナターシャのつぶやきは宗一郎とキャスカの打ち合いの音で宗一郎には届かなかった。
春の木漏れ日が宗一郎らを照らしていた。